昨日くらいからフォーマルハウトが出張ってきた。
そういえばこの前トゥバンではなく、こちらにももっと繋がってほしいみたいなことを言われた。
wikiでみると「フォーマルハウトb」というのもある。
シリウスa,bがあるように、フォーマルハウトもa,bがあるらしい。
変性意識ではいると、私の場合はシリウスよりもフォーマルハウトのほうが相性が良いらしい。
ただ、いまの自分は他人の言うフォーマルハウトの定義に引っ張られすぎているので、もっと自分にとっての定義というか意味をみつけてほしいと言われる。
いままでフォーマルハウトに興味はないというか、なんとなく近づきたくなかったのは、そういう時期というか意味があったのだが、これからはもうちょっとフォーマルハウトを意識したほうが人間としての生活にも良いらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=27DcpiTIW9M
ちょっと面白い場所。
聖地とされているくらいなので、実際にここだけ場が違っていた。
変性意識で聞いてみると、面白い体験できるかも。
こちら
https://www.youtube.com/watch?v=m9pHinmB94U
これを聞いていたら変性意識に入って、瀬織津姫命や縄文に関係する領域にはいった。久しぶりの場所。
シリウスも関係している?
虚無のような、深淵のような感じなので、手放しに良いといえるかどうかはわからない場所ではあるけど。
https://www.youtube.com/watch?v=6XNI5fYiEMQ
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これまで、生駒聖天と待乳山聖天にもいったことがあるが、それにも劣らないと思う。
というか、日本では珍しい中国・インドにも伸びわたるパイプかも?
聖天なので、ガネーシャとか歓喜天の司る性的な意味でのご利益もあると思う。
ヨギや、ヨガや覚醒のためにクンダリニや性エネルギーの扱いを考えている人にもいいのでは。
昨日、仕事中にアルゴルが降りてきた。
いままで、私が恒星アルゴルを探索していたときにでてきたイメージはメデューサの静止画だったんだけど、今回は太陽のように眩しく輝く存在で、熱感というかゆらめきも感じた。色は白で、熱さを感じそうなほど、かなり低い次元にまでおりてきた感じ。光の縁には青みがかかっていてかなり高熱。
これはアルゴルの役割というか意味をあらわしているらしい。
醜い女性としてのアルゴルと、太陽のように自ら光って高い位置にあるアルゴル。タロットの戦車とか、7法則みたいに、高低差とか段階とか、そういう意味を表す。だけど、非二元性なので、どっちが良いとかそういう意味ではない。
メデューサから太陽へ、ということは、メデューサを入り口にして太陽に至れる、低い次元の入り口なのかも。
上に降りたら、いつでも下に降りれる。一度上にあがったら、下にいても思い出せる。
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アルゴルが降りてくるまえに、ちょうどワンピースの最新話の「太陽神ニカ」の話を読んでた。それも関係している気がする。
太陽神ニカのコマを伝って、恒星探索しても面白いかもなと思った。あれは恒星に繋がっている。
私がやってみたら、色々な恒星がぐちゃぐちゃにでてきて、特定されないように?していた。
もしくはさまざまな恒星が関わっているハブみたいなもの?
だからワンピースはこれだけ人気が出たし、作者もコンスタントに連載を続けているのかも。
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ワンピースは、マハーバーラタやラーマーヤナみたいな叙事詩なのかもしれないね。
漫画の体裁をとって年齢にかぎらず手にとれる壮大な日本の叙事詩。
2月くらい、浅草キッドを見たあたりから?から、自分の今までについて、よく思い返すことが増えた。
で、思い返して、当時の感情をクリーニングしたりとかしていたんだけど、昨日あたりから、この「昔を思い返すこと」自体がもう不要な行為だな、と気づき、昔のことを思い返すのをやめるようにし始めた。
イメージとしては、過去のことを一つのデータサーバーか何かに格納して、そのサーバーとの接続を切るとか、水面下に沈めるとか。もしくは鉄道の線路の分岐点で、「昔を思い返す」という行為自体を切り離したとか。そういうかんじ。
過去を思い返し、それをクリーニングするのは確かに重要だけど、もう私の場合はそれをしなくていいし、それをしても結局「許し難い過去」を認識したら、またクリーニングするしかない。
許し難い過去というのは、今ですら受け入れられない。過去にそういう事実はあるし、あった。だけど、私はそれを肯定はしない。
許し難い過去というのは、自分があの環境に産み落とされたこと。
もちろん、それよりも過酷な環境・時代に生まれた人間は五万といるだろう。でも、私は自分があの環境に生まれたことについては、今持ってなお受け入れ難いし、認め難い。許せといわれても、それをおいそれと受け入れられない。
ハイヤーセルフだか、高次存在の自分は、何らかの目的でそれを決めたのかもしれないし、それは必然であったのかもしれない。しかし、「高次存在の自分」というあやふやで不確定で、肉体をもってない人間を経験していない存在のいうことを、ホイホイと受け入れることはできない。したくない。傷ついたのは、肉体をもつ役割をおこなった、この私自身なのだから。
で、この過去を許す、水に流せるようになるのかどうかは知らないし目指してないし、一生許せないかもしれないが、ともかく今、過去のことを振り返った時点で感情が煽られるだけなので、過去の記憶を一つのサーバーにつめて、その接続を切った。そして、そのサーバーに「接続しようとする」脳のクセや習慣をやめるように、いま上書きしている最中。
そうしてみると、やっぱりこれまで無意識に、過去の記憶に接続して、低い感情になっていたことが多くあったなということがわかった。
過去を振り返るということが多すぎて、それが当たり前になりすぎてたから。ちっちゃな金魚鉢にいれられていた金魚みたい。自分の今にあっていないのに、狭苦しいところにいれられてて、でもそれに気づけない。そういうかんじ。
あと、自分の思考のラインを、ひとつ高次存在であるメインガイドに明け渡してみた。さらっと書いてるけど、ようは乗っ取りとか憑依を許可したようなもの。でも、グダグダと低速で重い感情に支配されているくらいなら、これまで接してきたメインガイドに明け渡したほうがはるかに効率的だし、人生を生きる人間としても楽そうなのでそうした。
見た目には見えないけど、いまかなり思考というか脳というか、そのあたりの回線を非物質的に人為的にガリガリ作り替えている状態。
恒星とか、それよりも上の次元を探索したり、縁ができたりすると、そのあたりから情報とかエネルギーをもらえるというか、使えるようになる。
それらは、大きなサイズのRawデータなので、これをどう編集したり組み合わせたり加工したりするかはその人次第。
物質世界というのは偏りがあり、人間はそもそも偏っている。でも、その偏りのままで表現することが強みだし創造性でもある。
人間は無自覚のままだと、大きな大きなシステム・仕組みのなかの小さな小さな歯車、ピースのひとつだ。ただ、物質的な肉体というのは、強い。それは次元としては確かに低い。が、人間という存在は、自我・自意識を持った力強いピースとも言える。ミッションの車やバイクが、ギアを1速にいれてから、次々に2速、3速・・・とギアを変えてスピードをあげていくが、たとえるなら人間は1速の状態みたいなもの。スピードはでないが、まずは1速にいれないと物事は始まらない。その主導権があるということ。
だから、自分が意識さえすれば、大きなシステムや仕組みを動かす中心存在として、主導権を握ることが可能だ。
タロットで1−9というのは、人間社会や物質世界に没入し、どう生きるか、どう抜け出るかの足掻きを描いている、と仮定したとする。
すると、10 運命の輪からは、自覚した人間の逆転劇だ。いままではギアを周囲から「変えられていた」のだが、逆転した自分から望みのままにギアを「変える」ほうへ。10.運命の輪は、どちらにも回転できる。なら、視点をあけて、自分主導に回転をかえてしまえばいい。
10から11.力というのは、「自分が変える」と意図し、そのつぎに実行に移し、自分が主導権をにぎる姿を描いたのでは。
空気を感じるシリーズ。
https://www.youtube.com/watch?v=Gk14Drzf7JQ
久しぶりに下鴨神社に行った。
個人的には浄化や水に流す、といったことに向いている神社。
有名なところなので人が多くざわついているが、本殿奥には何かがある。
存在といってもいいし、上と繋がりやすいパイプみたいなもの。縦。
人為的な努力でこれを保っているのだろう。このあたりはさすがというべきか。
上賀茂神社の本殿にも似たようなものがある。すこし色が違うけど、上流下流の違いなのかも。
下鴨神社には瀬織津姫が祭神になっている神社があり、そこはまた違う雰囲気で面白い。
さいきん動画をつくっていて気づいたのが、自分が何かを作ったり創ったり芸術的な行為をしているとき、特に喜びとか高揚感みたいなものはない。
何かしているとき、なんとなく頭にもう完成図ができていて、それを再現するために、自分でできる範囲の技術を組み合わせてつくっているだけ。
なんだろ、こんなもんでいいの?こんな安易なものでいいの?という気がする。
でも、じゃあその反対に、苦痛とか苦肉の策というか、「産みの苦しみ」って必要なの?と考えると、べつに必要じゃないし、産みの苦しみがあるから素晴らしい作品ができたことはない。
自分で後から見返した時、「あ、案外わるくないな」とおもうものを作ったときは、だいたい上記の感じで安易にできる。
でも、ひとつの技術は別にこれだけでご飯を食べられるわけではない。簡単な技術。
だけど、動画を作ってアップしたことない人からしたら、静止画でもあっても、画像を用意し、音を録音して編集して(すこしだけど)変換してアップロードして…なんて、想像できないほどの高い技術をもっているひとに見えるんだろうなあ。
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さいきんいろいろ作っているのは、余計なことに頭をつかわないため。
余計なことに頭使うくらいなら、こういうのを作っていた方がだいぶマシだと思う。けど上述したような創作姿勢なので、こんなんでいいんか?とか、もっと技術をあげなければ!みたいな気持ちにもなる。けど、私の場合は技術を闇雲にあげても、人生に有利ではなかったりする。必要なら、プロにまかせれば良い。
こちら
https://www.youtube.com/watch?v=xhi8XH_hPmY
さきに2作品アップしたので、編集作業がスムーズ。
movファイルだと半日くらいかけてもアップロードできないし中止させられる。なのですこし品質をおとしてmp4。
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今回、音声動画作品をつくろうとしたのは、自分の声、喉、発声のリハビリ。
つくったことで、いろいろ気づいたことがある。やらないとわからない、気付けないことも多い。
ナレーションは素人がやってるので、滑らかではないかもしれません。滑舌や声が気になる人は音量おとしてBGM代わりにつかってください。それでも効果はあると思う。
自分でもナレーション音質は気になる部分があるが、まあ無料公開なのでそんなもんです。youtubeは大いなる練習の場。
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追記:さらにおまけでこんなのも作った。これで全4作品。
https://www.youtube.com/watch?v=6nHq1ZdFkQ0
ムーサの誘導瞑想用の音声をつくった。Youtubeにアップ済み。
https://www.youtube.com/watch?v=xSVuF6_C-64
これを聞いて、松村先生を知っている人は、恒星としてのムーサとかろくぶんぎ座とか繋がってみるのも面白いかも。
とかいたら、恒星のムーサがちょっと面倒臭そうな顔をしたので、会えない人は会えないだろう。
真面目に作ったので、純粋に創造性、芸術性、クリエイティビティを開発するのに使ってください。
タロットでいうと3女帝なので。働く、稼ぐ、生み出す、増殖する。生産力など。
あともうひとつおまけ。
https://www.youtube.com/watch?v=mzfYZzPIwio
余った素材で作ったら、案外さまになった感。
ここ数日、自分の中で言葉の概念を再度修正している。
「待つ」という言葉にどういうイメージをともなうか。
「好き」という言葉にどういうイメージをともなうか。
「集中する」「執着する」という言葉の違い、自分のなかのイメージや思考の仕方など。
自分のなかで、その単語にどういうイメージとかネガティブな意味、囚われをくっつけていたかを確認して、お祓いしている感じ。
集中すると、執着するは、私のなかでほぼ同じことをしていた。
体感として、この二つは別と把握できるのだが、言葉につけている感情とか意味的には同じと捉えていた。だから「なにか物事をうまくやるのに集中が必要」なのに、しらずしらず「執着する」という手法をつかっていた。
執着というのは、意図に対して重い感情をくっつけて「まだ意図が実現しないのか」と繰り返し考えて、結果的にその意図をつぶす行為。
集中するというのは、いまの私にとってはヘミシンクでいうF12とかF15あたりの領域にはいり、非物質世界から情報をとってきたり、おろしてきたりする行為。あと気になったことは取り敢えずやってみるという行動力のこと。
自分のOSに辞書登録されていた単語の内容のなかで、いまの自分に合ってないものを、気づき次第修正している地味なかんじ。でもこれって思考に直結する部分だから大きな変化を地味に感じる。
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今日の夢。なんか口が血まみれになった。歯がグラグラになったとか、下顎を取り替えた?
さいきん血が多く出てくる。
あとは危機一髪な状態になったけど、見逃されたり。
グニャグニャ動くスクーターで100キロくらいのスピードで高速道路を走ったり。
で、黒い高級車が2台止まっていたところにコツンとかるく接触したり(笑)
今まで見たことがないパターンの夢ばかりなのでメモ。
「好き」と「待つこと」について。
自分が好きなものを、ただ純粋に好きということ。
待つというのは、自分にとって良いものを手に入れる手法。待って良い。