ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

美味しい料理と
美味しい酒を求めて
日本を、世界をさまよう
チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

目黒区 ダイエー碑文谷店

2016-02-27 11:29:26 | 国内旅行
ダイエー碑文谷(ひもんや)店
全国のダイエーの中でも
最も売り上げていた旗艦店の1つ
全盛期には年間200億円以上を
売り上げていたそうです


目黒の住宅街

ダイエー碑文谷店の所在地は
東京都目黒区碑文谷四丁目
東急東横線 学芸大学駅から徒歩8分
目黒の高級住宅街に囲まれた場所です

開業当時のダイエー碑文谷店
(ダイエー碑文谷店に掲示されていた写真)


現在のダイエー碑文谷店

開業は1975年(昭和50年)4月1日
今年で開業41周年を迎えます
目黒通り(都道312号線)沿いにあり
通過する車は高級車ばかり

開業当初はダイエー碑文谷ショッパーズプラザ
(ダイエー碑文谷店に掲示されていた写真)


現在はダイエー碑文谷店


開業当時は初代ロゴマーク
(ダイエー碑文谷店に掲示されていた写真)

初代ロゴマークは1962年に公募で選ばれたそうです
Dをモチーフにしたデザインの中央に小さなSが配置されています
Sはダイエー創業時の名称『主婦の店』のSの他
ShopやStoreのSの意味を含まれているそうです

オレンジ色の丸の左下が欠けた2代目マークが制定されたのは
1975年10月だったので、同じ年の4月にオープンした碑文谷店で
このマークが使われていたのは短い期間だけだったのでしょう

現在の3代目ロゴマーク

現在のマークは2005年10月に発表されました
産業再生機構の支援を受け、新体制がスタートした年です
またこの年に創業者の中内功氏も亡くなりました

開業当時の外観
(ダイエー碑文谷店に掲示されていた写真)

地上7階地下1階の当時としては超大型の店舗
付近には高級車のディーラーが多く建ち並ぶ高級住宅街です
また近くには1985年に松田聖子さんが挙式を行った
サレジオ教会もあり『日本一芸能人に会えるスーパーマーケット』
と呼ばれていました

現在の外観

当時の伊藤忠の看板はヤナセに変わっています

今も残る大規模小売店舗の看板

設置者は株式会社ダイエーではなく株式会社横井産業
このビルの所有はあの横井英樹氏(ホテルニュージャパン)だったのです
もともとダイエーの為に建設をされたわけではなく
当初は世界最大級のボウリング場『トーヨーボール』が建設される予定でした
しかし、建設途中にボウリングブームが終焉を迎え計画は変更に
その時関東出店計画のさなかだったダイエーが建物を借りる事になったのです

ボウリング場になるはずだった建物

東京都大田区池上にあったトーヨーボール池上も
ガラス張りの壁面でこの建物と外観が良く似ています
池上のトーヨーボールは1968年(昭和43年)に開業
当時は260レーン以上を持つ世界最大級のボウリング場としてオープン
しかしその後ボウリングブームが減少するとともに規模も大幅減少
1フロア28レーンのみで営業していましたが2008年に閉鎖
2011年に解体されてしまいました
こちらはダイエーが借りたことで今もこのように雄姿を見ることが出来ています

ダイエー店舗入り口

入口は花屋さんでたくさんの花に囲まれています

降り口と乗り口が離れたエスカレータ

デパートやスーパーではあまり見かけない作りのエスカレータ
ボウリング場として建設された名残でしょうか

階段のデザインも特殊です


デパートのようなショーウインドー


屋内駐車場の入口

目黒通りから車でダイレクトに入ることが可能です

地下駐車場内部

周辺の屋外駐車場と合わせると合計600台の収容が可能です

向かいにあるダイエー碑文谷店別館

1998年(平成10年)5月にオープンした別館は
当初はスポーツ専門店「スポーツギャラリー碑文谷」でした

現在の別館入居店舗の案内

ダイエーのサイクル館をはじめ
ABC-MART等のテナントが入居しています

サイクル館の入り口にある『モッくん』の自転車用空気入れ

『モッくん』はダイエー『木曜の市』のキャラクター
樹齢7歳くらいの元気いっぱいの男の子です
ダイエーは毎週木曜日にお得なセール『木曜の市』を開催しており
店内のお買い得品の目印としてこの『モッくん』が現れます
また店内全館に『ダイエー・モッくんの歌』がエンドレスで流れるので
この曲を聞くとしばらく頭から抜けません

今日はこの後ダイエー碑文谷店の内部に入ります


最新の画像もっと見る