コッコンとポイペト
タイからカンボジアに入国しようとする時は空路が便利ですが、陸路を走るのも「趣」がありませう。
そこで、体験談を交えての話を致しませう。
1990年頃のカンボジアは、あらゆる地域で「危険が一杯でしたから」、カンボジアへの入国を考える時には「安全な道順」を考えねばなりません。
当時は、コッコンを経由してカンボジアに入る道筋が、安全な道筋として「確立」されていました。
理由
移動方法には、陸路と船での移動がありますが、船で移動を選択しますと船内でのトラブル発生があっても「犯人逃亡」は不可能です。
ですから「トラブル」がおき難いし、船の料金は「一般カンボジア人には高価」ですから、富裕カンボジア人とベトナム人又は外国人だけの移動乗り物という事になります。
※コッコンから、プノンペンに陸路移動する外国人は稀で、「移動すると催眠術」を頭からかけられます。笑い
(外国人から物を盗むのは通常の行為ですから、「途中で飲食物を購入する事は難しかった」→催眠誘導剤入りの飲食物を売られる)
対するポイペトは陸路だけでの移動ですから、外国人には必ず「2-10倍程度の料金請求」から始まりますので、乗り物の料金交渉が1時間程度は必要でした。
(儲かるなら乗せるが、カンボジア人の倍でないと乗せないのが普通の話でしたから、交渉をしていると乗りそこねるのが普通)
※一言、大変でした(苦労がありまして、互いに顔なじみとなりました)笑いで事実
※当時、催眠誘導剤入りの食物販売は常識でして、「親切に贈与されたり、若い女性が笑顔でくれたり」しましたよ。
(腹が減っていないといって返しても相手は絶対食べませんから、「危険な食い物」です)
※何度も勧められましたけど、一度も食べた事はありません→笑顔と引き換えに強引に渡された事もありますけど、食べ事はありません。
大変という用語の意味
相手に、交渉がし易いと顔を覚えられた場合、「永遠にボッタクリ」されてしまいます。
(パンの次はチーズを要求されますから、一切の妥協を許さず、この料金で行くなら乗るが嫌なら乗らない)と言いました。
其のかいありまして、朝から何日もポイペト宿泊を余儀なくされたり、お前に食わせる飯はないとか、他で飯を食えとか、ここの商品は売らないとか、いろいろと「カンボジアの文化を学ばされました」笑いで事実。
ただ、真っ暗の時間で一人市場に行き食事しますと、クマエ露天商だけは「親切」に販売してくれました。
※あれも買え、これも買えとか、クイテアオを食べた後で別の露天商が「もう一度クイテアオを食え」とか言われました。
今でも、嫌がらせを受けた相手の顔を覚えていますが、「7年前」程度に再会した時は「生きていやがったかー」という心境でした。笑い
続きはまたの機会に
タイからカンボジアに入国しようとする時は空路が便利ですが、陸路を走るのも「趣」がありませう。
そこで、体験談を交えての話を致しませう。
1990年頃のカンボジアは、あらゆる地域で「危険が一杯でしたから」、カンボジアへの入国を考える時には「安全な道順」を考えねばなりません。
当時は、コッコンを経由してカンボジアに入る道筋が、安全な道筋として「確立」されていました。
理由
移動方法には、陸路と船での移動がありますが、船で移動を選択しますと船内でのトラブル発生があっても「犯人逃亡」は不可能です。
ですから「トラブル」がおき難いし、船の料金は「一般カンボジア人には高価」ですから、富裕カンボジア人とベトナム人又は外国人だけの移動乗り物という事になります。
※コッコンから、プノンペンに陸路移動する外国人は稀で、「移動すると催眠術」を頭からかけられます。笑い
(外国人から物を盗むのは通常の行為ですから、「途中で飲食物を購入する事は難しかった」→催眠誘導剤入りの飲食物を売られる)
対するポイペトは陸路だけでの移動ですから、外国人には必ず「2-10倍程度の料金請求」から始まりますので、乗り物の料金交渉が1時間程度は必要でした。
(儲かるなら乗せるが、カンボジア人の倍でないと乗せないのが普通の話でしたから、交渉をしていると乗りそこねるのが普通)
※一言、大変でした(苦労がありまして、互いに顔なじみとなりました)笑いで事実
※当時、催眠誘導剤入りの食物販売は常識でして、「親切に贈与されたり、若い女性が笑顔でくれたり」しましたよ。
(腹が減っていないといって返しても相手は絶対食べませんから、「危険な食い物」です)
※何度も勧められましたけど、一度も食べた事はありません→笑顔と引き換えに強引に渡された事もありますけど、食べ事はありません。
大変という用語の意味
相手に、交渉がし易いと顔を覚えられた場合、「永遠にボッタクリ」されてしまいます。
(パンの次はチーズを要求されますから、一切の妥協を許さず、この料金で行くなら乗るが嫌なら乗らない)と言いました。
其のかいありまして、朝から何日もポイペト宿泊を余儀なくされたり、お前に食わせる飯はないとか、他で飯を食えとか、ここの商品は売らないとか、いろいろと「カンボジアの文化を学ばされました」笑いで事実。
ただ、真っ暗の時間で一人市場に行き食事しますと、クマエ露天商だけは「親切」に販売してくれました。
※あれも買え、これも買えとか、クイテアオを食べた後で別の露天商が「もう一度クイテアオを食え」とか言われました。
今でも、嫌がらせを受けた相手の顔を覚えていますが、「7年前」程度に再会した時は「生きていやがったかー」という心境でした。笑い
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