Kブログ

恒星探索、非物質、変性意識、タロット、生命の樹、西洋占星術、高次存在、ヘリオセントリック音楽 etc

声と父と土星と闇のなかの閨のなかの内なる葬儀のなかの発声

2023-08-13 23:08:22 | 非物質的な知覚

父がなくなってから、声の通りが良い。

声については十代から悩まされてきて、いろいろやってきたが、父がなくなってあっさり解決した部分もあるような。

 

土星に関係するのかな。

ジオでは、土星がかなり主要天体にハードアスペクトしていたから。まあありえるような。

あれは、太陽の意識で塗りつぶす、憎しみも、愛憎も、ふくめて、いますぐにできないものも、一方向の時間枠の物質世界のなかで闇に暗闇に、その中の、中の、中の、なにかのなにかの非存在のなにかの閨のうちの闇に塗りつぶして伏す。

 

ある意味、もうこれからは拡大して、声をあげて、発声してもよいという許可を得たような。

 

https://youtu.be/4-emrYtWAeA


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柔らかな土星

2023-08-13 18:53:19 | 非物質的な知覚

父が亡くなった。そうしたら左側、左半身あたりがスカスカというか筒抜けな感じがする。

自宅に戻ってからは平沢進の曲ばかり聞く。

ふと、土星の変更かなとも思った。これはジオなのかそうじゃないのか。

太陽の意識からしたら、平沢進的な土星は都合がいい。かなり理想。かもね。

「パプリカ」の主題曲パレードをリピートして聞いたり、御三家とよばれていた頃の曲やプログレッシブロックの名残がある曲を聴いたり。

身近な人がひとり死ぬと、なんだかやはり変化や影響を感じずにはいられない。

うちの父は、コロナを利用して、引きこもったていたような気もする。約3年間。非物質的には順調な準備期間のかも。

---

人間である私は、とりあえず父の病院にはほぼ不信感しかないし、父がなくなるときの医師の振る舞いにも冷静に考えたら「?」なので、このまま滅べくらいにしか思わない。

まあ、人間感覚としては、ある意味ネガティブを基準にして死を捌くいたって感情的で偏った対応で、いかにも、人間らしいし、これくらい土臭く不条理な感情の欠片くらいもっていないと、人間と非物質の綱渡りから転げ落ちてしまう。崖、まっさかさまに。


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人気と悪魔とカンバリアとアルゴル

2023-06-20 17:47:12 | 非物質的な知覚

アルゴルとの以前の会話を読んでいて、ふと人気(人間個人や複数集団の感情、意識、無意識のエネルギー)について考えた。

自分にとっての人気で一番しっくりくるのは「操るもの」だという言葉が降りてきて、しっくりきた。

それには、カンバリアが関わっている。

カンバリアが操作、コントロールに関連しているから。

ただ、その操り方が非常に個人的な範囲でしか興味がない。

だから世間を煽ろうとか新しい流行をつくろうとか、そういうのには興味がない。世界を変革させたいとも思わない。

そもそも人間社会のほとんどは、おなじことの繰り返しで成り立っている。

逆に言えば安定している。この安定がないとほとんどの人間は恐慌状態におちいるだろうし、それでは社会がなりたたない。

人間として生きるのなら、ある程度安定してパターン化していたほうが都合が良い。

そこに流されるならそれはそういう安定のための礎になるのだろうし、いやならその川から抜け出せば良い。

支流でパチャパチャやりながら暢気に遊んでいたって良いのだ。

そう思っていると、アルゴルもそうだけどカンバリアもだいぶ悪魔だなと思う。

タロット的な意味においても、世間一般的な意味においても。

この操り方は、善行的な意味においては、川に流されるひとを釣り上げて救出する作用もある。

まあでもしないけど。


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漢織/呉織(あやはとり/くれはとり)

2023-06-17 12:47:20 | 非物質的な知覚

https://youtu.be/3wHFWU9OQ_Q

この動画をみていたら、漢織、呉織(あやはとり、くれはとり)のところで急に顔が熱くなる。

微細に振動しているかんじ。共鳴している?

なんか漢織に意識をむけないといけないのかな、という空気感。

意識をむけると「あーーーーやーーーーーはーーーーとーーーーーりーーーーー」と祝詞のような声が聞こえる。

その声を聞くと、肉体やエーテル体がかってに振動・共鳴して、心霊的防御があがるかんじ。

祝詞の天の数歌に似ているような。

 

あやはとりの母音が「あーーーーーあーーーーーーあーーーーーおーーーーーーいーーーーーー」となっているのが個人的に共鳴しやすい宇宙全体にひろがるようなかんじ。

くれはとりの「うーーーーーえーーーーあーーーーおーーーーーいーーーー」だと自分的には響かない。なんか違うなという違和感がある。でもこれも個人的にはということで、人によってそれぞれのはず。

とりあえず心霊的防御とか、フォーカス領域の低いところを発達させるのにいいかも。

---

蛇足だけど、漢織は後天的で、呉織は先天的なものに関わるという気がする。


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ナイル川、ニジェール川、コンゴ川

2023-05-14 16:53:21 | 非物質的な知覚

ナイル川とナイジェリア川?と書かれた三ツ矢サイダーみたいなマークが見える。

なんのこっちゃと思っていたけどこのへんと関係があるのかな。

安倍晴明に、お父さんはいない

三ツ矢のマークも、動画で見た気がするけど、どこでかは忘れた。

で、三ツ矢サイダーにかかれた川は、ナイル川とニジェール川で、もうひとつは場所的にコンゴ川かな。

どれもアフリカでいくつもの国をまたがっているエリダヌス川的な存在。

それが3あり、(物質的)人類の発祥の地に関係していそうな場所をながれている。

変性意識にはいっても真っ暗でなにも見えず、でもこのマークだけ見えているし、ブログにも書いておけ的な圧を感じるのでメモ。


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原初の水ヌンと創造原理、AIと獣とエジプト神

2023-05-06 15:45:14 | 非物質的な知覚

原初の水は、四元素の中の水ではない

ヌンのことが急に気になったので、この動画を見る。

ヌンが意志によって形あるもの(島)をつくりそれがアトゥムになった、ということでヌンはある意味創造の原理であったり、生命を生み出す海の意味合いを含んでいたり(ただしヌンは物資的な水ではなく、それを超えた存在)するのだなーと気づく。

以前、この宇宙(単独の生命の樹)のさらにその下の生命の樹のケテルにいったとき、大海に浮かぶ小さな小島におりたったが、それは下の生命の樹(宇宙)のヌンとアトゥムに遭遇したのか、と気づいた。その島にはヤシの木がひとつポツンと生えていたのだが、それはアトゥムの子どもたちもしくは創造物を意味しているのかも。

この動画の後半で、AIと人間の関係性を、エジプトの半神半人、つまり半人半獣の姿と関連付けている。AIうんぬんは11力と関連しているのかも。獣に対する嫌悪感と、AIに対する嫌悪感。

ちなみに松村潔のいうAIは、現在の既存のAIとは別物。量子や電子を超えた高速の存在だから、まだまだ先の話かな。

 


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悟りたい人は今すぐ悟る

2023-02-19 16:14:11 | 非物質的な知覚

さいきん忙しかったので、非物質探索を時間とってできなかった。

ひさしぶりに松村潔のYoutubeを見る。

「宇宙に愛はありますか」という動画。愛という言葉を松村潔は論理的に説明してくれているのでとてもありがたい。

そのなかで「悟りたい人は今すぐ悟る」というブッダの話が引用されていた。

自分は最近、よくイライラする。

イライラする自分はなぜか?と根拠や理由を探していたが

単純にイライラする自分を許容できていなかったようだ。

あと、「怒りたくない人は、今すぐ怒るのをやめる」と言い変えてみた。

すると自分のなかに「怒りたい」という声がある。

怒りたい、他者を攻撃したい。

放出したい。

エネルギーを外にむけて活動したい。

つまり、怒りたいというのは

「エネルギーを外に向けて活動する」ことがうまくできないから

他人へとむけられていたようだ。

まあ火星だよね。

でもいままで火星を使う機会がなかったから

やっとそういう時期にきたのかも。

他人、攻撃してもいいけど。

でも、攻撃したあとにしょんぼりする心優しい自分もいる。

攻撃するのはいいけど、

下手に相手から反応されるのは面倒くさい。

だったら、相手を完璧にシャットアウトするような攻撃がいい。

やるなら。

でも、そもそも他人に攻撃したいわけじゃなく

「エネルギーを外に放出した」のが本当の欲望なら

それをしたほうが効率的だよね。

という理解に至る。


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何度も同じことを繰り返しているめんどくさい人についての探索

2023-01-21 14:56:10 | 非物質的な知覚

なんども同じことを繰り返すひとに仕事で出会う。
「めんどくさい」とかんじる。

これについて探索してみる。エンゼルさんが見える。

---
同じことをくりかえしているように見える。

「でも、それって私の視点からだけだよね」
- ええそうですね
「それって、私の位置視点からの勝手な判断だよね」
- でも、その勝手でいいのでは?

---
だれしも、自分の都合のよい側面、勝手によって視座をえらんでいる。
選択している。

自分は変化を愛する。
変化しないものを愛する時、その変化しないもの、繰り返すパターンを愛している。

嫌なパターンは変えている。
愛することが出来るように。
好きなものになるように。

嫌なパターンを繰り返し
また同じような失敗を繰り返し
その嫌な感情に没入している人は「面倒くさい」と感じる。

別に、それでいいのでは?

---

面倒くさい人を相手するのに
お金なりなんなり、対価を必要とする。
その対価に見合う働きだけすればいい。

痛い目にあわないとわからない
痛い目にあってもわからない

そういう人は、自分が「変える」と本腰をいれないと変わらない

本腰をいれるのは、あくまでそのひと自身。

だから、自分は適当につきあえるところまで、つきあうところまででいいし
なにも対価をもらっていないのに、付き合う必要性は全くない。
だから自分を変える必要はない。
「めんどうくさいひとだ」と評価を下す自分を変える必要はない。
だって本心だもの。

ずっとずっと同じ失敗を繰り返して没入している人は、好きに埋まらせておけばいい。


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捨てられる、という感情と感覚と語義

2023-01-20 14:54:42 | 非物質的な知覚

邪魔する存在がいなくなると、「捨てられる」という感情がでてくる。

自分の近くに、今までいた人がいなくなると「捨てられる」という感情がでてくる。

でも、じゃあその人が近くにいると良いのか、というとそうでもない。

この「捨てられる」という感情が、むやみに暴走?している気がする。

---

ここについて探索。

いろいろなイメージがでてくる。

ドラマで、恋人にすてられるシーン。

過去に自分が「捨てられる」と思った記憶。

子犬が箱にいれてすてられた映像。

いろいろな情報が混じっている。闇雲に。

「なんで捨てられるのが悪いことなのか?」という思考が一瞬うかぶ。

捨てる・捨てられるということに善悪はない。

どっちが捨てようが捨てられようが、その結果、それぞれが自分によりよい道を歩めば、むしろ幸せではないか。

そこでお腹が痛くなる。

捨てられる、ということに「衣食住がなくなる、お金がなくなる」というイメージがつきまとう。

たしかにそういう場合もあるだろう。

自分の過去生?っぽい情報で、自分がイスラエルのある民族で、国だかなんだかに捨てられ、水も食料もない砂漠を絶望の気持ちで進んでいこうとする、というのがある。

捨てられるに、国家からの追放があると、そこに深い絶望が絡みそうだ。

でも、それは「捨てられる」という言葉の定義に、色々な別の情報や感情や集団無意識をくっつけているからで、それを剥ぎ取ってしまえばいい。

別に「捨てられて」もかまわない。衣食住やお金や必要な縁や交流が残れば良いのだから。

すると、お腹の別の場所が「母親に捨てられたらどうしよう」という言葉。

まあ、昔ショックをうけることがあったしね

なかなかこれが頑固で、うまく納得してくれない。

じーっと目をむけていたら、小さな自分がじわじわと成長していき、「捨てられるというか、放って置かれたほうがいいよね」という。

捨てる・捨てられるの本質は、縁を切るということだ。

それを行うことで、次の自分がより幸せで楽しいところにいけばいいだけだ。

そう思うと、捨てられるというのは悪くない。

言葉の外聞が悪いように感じるだけ。

自分の居場所がないところからは、さっさと移動して自分が求められる場所に行けばいい。そっちのほうが幸せなのだから。


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邪魔をしてくる存在をいちいち相手してしまう癖/情報入手における無意識の思い込み/三叉のペアリング

2023-01-20 14:20:53 | 非物質的な知覚

さきほどブログを書いていて気づいたのが、自分の邪魔をしてくる存在を、いちいち相手すること。

自分にとって、この人達の意見は参考にならないし、むしろ自分の意図を弱体化させる、行動することを弱めてしまうという情報に、いちいち耳を傾けたり、目を向けてしまう。

たぶんこれは、幼児から小学生くらいのころの癖で、とりあえず情報はいろいろ見聞きしなけばいけないという思い込み。

親や周囲の影響もあっただろう。

なかなかこれがやっかいで、もう社会で生きるうえでのルールや常識というものは知ったのだから、それを最低限残しておけばいいのに、いまだにそれが手放せない。

いらない情報をシャットアウトしようとすると「独断や狭量、狭い視野を形作る愚かな行為だ」とささやく誰かがいる。

その誰かは、結局自分自身。自分の側面。

---

狭量だとささやく存在、自分の側面を探索してみる。

すぐ、人の影がでてくる。

それは私を嘲笑っている。「お前は愚か」だと。

でも、この存在はみたことあるし知っている。

小さいころから自問自答して自分で作り上げた自己否定する存在のうちのひとつ。

「正解です」というエンゼルさん。

さて、これをどうするか。

「簡単です。

あなたは選択するときなのです。

自分に不要な情報は捨てきる。関わらない。

自分が本当に欲しい情報、真に必要な情報は、だまっていても出会える。

今だって、そうじゃないですか」

エンゼルさんの言葉に悔しそうに顔を歪める存在。

だが、腹が決まらないのだ。

腹の奥に、「でも、そうやって情報を取捨選択して、致命的なリスクがおきたらどうしよう」という不安。

死に直結するような大きな不安。

ここまで探索して、情報をあえて捨てるということを、自分がどれだけ恐怖を感じているのか分かって我ながら驚く。

たぶん、これには集団無意識もつながっている。

確かに情報は力だ。

でも、さいきんの世の中は不要な情報が圧倒的に多い。

自分は、ガイドたちも使って、本当に必要な情報はもたらされている。

それに自分は思ったよりも情報検索能力が高い。

そうしていたら、ふと中国の軍師の姿が頭に浮かぶ。

たぶん諸葛孔明?「パリピ孔明」っぽい姿だから。

そしてその孔明っぽい人間が「情報は力だ」と言っている。

たしかに古代の中国ではそのとおりだろう。

今でももちろんそうだ。だが、情報の得やすさ、量の多さは当時とはくらぶべくもないはず。

情報は力だが、質の良い情報、自分の状況にあった情報でないと意味がない。

そういうと孔明っぽいイメージは「そうか」といって納得した。

自分のお腹に意識を向けると「必要な情報は(ガイドが)もってきてくれる。むこうからやってくる」という声。

私を嘲笑っていた存在は、ムンクの叫びみたいな顔をして消えていった。

---

すると上から声がする。

ベテルギウスの「上と下を同期しよう」という声。

足をあわせて暗黒物質をイメージする。ベテルギウス、アルデバラン、さんかく座銀河(M33)がそれとペアリングする。

 

 

3つのシャクティ、クンダリニの通路して、3つの宇宙存在が関わっている姿は、トライデントみたいなシンボルででてくる。根本は3本があわさって捻れたような感じ。下記の写真にちょっと似ている。

https://ja.aliexpress.com/item/4000854638219.html

 


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天の父と地の果ての母の冥想探索

2023-01-15 14:45:25 | 非物質的な知覚

天の父と地の果ての母(地の底の母)の瞑想を探索してみる。

---

以前いった、生命の樹の底の底、下にある島におりる。

絶海の孤島で、漫画みたいなヤシの木が一本生えている小さい島。人が2人いたらもういっぱい。

「ここが視覚できる下限?無限?」

「いまのあなたにはそうですね。肉体をもった貴方が知覚できる範囲。

正確に言うと、知覚が推奨されるといいますか」

「これ以上の情報を視ようとすると、溶けるから?」

「そうですね。リスクがあるのです。溶けるので。

ここまでが人間としての諸々の安全性を確保した上での視覚化です」

なるほど。

「ここで、地の底の母を待てばいいの?」

と聞くと、以前宇宙でみた石像がドン、とでてくる。

あれ、これって・・・?

というか、なんかノイズが入っている?

なんか調子悪い。

「そろそろ、アヌビスと仲良くなるのテーマの探索は不要なので、また次回やりましょう」

黒カーリーは念ずればでてくるかな?

というと、黒カーリーの姿がでてくる。

「出てくるし繋がれるけど、この存在は溶解剤だから、タイミングなどが必要です」と言われる。

 


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タロット15悪魔の探索

2023-01-13 15:35:59 | 非物質的な知覚

無意識に我慢する癖について。

タロットの15悪魔の姿がチラチラするので探索する。

今回は、悪魔というか、アルゴルが出てくる。

---

手にはいりにくい高額なものを、欲しいと言ってはいけない。

値段が高いものコトを選ぶと怒られる。

「欲しい」ということ、願うこと、高次存在に要求すること、伝えることは別に罪ではない。

高次存在からしたら不思議で仕方ない。

願えば、意図すればいいだけなのに。

なぜ自分の願いを伝えること自体に罪悪感を持つのだろう?と。

「そうだね。まったくもって不思議だよ」とアルゴルが言う。

「まあそれも人間生活のなかの癖、思考パターンなだけなんだけどね」

叩かれなくても、キツい大きな言葉、汚い言葉は暴力だ。

とくに耳の良い人間にとっては、普通の人よりはずっとずっと。

聴覚を通じて、脳にこびりついている感じ。

もうそれらすべてを手放す、とアファメーションした。

本当に欲しいものを、欲しいと言っていいしやっていい。

なんとなく気が乗らないことは、結局やっても満足度が高くない。

そこそこの結果や成果は得られるし、たぶん普通だったらそれは「良い結果」に見えるかもしれない。

だけど自分にとって「こんなもんか」となんとなく不満が燻り残っている感じがある。

それは、常識からしたらお得で、良いといわれることかもしれないけど

自分にとって違うなら、やりたくなかったのなら、やりたくないのなら、やらなくていい。

「それは自分にとって不満だった。実は実入りの少ない行為だった」と感情をを覆していい。

自分は、別にそれがやりたかったわけではないのだ。やりたくなかった。

そういうことは、もう今後はしなくていいし、断っていい。

こういうことは何度もアファメーションした気がするんだけど

まだまだ残骸、残滓、こびりついているものがあったようだ。

 

で、今回このことに気づいたら、ここしばらく続いていた便秘が改善していた。

気がついていなかったけど、腸のほうはずっとこの「なんとなく無意識の我慢」に敏感だったのかも。

腸内細菌とか食べ物が水分量が、とかではなく。

自分が無意識に我慢して、やりたいことをやらず、やりたくないことをやっていることにたいして。


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無意識の我慢

2023-01-13 15:30:32 | 非物質的な知覚

気づいたこと。

無意識に、こうしたいああしたいというのを抑えている癖がある。

言おうとしても、空気を読んでから「こんなことを聞いたら相手は気を悪くするのではないか」と不安、疑念、不信な感情をわざわざ自分でくっつけながら相手の顔色をうかがう。

相手に欲求、要求を言うと、怒られる、叩かれる、気を悪くされるというトラウマみたいなもの。

だから断れない。無視できない。

なんとなく、自分はそれをしたくないのにしてしまう。

もわっとしていた部分を、今日細かく認識できた感じ。


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コスパ。コスパ的意味合い。非物質の。

2023-01-01 00:20:05 | 非物質的な知覚

ふと入ってきた。

コスパという、この界隈の概念。

コスパ、という言葉がなにかを殺す、減じる。

コスパという言葉に惑わされない姿勢


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進歩を求められている/変化しない人間へのイライラへの感情対処の記録

2022-12-30 15:33:26 | 非物質的な知覚

数日前、変化しない、進歩しない人間に対して非常にイライラしていた。

自分でも異常だなと感じるくらいのイライラで、どうしてもすぐ没入する。

複数要因が絡んでいたが、精神や感情の問題としては2点あり

1)(自分だけ)進歩を求められている、強要されている(という感覚)

2)変化しない人間のイライラ(自分は進歩を求められて頑張ったのになぜ相手は進歩しなくても許されるのか?)

という感情だった。

どちらもヘミシンクを聞きながら内面を探索していったん解決。

1)については過去生も絡んでいた?ようで鑑真がでてきた。

自分だけ厳しく育てられ、進歩や向上を求められるのに、周囲は甘えてダラダラしているものばかり。

それを、鑑真との出会いによって許された、その努力を認められて?怒りを手放すことができた、みたいな内容。

まあ現実的にあったのではなく、これも象徴なのかもしれないけど、鑑真がなぜ出てきたのかな?と思ってちょっと調べたら、あの人は「しつこく日本に渡ろうとチャレンジした人だった」ということを思い出して、なんか納得した。

あと最近、地上活動がいそがしくて高次存在と対話してなかったのもあった。

久しぶりにやったら、眠くなって地上の用事ができなくなる。それだけ溜まっていたのかも。


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