梅谷献二先生から送っていただいた世界中の虫モチーフの工芸品を蒐めた「梅谷コレクション」の絵葉書。</</fontfont>
「今年も坂越の妙道寺で虫供養が行われました」
と、赤穂のアース製薬の有吉立さんからお便りが。
アース製薬では毎年12月の半ば過ぎに、実験に役立ってくれた虫に感謝を捧げる「虫供養」を行っているそうです。
この話を、カメムシの先生たちの忘年会ですると、虫の研究をしている施設ではたいてい何らかの形で行われているとのこと。
するとT先生が、「お坊さんがなぜ頭を坊主にしているか、知っていますか?」と。
は?
虫供養とお坊さんの坊主頭に関係が???
「髪の毛を長くしておくと、シラミがわくでしょう。そうするとかゆいからシラミを殺さなければならない。だから坊主頭は殺生をしないためのものなのです」
博覧強記のT先生はいたって真面目なお顔でそう言われました。
えっ!「ホンマでっか?」
「それからお坊さんの袈裟には、虫が寄らないように植物からとった液を染み込ませてあるし、
お祓いをするのも、虫が寄ると殺さなければならないから、それをよけるためなんですね」
……殺生を戒める仏教とはいえ、お坊さんの出で立ちや所作が、そこまで虫のことを考えてのことだとは。
ホ、ホント?
「日本人は、昔から虫を大切にしてきたんですなあ。ただこの話はある人からの受け売りです。宗教のことなんかも研究している人で、もっと詳しく知りたければ、行って話をきいていらっしゃい」
は、はい……。
「あのう……仏教ってインドが起源ですよね、そうすると……インド人も日本人同様、虫の命のことを大切にする考えをもっているってことでしょうか?」と私。
「そうですねえ、それは私にはわかりませんが、どうなんでしょう、知りたいですねぇ。
虫塚っていうのもありますよ。殺した虫の慰霊碑です。アイヌの人たちが大量に発生したバッタを成敗して、その死骸を土に埋めたのがはじまりとか」とT先生。
「虫送り」っていうのもありますよね、とおききすると、
「あれは主に稲につくウンカに出て行ってもらうための行事で、平家のために戦った斎藤実盛が悪霊となり虫に乗り移ったといわれ、武士の姿をして戦わせる所もありますが、現在も各地でいろいろに形を変えて行われている行事ですね」。
「虫退治、じゃなくて虫送り、という表現が奥ゆかしくていいですね」と私。
「虫送り」(Wikiから引用)
「稲などにつく病害虫を追い払うための儀礼。村単位で行われる重要な共同祈願の一つである。農薬などの有効な防除法をもたない時代には,各地の農村で盛んに行われた。虫害は古くは悪霊のしわざと考えられ,全国的にほぼ共通した形式の呪法が伝えられている。虫の霊をわら人形などの形代(かたしろ)に移し,これを中心にたいまつをともし,鉦(かね)や太鼓ではやしながら耕地をめぐって村境まで送り,まつりすてる。人形には苞(つと)に入れた食物を持たせたり,害虫を葉に包んで付けるのが一般的である」
帰ってきてから「お坊さんが坊主頭の理由」で検索してみると、「手入れの手間がいらないので修行に専念できる」、とか「清潔に保ちやすいから」という現役のお坊さんたちからの説明はあるものの、シラミの殺生回避に言及しているのはなかった。現代のお坊さんたちは、自分が坊主頭であるそもそもの理由をもう知らないのだろう。
食草が十分でなかったり、蛹を羽化させられなかったり、親虫から卵を横取りしたり、飼育に失敗して心ならずも虫を殺してしまったことも多い。虫供養をしないまでも、心のなかで手を合わせている。ふだんは「虫きらい!」という人が大部分の日本人の心の奥底には、「虫送り」「虫供養」「虫塚」といった言葉や行事から見える、虫を殺すこと-殺生-への深い罪悪感と畏れの気持ちがけっこうどっしりとあるのだなあ。
一昨日のこと。分厚い書類の入った郵便が届きました。
先日、来年の『このは』誌(文一総合出版刊)連載のために、取材インタビューをお願いした梅谷献二先生が、取材依頼ご快諾のお便りとともに、梅谷コレコクションとして名高い虫の工芸品のコレクションの絵葉書、朝日新聞科学欄に連載していらした「変わる虫」、その他寄稿された雑誌のコピー、そしてご著書『虫の民族誌』(1986年築地書館刊)を送ってくださった!
梅谷献二(うめやけんじ)先生は、北海道大学大学院農学研究科(博士課程)を卒業後、農林水産省で植物防疫、各試験研究機関を歴任され、専門書から一般向けまで、虫関連の著書・共著書が80冊以上という、雲の上の方。
私はご著書『虫の博物誌』『虫けら賛歌』『虫のはなし・~』などを読んで以来、密かにファンに。
来年の雑誌連載案でインタビューの企画が通ったのだ~。
お正月にゆっくり読んでインタビューの準備をしよう、と思っていたけれど、ちょっとページをめくると面白くて面白くて、やめられなくなってしまった。
冒頭の1篇『クモと宝石』は、宝石展を企画したあるデパートが、高額な宝石を盗難から守るために考え出した奇想天外なアイディアに梅谷先生が巻き込まれた話。
なんと!このデパートは展示する宝石のケースのなかに、毒蜘蛛として名高いタランチュラ(実はネズミ1匹殺す毒ももっていないのだけれど)を放ち、宝石を泥棒から守ろう、というのだから、これが実行に移されたことにまずびっくり仰天。
しかし、毒蜘蛛入手を手配したのはいいけれど、もちろんクモなど扱ったことのないデパートの担当者はここに至ってハタと困惑し、梅谷先生に泣きついてきた。会期中なにを餌にやったらいいのか、終了後はどうやってクモを処分したらいいのか……この話の顛末は?
興味のある人はぜひ『虫の民族誌』で読んでください。
しかし、梅谷先生の文章は読むほどに
「むずかしいことをやさしく,
やさしいことをふかく,
ふかいことをおもしろく,
おもしろいことをまじめに,
まじめなことをゆかいに,
ゆかいなことをいっそうゆかいに」
という井上ひさしさんの名言を体現した名文。
この虫界の、稀代の書き手のインタビューを、私はちゃんと伝えることができるのだろうか―
ああ、今から激しいプレッシャー。
このエントリータイトルの最後にある「虫迎え」というのは、春が待ち遠しい私が勝手につくった言葉。
啓蟄よりもうちょっと後、ほんとうに虫が出てくるのが実感できる4月ごろかな。
梅谷先生にお会いするのも、そのころになりそうだ。
今年もたくさんの虫と人に会うことができた年でした。
来年も、どうぞよろしく!
みなさま、良いお年をお迎えください。