Kブログ

恒星探索、非物質、変性意識、タロット、生命の樹、西洋占星術、高次存在、ヘリオセントリック音楽 etc

常に気をつけていなければならない。蝶の羽。

2020-12-25 23:12:28 | お金と成功と精神世界

ホオポノポノとか先述している本とか、それらの手法をおこなっていたら「常に自分の思考を観察する」過程がみについた。

そこで気づいたのが、瞬間、瞬間、で、人間はさまざまな思考(なのか感情なのかエーテル体?エネルギー?)を呼び寄せる。

気づいて思ったのが、松村潔のいうことはあまり参考にしてはならないということ。これはそもそも「自我」の持ち方の由来に通じる。松村潔は、なるべくしてああなった。スタピ事象の方は、それをそのまま真似してはならぬ。危険だなと思う。そして自分にたいしては危険だと思う。ジオセントリックをよんでも、自分と松村潔は自我の持ち方が違いすぎる。私は非常に受動的なので、そこからの自己回復を模索しないといけないが、松村はあきらかに汚染されない自我をもっている。そこからも、戦略のちがいがわかる。

 

スタピ回帰はほんとひとそれぞれ。恒星からしたら変わりはないけど、人間としたら違いが大きいので、そこは工夫が必要。

で、ホオポノポノ。毎秒、自分の気持ちをみていたら、まだまだまだまだ色々と、不要な概念がはりついていた。

 

ただ、ヘミシンクや生命の木などをやっていたら、かなり人生は楽になる。ホオポノポノなどの「常に自分の感情心情気持ちにきをくばる」必要のワークは、やらなくてもいいのかも。時間はかかるかもしれないけど。ホオポノポノ系な感謝のワークは、適性があれば、その時期であればすぐに馴染む。そして生活習慣になる。無意識におやつをたべるのと同意義で、無意識に感謝し、感謝できない囚われを発見できる。

 

蝶の羽、、、は、変化の印。なにかこの言葉を題名にいれないといけないと誰かがいっているので、書いておく。


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助けないといけない、という「べき」感

2020-12-23 19:15:34 | お金と成功と精神世界

誰かを自分よりも下において、そういう人たちを「助けないといけない」という「べき」感をやめてみた。

人間社会というのは、自分の下に誰かを作り、自分の上に誰かを作る世界ということなのかもね。山羊座的。


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ゼロポイントフィールド

2020-12-23 13:15:00 | お金と成功と精神世界

自分の人生の前半期や家族、地域に対する判断をやめたら、ふと変性意識にはいった。

場所はヘミシンクでいうとF15に近いが、そこではない。「ゼロポイントフィールド」という単語がでてくる。Fでいうと42?とか43?あたりらしい。

この言葉については色々といっているひとがいるが、私のこの場所の場合は「物事の判断、善悪という二元論的なものさしをやめたために、エネルギーの陰陽があわさり元の太一的なエネルギーにもどった場所。ここからまた物質世界のホログラム(現実)が構成されるエネルギーが送り出される」というものを概念的にあらわした場所らしい。

ここにアクセスできるということは、だいぶ「接着剤(判断、善悪)」を捨てられる習慣がみについたということみたい。


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今の子供にくらべて自分の子供のころは恵まれていない、他

2020-12-23 12:53:49 | お金と成功と精神世界

○今の子供にくらべて自分は恵まれていなかったという憤り、怒りがどうしても出てくる。なぜこんなにこの怒りが繰り返しでてくるのかなとみてみたら、過去生とか集団無意識?黒人とか人種差別など歴史上のつらいといわれるシーンが映画のフイルムみたいにバーーーっとでてくる。

人間の悲劇に対してなくなればいいと思うが、それに対して自分が何かしたい、行動したいということはない。行動しなければいけないという強迫観念があったけど、それは教えられたもの、道徳的な刷り込みでしかなかった。自分の本当の気持ちは、そういう人間の悲劇に対して特に行動したいことはない。

この自分の本当の気持ちを抑圧して「何か人の現状が良くなるように行動しないといけない」というのが嘘、無理強いの気持ちであり、それで怒りがわいてきていたらしい。

 

○「女性だから」という刷り込み、判断を手放してみた。

考えてみたら、生まれる前から男か女かと親に思考され、その無意識を押し付けられている人は多いはず。それをやめた。

そうしたら、心臓のあたりが急にドクドクと脈打ちエネルギーが集まって熱くなったのに驚いた。なにかが解除?された?


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自分の子供時代や家族、地域に対する判断を放り投げた

2020-12-22 17:48:45 | お金と成功と精神世界

ちょっと今日人とやりとりをしていて気づいたのが、自分の子供のとき、幼少期、家族やその時に生活していた地域について、丸ごと「ダメだった」「毒親」などのような低い評価をしていたこと。

それすら全部、自分の人生に対する判断なので、やめてみた。

自分の小さい頃のあれこれを、囚われやパターンとして構築して維持しているエネルギーが重いというか、面倒くさいなと気づいてしまった。人生の過去の経験に対して、どこかを基準にしたり判断すること事態がパターンを毎回毎回繰り返すための接着剤。

それらの経験は、ただ経験したことで、それらは単なる事象。肉体をもった自分の経験の数々で、それにたいして悪い、嫌といちいち判断して振り返るエネルギーが惜しい。そんなところにエネルギーを振り向けるなら、これからの人生に対して意図してあることにエネルギーを使う。

過去にたいしていちいち重い、ネガティブなエネルギーで認識することに飽きたし、そんな細かいことに意識を向けるのも面倒になった。


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判断するということ

2020-12-22 17:39:01 | お金と成功と精神世界

世の中の事象を判断したり分析したりするときにやりがちなのは、何かを悪、悪い、ダメ、ずるい、ひどいといった目線で見ること。

好き嫌いならいいのだけれど、善悪という概念を導入すると自分のなかで「これは客観的」「これは常識」という見方を無意識にする。そしてそれは自分のなかの宇宙認識、世界認識に囚われをつくりだす。

好き嫌いが、善悪にすり替わりやすいこともあるので、物事を見た瞬間の直感的な心の動きにきをつけている必要がある。

世界の事象はただ「そういうことが起きているだけ」。放っておけばいいのに、いちいちそれに構って良し悪しを感じていたい、論じていたいのなら、そこになにか囚われやパターンが埋まっている可能性がある。

自分は本当に、その出来事に注力したいのか?意識を向けたいのか?暇でやることがないのなら、わざわざそこに意識をむけずに寝ていればいいのではないか?なぜそれを判断する?わざわざ好き嫌いを論じる必要がある?なぜ?

という自分の心の動きを毎瞬毎瞬おっていたら、さまざまなパターンに気づき、色々手放すことができる。そうすると、現実世界には自分が好ましい、楽しい、充実した時間が長く続くようになる。

それに飽きたなら、善悪二元論で振り回される人生を再度創ればいいんだし。パターンを発見して手放せるなら、再度パターンをつくって煽り煽られる人生も作れるはず。人間的二元論的ジェットコースターにのりないたら意識的に乗ればいいだけの話。

 


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太陽信仰が囚われにあった

2020-12-22 17:15:58 | 非物質的な知覚

さいきん眠くて昼ぐらいまで寝ている。

もともと朝は弱い。ただ用事があれば起きれるし問題はない。

ただ朝起きれないことに妙な罪悪感はある。まあ普通に人間としてできやすい囚われだけど、もう特に朝にたいしてパターンは見当たらない。なぜこの罪悪感があるのか?と色々感じていたら「太陽信仰」という言葉がでてきた。

アマテラスとか太陽信仰、朝、朝日。太陽。稲、稲作。日本固有の太陽に対する信仰がパターンになっていたなーという感触。ツクヨミとか夜、夕方、宵にたいして日本神話ってなんか評価低いかんじ。夜行性とかね。

自分は夕方とか、暗くなる時間帯は大好きで、逆に日の出とかなんか苦手。暴力的な感じがする。でもなんとなく人間の常識的に「朝早く起きるのがよい」とされているが、それって稲作的、ムラ的だよね。同調圧力。朝早く起きて生産性を高めねばという奴隷的というか。

自然界には夕方から夜が本番、イキイキとする生物もいっぱいいる。朝はやく起きないとなんか人間失格のように思わせられるのは、日本的な民族神とかプレアデスのような上下階層てきななにかと繋がっているのかも。

あとは効率、生産性に対する囚われかな。人間の小さな頭で考える生産性なんて案外役にたたない。余計なことをしているだけ、ということも。

朝が得意、朝早いと調子が良いひとは起きればいいし、私もあさ早く起きたい時はそうする。逆にそういうときに寝すぎるとしんどい。そうじゃない時、寝ていたい時は体が睡眠を要求しているときで、そうした方が良いのだからそうすべき。別に機械的に当てはめる必要はない。


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ビジネスゲームから自由になる法をスタピ風に意訳してみる

2020-12-22 16:00:08 | お金と成功と精神世界

先日記事をかいたこちらの本。

ビジネスゲームから自由になる法

さまざまな思考の現実化のノウハウが詰め込まれているのでかなり参考になる。

この本の内容をスタピ風にいうと、人間をやっている自分が、創造者としての自分、全惑星意識や恒星意識としての自分とつながりがあるので、人間としての人生をもっと自由に思う通りにできるというもの。

下降型人間からしたら確かにそうだろうと思う。

スタピを名乗るひとのなかには、人間生活を不遇で苦しいものであるのは当然という意識があるように見受けられる。だが、そういう人間生活をつくっているのはまさしく自分。人間の苦労や不幸を味わいたいのならそれで別にいいけれど。

で、この本のキモとしては

現実というのは、創造者(宇宙、神、ハイアーセルフ、全惑星意識だか恒星意識だか)である自分の側面が作り出したホログラムであり、その背後には自分が「それを作るように思考した」というプロセスが存在している。

そのプロセス、思考からホログラムが引き起こされるその経過を変えれば、現実(ホログラム)を変えられる。すでに「目の前でおきた、もしくは起きている」現実(ホログラム)にどうこうしても意味はない。

目の前に起きている現実(ホログラム)を変えたいのであれば、まず目の前の出来事は高次存在である自分がつくったものとして感謝する、感嘆する。「すげー」と笑えばいい。そしてその現実を善悪で判断しない。判断すると余計にその現実が強化されるような事態が起きる。そしてその現実をあじわう不快感や違和感の感情、エネルギーを味わい、ピークのときに「このエネルギーを取り戻す」と宣言し、その現実を構成するエネルギーを回収する。そしてそのエネルギーは別のことに使うイメージをもつとよい。本来の意図とか。

「現実」を作るカラクリとして、人間として生を受けた瞬間、場合によっては母親のお腹のなかにいる段階から刷り込まれた人間の常識やルール。「パターン」というやつ。このパターンのなかで、いまの自分にはもう不要なパターンを探し出し、壊し、それを構成していたエネルギーを回収する。パターンは善悪の判断はしないこと。本のなかでは「判断すると接着剤として現実を強固にする」とある。善悪の判断をした瞬間二極化するので、自分のなかに残りやすくなるかなという感覚はある。これらのやり方は本中では「プロセス」と名付けられている。

場合によっては、不快感とか違和感は感じないけど、どうもパターンだけポツンと残っているかなということもある。本中ではそれは「ミニプロセス」の範疇かなと思う。

まあ、スタピとして人間生活を楽にしながら、自分のやりたい活動をするのであれば、この本にある手法を通じて経済的、時間的に余裕をつくり思う存分打ち込めば良い。

人間としての自分が、どういったパターンを作り出しそれに囚われているかを追求することは、占星術の「月」にとらわれている自分、タロットパスでいうと「世界」に通じるのではないかと思う。

で、これは脳の問題かなとも思う。脳の性質というか。古いパターンを刻みこみ、それでさまざまなものを判断する行為というのは、肉体というミクロコスモスへの降下、探索なのでは。マクロコスモスの探索をもっと充実させたいのなら、ミクロコスモスである自分の脳や肉体、人間としての常識にとらわれている自分の奥底をもっと探索すると良いのではと思う。


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自分の意識はどこに重心を置くのかという選択

2020-12-16 23:24:22 | お金と成功と精神世界

肉体をもつ人間というものは、実にいろいろな次元や振動レベルにつながっている。日中に肉体をもって生活する上で感じられる最高はH6あたり?ひとそれぞれだと思うが、上につながって自分は人間をやると意識したときに、意識の重心をどこにおくかは重要だと思う。

あまり上すぎると肉体と乖離しやすくなる。肉体意識や感覚に埋没すると上の意識は感じられなくなる。

スタピとかいわれる人たちは上に意識をおきながら人間をやっていたほうが楽なグループなんだろうけど、だから別に偉いわけでもないし、工夫をしないと地球の生活は楽にはならない。

下降オクターブ型意識の人が、自分の肉体や生活をうまく回しながら楽しくつつながなく人間をやっていくのか。どこを意識し、なにを捨てるか。土星的な枠、エッセンスを意識しながら、意識の重心の置き場所をさがしてきめ、思考感情肉体の三分節を自分なりに調和させながら生きないとこの先ますます他人に翻弄されやすくなる。


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人間としてどう生きていくかの経済的なヒント

2020-12-16 22:54:11 | お金と成功と精神世界

数年前に買った本をひさしぶりに引っ張り出しだ。

ビジネスゲームから自由になる法

人間を「肉体的な経験をするスピリチュアルな存在」と定義している。

人間ゲームのなかのひとつ、ビジネスゲーム。つまり経済。家計。今までの人間的常識のうえで行っていたビジネスゲームを、自分が自由意志を発揮し、あたらしく創造する。ルールなども自分次第な「新ビジネスゲーム」に移行するための方法や、それを実行するとどういうことが起きるのかを書いている。

下降オクターブ型人間、恒星意識などの人間なら「自分は創造者」という感覚は当たり前に感じていると思うが、どうやって人間世界とすりあわせて経済的に楽に生きるかのヒントになると思う。


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「私」の定義と、ルーツとか大元の存在世界とか

2020-12-15 00:05:32 | 非物質的な知覚

ホオポノポノをやっていたら、胸だかハートだかのチャクラだかゲートだかが急にひらき、自分のメインガイドというかルーツの大元がいる世界とのつながりができた。

本来はこことは直接つながれなさそうなので、恒星とか色々経由し、人間のわかる範囲で情報量をおとしてエッセンスだけ残してというかんじの通信。もちろん肉体のある私が受け取っているから歪んでいると言うか、本来の情報量ではもちろんない。必要最低なことだけいうと、その世界と通信できるようになったこと。これが肝心らしい。

その世界では、私のメインガイドはやはり悪魔のようなかんじ。簡単に言うとルシファーみたいな。羽が8枚だか16枚だかある天使のような黒いシルエット。というか人間が認知できる世界ではないから、多分無理矢理認識しようとしたら化け物にしかみえないのかな、という感じ。まあそんなんだから、私の大元だかルーツというのは誤解されやすいと言うか、この世界では悪魔、悪役、堕天、怪物みたいな認識で固まってそう。そんなんだから、私のメインガイドの一側面は光の存在としてもいくつかアヴァターがいるかんじ。二極化するからある意味当然か。

で、その拡大した近くのなかで「ああ、これが全てが私という感覚なんだな」というのを味わった。いまは肉体をベース(基地)にした「私」を物質世界で構築していて、寝ていずに起きている状態の「私」だが、本来の私と言うか、物質的地球から遠く離れたところに存在する私は、かなり多くの概念というか多くの領域・次元・世界を含有していて、すべてが私という感覚。これでは人間の言語ではちょっと伝えづらいなという感じ。まあこれがいわゆる「愛」の状態かも。目にみえるもの全てが私。

これを経験すると、普通の人間がいう愛というものが、いかに欲得感情をベースにしたものなのかというのがわかる。でもそれが悪いわけではない。OSHOもいってるけど、そこから出発すればいいだけの話。


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クリーニングツールをどう使うか

2020-12-13 15:34:13 | お金と成功と精神世界

ホ・オポノポノライフという本を読み返した。

ごめんなさい、ありがとうなどの言葉で自分自身の潜在意識(ウニヒピリ)をクリーニングしましょうという内容。簡潔にいうと、自分や対象なる事物・概念についていて、今の自分には合っていないエネルギーや情報を浄化して本来の自分や本質、ルーツからエネルギーや情報をスムーズにおろしてくる手法だと思う。

クリーニングというと「汚いものを綺麗にする」という定義になり、なんか今の自分には違和感あるけど。

で、私の場合このツールを「ゆるす」という言葉にするとしっくりくる。許す、赦す。自分自身が、人間の常識から逸脱して、楽に簡単にイージーモードで人間生活をやることを許していなかったのかもしれない。

お金に対して「ゆるす」といってみたら、昔からちょいちょい出てくるイタリアの過去生がでてきた。イタリアのヴェネツィアあたりのそこそこ裕福な商家の三男坊だか四男坊だか。小金をもっていて、好きな歌姫のパトロンまがいなこともしていたけど、実家の党首争いというか財産争いで上のお兄さん?だかに毒殺されたような。いつもヘラヘラしているけど、実は中身は賢くてさとっていて、自分がいつか殺されることもどこかで分かっていたような。だから自分の家から小金をひきだして貧しい人や成功していない人の家計の足しになるように、そこそこお金を使っていたかんじ。

大金を持っていると使いこなせない、面倒だというのはここから影響がきていて、でもまたヘラヘラした顔で「でももう、君なら大丈夫でしょう」という感じで話してきた。


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人間をやっている理由

2020-12-09 22:30:19 | 非物質的な知覚

昨日あたり、人間業をやめるかやめないか割合シリアスな話をしていた。まあ止めてもいいんだけどと思いつつ、いま意図していることが現実化される世界を見てみたいという気もあり、寿命までは人間を踏ん張ってやろう。とりあえずでも、なんとかやろうという結論になった。そのせいか、私のルーツというか大元の世界の一端がすこし開示された。

すごく大雑把にいうと、私は探査機のはやぶさみたいなもので、大元の世界から地球だか人間を探査しにきた。で、地球にいて人間をするだけでいい。いてなにかするだけで快挙。人間の善悪や幸不幸は関係ない。そんなものをそもそも知らない、評価基準をもっていない世界だから。その大元の世界はとても遠くてここから知覚することはたぶん無理。無だか無限だかを二つ三つこえていったような世界。この宇宙で縁のある恒星は、その世界への中継地点でしかない。

わたしがなぜ地球にいるのか?という理由をきちんと知ろうとおもったら、宇宙だか星の歴史2−3個分の情報がみっちり見えた。まあ色々と理由があるらしい。それを地球という自分に制限のある状態で情報を受け取り、解凍し、分析し、納得するだけで一生かかるし、それで人生おわりそう。だったらそういうのは死んでからでいいか。とりあえずいまは人間として幸せなほうで地球で生きるほうがいい。

はやぶさは着陸しただけで喝采をあびる。私もたぶんそんな感じっぽい。だから人間として役立たずでも、寝て起きて呼吸してご飯食べて寝る生活でも地球上で人間をやっているだけで大元の存在的には快挙、万々歳っぽい。


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細かく決める

2020-12-08 13:36:15 | 非物質的な知覚

さいきん、色々と意図を細かく決めたほうがいいらしい。

健康についても細かく意図したほうがいいらしく、食べ物のこととか色々どういう方法で決めていくか、健康とは自分にとってどういう状態かなどを改めて考える。

これまであまり細かく意図することは避けていたのに、細かい意図を求められてくるということは余計な意図をしていると宜しくないということかな。


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私の場合の人間のテーマ

2020-12-03 00:12:33 | 恒星探索

私の場合、人間をやる上での一つのテーマというか仕事が「人間でありながら恒星意識とリンクして、非物質の情報を物質世界におろしてくる」というもの。らしい。

今日自転車のっているときにそう言われたんだけど、まあそうだよなーというジオのホロスコープなので、はあそうですか。みたいな。

そのせいで人生の前半は苦しかったんだけど?と怒ると申し訳ない的な雰囲気が。

人間と非物質を両立させないといけないので、そのためには人間社会もある程度経験してないといけない。で、ある程度の年齢にスタートさせるために結構詰め込まれた感はある。

今後は人生イージーモードでいきながらそれをやると意図しているので、もう人間的苦労はしょいこまない。

 


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