ホオポノポノとか先述している本とか、それらの手法をおこなっていたら「常に自分の思考を観察する」過程がみについた。
そこで気づいたのが、瞬間、瞬間、で、人間はさまざまな思考(なのか感情なのかエーテル体?エネルギー?)を呼び寄せる。
気づいて思ったのが、松村潔のいうことはあまり参考にしてはならないということ。これはそもそも「自我」の持ち方の由来に通じる。松村潔は、なるべくしてああなった。スタピ事象の方は、それをそのまま真似してはならぬ。危険だなと思う。そして自分にたいしては危険だと思う。ジオセントリックをよんでも、自分と松村潔は自我の持ち方が違いすぎる。私は非常に受動的なので、そこからの自己回復を模索しないといけないが、松村はあきらかに汚染されない自我をもっている。そこからも、戦略のちがいがわかる。
スタピ回帰はほんとひとそれぞれ。恒星からしたら変わりはないけど、人間としたら違いが大きいので、そこは工夫が必要。
で、ホオポノポノ。毎秒、自分の気持ちをみていたら、まだまだまだまだ色々と、不要な概念がはりついていた。
ただ、ヘミシンクや生命の木などをやっていたら、かなり人生は楽になる。ホオポノポノなどの「常に自分の感情心情気持ちにきをくばる」必要のワークは、やらなくてもいいのかも。時間はかかるかもしれないけど。ホオポノポノ系な感謝のワークは、適性があれば、その時期であればすぐに馴染む。そして生活習慣になる。無意識におやつをたべるのと同意義で、無意識に感謝し、感謝できない囚われを発見できる。
蝶の羽、、、は、変化の印。なにかこの言葉を題名にいれないといけないと誰かがいっているので、書いておく。