悪女の探索続き。
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「戻った」と、さきほどの悪魔のもとへ。
えーっと、何の話をしていたっけ。
「悪女だ。悪女とはなにを指すか?ということだ」
そうだ。
もう『悪女(わる)』はでばってこない。
「痴人の愛のナオミみたいな。
そこまでいかないけど、小悪魔とかコケティッシュとか。
あざといとか、そういう女性・・・まあ男性も含めるか。
そういう存在についての話を聞きたい」
「話を聞くもなにも、それは人間が選択してやっていることだからな。
別に話すことなどないぞ」
あれ?そうなの?
「悪女、小悪魔、コケティッシュ、あざとい。
本質だろうが天然だろうが小賢しかろうが策略だろうが
それをそうして演じている。もしくはそうなっている。
ただそれだけの話しだ。
意図し、そうやっている。
お前の面白い話なぞあるか?」
まあ、ないね。
「むしろ、お前のように
悪女やああいう存在を無意識的に悪とし
抑圧したり見ないふりをするほうが問題だろうな。
人間的に言えば」
そうだよね。
抑圧なんて、人間だから多少はあるし別に構わないけど。
「痴人の愛のナオミは、ナオミズムという言葉も生み出したけど」
そこの領域に意識をむけると、男性の猛烈な「困る」という感情がなだれ込む。
女に振り回される。
女の自由にされる。
女なんかに。そういう感情。
谷崎潤一郎の意図したものとは違う気がするけど、まあそうだよな。
世間の男性は、あれがでたとき困っただろう。
自由奔放な美しい女性。
そんなのいたら、自分が実際に堕落する。
だから「困る」といって女性を攻撃したような意識状態。
ナオミは自由奔放だけではなく、天性のたらしというか。
男を取り込む術を知っている。
「全ての人間に、そういう側面はある。
それを表にだすかださないか。
それはその人間の好みだが
表にださないことと、抑圧は別だからな。
まあお前の言い分を借りると、自分のなかの
ナオミたる部分を認め、許し、開放すればいいのではないか?」
まったくつまらない、という雰囲気で悪魔が言う。
「そうだね」
自分も、自分のなかのナオミ部分を開放する、と宣言する。
「悪魔的に、面白い話ってなに?」
「それはもちろん、人間を誘惑し堕落し蹂躙し、感情の抵抗のるつぼに突き落としてやることよ」
ふーん、怖いね。
「怖い、なぞ思ってないだろうお前は」
ギロリと見る。
「よくいうよ」と、私の背後にいるガイドたちを見て言う。
「はぁ、私と話をするのなら生贄の2−3は持ってくるものだぞ?普通の人間は」
「いえ、私そういうのはやってませんから」
「意図が固まった人間はやっかいで旨味がない」
「また何かあったらよろしく」