安井金毘羅とか、そのあたりの縁切りに関する存在について。
以前、とある人と話をしていた時に、その人の知り合いである女性が略奪恋愛、略奪結婚を安井金毘羅に頼んで達成した。が、その後、その女性は治らない大病にかかったという話をした。
縁切りする存在自体は別に対価を求めないが、お願いをする存在が無意識に対価や罪悪感を設定すると、そうなってしまうんだなあという例。
新しい機会、縁を得る前に、不要なものと縁切りしたほうが良いが、縁切りの意識設定を間違えると、思わぬ方向にいってしまう。
安井金毘羅とか、そのあたりの縁切りに関する存在について。
以前、とある人と話をしていた時に、その人の知り合いである女性が略奪恋愛、略奪結婚を安井金毘羅に頼んで達成した。が、その後、その女性は治らない大病にかかったという話をした。
縁切りする存在自体は別に対価を求めないが、お願いをする存在が無意識に対価や罪悪感を設定すると、そうなってしまうんだなあという例。
新しい機会、縁を得る前に、不要なものと縁切りしたほうが良いが、縁切りの意識設定を間違えると、思わぬ方向にいってしまう。
ババロンの紋章から探索すると、面白いのだが、なんとなくごちゃついているなーとも思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ババロン
wikpediaにのっているババロンの紋章を変えてみた。
すると行き先も変わる。
天上聖母(媽祖)っぽさも出てくるような。
重い腰をあげて、以前から作ろうと思っていたアブラカダブラの護符の図案を作る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラカダブラ
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wikipediaのイスマーイール派にある図案がすごい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Shiite_Calligraphy_symbolising_Ali_as_Tiger_of_God.svg
さいきん梅花心易を入り口に、なにかできないかと考えている。
占術は、魔術だ。魔法だ。
自分が森羅万象の法則を、どう規定してどういう反応、回答を得るかを規定する。
それを積み上げ組み立てる。それは魔術であり占いであり占術である。
で、そこにはそのひとの意図が含まれる。
いわば切り口だ。
どういう体系にも創始者がおり、その創始者がどういう目線、どういう切り口で、どう知識や物質を扱うか。
それが全てなのでは。
松村潔が過去に著書なりブログなりで言及している体系の創始者とえいば、たとえば合気道とか頭蓋仙骨療法とか。
それらの創始者は、各自の思想の枠組みのなかで、人に接し、教えた。
その教えというのは、その創始者の枠組みや体系に準拠するが、別にその教え自体が教えた人間の自由、思考や思想の自由を阻まなければそれはそんなに問題ならない。
で、つまりこれは、魔術であると言える。
体系的な思想、優れた創始者は、非物質的な天啓であるとか道とか声を聞く。それを、その創始者なりに地上に展開させる。
その魔術を信じられるのなら、そこに身を寄せればいい。
宗教とどう違うのか?人によっては違いはわからないだろう。
しかし、真の体系創始者は度をすぎた経済的要求はしないだろう。それがひどく味気なくつまらないか知っているから。
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森羅万象、全ての事象をどう区切るか?
それは人による。
それが創造行為なのだ。
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BGM
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日本の神託カードの「アラハバキ神」を探索したら、ババロンの紋章の領域と似ていた。細かい肉片が粘土のようにつながって異形をつくる世界。
網野善彦の異形の王権という言葉が思い浮かぶ。でもアラハバキ神のカードの意味は「グラウディング」。どこまでグラウディングしたのやら。
生命の樹で、上は無で、下は無限だったか。下にいくほど分割されて細かくなる。一度細かくなったものがまた再構築されて、そのレイヤーで生きるのは既に異形なのかもしれない。
日本の神託カードの「地蔵尊」を探索する。
ふっと、ヘミシンクで以前はよくあっていた「お地蔵さん」を思い出す。F15。
そこに3人組がいて、お地蔵さんと、ウゴウゴルーガにでてくるピカソみたいな感じの存在。あともうひとりは誰だっけ?
トゥバンの使いみたいなかんじだったかも。
「久しぶりですね。もうちょっと頼っていいのですよ」と言われる。
「頼るって、お地蔵さんを?」
「そうです。カードの説明書をよんでみてください」といわれる。
読んでみる。以下引用。
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『私に向かってのばされた手のすべてを、私の両手であたたかく包みましょう。
小さな手も、打ちひしがれた手も』
『ただそばにいましょう。あなたが安らぐまで。
あなたは決して一人ではありません』
7月にはいって体調が悪いというわけではないけど、だるかったり重かったり眠かったりしていたが、ここ数日は非物質にもほとんど入らなかった。
今日は久々に、自分のホロスコープの水星のサビアンが気になるので探索しようとおもい、本をめくりはじめたら急にだるい。左の首筋がすこし痛い。左半身が何か呑まれるような感覚。
これはなにか、と思うと、左半身がアンテナというか、そちらが高次元に侵食されるような感じ。
でも、これも自分が「そういうもの」と設定している感覚がある。
高次元、非物質探索をすると疲れる。眠くなる。
それを「探索をやった証拠」に無意識に設定している。
このやった感、疲れた感が全くないと、手応えがない。
そも物質と非物質との差がなさすぎて、地続きになりすぎる。
それもいけるでしょ?とエンゼルさんの目がいっているようだけど、そこまで地続きにやる自信がない。
この疲れただるい感は1−2割くらいは残そうと思う。
つぎは、さきほどもアクセスしたダイダラボッチ神。
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目線がまた、ダイダラボッチ神そのものになる。
そういえば、昔からダイダラボッチはたびたびひいてたな。
そして、同じようなビジョンを見ていた。
この日本に、ひとり。
友達は箱根の龍。
関東にいる。
でも気が向けば、一歩ですぐ移動できる。
足が伸びれば、九州にでも一歩でいける。
クンダリニ、火山、性エネルギー。
これもダイダラボッチ。
その扱いに長けているから、日本をつくった。物質的に近い領域から。
このダイダラボッチは何をしているかというと
色々な存在からの色々な波動、エネルギーが日本にきて
災害をおこすのを、分散させて、被害を少なくしてくれているようだ。
さきほど、関東にうめこんだ非物質的岩石も、その影響で地震を多少は起こすようだが
全国にそのエネルギーを散らして、害が出ないようにしてくれる。
気づくと、全国に泡のように、薄い膜がはった気泡がぽこぽこでる。
集団的な感情エネルギーが、泡のように発生するらしい。
今日、ひとつ事件があったので、激しくポコポコしている。
これについては、別になにも関与しない。
発生しては、消えたり、自然に必要な状態になるから。
火山、水脈。気脈、龍脈。
地、海、あとは低い空。
そこに手をいれたり、保持したり。それがダイダラボッチの仕事、役割。
ダイダラボッチはまるでロボットのように一見感情がないように見えるが
それは人間の勝手な判断で、
彼?彼女?には、その存在なりの愛がある。
日本列島に住む人間や生物が、それぞれにとって心安らかに生きること。平穏を望む心。
『日本の神託カード』(著:大野百合子 絵:大野舞)を久しぶりにひっぱりだしたついでに、ちゃんと馴染んでいなかったので、これを機に変性意識で探索してみようかとなる。
トートタロットの時みたいに。
途中で飽きたらそれはそれで。
最初に、「宇宙が降りるストーンサークル」と目があったのでそこから。
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絵柄をみていると、宇宙船の中にいる。
中央のストーンが「これくらい使いこなしてもらわないとこまる」という。
そんなこと言われてもこまるんだよね。ちょっと苛立つ。
型に嵌めようとする感じに抵抗感をかんじる。
すこし相性が悪いのかもしれない。
相手も苦笑する。
「そうはいっても、こっちも役割だかなら」というかんじ。
この場所は北斗七星探索したときの宇宙船に似ている。
北斗七星なら、なんか色々納得。
とりあえず、私のことはおいておいて、このカードは宇宙との受発信に使えるようだ。
あとは、その人にとって、そういうものをやりなさい、始めなさいという意味。アンテナ。
このカードを枕元に置いておくと、いろいろ夢が見れそうだ。
悪夢になる可能性もあるけど、宇宙なんで。
天河弁財天にいったときに、頭が割れるように痛かったのも、これかと納得した。
また相手が苦笑する。
別にこのカードが天河弁財天をすべて指し示すわけではないけど
その人にとっての、最初の魔女の一撃というか、宇宙とのコンタクト初めに向いているようだ。
自分が意図しているとあるテーマについて、OSHO禅タロットで、生命の樹スプレッドで進捗を確かめる。
すると、ケセドとにすこし不安なカードがでる。
ケセドはアイスオレーション。
ふと、ここへのアドバイスに、「日本の神託カード」で1枚引いてみる。
ダイダラボッチ神がでてくる。
凍った状況を、ダイダラボッチで溶かせ、ということか。
このあたりを変性意識で探索してみる。
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「溶かせばいいんですよ」とエンゼルさん。
でも、なんかピンとこないので、具体的にアドバイスしてほしいというと、イメージを丁寧に構築する必要があるようだ。
集中してみる。ダイダラボッチの力を、どう使うか。
箱根の龍がでてくる。手伝ってくれるらしい。
ダイダラボッチ伝説のなかで、甲府盆地の土をつかって富士山をつくったらしい。
その二つの地は、なんだかんだ縁がある。
甲府、富士山、関東、東京。そういえばあのあたりは見知ったところだ。
存在の、底からの力。これはクンダリニにも通じるだろう。
アルゴルがチラッと見える。
ダイダラボッチをサマタ瞑想してみるか。
目線が、ダイダラボッチになる。
その状態で、このアイスオレーションを動かせ、と思う。
手に巨大な岩石をもち、関東あたりにガンとぶつける。
バリアがあった。ピシピシ言う。
岩石を両手持ちして、バリアをバンバン破る。
割れたバリアから、手をつっこんで、何人かをつかまえる。
手のひらの上に、何人か乗っかってる。
ダイダラボッチが、その人間にそっと頬擦りする。
手のひらの上の人間が、ほっとした姿。
ふっと、ダイダラボッチが人間に息を吹きかける。
すると、人間が淡い光の蝶になり、本来いきたかったところにはためいていく。
海外にでたかった人間もいるのかも。
それを見届けて、ダイダラボッチは、さらにガン!と巨大な突きを、関東あたりに打ち込む。
物質領域はすりぬけて、非物質領域の関東の地下に、その大きな岩を埋め込む。
バリアを張った相対する勢力の牽制?
左側の上空に、くっきり緑色の龍が見える。
箱根の龍。
普段、日本の中央部の山々の上空にいる、白く太い蛇のような存在がみえるのだが、それは今は見えない。
そことは、レイヤー、領域がちがうので見えないらしい。
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一見不穏なイメージが見えたが、これでなにか変わったかチェックする。
ケセドが「コンディショニング」になる。
ティファレトが「リベル」になる。
この2カードで、束縛からの自由、という意味合いになる。笑う。
だが、ゲブラーがバーデンになる。
そこへのアドバイスに、もういちど神託カードをひく。
「時を見守るまりも」がでる。
まあ、じゃあ、いっか、となる。放置。
なにか世情がガチャガチャするけれども。
2回目にだしたスプレッドのマルクトが「LettingGo」だしね。
西洋占星術のホロスコープは「門」なのだろうと思う。
自分の人生を阻む要因をみつける手法。
自分の人生の上限は、ホロスコープで見つける必要はそんなにない。
普通のホロスコープだと、自分が恒星になることを阻むからだ。
相対的な世界のなかで、相対的に自分の上限を過小評価する。
上限は、自分で決めればいい。
ヘリオセントリックや恒星パランで見つければ、という人もいるだろうが、あまり具体的ではない気がする。
抽象的すぎるので、スピリチュアルに足をつっこまない人間にとっては、それは毒になりかねない気がする。
で、決めた上限を現実化するために、何を削ってなにを付け足すのか。
なにをやって、なにをやらないか。
何が得意でなにが不得意か。
なにが本当は好きで、なにが本当はきらいか。
運とかチャンスのような、目に見えない曖昧で非物質の事象を、いかに自分の側にたぐりよせるか。
なにを足がかりにしたほうが手っ取りばやいか。
そういうことがホロスコープでわかる。
今日の松村潔の記事でトゥバンについて書かれていたが、私は逆に「トゥバンはもういいかな」という感覚がある。
で、以前フォーマルハウトに「もっとこっちに来て欲しい」ということを言われていたのを思い出した。
試しに、フォーマルハウトを起点(おひつじ座0度)にする、と意図して変性意識に入る。
すると、その起点から、眩いばかりの光が噴射している姿が見える。
円があり、フォーマルハウトが起点になっていて、その周囲にいくつかの構成がある。
カペラ?カシオペア座?といった言葉が一瞬うかぶ。
6/15に、アケルナルを起点にしたことを書いていたので、アケルナルも同じようにやってみる。
すると、白と青(水色)っぽ光。その後宇宙のビジョン。「エリダヌス座」という言葉。
身体がおちつく。
トゥバンとアンタレスもやってみようかなと思ったけど、うげっという感じになり「もういいや、おなかいっぱい」という言葉。
本日付の松村潔のブログを読んでいたら、アンタレスとさまざまな次元のスイッチの話がでていた。
http://from20180211.blogspot.com/2022/07/202207079.html
先日の脳のアップデートの理由は、これだったんだなとストンと納得した。
現世でおきながら、同時にさまざまな次元がアイドリング状態で待機し、すぐにスイッチでパチパチと切り替えられる。
次元によっては、激重のアプリもあるだろうが、そういった激重アプリすらも十、二十と起動させっぱなしで、いきなりフリーズしない、ふっとばないような感じになったようだ。
それでいうと、先日の占い中に自分のメインガイドやエンゼルさんやガネーシャが見えつつ感じつつ、相手と話をするということは、まあそういうことかと納得する。
アルゴルと会話。
「アカシックレコードっていまだによくわからないです」
「定義が人それぞれだしね。
あと君は、アカシックレコードについて、どうでも良いと思っているし」
「たしかにw」
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アカシックレコードというと、ゲリーボーネルが有名だが
彼が定義するアカシックレコードに行くと意図すると、宇宙にうかぶ図書館にいく。
で、門に狛犬っぽい番犬っぽいのと、案内するガイドがいる。
と思っていたら、門にエンゼルさんが現れた。
奥に進み、青い石のところで「登録完了」という言葉。
「ここも使えるようになりましたよ。登録しましたから」と言われる。
「いままで何度もここに来たことあるけど、使えなかったの?」
「自分がここを使える、使うことができると思っていませんでしたから。当時はね。
でも今は、その自信がついたから、あらためて使えるようになったんです」
なるほど、と思う。
でも、トートタロット「月」の入り口から入った砂漠の図書館よりも、こっちのほうが次元が高い(遠い)。
アクセスすると頭がクラクラというかフワフワする。
砂漠の図書館のほうが、意識が地続きなので使いやすい。
「なんか、ここって必要?」
「まあ、今は必要じゃないんですよね。そんなに」
「自分が仕事で使うとしたら、砂漠のほうで十分だよね」
「十二分以上ですね」
そういうと、砂漠の図書館と宇宙の図書館とでラインが繋がれた。
砂漠の方にないデータを、宇宙のほうから送れるように提携されたらしい。
スカラベが、玉をころがすビジョンが入る。
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久しぶりに宇宙の図書館にいったせいか、頭のなかがザリザリする。
「あそこは、あなたには合ってないんですよ。高すぎて」
「次元が?」
「そうです。夢の中とかならともかく、意識が現実世界にありながら使うのは、ちょっと荷が重いところです。
あなたの生活スタイルなら、物質世界で起きていながら使うのなら、砂漠の図書館のほうがいいです」
「だよね」
「宇宙のほうとも提携・連携されましたし、データ的に困ることはないですよ」
アルゴルと現世利益について話をする。
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「さいきん、日本の神社の存在とかガネーシャとか、現世利益系の神からメッセージもらったり話をするんですけど。
でもアルゴルとか恒星(以上?)存在とでは、なんか違いますね」
「情報量の違いはあるね。
その国の有名な神、地球に近い距離感の存在にくらべて
我々のような恒星存在、宇宙の存在というのはその言葉の間、裏、言外の情報量が多い。
あと、我々のほうが、意図が強いから、刺さり方が強くはなるかな。
受取手によるが」
「ほー」
「だが、我々と、地球に近い存在とで、メッセージの良し悪しというものはないね。
受取手によるから。どの距離からの神といわれる存在からのメッセージが、一番活用できるか。相性もあるしね。
地球から離れた存在は、抽象的なことしか言わないというものでもないし。
ただ、普通は地球から近い存在のほうが、現世利益において、具体的で即物的なメッセージをくれるという概念があるから、そういった存在からメッセージをもらった、という人間が多い」
「まあ、アルゴルからメッセージもらったといっても、アルゴルってなんぞ?ってなりますからね。
一般的には」
「そうだね」
話をしていたら、ガネーシャが割って入ってくる。
「なんか、このガネーシャってアルゴルに近い感じをうけるんだよな」
「そもそもベヒーモスからつながった存在だからね。
インドの信仰から出会ったわけではないから、印象がまた異なる」
「側面というか、源流がちょっと違ってる雰囲気ですね」
「でもまあ、現世利益を司るという意味では同じだから変わらないよ」