6月14日(月)、新潟県上越市の郵便局訪問を終え、高田駅から翌日、15日(火)の長野県長野市の郵便局訪問のため、信越本線の列車に乗りました。新井駅を過ぎ、二本松駅に向かっていたところ、列車が止まりました。信号待ちかなと思いました。しばらくすると、列車は今までと逆の方向に動き始めました。それもかなりの速度です。びっくりしました。そして、二本松駅のアナウンスが。スイッチバックだ!と気づきました。
二本松駅は、日本でも数少ないスイッチバックが採用された駅なのだそうです。このような駅は生まれて初めてでした。
長野県も長野市も生まれて初めて訪れる地です。
15日(火)は、天気のほど良い中、次の34局を訪問することができました。
上駒沢簡易、徳間簡易、若槻、若槻団地簡易、北部簡易、浅川、上松簡易、宇木簡易、長野吉田一、長野吉田、長野相ノ木、長野淀ヶ橋、長野箱清水、長野桜枝、新諏訪簡易、長野旭、善光寺、長野権堂、長野鶴賀、長野緑町、長野居町簡易、長野緑、長野駅前、長野中央、長野県庁内、小柴見簡易、安茂里、伊勢宮簡易、九反簡易、長野中御所、メルパルク長野、長野七瀬、長野栗田
トップの写真は3500局目となった、善光寺郵便局です。何やら由緒ありそうな古い建物に設置されています。ポストは赤丸ポストです。
長野市は善光寺の門前町です。そして、善光寺本堂は国宝です。
善光寺本堂は宝永4年(1707年)に建築されたそうです。間口約24m、奥行約54m、高さ約26mの撞木造りの建物なのたそうです。本堂には一光三尊阿弥陀如来が奉られています。
この日も多くの参拝客、観光客の方が訪れていました。下の写真は重要文化財の山門です。
善光寺山門は、本堂より少し新しく、寛永2年(1750年)に建築されたものだそうです。
長野吉田郵便局から長野相ノ木郵便局へ向かう道で、北国街道の案内を発見しました。下の写真です。
あれ?福井にも北国街道があったぞと思い出しました。数本の道が北国街道と呼ばれたようです。中仙道から琵琶湖東岸を抜け、南越後町の北陸街道に通ずるもの(福井市で発見したものです)や、この中仙道追分宿から、北陸街道高田宿まで通ずる道はともに北国街道と呼ばれたようです。佐渡の金は北陸街道から、この道を経由し、中仙道で江戸に運ばれたそうです。加賀藩も参勤交代にはこの道を利用したそうです。
けっして美しくはないが、愛着のある風景に出会いました。
かなり、懐かしい感じのする飲み屋街です。こうした飲み屋街の風景、そこにひとときの安らぎがあり、人の生活が感じられ、私は好きです。もちろん酒も好きです。
二本松駅は、日本でも数少ないスイッチバックが採用された駅なのだそうです。このような駅は生まれて初めてでした。
長野県も長野市も生まれて初めて訪れる地です。
15日(火)は、天気のほど良い中、次の34局を訪問することができました。
上駒沢簡易、徳間簡易、若槻、若槻団地簡易、北部簡易、浅川、上松簡易、宇木簡易、長野吉田一、長野吉田、長野相ノ木、長野淀ヶ橋、長野箱清水、長野桜枝、新諏訪簡易、長野旭、善光寺、長野権堂、長野鶴賀、長野緑町、長野居町簡易、長野緑、長野駅前、長野中央、長野県庁内、小柴見簡易、安茂里、伊勢宮簡易、九反簡易、長野中御所、メルパルク長野、長野七瀬、長野栗田
トップの写真は3500局目となった、善光寺郵便局です。何やら由緒ありそうな古い建物に設置されています。ポストは赤丸ポストです。
長野市は善光寺の門前町です。そして、善光寺本堂は国宝です。
善光寺本堂は宝永4年(1707年)に建築されたそうです。間口約24m、奥行約54m、高さ約26mの撞木造りの建物なのたそうです。本堂には一光三尊阿弥陀如来が奉られています。
この日も多くの参拝客、観光客の方が訪れていました。下の写真は重要文化財の山門です。
善光寺山門は、本堂より少し新しく、寛永2年(1750年)に建築されたものだそうです。
長野吉田郵便局から長野相ノ木郵便局へ向かう道で、北国街道の案内を発見しました。下の写真です。
あれ?福井にも北国街道があったぞと思い出しました。数本の道が北国街道と呼ばれたようです。中仙道から琵琶湖東岸を抜け、南越後町の北陸街道に通ずるもの(福井市で発見したものです)や、この中仙道追分宿から、北陸街道高田宿まで通ずる道はともに北国街道と呼ばれたようです。佐渡の金は北陸街道から、この道を経由し、中仙道で江戸に運ばれたそうです。加賀藩も参勤交代にはこの道を利用したそうです。
けっして美しくはないが、愛着のある風景に出会いました。
かなり、懐かしい感じのする飲み屋街です。こうした飲み屋街の風景、そこにひとときの安らぎがあり、人の生活が感じられ、私は好きです。もちろん酒も好きです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます