ひさしぶりにマタイ受難曲を聞く。youtubeにあるカールリヒター(1958)版。マタイの最初の10分はいつも鳥肌ものなのだが、今日はまた感覚がちがった。天、上からの意思というか光線が自分にすみずみまで降り注ぎ染み込む。肉体の毛細血管にまで。という感覚。
1回聞いてけっこうグッタリしてしまったのだが、そのあと唐突に「自分は安定を拒否していた」ということに気づく。
安定=不自由 という図式が頭の中にできていたということ。
安定するということは、お金や健康や感情や精神や時間に余裕をもつことを含んでいる。で、「安定」すると「自分の人生が不自由になる、閉じ込められる」というイメージを持っていた。だから、安定せずにスリルを味わうようなギリギリの状態に身を置くことが癖になっていた。
これはなぜかというと、ひとつに親のいう安定は、私にとっては「つまらなく不自由な人生」であったから。それと、世間とか周囲からすりこまれたことがあわせって、結果的に「自由であるためには、いつもギリギリな状態でなければならない」という固定概念ができあがっていた。
で、スリルを求めるのに、経済的なスリルはいらないし、心身のバランスを崩すようなギリギリの状態にいる必要もないし、そういうスリルもいらない。
安定と、自由は両立できる。スリルを味わいたいなら、違う種類のスリルを味わえば良い。
大金持ちになって、いわゆる富裕層といわれるような経済的な自立・自由な状態になりながら、すべてにおいて自由であるということは両立できる。物理的、経済的、肉体的、心理的安定と、自由は両立できる。
安定しながら、自分がいままで経済的なことを理由に躊躇していたことを、もっと深く掘り進めたり挑戦すればよい。そもそも「富裕層的な立ち位置」自体が未知の経験なら、それを経験するとどうなるかはやってみたいし面白そう。
安定しながら、違うことでスリルを味わえばいい。スリルを味わうのに、物質的生活を不安定にする必要性はない。バンジージャンプでもハングライダーでも絶叫マシンでもスリルを味わえるし、自分はそういうのは好きだ。
それに、スリルとか「ドキドキする刺激」が欲しいなら、何かを創り出すとか、自分と波長があう人間と新しく何かを経験するとか、そちらのほうがずっと良い。関係する人間にとって、新しい、面白い発見。それが自分の人生をさらに押し上げるもの。そういうスリルというか刺激というかドキドキの方がいい。
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マタイ受難曲は松村潔がH12を増やすのに良いといっていた。H12は神話意識、太陽。H6が恒星。H12は受け取るほう。霊能者、チャネラー、巫女、神官。神託を授かる方だが、授かるだけの器がないと授かれない。音楽、聴覚はそれを育てるのにとてもよい。