カンボジア日記  ゆめきの日々

カンボジアの情報と、世俗・慣習・文化
等も少し入った文章にしようとしています

ご期待の下さい

生存する事の価値

2019-02-22 09:06:23 | ゆめきの安全情報
死刑適用の日本内乱罪

国会議事堂前駅構内に、国外から外国人(南朝鮮人国籍多数)が集結し駅構内と国会周辺の道路で屯し、駅と周辺道路を混乱させ、続いて国会に対して無許可デモを敢行致しまして大騒動になりましたけど、個人的には外国人勢力による日本国内乱と判断していますが、検察と警察の認識はどうなのでしょうか?
報道は?
何より野党は?
法律では、死刑適用可能事案なはずですから徹底的に捜査して該当人物を逮捕すべきですし、外国人を目的の場所に誘導した目的を持つ居住者を一斉逮捕するのは当たり前だし難度も低いので捜査は簡単ですけど、何で着手しないのか?


外国人を目的地に誘導するには、大型バスのガイドで考えると一人で50人程度しか誘導できません。
すると、宿泊所その他の内容からは、引率可能な人数は一人で最大10-20人程度ですから、数万人も集まった内容だと数千人の日本国内居住者が段取り良く引率し大騒動を作り出したという内乱です。
日本国内居住者だけの場合には、内乱罪の適用に対しては相当の捜査が必要だと思いますが、外国人をまとめて目的に誘導しているので内乱罪適用は容易に可能なはずであり、段取り良くテレビクルーが撮影した報道の人々からも事情聴取は必要なはずですが、どうなってんのですね?

うーむ、尖閣諸島の中国法執行船を中国交船と呼称表記する日本国内報道ですから、尖閣諸島は中国の島という事を認めているとも解釈できますけど、こんな道徳なのかと思いますし、レオパレス21のように儲けが先走りました内容でも移転費用の事前支払いは後払いのようですから、レオパレスが本当に支払うのかですね?
儲けを出すために偽装という内容での話に変換されているけど、騙した会社が再度騙すというのはよくある話ですから、後払いというのは納得できないですね。

※実害の発生があって、実害が確定してから支払うという詭弁の説明ですけど、それなら引っ越し先を決定した人から引っ越し費用全額レオパレス支払いの業者をレオパレスが段取りするだけでよいはずですけど、この部分は説明なしという詭弁としか説明がつかないですね。


★最近の法解釈は、昔からの社会通念と道徳を蹴散らして解釈されているようなので、作為による医療過誤でも実害による損害賠償は患者が死なないと決定できないという変な理屈がまかり通っているようなので、医師の理屈は全てに正しいというようなものです。

電車
電車に乗りますと、異様にドア開閉時間が長く設定してありまして、暫し待たれよデス。
当然、間引きが運転が目的なので列車総数の減少による利益率確保ですから、以前のように遅れ挽回の過密ダイヤ組み込みが無いのですから、理由のある遅れダイヤは大歓迎のようなので更に電車運行取りやめで更に間引きになりますから、夜の8時過ぎでも遅れが出た日は超満員電車で疲れます(笑)

思想についていけません(笑)


更についていけない24時間営業

仕事がいくらでも転がっているぐらいの千葉県でしたが、ガソリンスタンドが1件廃業しましたので失業者が10人は出ますし、元々正規雇用社員が携わっていたので給与も応分だと思うので年間4000万円程度の総収入と予測されます。
しかも、スーパーで買い物をしている人々の総数と員数が減少していまして、千葉県の高物価は東京より今でも高価格設定です。

ただ、少しずつ変化がありまして、24時間店舗が深夜時間帯は営業を中止するようになりまして、しかも朝の開店時間が遅くなりつつあるので、深夜と早朝時間帯の営業は割に合わない時間帯となってきているようですから、私達には不明な領域では相当の問題が提起されているようです。
特に、外食産業での24時間営業が減少方向になりますから、概ね日本人が雇用された職域なので大量の失業者が出ますし、大手のメーカーも日本国内事業の清算が発表されますが、関連事業は正規雇用が少ないので規模その他は公表対象外ですから、正規雇用1万人が雇用中止になると非正規雇用は10万人程度は足されて雇用中止になる可能性がありまして、日本国内でどの程度の雇用が失われるのかですね。

それでも外国人を日本国内に導入しなければならないという理由があるのですが、真実は誰も口にしない政治の理念がありまして、自分で自分の首を絞める記述説明は私だけのようですから、用が無くなったので【死んでいいぞ】という捨てセリフを投げかけられているようで恐ろしいです。(笑)

グーグル検索では、カンボジア日記を検索すると「ゆめきの日々」4つの題名が出てきましてすごく目立つ内容でしたが、日々落ち目の三度笠のように4つから2つとなり、ひとつづつににり目だだない存在の日記になりまして、とても寂しいです(笑)

ようし、500riel 紙幣の時代別とイオンの第三店舗目に焦点を当てて、カンボジアのイオンモールが業績回復するように祈る記述をしませう。
すると、マタマタ以前のように4つに目立つグーグル検索になるかもしれませんね(笑)






カンボジアの500リエル紙幣

カンボジアでは、橋に描かれた紙幣では圧倒的に500リエル紙幣が描かれた過去がありますけれど、いつも同一の描き方ではありませんから、時代別で描くというか異なる図柄が採用されていた紙幣という事です。
紙幣発行に関して言えば、現フンセン総理の選択が1990年代でも相当影響していたと思考が可能なのですが、動乱の時代ではある程度の地位にあるものは好き勝手に生き抜く道筋を選択するのがカンボジアですし、この方法がカンボジアでは当たり前の選択ですから、大筋の方向性だけが示されて追従すれば良いというカンボジアスタイルです。
この柔軟な姿勢がフンセン政権の持ち味で今でも継続していますけれど、日本人的先進国思想では相反する姿勢なので受け入れがたい内容なのだと思いますが、郷に入ったら郷に従えの諺で思考を変化させていただきたいと思います。

日本が援助して造られた橋ですから、委細の設計図は日本の担当大手ゼネコンに残っているはずですので委細を知りたい場合にはご確認ください。

前回記述した通り、500リエル札には橋の絵柄が何度も描かれたてますけど、橋が農作業に変化したりシアヌーク港に変わったり、そして1000リエル紙幣と図柄が交換されたりして何度も紙幣の発行がされていますから、多様な紙幣の絵柄が採用された過去がありまして、一番新しい絵柄は1996年の橋が二つ描かれた紙幣です。
カンボジアの紙幣発行は、紙幣が発行される前に事前予告が行われていますから、予告が先で報道されますが市中に出回る発行はいつなのかわかりませんけど、新札には予告された絵柄の紙幣があるので、新品の紙幣でも同時に絵柄が異なる紙幣が同時で出る場合もあるので、500リエル紙幣の場合でしたら最大3種類の新品紙幣を両替店で見たことがあります。
種類
500リエル紙幣
絆橋で、欄干の大きく描かれ絆とクマエ言語で小さく表記された紙幣
スピンネル・チョロイチュワーンとネアックルンのつり橋が描かれた2つの橋が紙幣裏に左右2つの橋です。(名称忘却のため、地名だけ記載)
絆橋の欄干が小さな紙幣
注意
紙幣ですが、新旧の混在流通ですから他に多数の絵柄紙幣がありまして、農村風景の紙幣とか港の絵柄の紙幣で1000リエル紙幣の絵柄が交代で印刷されている内容の紙幣があるので、新旧紙幣では何種類も出回っています。

紙幣の絵柄には問題があります
理由
フンセン総理の外国からの援助では、日本よりも中国が先に援助しておりますので、中国はノロドム・シアヌークと国連要請の日本との狭間で援助を受け取っていたという事ですが、此処にフンセン総理も中国からの援助を受け取っていたので、中国は多様なカンボジアの勢力に対して援助をしていた過去がありまして、現政権の対処法も多様な全方位外交での援助受け取りですから、外国勢力を一度に二つ相手にしながら相反関係の中での援助受け取りという離れ業の連続です。
ですから、解釈自由な500リエル紙幣が出たのです。

スピンネル・チョロイチュワーン
橋の絵柄は、中国橋と似ているともいえるし、どちらかというと中国橋に似ている絵柄の採用ですが、橋の橋脚についていうと中国橋の橋脚数には足りなく、日本の援助した橋の橋脚数には多すぎる絵柄ですから、【あんたら好きに解釈せよ】という声がかけられているような感じですので、スピンネル・チョロイチュワーンという橋についていえば所在がどこの国を示しているのか不明です。
絆橋に関しても同様のことが解釈できましたが、私の記述説明の後に絆橋の名前が入った絵柄の紙幣が発行された過去がありますから、日本国のお偉いさんがカンボジアのお偉いさんに苦言を呈したと思考するのが妥当のようですけど、皆さまはどうお考えなのでしょうか?
特筆点
この後は、日本の援助に由来する橋では、明確に特徴が出た紙幣発行になりまして、ネアックルンにかかるつり橋では特徴の橋脚が2本だけで絵がかれていますので、交渉に相当の力を入れた方がいたという事であり、個人的には日本の国益を主張されたと信じていますので、このような人物が行政の先頭に立つべき人物と思考しますけれど、政治が認めなければ時間が来ないのですから、よくよく理不尽な物語かもしれません。



生きることの価値

私の人生で一番仲の良かった人物がいまして、彼とはよく酒を酌み交わし二人で出かけた過去が数知れずでしたが、ある時彼が私との大事な約束を守らずに連絡もしなかったので、これを契機に友人関係は解消しました。
彼の口癖は、残された人生はどのように有意義に過ごすかという事でして、自由に生きたので妻には借金を残せないという思想がありまして、この二人にはそれぞれ家を一軒ずつ贈与の形で残しました。
選んだ手段は、自殺という内容で妻に対する新築の家を生命保険で代行支払い決着でしが、私が北区から旅立っていたので彼の死も判らなかったのですが、ある時亡くなったらしいという話を数年後に聞きましたので、娘さんの家に行き確認しましたら亡くなったという話でした。

自殺という話には納得がいきまして、常に自由に生き妻に迷惑をかけたのだから借金は自己で清算するという心の持ち主で、私も同様の人生でしたので
迷惑を掛けた妻に対する気持ちでは彼と同様の思想がありますので、死ぬときは車にひかれて死ぬことを望んでましけれど、作為による医療過誤という
新式の手法で死を迎えるのも良いかもしれません。
私の場合には、私が生存していた場合には妻も永遠にカンボジアに戻ることができませんので、帰省という手段での一時帰国程度になりますから、個人的には死を迎える恐怖が無いのです。
欧米では、死に対する価値の判断がありまして、アメリカの【タバコ訴訟】による価値の判断では、内部から告発する価値の問題点が大いに議論されてましたが、個人的には家族に対する金員を残せるのかという事ですが、老人には自ら価値ある死を選択できれば幸福かもしれません。
コメント
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