しなしなの記録

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三重県郵便局訪問 NO.5 伊勢市 この日は時々、激しい雨と風になり、私は雨宿りを余儀なくされましたが、予定よりすくないものの伊勢市内を歩き切りました

2020-10-04 14:16:22 | Weblog
 9月7日(月)は、5回目となる三重県の郵便局訪問でした。今回は伊勢市の郵便局が対象です。訪問したのは、次の15局です。

 伊勢大湊、伊勢神社、伊勢御薗長屋、伊勢船江、伊勢浜郷、伊勢河崎、伊勢一之木、御薗、伊勢辻久留、伊勢筋向橋、伊勢外宮前、伊勢御木本通、五十鈴川、伊勢古市、伊勢


 この日は、ホテル前のバス停留場から大湊へのバスに乗りましたが、バス停留場の所から、激しい雨と風になってしまいました。さらに途中でも激しい雨や風に当たり、私はたびたび雨宿りを余儀なくされました。

 

 雨が弱まると歩き始めるのですが、水たまりで歩くところが無かったりします。

 

 あちこちの用水路や河川は氾濫していました。

 

 

 私の進もうと思った道が、水没してたりもして、回り道を余儀なくされました。

 

 最近は、こういう短時間の豪雨が多い気がします。

 
 二軒茶屋餅と書かれた建物が有りました。

 

 

 創業は天正年間と書かれています。1573年から1593年です。ものすごい歴史です。「二軒茶屋餅」は、餡の入った薄皮の餅にきな粉をまぶしたものだそうです。有名な「赤福」を含め、お伊勢参りの人々をもてなす道中食として、手軽に食べれて、腹持ちの良い餅が提供されるようになったのだそうです。そこから「餅街道」になったそうです。「赤福」、「二軒茶屋餅」の外、「安永餅」、「神代餅」等、多くの種類が有ります。

 それにしても、伊勢市内は「赤福」で溢れています。

 

 

 そして、こちらが伊勢神宮内宮にある赤福の本店です。

 


 筋向橋が有りました。

 

 

 この辺りで多くの街道が集まったそうです。なのでこの辺りは江戸時代はひじょうに人の多い地域だったそうです。
 筋向橋ですが、元々はお太鼓の橋でした。1915年(大正4年)に平らな橋になり、1928年(昭和3年)に鉄筋コンクリートの橋になったそうです。1970年(昭和45年)には、橋の架かっていた清川が暗渠化されてしまいます。それで2枚上の写真のような状況になっているそうです。


 伊勢神宮外宮の前です。

 

 そして御木本通を歩いて、私は伊勢神宮内宮に近づきます。そこに、トップの写真の五十鈴川郵便局が有ります。おはらい町の街並みに合わせた庁舎になっています。ここのポストは1871年(明治4年)に設置された黒いポストとなっています。

 

 「おかげ通り」の招き猫を見ました。

 

 そして、先ほどの赤福本店で一休みした後、私は、今度は伊勢市内の方に歩き出しました。 
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