俺の翼に乗らないか?

スターフォックスの一ファンのブログ

ヨーダが刺さり続けてる

2016年05月25日 22時09分09秒 | 映画
 『スターウォーズ』エピソード5の、ヨーダのセリフは、心に刺さってる人が多いのではないかと思うよ。


「おまえを教えることはできん。おまえには思慮が足りぬ。」

「すぐにカッとなる。父親と同じじゃ。」

「年を取りすぎている。訓練を始めるには遅い。」

「始めるのはいい。だが、終えることができるじゃろうか。」

「いいや、おまえは畏れる。いずれ畏れるじゃろうて。」



(一部、意訳している部分があります)


 ……私の心にも刺さってる。
 しかし、刺さったままにしておくのがよいな。きっと。

ロールパンナちゃんは分かってる

2016年05月15日 21時13分09秒 | 映画
 娘のため借りたDVDで、『映画アンパンマン いのちのほしのドーリィ』を見たんだよ。


 皆がお祭りで楽しそうにしているときに、ロールパンナちゃんは誰もいない暗い野原で一人でいる。

 「私にはまぶしすぎる」。

 「アンパンマンはそうなんだ。でも……私にはできない」。



  ……ロールパンナちゃんは分かってる。自分が何者なのか。


 人の輪に入って和気藹々とできないことも分かってるし、自分が近づいたら世界のバランスが崩れることも分かってる。


 高知のやなせたかし記念館に行ったら、「なぜ僕は、こんな陰のあるキャラを生み出したのだろう」って先生ご本人が書かれていた。
 先生の内部にも、ロールパンナちゃんが居たのかな。もしかしたら。

磨きこまれた鏡

2016年05月01日 16時32分49秒 | 映画
 映画館のスクリーンを見ているとき、映画そのものを見ているのはもちろんだけど、そこに自分の人生をも、映し出されて見えるよな?

 鏡を覗き込んだら、自分の顔が映って見えるように、映画が、自分の人生を反射して映し出してくれる。


 だから、登場人物の境遇に共感したり、感情の動きに心を揺さぶられたりするんだろうな。


 よい映画ってのは、よく磨きこまれていて、いろんな人の人生を映し出すことのできる鏡の役割を果たすものなんじゃないかな。

 映画だけを見ているのではなく……自分の人生をも見ている。





 『ズートピア』を観たら、そんなことを考えたよ。


 いやあ。良かった。良かったよ。

 映画館を出て、ウキウキしながら買い物して、家に帰って「なにか忘れているな……?」と思ったら、お昼ごはん食べるのを忘れていた。それくらい夢中になれる映画だよ。

 観に行くべきだよ。笑いと涙をこらえるのが大変だぜ。きっと。

欲しいものに向かって走れ!

2016年04月04日 20時19分10秒 | 映画
 『クロコダイル・ダンディー』っていう映画が好きなんだ。

 オーストラリアの奥地でワニと格闘しているワイルドな男がニューヨークにやってきて、新聞記者のヒロインと恋に落ちる映画。

 ラストシーンの一歩手前のシーンがとくに好き。


 彼女に愛想をつかされたと勘違いして、男は国に帰ろうとする。地下鉄のホームで、電車が来るのを待っている。
 引き留めようとして、ヒロインが路上を走るのさ。

 走らなければ間に合わないかもしれないから。


 そこから、伝言ゲームみたいなラストシーンにつながるんだよね。
 ……思い出せない人、見たことない人は、DVD借りて見たらいいよ。




 お利口に、お上品に、自分の分相応のものだけを有難く頂戴して生きているのも、それはそれでつつましくて良いとは思うがね。


 長いようで短い人生のうち、何回かは……欲しいものに向かって全力で走ってみてもいいと思うね。
 自分の感覚を信じて、賭けに出てみてもよいと思う。

 賭けに勝っても負けても、その結果は自分で背負わなければならないがね。


 逆に、ただの一度も走らない人生、勝負しなかった人生……
 そんな人生は、ちっとも面白くないと思うし……そんな人生を送った人間を、尊敬したいとも思わないな。

ほうっっちゅぅぅぅぅさぁぁぁぁん!!!!!!

2016年03月08日 02時15分28秒 | 映画
 止まっているはずの時のなかに響き、近づいてくる足音。

「足音が……。そんなバカな! 時の流れは止めてあるのに。」


 『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』を観に行ったら、ちょっと元気になった。

 昔の『日本誕生』には、ギガゾンビの足音のシーンが無かった気がする。確か。
 こんなゾクゾクする、子供にトラウマを植え付けるのにうってつけのシーンをカットするなんて、なんて勿体ない。

 ギガゾンビの声優さんは、大塚芳忠さん。
 『仮面ライダー電王』のデネブ役でお名前とお姿を初めて知ったけれども。それ以後、芳忠さんのお声を耳にするたびに
「ほうっっちゅぅぅぅぅさぁぁぁぁん!!!!!!」と叫んで胸に飛び込みたい衝動に駆られるのはなぜだろう。

 本当に飛び込んだら、芳忠さんのあっちこっちがミシミシいってしまうだろうから、やらないけど。


 ギガゾンビ。お前もまた、哀しいやつだよな。どうせ友達いないんだろ?
 いたら、腐った未来を破壊して自分が永久王朝の王になろうだなんて、考えないもんな。




 昔の『日本誕生』とは描かれ方が微妙に違っている部分が各所にあって、いちいち納得がいった。
 親の目線が入ってるんだ。それがもう。泣けて困る。

タイムロックを解除したい

2016年02月09日 01時35分04秒 | 映画
「どうして動けるんだ、時間はとめてあるのに。」
「タイムロックはわたしが解除した。」



 タイムロックは私が解除した! なんというゾクゾクくるせりふ。
 一生に一度でいいからこんなセリフを言ってみたい。しかしそのためには、止められた時の中を動いて、さらに時間の停止を解除できなきゃならない。
 ギガゾンビか、でなければ空条承太郎でもないと言えやしないな。

 ……つぎのドラえもんの映画が、『のび太の日本誕生』だと聞きまして。

 見に行きたいな。……でも、行けるかわかんないな。

(せっかくの休日に、妻と娘を置いて一人で映画を観に行くのはハードルが高いのだ。
 妻は、「休日くらい娘といっぱい遊んであげてよね。そして私を休ませてよね」と思っているし、私も子どもと遊ぶの嫌いじゃないし。優先順位が下がってしまうので、けっきょく観に行けないことが多い。
 うん、娘が大きくなれば、きっと一緒に映画館に行けるよ。それまでは我慢かな)

スターウォーズの本当の姿

2016年01月31日 13時17分54秒 | 映画
 スターウォーズをどれから見るか? エピソードⅠからか、Ⅳからか……いろいろ言われるけど私はⅦから見た。

 ○○が○○と親子で、○○は○○と兄妹らしい、くらいしか知らなかったけど楽しめたよ。

 どれから観るかは、あまり意味がないんじゃないか? どうせ一作観ただけでは、スターウォーズの全貌は掴めない。
 知ろうと思うなら、どの作品から観たとしてもいずれもう一度見返すことになる。そんな気がする。

 劇場でⅦを観て、DVD借りてⅣとⅤを観た。

 エピソードⅤの中の、ルークとヨーダの会話。

「おまえを教えることはできん。おまえには思慮が足らぬ。」
「すぐにカッとなる。父親と同じじゃ。」
「おまえは準備ができておらぬ……」
「準備とは何かわかっているのか?」
「年を取りすぎている。訓練を始めるには遅い。」
「始めたことを、修めることができるじゃろうか。」
「いいや、おまえは畏れる。いずれ畏れるじゃろうて。」

 泣いてしまったのは何故だ。


 スターウォーズの魅力が何なのかこれまでよく分からなかったが、やっと理解した気がする。
 ライトセーバーのアクションや、メカの格好よさも魅力のひとつではあるが、ある意味では小道具にすぎない。
 親と子。愛と恋。己の未熟さや弱さといかに闘うか。
 長い人生で誰もが向き合う問題をテーマにしてるんだ。だから時代を経ても古びない。

 予言のようなセリフのひとつひとつがなにかを暗示していて、自分の胸に響くときがいずれやって来る。

 着ぐるみやアニマトロニクスの異星人たちがどうにも作り物っぽいな、と思って敬遠していた以前の私には、スターウォーズの本当の姿が見えていなかった。

 ……もちろん、アクションシーンやメカの格好よさ、世界の設定の作り込みをメインの魅力と捉える人がいてもいい。
 どれが正しい楽しみ方、ってのは無くて、いろいろな楽しみ方ができる懐の広い作品、ということだと思う。

007に萌える

2016年01月29日 00時58分42秒 | 映画
 あぁ、『リビング・デイライツ』の、観覧車のゴンドラの中でラブラブしているうちに一周してしまって、待っている人たちに笑われてしまう二人がかわいい。

 まさか、大人の男を「かわいい」と思える日が来るとは思わなかった。
 私の脳の中の、閉ざされていた扉が開く。

 ユニークなスパイグッズを作ってくれるQのおじさまといい、ミサイルやらスキーやらスパイクやら搭載しているボンドカーといい、007は萌えと燃えに満ちている。
 こんな楽しい映画だったなんて知らなかった。知ることができてうれしい。

ティモシー・ダルトンのジェームズ・ボンド

2016年01月28日 23時33分31秒 | 映画
 映画『007/リビング・デイライツ』のDVDを借りて観る。

 ツイッターで、とある方に『007/消されたライセンス』のおすすめを頂いて、観てみたらハマった。

 ジェームズ・ボンド役のティモシー・ダルトンは、『消されたライセンス』と『リビング・デイライツ』の2作しかボンドを演じていないのかぁ。
 整ったマユ、真っ直ぐな鼻筋、吸い込まれそうな瞳、とんでもない男の色香の持ち主。
 彼のボンドがもっと見たいと思っていたが、もはや叶わぬ願いだった。

 『スターウォーズ』もそうだけど、シリーズが長く続くと、いったいどの作品から見たらいいのかわからなくなって、シリーズそのものに縁がなくなってしまう。
 『007』シリーズはこれまで私と縁がなかったので、『消されたライセンス』を知ることができて良かった。
 ツイッターをやって良かったことのひとつ。

(何でもそうだが、悪いことばかりではない。悪いことの中にも良いことはある)

メイルストロム

2016年01月23日 23時51分46秒 | 映画
 「一見、絶望的に思える状況から、知力・体力のすべてを駆使して生還する」
っていうストーリーをもつ作品群を、「メイルストロム」と総称することを提唱したい。


 由来は、エドガー・アラン・ポーの小説『メイルストロムに呑まれて』から。
 大渦巻きに呑みこまれて絶体絶命の状態で、周囲を観察し、論理的に助かる方法を考えて実践する様子が描かれている。


 メイルストロムの系譜に属する作品は・・、映画『ゼロ・グラビティ』がそうだし、マット・デイモン主演の最新作『オデッセイ』もそうだ。
 『アポロ13』もそうかも。
 ・・・他にももっとあるはずだけど。今思いつかないや。
 思い出したら書きます。

異次元SF映画

2015年04月19日 22時40分27秒 | 映画
 映画秘宝EX 映画の必修科目03 異次元SF映画100というモノを買ってみた。

 SF映画ならこれを見ておけ、という映画のガイドブックのようなものだ。

 これを頼りにレンタルDVDショップでDVD借りて観ている。

●『マッドマックス』
 DVDのジャケット裏の説明に、撮影でスタントマンが死んだという噂が立つほどの激しいバイクアクション・・てなことが書いてあった。
 実際はそんなことあるまい、と思っていたが、DVD中の解説を見たら本当に死んでいた。
 8人のスタントマンの内、3人が重傷を負い、2人が死んだのだと。
 死人を出しても撮影は中止にならず、映画も公開されたのか。映画の内容よりもそっちのほうが怖い。

●『コンタクト』
 カール・セーガン原作の同名の小説の映画化。
 地球外生命との交信(コンタクト)がテーマ。
 ・・宇宙の広さを考えると、知的生命が生まれたのがこの地球だけ、なんてことあるはずないよね。きっといつか、コンタクトできるよね。
 実現する前は誰も信じないだろうけど。
 でも飛行機だって、月ロケットだって、実現する前は誰もがバカにして笑っていた。
 実現してしまえば何のことはない、当たり前のような顔して受け入れるようになるよね。きっと。

ゴジラを見て安心する私

2014年08月31日 01時38分30秒 | 映画
 2014年版『ゴジラ』を映画館で見てきた。

 ゴジラを単なるモンスターではなく、歴史と情念を背負った存在として描いてくれたことに、まずは感謝したい。
 ビキニ環礁の水爆実験が実はゴジラを殺そうとする試みであったり、福島の原発事故を想起させるシーンがあったり。
 1954年のゴジラが空襲や原爆の記憶を背負っていたように、このゴジラもまた生々しい記憶を背負っている。

 しかし何のためにゴジラは記憶を背負うのだろうか?
 なぜ人は、ゴジラを通して悲しい記憶を見たがるのか……。
 そう考えてふと思ったのは、ゴジラを見て自分が安心していたのではないか、ということだ。

 思えば我々の生活する街々は、いつ消滅するかわからない、もろいものだ。
 空襲を受けて燃える街のように、原子爆弾で消し飛んだ街のように、地震と津波に呑まれた街のように。
 その街々に住み暮らしていた人々は、自分にそんな運命が降りかかるとあらかじめ予測はしていまい。
 ならばいま、のんびりとパソコンに向かっている私の、あなたの、誰かの街が、明日は消えてなくなっていても何の不思議もないのだ。
 上水道があり、電気があり、ガスがあり、明かりがつき、温かくも涼しくもなる快適な生活。だがその生活が、何かのきっかけで粉々に破壊されるのではないかと……それどころか、自分自身とその周囲の人間の命まで脅かされるのではないかと……常に恐れている、心のどこかで。私もあなたも。

 ゴジラは、その恐れを具現化してくれる。
 整然と立ち並ぶビル群を、「これはいつかこうなる運命のものなんだよ」とばかりに、なぎ倒してくれる。瓦礫の山に変えてくれる。
 それを見て私は安心するのだ。ああ、そうだったのだ。あの街もこの街も、いつか消えてなくなるのだ。

 ゴジラ……人の心に住む不安を世界中から集めて煮詰めたら、このカイジュウになるのかもしれない。
 実体のない不安が、カイジュウになって輪郭が定まることで、人は安心する。
 だが、これはかなり危険な安心の仕方であることは間違いない。

 ゴジラはゴジラ、現実は現実として、現実の問題に対処していかないといけないね。当たり前だが。

 あと……ゴジラが人類の救世主、という描かれ方をしていたが、個人的にはゴジラは人類にとって敵でもなければ味方でもない、という位置づけのほうが好みだな。
 人類の味方になると、『ガメラ2』とイメージがかぶってくる。
 まあこれは、好みの問題と思う。

ゴジラの正体

2014年06月21日 21時52分20秒 | 映画
 『ゴジラ』の前売り券買った。
 情報が聞こえてしまう前に、早めに観たいな……。

 『ゴジラの論理』(小林豊昌、1992年 中経出版)という本を読んだ。
 古めの本だけど興味深かった。
「復興した日本を破壊しようとする巨大な怪物に、日本人が日本人だけで対決しなければならない、という一つの命題がゴジラを貫いている」(P.23)
「ゴジラの上陸そのものが、昭和二十年三月十日の「東京大空襲」の再来というべきだろうか。」(P.30)

 太平洋戦争後の焦土から、復興し経済成長するさなかにゴジラは現れ、それを破壊する。
 経済成長によって豊かな国になれる、という鮮烈な希望を、人々は抱いていた。その希望が打ち砕かれるやもしれないという強烈な不安。それがゴジラの正体かもしれない。
 空襲の記憶、焦土の記憶、戦争で命を落とした者たちの記憶。当時を生きる人の記憶が、ゴジラが出現することのリアリティを生み出した。

 この現代に――ずるずるとした起伏のない日常が続く世界に、ゴジラは出現できるんだろうか?
 「かつて、絶望をかかえた巨大な怪獣が、人の心に棲んでいた時代があった」……ということだけしか描けない、ぬけがらのゴジラしか現出させられないんじゃないだろうか……。

 名前が同じゴジラだからといって、背負っている情念まで同じでなければならない、という決まりも無いんだけどさ。

 いったい、現代のゴジラは、いかなる必然性をもって人間の前に姿を現すのだろう。
 それが気になるのだ。

ゴジラVSキングギドラはもうどうにも変えようがない

2014年05月20日 00時05分36秒 | 映画
 私の中でいちばんのゴジラ映画、『ゴジラVSキングギドラ』。(ちなみに二番は『ゴジラ×メガギラス』)
 冒頭の会話シーンや、メカキングギドラが未来から転送されて空中に出現するシーンなど、怪獣好きの心をぎゅんぎゅん熱くしてくれるこの映画が、私は大好きだ。

 大好きなのだが、その一方で、ストーリーの矛盾、破綻が気になってしまう部分もある。
 思いつくまま挙げてみると。

・ゴジラザウルスをわざわざベーリング海に転送する意味がわからない。ゴジラにしたくないなら、その場で殺してしまえばよさそうなものだ。登場人物たちは誰もおかしいと思わなかったのか?
・おなじみ、タイムパラドックスの問題。ゴジラザウルスを転送して戻ってきた日本で、ゴジラがただ消えるのは変だ。だって、そもそも生まれていないはずなんだから……。
・どうせキングギドラに日本を破壊させるのなら、ゴジラに破壊させてもよさそうなものだが。未来人たちは何がしたかったんだろう?
 ゴジラよりも、自分でコントロールできるキングギドラの方が都合が良かったのかな? ゴジラがいると、キングギドラの敵になるから消しておきたかったのかな? なら、なおさらなぜ殺さずに、ベーリング海なんかに転送したんだろう?
・北海道に上陸したゴジラに、なんで未来人はキングギドラを差し向けたの? ゴジラは暴れるに任せておけば、日本を弱体化させるという目的は達されるのに。
・「我々はコンピュータもキングギドラも、もういらない。代わりにゴジラが我々の目的を達してくれる。」……なんだ、それは?
 それならわざわざ未来からやってくる必要ないんじゃないの????


 ……だめだこりゃ。こんなに突っ込みどころの多い映画だとは思ってなかった。
 まとめると、未来人の考えてることはさっぱりわかんねーぜ!ってことかな。

 これをもし破綻なく改変しようとすると、ストーリーは大幅に変わり、ほぼ別物になってしまうだろう。

 『ゴジラVSキングギドラ』は、怪獣好きを限りなく熱くさせる夢と、さっぱり考えていることのわからない未来人への限りないガッカリを与えてくれた名作!! そういうことにしておこうじゃないかね。もう、それでいいじゃないかね。

大怪獣よふたたび

2014年05月18日 21時46分17秒 | 映画
 もうすぐゴジラが帰ってくるね。2014年7月25日、日本で公開。
 ハリウッド版というのには複雑な気持ちだけど。

 『ゴジラ』! このカイジュウを、そこらへんのB級映画に登場するモンスターどもと同じ扱いにしないでほしい!
 ……そういう思いを抱いているのは私だけではないはずだ。
 文明の象徴であるビルの群れを、巨大な怪獣が無慈悲に破壊し無に帰す、その姿を神々しささえ感じさせるほどに描いてくれなくてはいけない! ……大丈夫かなあ? 期待してもいいのか?

 いまの子供たちはゴジラを知らないんだろうな。『ゴジラ FINAL WARS』以降、日本では作られてないものな。
 さみしいものだなあ。子供の頃にゴジラを見た経験を共有できないとは。

 私が一番好きなゴジラ映画は『ゴジラVSキングギドラ』。
 なんといっても冒頭のシーンがよい。

「なんいう大きさだ。おまけに首が2つも――」
「いえ、本当は3つ」
「3つ?」
「ゴジラとの戦いで、キングギドラは頭を1つ失いました」
「キングギドラが、ゴジラと戦ったというのか?」
「そうです、20世紀の終わりに――」

 この会話! これを聞くだけで全身の体毛が逆だってくるぞ!!! 
 これだけゾクゾクさせてくれたら、もうストーリーの矛盾を重箱の隅をつつくように指摘するなんて、あほらしくなってしまう。
 こんなにすごい作品に中学生の頃に出会ってしまったので、以後すっかり怪獣好きになってしまったぞ。
 (しかし思い返してみると、学校で友人と怪獣の話をした覚えがないな……。友達少なかったしな……)

 怪獣映画がこのまま廃れてしまったら、怪獣好きの子供も若者も育たないことになる。
 結果、年をとった私は、いいトシして怪獣が好きとか言っちゃってるキモいおっさんという扱いになり、若者たちは「オヤジがまたゴジラがどうとか言ってんぜ。アホだよなー、ついていけんわ」とバカにするようになってしまう!!! まずいじゃない!

 あー。怪獣映画は復活しないのか!? 願わくば、日本でもゴジラ映画が復活しますように。