俺の翼に乗らないか?

スターフォックスの一ファンのブログ

「ファルコとの出会い」その60

2011年08月27日 16時22分33秒 | 小説『ファルコとの出会い』

 ファルコは無言で飛んでいた。
 シールドを消滅させたのは、相手が自分を生け捕りにしたがっているのを読んでのこと、ではなかった。
 監獄か死か。その二択を迫られたとき頭にあったのは、自分の意志で選ぶ、ということだった。どちらを選んでも、追い詰められ負けたことには変わりがない。ならば、追手の思惑通りに監獄に送られるよりも――いっそここで終わりにしてやる。
 シールドを消せば、レーザーが自分を貫くことはわかっていた。
 ファルコは死のうとしたのだ。
 シールド発生装置への電力供給を遮断すると、目を見開いた。恐怖しながら死を迎えたくはない。プラズマエンジンが爆散するその瞬間まで、雄々しく飛んでいたい。
 その望みに反して、レーザーは嘘のように降りやんだ。直後の弾丸を急降下で避けたのは、考えてのことではなく反射的に体が動いたのだ。
 背後で響く破裂音を聞くと、死にぞこなった、という虚脱感が全身を弛緩させた。図らずも相手のレーザー攻撃を封じることができたことへの喜びは微塵もない。
 いくらカッコよく死のうとしたところで、体は勝手に動き、生きるために足掻こうとする。それに比べたら、自分の頭脳は――自分の意地、自分の意志、自分の知性は、なんと薄弱、脆弱なことか。
 極限まで頭脳を働かせれば切り抜けられたはずの状況で、自分は安易に死を選んでしまった。自分の意地に付き合わせてきた、己の体と己の愛機を道連れにしての死を。相手の思い通りになるのが癪に触るというだけの理由で。
 完敗だ。――オレの敗けだ! 
 機体の性能、1対3の戦い。条件の差を挙げればキリがない。だが言い訳を並び立てても意味はないことを、ファルコは知っていた。完全に公平な勝負など存在しないし、どんな勝負だろうと、最後は自分自身との戦いだからだ。
 思えば自分は、負けたと認められるところまで自分を追い込んでくれる相手を探し求めていたような、そんな気もする。
 今やっと、その相手が現れた――。
 ファルコは回線を開くと、静かに相手の反応を待った。

ジェームズの左耳

2011年08月27日 02時16分31秒 | 考察
 『64 3D』でアンドルフの居城から脱出するとき、ジェームズの顔をよーく見てみてよ。

 左耳が欠けたみたいになってる。

 さらに、メインゲームを始めるとき見られるストーリー。
 ジェームズ、ペッピー、ピグマの、初代スターフォックスメンバーが揃った場面では……ジェームズの左耳は欠けていない!

 さあ。これはどういうことか、気になるよな。

 『アサルト』『コマンド』のジェームズはどうだったろう?と思って見直してみたが、細かくてよくわからない!

 ジェームズの左耳……もしかしたらこれも、彼の生死を解き明かす鍵になるかもね。