バーバパパ氏の音は懐かしい。
少し前から、あまり非物質の存在と繋がりを得なくなった。
得るとバランスを崩すという確信しかない状態。
で、これはなんなのか?と思っていたら、いま私はパソコンでいうスタンドアロン状態のほうがいいらしい。つながると、逆にそちら側の影響をうける。
スタンドアロンでも、しばらくは困らないくらい情報量などは得ているし、一瞬向こう側とのネットワークを回復させるくらいは問題ない。
いまは物質世界に“ひきこもる”くらいのほうがちょうど良い、らしい。
生年月日から算出する占い方で、今年の運気がどうとか、来年の運気がどうだからこうしなさい、ああしなさいという人がいる。
そういう占いは、人は運気に翻弄され左右されるから、自分がどう変化してその運気・運勢すらも踏破するのかという視点がない。
肉体をもっているから、そういう外部要因の波、時勢というのは確かに知る必要スムーズだ。しかし、それの奴隷になってはいけない。
奴隷にならない方法は、いくらでもあるのだが、案外皆それを知らないし追求しない。
個人的に、西洋占星術は生命の樹に含まれると思う。
西洋占星術で全てを補完しようとすればするほど、歪みがひどくなる気がする。
広角レンズの歪みのように。
全惑星意識、つまり全てのホロスコープの惑星の偏りをなくす、それを認識しているような状態までは西洋占星術で、そこからさきは生命の樹を使ったほうが容易いのではと思う。
全惑星意識への到達というのも、なかなか気のながい話。
松村潔は、確かそれをプロフェッショナルの意識といっていたような。
人間全員、何かのプロとしての流儀や意識をもっていれば色々住みやすくなりそう。
プロは、他人の瑣末なことに関心を示さないし口をださない。
他人の足を引っ張ることよりも、自分が高みにのぼることを目指すのでは。
自分の未来を創る、といっても、それは実現不可能なことや荒唐無稽なことではない。
西洋占星術でいえば、まず生年月日などからホロスコープ(出生図)を作成する。
そこに、自分の得意不得意、陥りやすい失敗、囚われなどが載っている。
偏り、過剰や過少も。
それを見て、過不足なく自分の才能を引き出し生かし、短所と捉えていたところをどう有効に扱うかを知って活用すればいい。
自分でも知らなかった未来の可能性がそこに描かれている。
そこから、自分の手で新しい未来を創れることを知って行動すればいいだけ。
占いは、未来を作り出す道具。
当たる、当たらないを占う手法もあるけれども、私は、自分が想像しえなかった未来を創造するために、占いはもたらされたのだと思う。
ただ、占いの手法によったり、行う人間の思考や人格によって、占いでもたらされる結果はまちまちなもの。
占う人の信念体系、囚われ、こだわり、頑なさが反映されやすい。
常識や、人間の集団無意識に同調した思考の場合、横のつながりが強すぎる場合は、他人の思考や感情に影響された結果しか読めない。
もちろん、人間の社会というものはある程度のルールやパターンというものがある。踏襲した方がいいこと、定法、型というものがある。
ただ、その人の可能性や潜在的な能力というものは「横」のつながりによってへし折られることが多い。特にこの日本では。
横とのつながりは、自分の思考や性質にみあった「横」ならいいが、そうではない横のつながりを人を潰す。
縦に振り切れる人はいいが、横とのつながりを程よく保ちながら、どう自分の未来を開発するのか、創るのか。それには占い、特に西洋占星術(ホロスコープ)は適しているように思える。
占いを今後はもっとしてみようかなと思う。
いまは西洋占星術だけではなく、周易やタロットや生命の樹をくみあわせてやっている。あとはそのときにあわせてオラクルカードも。
西洋占星術だけで足りる気もするが、短期的な外部状況への対応は、易なりカードなりをつかったほうがやりやすい。
占星術が縦、易などが横。縦と横の比率を考えながら、人生をのりきる。
これまで数千年、人間は占いで国家安泰を考えてきた。いまは個人の人生の安泰を考える時期。
占いは、やり方によっては非常に強力なツール。もちろん占い師は色々いるし玉石混交だ。だが、それはどの業界でも、どこにいっても同じ。