さいきんヘミシンクのゲートウェイ:F12入門をよく聞く。なぜか聞く。
なぜ聞くんだろう?と思っていたら理由がわかった。この音楽を聞いていると色々発見がある。
たとえば「恥」について。他の音楽を聞いているときは、もっとフォーカスレベルが高いところに意識がいっているときに気づいたことは、すぐに解消される。
でもこのF10-F12に縛り付けられているようなときに「恥」について考えていると、なかなか解消されない。
たぶんそれは、肉体や感情、もしくは両方にまたがる見えないところに染み付いた「恥」についての感情が強固な枠組みとして残っていたから。
この恥に対するフィルタの由来について意識をむけると、ぼんやり母親の顔が思い浮かぶ。
たぶん母親だけではないけど、母を中心にした周囲のおとなによって、おうし座の月的感覚である幼少時に形成されたのかなと思う。
その「恥」のフィルターが幼少時のエネルギーや感情や肉体に混ざってとけこんで一体化して固着したかんじ。
そして恥というのは「人目」を気にするからこそなりたつ感情で、人目をきにしなければなりたたない。
人目が神にすりかわると「罪」という感情になるのだろうけど。
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コトバンクの「罪」というページにある文章はとても興味深くおもしろい。