自分の小説の、理想形のひとつなんだけど、『大長編ドラえもん』を読む感覚をそのまんま小説にしたいと思っている。
絵のない『ドラえもん』。
絵は無くても、文章を読むことでイメージが惹起され、読む人の脳裏に鮮明に映像が浮かぶように書けばいいんだよ。
それにはいくつかコツがあると思う。
その一つが「カメラの位置を固定する」こと。
「小説の書き方」的な本を読めばたいてい書いてあることですから、私がわざわざ偉そうに講釈しないでもいいんですけどね。
映像でいうところのカメラ――視点をどこに置くのか。だれの視点で物語が語られるのかを決めて書く、ということ。
大きくは、一人称にするか、三人称にするか。
一人称なら、登場人物のだれかの目線で物語を見ることになる。
三人称なら、「神の視点」と呼ばれる、客観的な視点で語ることになる。
この視点がごっちゃになっているとすごく読みにくい。
カメラがぶれまくる映像を見ているのと同じ。
少年Aに感情移入していると思ったら、いきなり神の視点になったり。どういう位置から物語に入りこんだらいいのかわからなくなる。すると読むのがストレスになり、物語に没入できない……結局、読まれない。
非常にもったいない。読まれなかったらなんの価値も無いから。
これ、慣れたらたぶん、意識しなくても出来るようになる。
手前味噌で恐縮ですけど、
スターフォックス ビハインドは、基本的に一人称の視点で書いてます。
ただし、意図的に三人称視点にした部分があります。
『轟音とともに爆炎の柱が立ち上がり、要塞がくずれ落ちる。
間一髪、2機のアーウィンが地表に飛び出す。』
……ってところ。
これを読んだ人の頭に、『スターフォックス64』の該当シーンが映像として浮かぶように……と狙って書いたつもり。
……浮かびましたかね?