日本国の文字の下に描かれている平等院鳳凰堂 (←リンク)
平安時代の権力者藤原氏が左大臣源重信の婦人から譲り受けた
別業(別荘)は関白・道長から、その子頼通に受け継がれ永承7年
(1052)にこれを仏寺に改め、平等院と名づけられた。
関西在住の子供たちはほとんど小学校の遠足などで訪れる。
それ以外の地域の人たちは修学旅行などで京都へ来ても、市内から少し離れている
のもあって、右京の金閣寺・嵐山、左京(東山)の清水寺・平安神宮など訪れても
あまり立ち寄らないことが多いようだ。
それでも立派な世界遺産。
屋根の上の鳳凰と、両側の渡り廊下が翼を広げたように、背後の尾廊がしっぽのように
見えるところから鳳凰堂と呼ばれている。
本来の名称は阿弥陀堂だが、そう呼ぶ人はまず居ない。
東正面の池から中堂の格子の真ん中の丸窓を望むと、阿弥陀如来坐像の
お顔が望める。
木造雲中供養菩薩像 52躯、木造天蓋、壁扉画14面はもちろんのこと この周辺には黄檗山萬福寺や三室戸寺などの名所旧蹟や、酒処・伏見の酒蔵や
整えられた庭園や平等院ミュージアム鳳翔館など見どころもいっぱい。
記念館など興味深いところも多い。
茶壺型の郵便ポストなんかも微笑ましい造形です。
海外旅行も良いでしょうが、是非ともこのあたりもゆっくりと観光していただいて
母国日本の見直しもして欲しいと訴えながら 宇治シーリーズを終えたいと思います。