俺の翼に乗らないか?

スターフォックスの一ファンのブログ

鎮魂の仮面ライダー

2013年10月05日 02時39分33秒 | 日々のつぶやき
 『仮面ライダーウィザード』が最終回を迎えたな。

 ……本当かよ? 『フォーゼ』が終わって、「シャバドゥビタッチヘンシーン……どういう意味だ?(汗)」とか考えていたのが昨日のことのようだが。
 こうして歳をとっていくのか、と考えると欝だぜ!!

 『フォーゼ』が終始ハイテンションの突き抜けたドラマだったのに対して、『ウィザード』は終盤が近づくにつれ、その深刻さが現実のそれに段々と近づいていくように感じた。
 ヒロインのコヨミは実は既に死んでいて、魔力で動いているだけ。蘇らせるために他の人々を犠牲にしようとする父親と、彼女の最後の希望を守るために闘う魔法使い。
 設定からして深刻だ。

 『フォーゼ』が明るく前向きなドラマになったのは、震災の影響もある――と、『仮面ライダーフォーゼ超全集』のラストページの座談会レポートにある。
 『ウィザード』が闇の中から希望を見出すようなシリアスなドラマになったのは、フォーゼからの反動もあるんじゃないか。

 そしてやはり、東日本大震災のことを考えてしまう。
 あの震災で傷ついたのは、実際に被害を受けた東北の方々ばかりではなかった。日本という国そのものに、地震と津波が避け得ないものだという深い恐怖が改めて刻み込まれた。放射能汚染という、癒えない病を背負うことにもなった。

 辛い経験を、どれだけ明るく前向きに忘れ去ろうとしても、人間はそう単純にはいかない。
 悲しみ、還らぬ人を悼み、弔わねばならない。
 そうしてはじめて、人は前向きに生きることができる。

 そう考えるとウィザードは、死んでいった人々の魂を鎮めるライダーだったのかもしれない。
 ファントムを生んだとき、元の人間は死ぬ。ファントムを倒すことは、すでにこの世を去った人間の、魂だけでも救うことと考えられないだろうか。
 『ウィザード』の全編を通じて、ファントムとなり死んだ人間も、ヒロインのコヨミも、魔法によって都合よく生き返ることはなかった。
 「死んだものは生き返らない」。ある意味で限りなく残酷な、当たり前の事実があるだけ。

 残酷な真実を隠すヴェールを一枚一枚剥ぎ取るように、ウィザード(晴人)は闘う。行き着く先が、どうしようもなく辛い現実だとしても。
 近しい人の死を経験して、単純に「乗り越える」ことなどできようはずがない。
 できることはただ、死という事実を己の傍に置いて、生きていくことだけ。
 賢者の石の指輪をはめて旅立った晴人のように。

 ありがとう、仮面ライダーウィザード。そしてさらば、また会う日まで。