さいきん梅花心易を入り口に、なにかできないかと考えている。
占術は、魔術だ。魔法だ。
自分が森羅万象の法則を、どう規定してどういう反応、回答を得るかを規定する。
それを積み上げ組み立てる。それは魔術であり占いであり占術である。
で、そこにはそのひとの意図が含まれる。
いわば切り口だ。
どういう体系にも創始者がおり、その創始者がどういう目線、どういう切り口で、どう知識や物質を扱うか。
それが全てなのでは。
松村潔が過去に著書なりブログなりで言及している体系の創始者とえいば、たとえば合気道とか頭蓋仙骨療法とか。
それらの創始者は、各自の思想の枠組みのなかで、人に接し、教えた。
その教えというのは、その創始者の枠組みや体系に準拠するが、別にその教え自体が教えた人間の自由、思考や思想の自由を阻まなければそれはそんなに問題ならない。
で、つまりこれは、魔術であると言える。
体系的な思想、優れた創始者は、非物質的な天啓であるとか道とか声を聞く。それを、その創始者なりに地上に展開させる。
その魔術を信じられるのなら、そこに身を寄せればいい。
宗教とどう違うのか?人によっては違いはわからないだろう。
しかし、真の体系創始者は度をすぎた経済的要求はしないだろう。それがひどく味気なくつまらないか知っているから。
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森羅万象、全ての事象をどう区切るか?
それは人による。
それが創造行為なのだ。
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BGM