長崎の観光として選んだ、出島。現在は1996年(平成8年)から行われた本格的な復元工事は終わったようです。
通りに面して、復元された建物が並びます。
出島が築かれたのは、1636年(寛永13年)です。キリスト教の布教を阻止するため、長崎市内に雑居していたポルトガル人を収容するためだったそうです。出島のような海中に島を造る土木工事を誰が設計したのか、どのように行われたか等は不明だそうです。その後、島原の乱1637年(寛永14年)が有り、ポルトガル人は追放されてしまいました。無人の島に1641年(寛永18年)、平戸からオランダ商館が移り、鎖国の江戸幕府に有って、この出島だけが貿易の窓口になり続けました。
銅蔵では、火を起こした跡が見つかっています。銅は、主要な輸出品で有り、何らかの検品のためだったようです。
オランダ商館長はカピタンとよばれていたそうです。英語のキャプテンでしょうか。その住まいも復元されています。出島で最も大きな建物だったそうです。
三番蔵は主に当時は、輸入品だった砂糖の倉庫として使われていたそうです。
砂糖は長崎街道を通り、全国に行きました。カステラ、金平糖などの加工品も同様だったようです。
日本からは、有田焼等の工芸品も輸出されたようです。
珍しい陶製の門が有りました。
その奥には、長崎出島のミニチュアが有りました。トップの写真です。