俺の翼に乗らないか?

スターフォックスの一ファンのブログ

SFとは何か

2011年07月09日 22時56分37秒 | SF星間飛行
 SFの定義ってなんだろうね。

 むかしむかしの1980年、SF小説家の高千穂遙氏がアニメ誌に寄せた「『機動戦士ガンダム』はSFではない」という趣旨の記事が発端となって、そもそもSFとは何か、てな論争が巻き起こった。らしい。

 ウィキペディアでSFの歴史を見ただけでも、この問いに答えを出すのはすげー難しいだろうな、ということは分かる……。

 僕なりに思っているのは「SFとは、人間の可能性を広げてくれる作品のことである」。
 科学とか技術、想像力に創造力。それらは時として、過去の人間が思いもしなかったような世界を切り開くことがある。

 たとえばジュール・ヴェルヌは『月世界旅行』で、砲弾に乗って月まで旅する人間を描いた。
 アポロ11号計画により、月面にはじめて人類が降り立ったのは、そのおよそ100年後のこと。
 現在の科学技術が追いつかないような未来のことでも、SFのなかでなら書き記すことができる。

 未来のことに限らない。過去のこと、遠い別銀河のこと、異世界のこと、この世界と微妙にズレた無数の世界のこと、あるいは日常の裏にある知られざる世界のこと……。
 SFは、普通なら触れることのできない未知なる世界を垣間見せてくれる。その世界が人に与えるのは、頭のなかの閉ざされたトビラをこじ開けるような、くらくらする酩酊感、これまで知っていた世界が全く違って見えてくる浮遊感。

 個人的には、そういう体験をさせてくれるものがSFだと思っています。
 ただこの考え方だと、ほぼすべての作品がSFだということになってしまう。
 SF(サイエンス・フィクション)という名前である以上は、科学的な一面がないとSFとは言えないのかな。しかしこれも、SFはサイエンス・フィクションではなく『スペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)』だ、とかいう一派もあって、考え出すと泥沼にはまる。

 SFが何か、SFとは何か……。この疑問は一時棚上げしておいていいんじゃないかな。
 「これこれがSFだ」と定義したところで、SFの作り手たちはその定義から逸脱する作品を新たに作り出すだろう。ひとくくりに整理してしまえないのもまたSFの面白さだ。
 SFか否かより、「面白いかどうか」が重要だしね。
 間違いなくSFだ、という作品を作ったって、面白くなければしょうがないもんね。



 さて、そこで、浮かび上がる疑問だが……『スターフォックス』ははたして、SFだろうか?
 もちろんSFだ。と胸を張って言える。
 宇宙空間を飛び、隕石群をくぐり抜け、レーザーで敵戦闘機と戦う。しかもパイロットはキツネにキジにウサギにカエル。
 こんな世界を体験できるものが現実世界のどこにあるだろう? 『スターフォックス』は間違いなくSFだ!

 これに関しては、異議を唱えてもむだなのだ。なぜってほら。Star Foxだものね。

『ユニコーンの日』

2011年06月07日 20時53分24秒 | SF星間飛行
――すなわち、モビルスーツの手足を任意に動かし、その勢いで姿勢を変えるのがAMBACシステムの原理で、同時代の兵器の中でモビルスーツが一頭地抜きん出るに至った最大の理由のひとつだった。
(『ユニコーンの日(上)』福井晴敏、角川文庫)

 『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』の原作、福井晴敏先生の小説を読んでみた。
 まだ序盤だけど、もう面白いや。
 『機動戦士ガンダム』の世界を、考え抜いて作ってることにただ圧倒される。

 嬉しかったのは、冒頭に抜粋した部分。「モビルスーツがなぜ人型をしていなければならないのか」という長年の疑問に答えてくれた。
 ガンダムを知ったのは小学生の頃だけど、一体なぜこれが手足があり、顔まである兵器でなければならないのか、全く納得がいかなかった。現実世界の戦車、戦闘機、戦艦、潜水艦、どれをとってみても、人の形をして二足歩行する、なんてバカバカしいものはない。
 巷にあふれている多くのロボットアニメと同じく、「だって人型のほうがカッコいいじゃん! ロマンじゃん!」という身も蓋もない理由で片付けられるなら、それでよかったのだが。
 どうもガンダムのファン達は、そう言おうとしない。ガンダムはSFだと言い張り、単なるアニメでなく芸術作品であるような言い方をする。
 そこがどうも納得がいかなかった。

 僕はガンダムに難癖つけたいわけではないし、ガンダムが嫌いなわけではないし、むしろ好きかもしれないんだけど……『機動戦士ガンダム』という作品が、そんなにすばらしいものであるならば……「ガンダムはなんで人の形をしているの?」これくらいの疑問には、答えを用意してくれていてもいいはずだ。
 もちろんそれは、実際には嘘でも、でっちあげでもいい。ただ「特に理由なんかありませんよ」というのだけは、勘弁して欲しい――。

 そう思っていたところ、この『ユニコーンの日』のなかで、その回答に出会うことができた。
 さすがは、福井晴敏先生や――!! 言うまでもないが福井先生は『亡国のイージス』『終戦のローレライ』『戦国自衛隊1549』などの著作を持つ大作家です。
 『ユニコーンの日』上下巻を読み通したら、アニメの方も見てみようかな。


 ……ん? 待てよ。
 長年の疑問が氷解したと喜んでいたが。
 宇宙空間でモビルスーツの手足を動かし、作用反作用の法則を利用して機体を制御する。これは納得できるが、しかしモビルスーツは大気圏内でも普通に戦闘しているぞ?
 地上での白兵戦を、わざわざ二本足で歩く兵器で行う利点は何だろう。なんで三本足ではいけないのか。なんで腕が4本とか5本でなくて2本腕なのか?
 ……こうして疑問は尽きないのだった。そしてこんなことを考え続けてしまうということは、僕が既にガンダムの中に取り込まれている証拠なのかもしれませんな。

無知を恥じる

2009年07月16日 14時20分29秒 | SF星間飛行
 ウィキペディアの「タイムトラベル」の項を読んでみた。
 ウェルズの『タイムマシン』以前にも、時間移動を使った物語はあったようだ。

 ディケンズの『クリスマス・キャロル』ではスクルージおじさんが幽霊に出会うことで過去・現在・未来を見ることになるが、これもタイムトラベルといえなくもない。なるほど。

 そしてハインラインの『夏への扉』を忘れていたよ!
 SFファンの皆様からすれば、これを知らずに何を時間SF語ろうとしちゃってんの、というところですね。すいません、にわかファンですいません。

 さっそくハヤカワ文庫を手に入れて読みたいと思います。

ドラえもんの先祖を追う

2009年07月16日 13時55分41秒 | SF星間飛行
 「ターミネーターもバックトゥザフューチャーも無かった時代に発想されたドラえもんは凄いと思う」と母に話してみた。

 母のいわく、「未来から来てどうこう、っていう話はけっこう昔からあったんとちゃう? 『戦国自衛隊』もそうやし」

 そうか。半村良の『戦国自衛隊』があったか。
 さらには筒井康隆の『時をかける少女』もあったな。
 『戦国自衛隊』は1971年。『時をかける少女』は1967年。
 『ドラえもん』は先の記事でも書いたように1969年。

 これはもう、「誰が一番に書いた」という話ではないな。同年代にこれだけタイムトラベルものが書かれているんだから、昔から『過去を改変してどうこう』というネタは、作家の共通認識としてあったんだ。

 ウェルズの『タイムマシン』をはじめとするタイムトラベルもののSFの系譜をすべてまとめてみたら、さながら生物の進化をたどる系統樹のようなものが描けるかもしれない。

ドラえもんの先祖

2009年07月16日 12時25分12秒 | SF星間飛行
 『ドラえもん』が連載を開始したのは1969年。
 『ターミネーター』が米国で公開されたのが1984年。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の公開が1985年。

 すごいと思う。
 『タイムマシンで時間をさかのぼり、過去を変えることによって未来も変える』というストーリー。今では誰でも知ってるよくあるパターンの話、と言ってもいいくらいだけど、それは『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がヒットしたからではないのか?

 しかし。ドラえもんは、この二本の映画が影も形もない時代に、タイムマシンで未来からやって来る。
 一体、藤子F先生はこのストーリーをどこから発想したのだろう?

 タイムマシン、という発想自体は、H・G・ウェルズが小説『タイムマシン』に書いているからそこから発想したとも考えられる。
 だが、私が知らないだけで、SF小説には昔から「タイムマシンもの」とでも言える作品の系譜があるのかもしれない。
 藤子先生はSF小説の愛読者だったそうだから、その小説の設定を借りる形でドラえもんを考え出したのかも・・・?

 創作とはいっても、まったくの無から有をつくることはできない。
 『のび太の恐竜』のストーリーは『野生のエルザ』を下敷きにしているし。『パラレル西遊記』や『ドラビアンナイト』だって、『西遊記』や『アラビアンナイト』がなければ生まれようがないストーリーだ。

 『十五少年漂流記』を下敷きに『蝿の王』が書かれ、それを下敷きにまた『バトル・ロワイアル』が書かれたように、作品には遺伝子を受け継いだ「先祖」のようなものがある。

 ・・・・とすれば。『ドラえもん』の先祖はいったいどんな作品なのだろう?
 『ドラえもん』以前に『タイムマシンで時間をさかのぼり、過去を変えることによって未来も変える』というストーリーを持っていた作品……それはどこにあるのかな?

H・G・ウェルズ『モロー博士の島』

2009年07月02日 16時43分51秒 | SF星間飛行
 「わしは仕事にかかりたくてうずうずしておるんだ――この新しい素材でね」白髪の男はそういうと、囲いのほうに顎をしゃくった。その目がギラギラしている。
 (創元SF文庫『モロー博士の島』より)


 ちょいとSF小説の話しますよ。
 スタフォとは関係ないような、あるような。

 『タイムマシン』や『透明人間』、そして『宇宙戦争』などなどのSFを書いたことで有名なH・G・ウェルズ。この『モロー博士の島』もウェルズの作品です。何回も映画化されてます。(見たことないけど……)

 タイトルにもある「モロー博士」、彼はイギリスの高名な生理学者であり、その名声は学会中に轟いていた。ところが彼の研究室にもぐりこんだジャーナリストが、彼の行っていた忌まわしい研究を暴露してしまう。生きながらに皮をはがれ、体の一部を切断された犬が、博士の研究室から発見される。
 モロー博士は世間から非難を浴び、国外追放される。
 博士は絶海の孤島に研究室を設け、人知れず奇怪な生物を生み出す研究を続けた――。

 どうです? スタフォ好きなら誰かを思い出しませんか?
 モロー博士をDr.アンドルフ、博士の島を惑星ベノムと考えれば見事に符合しませんかね。さらに生物に改造をほどこす技術に長けている、という点も共通する。
 有名な小説だし、『スターフォックス64』のストーリーにも影響を与えた可能性はあるんじゃないか、と思います。

 孤島で研究を続けるDr.モロー。彼のその後を知りたければ、『モロー博士の島』をお読みくださいませ。

SFの血が騒ぐ

2009年06月29日 22時54分18秒 | SF星間飛行
 ねえ奥さん。スタフォとあまり関係ない話してよろしいかしら。
 いえ。ただ、自分がいま読んでいる本の話をしたいだけなんですがね。

 GAINAXが作ったアニメの最終話のサブタイトルには、なぜかエスエフ小説のタイトルが借用されている。
 『新世紀エヴァンゲリオン』は『世界の中心でアイを叫んだけもの』。
 『トップをねらえ!』は『果てし無き、流れのはてに…』。
 『ふしぎの海のナディア』は『星を継ぐもの…』。
 『天元突破グレンラガン』は『天の光はすべて星』。

 他にもあるかもしれない。
 ちょっと表記が違うものもあるが、これみんな同じタイトルの小説があるんですよ。
 これはもしかしたらスタッフからの「アニメ見終わったらつぎはこれ読めよおまえら!」というメッセージではあるまいか?
 と思ったので早速読んでみることにした。(追記:ウィキペディアによると、これは監督の趣味らしい……まあいいか、細かいことは)


 いま『星を継ぐもの』(創元SF文庫)を読んでいるんだけど、おもしろいんだこれが。
 どういうふうにおもしろいか……、それを説明するのは少し大変なのでまた後で書くけど。とにかくおもしろいよ。