チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻p.73-74 印刷版まとめNo.2

2008年04月30日 20時49分53秒 | スロヴェニア切手
額面 20vin
総発行数 2409万4300枚
(訳注: 2409万4300は著者の集計ミス、正しくは2408万4300枚。)
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数592万5100枚 印刷版数3
(訳注: 592万5100枚は著者の集計ミス、正しくは591万5100枚。)
凸版ウィーンReisser 印刷数700万枚 印刷版数3
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数1116万9200枚 印刷版数3
最初の印刷版の印刷日付 1919年1月3日、最後の印刷版の印刷日付 1920年2月11日

額面 25vin
総発行数 933万7300枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数361万7300枚 印刷版数2
凸版ウィーンReisser 印刷数572万枚 印刷版数2
凸版リュブリャナJugoslovanska無し
最初の印刷版の印刷日付 1919年2月15日、最後の印刷版の印刷日付 1920年1月11日

額面 30vin
総発行数 1714万8500枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数1025万5800枚 印刷版数2
凸版ウィーンReisser 印刷数266万枚 印刷版数2
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数423万2700枚 印刷版数2
最初の印刷版の印刷日付 1919年10月4日、最後の印刷版の印刷日付 1920年2月20日

額面 40vin
総発行数 694万5000枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数298万5000枚 印刷版数2
凸版ウィーンReisser 印刷数396万枚 印刷版数2
凸版リュブリャナJugoslovanska無し
最初の印刷版の印刷日付 1919年2月26日、最後の印刷版の印刷日付 1920年1月11日


EXPONENT第二次世界大戦期と直後の混乱期のユーゴのコレクション

2008年04月29日 08時07分10秒 | その他
今朝方、ドイツからメールが届き、EXPONENTに第二次世界大戦期と直後の混乱期のユーゴの郵便史と切手のコレクションが掲載されたという連絡がありました。

私が見たところ、非常に珍しいものがずらりと並んだ世界でも最高レベルのコレクションです。
BOOKMARKにリンクをはりましたから、関心がおありでしたらご覧ください。

ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻p.73-74印刷版まとめ No.1

2008年04月27日 17時35分18秒 | スロヴェニア切手
訳注
p.73-74の概要を最初に見ておいた方が分かり易いと思われますので、最初にそちらをご紹介し、その後で各額面をご紹介いたします。
記録に残されている印刷の日付けの1日だけで、数十万枚から数百万枚以上もの印刷が行われたとは考えにくいと思われます。まず間違いなく、何日間かに渡って印刷されているはずです。
記録されている日が、印刷の開始日なのか、終了日なのか、あるいは印刷途中の日付けなのかは分かりません。
印刷が全て完了して一括して郵政当局に引き渡されたのか、印刷が仕上がった順に順次引き渡して、郵便局の窓口で販売されたのかも分かりません。
従って、ここに記録されている印刷日よりも早く印刷され、郵便局の窓口で販売された使用例もあり得ますので、関心のおありの方は使用済みやカバーの消印の日付けをチェックしてみてください。

「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」
p.73-74

印刷版のリストをp.74の表に示す。上記の記述はかなり面白い。
我々は、「Druckauflage印刷版」という言葉を使用したのではあるが、それぞれが郵便経済局の注文で行なわれた印刷版で本当に新しいものであるのか、それとも切手が印刷された各印刷所の納品順なのかは明らかではない。
(訳注:各額面の印刷版と書かれているものが、その都度新しく作られた印刷用の版なのか、あるいは以前作っておいた版を再使用して印刷したものなのかは分かりません。よって、このまとめに複数の印刷版が記載されている場合には、各額面の印刷用の版が実際に幾つあるのかは分かりません。石版と凸版の区別は明らかですから、この二種の区別は容易です。)

上記の内容より、いつからいつまで各切手が3つの印刷所から納入されたかが明らかである。
それに続いて、石版と凸版の二種の印刷、さらに三つの場所での印刷、リュブリャナのそれほどでもない印刷所のストライキ、一つの印刷所では全ての注文をうまく処理することが技術的に不可能なことが、反映されている。

我々が知っているように、両方の印刷方式で行なわれた各々の額面には、石版と凸版の切手図案には明らかな相違がある。今日まで、なぜそしてどのようにして印刷技術により切手図案の違いが発生するのを防止できなかったのかは不明である。
また大急ぎで作ったことが精密さを決定したと思われ、それは色・紙・目打ちの変種の多さに現れている。

全ての記載は完全には正確ではないけれども、それらは全ての専門収集家と研究者にとって、実用的利用の面で役立つ、しかし、正確な印刷数の確定のみならず、各印刷方式、色調、紙の種類の印刷数の確定もできない。
これらの3つの印刷所の発行切手の専門家は、これらの記述にかなり重要な記載を見つけているが、その様な収集システムが多くの困難に突き当たっており、今日完全に支配的である石版と凸版という簡単な分類方法を認めている、という確信に至っている。

我々は、リュブリャナのJugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)で印刷された切手はルレット目打ちで目打ちされたと明言できる。
同様に、灰色海綿紙、アイボリー紙、灰色の厚紙または薄紙、ダンボール紙に印刷された切手は、ウィーンのA. Reisser Nachfolgern印刷所で印刷されたことは疑いない。
凸版印刷の額面では、異なるあるいは同一の紙(平滑白色あるいは黄色紙)に、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)のみでなくA. Reisser Nachfolgern印刷所でも印刷され、それだけになおさら今まで全て当然ではあるが、我々の記述では、きちんと色とその濃淡の名称は大部分の場合区別してきたという確実性を信じている。
まとまった色の記述は存在しない、各研究者は知られている色の変種に対して自己流の表示をしてきたため大混乱が存在している。
リュブリャナ郵政局が最初からその記録に対して全く注意と努力を払わなかったのは大きな欠陥であり、そうされていれば、これらの発行切手についての確かで完全な研究ができていたであろう。



「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」
p.74 普通切手 印刷版リスト

額面 3 vin
総発行数 731万6000枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数497万6000枚 印刷版数3
凸版ウィーンReisser 印刷数234万枚 印刷版数3
凸版リュブリャナJugoslovanska無し
最初の印刷版の印刷日付 1919年2月12日、最後の印刷版の印刷日付 1920年2月11日

額面 5vin
総発行数 2151万6350枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数1096万4350枚 印刷版数4
凸版ウィーンReisser 印刷数300万枚 印刷版数3
(訳注: 300万枚は誤り、正しくは432万枚。ただし、総発行数の計算は432万枚で計算されており、正しい数値が用いられている。このため、300万枚は単なる誤植の可能性が高い。)
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数623万2000枚 印刷版数3
最初の印刷版の印刷日付 1919年1月25日、最後の印刷版の印刷日付 1920年5月

額面 10vin
総発行数 4514万9008枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数1329万6200枚 印刷版数3
凸版ウィーンReisser 印刷数498万枚 印刷版数3
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数2687万2808枚 印刷版数4
最初の印刷版の印刷日付 1919年1月3日、最後の印刷版の印刷日付 1920年3月

額面 15vin
総発行数 3339万3100枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数2614万100枚 印刷版数2
凸版ウィーンReisser 印刷数302万枚 印刷版数2
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数423万3000枚 印刷版数2
最初の印刷版の印刷日付 1919年9月20日、最後の印刷版の印刷日付 1920年4月

ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻 p.60 印刷版

2008年04月26日 19時25分47秒 | スロヴェニア切手
「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」
p.60 印刷版

リュブリャナ(ドイツ語名ライバッハ)の郵政局は、これらの発行切手の記録を持っており、この分野の研究創始者であるA. Gaberが20年以上も前に個々のページに個々の印刷版に関する記述を記入したので、完全ではないが郵趣研究に関しては興味深い。彼のこれに関する論評の一部は、種々の専門誌とリュブリャナの日刊新聞「Jutro」の郵趣欄に公表された。

後にV. FleckとD. Novakは、記録を調査し、印刷版に関する重要な記述を行ない、そしてD. Novakはザグレブの日刊新聞「Novosti」 1933/34の郵趣欄に広範な公開を行なった。

後に、S. Veselićは、郵政局の記録保管所で全ての記録を調査し、これらの発行切手の印刷について引用した、しかし、記録保管所に全く存在しないウィーンのA. Reisserで印刷されたものは含まれていない。

良く知られた研究者E. Deroccoは、その当時A. Gaberが実施したものと、D. NovakとS. Veselićにより印刷版が研究されたものを比較し、「Filatelista」 1939/40に発表した。

我々は、Derocco、Fleck、Novakの研究を拠り所として一覧表を示し、それと同時に最も重要な印刷の欠陥をNovostiとFilatelistaから引用する。

訳注: 切手の刷色の翻訳
切手の刷色の翻訳に際しては、色の解釈は人によって異なるでしょうから、ドイツ語原文の記載と日本語訳を併記しておき、読者がドイツ語をご自分で翻訳して解釈できるようにしておきます。

チェインブレーカーの印刷

2008年04月23日 21時03分32秒 | スロヴェニア切手
チェインブレーカーの印刷

チェインブレーカーの印刷に関しては、完全ではありませんが記録が残されており、多くの研究者による研究が行なわれています。
それらの研究は、「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」にまとめられており、チェインブレーカーの分類に役立つ考えられますのでご紹介いたします。

チェインブレーカーは、1919年1月3日に初めてスロヴェニアの首都のリュブリャナ郵便局から発売されたと言われています。
記録では1919年1月3日に印刷されたのは石版の10 vinar(国内葉書料金)と20 vinar(国内封書料金)であり、この2種が印刷初日の1月3日の内にリュブリャナ郵便局から発売されました。

その他の額面の印刷は、オーストリア帝国時代の切手の在庫と消費の状況、及びその後の料金値上げの状況を見ながら順次開始され、3, 5, 25, 40, 50, 60 vinar, 1, 2, 5 Kronaの印刷は、1919年1月~4月には開始されています。

またその後の郵便料金の値上げに併せて、15 vinar(国内葉書料金)と30 vinar(国内封書料金)の印刷は1919年9月と10月から開始されています。

高額の10, 15, 20 Kronaの印刷は1920年4月以降という遅さです。
10 Krona(総発行数40万枚)が印刷されたのは1920年4月1日であり、セルビアの通貨para, Dinarへの通貨統一(スロヴェニアのvinar, Kronaの価値を4分の1に落とす)の1ヵ月半前という遅さです。
一方、10 Kronaよりも一つ下の額面である5 Krona(総発行数283万2900枚)の印刷が最初に行われたのは1919年4月22日であり、この後約1年間に渡り小包に多く見られる10 Krona分の料金は、5 Kronaの2枚貼り、あるいは2 Kronaの5枚貼りで対処した例が多く見られます。
10 Kronaは、5Kronaに比べて発行数が7分の1の40万枚にまで低下していますから、カバーの入手は難しくなります。私は小包送票の使用例を3通持っています。しかし、この10 Kronaのカバーは、オークションや販売カタログでもなかなかお目にかかることはできませんので、見つけたら無理してでも入手されることをお勧めします。

15 Krona(総発行数3万7008枚)と20 Krona(総発行数6万8668枚)が印刷された1920年5月15日は、セルビアの通貨para, Dinarへの通貨統一が行われる前日でした。このためこの2つの額面は、印刷翌日から価値が4分の1に落ちてしまうという有様でした。

15 Kronaが郵便料金の徴収に適正に使用されたカバーは、私は持っていませんし見たこともありません。他の多くの額面の切手と一緒に貼られて料金が著しく過剰(20倍以上)になったフィラテリックカバーの封書を一度見たことがあるだけです。私は15 Kronaの郵便料金の徴収に適正に使用されたカバーの入手はあきらめています。

20 Kronaが郵便料金の徴収に適正に使用されたカバーは、私は小包送票の使用例を3通持っています。しかし、この20 Kronaのカバーは、オークションや販売カタログでも滅多にお目にかかることはできませんので、見つけたら無理してでも入手されることをお勧めします。
ちなみにクロアチアのザグレブでの2006年のオークションで、20 Kronaを他の切手と混貼りした小包送票の落札価格は1通で3万3000円でした。

220130表 小包5期 クロアチア郵便代行業者の消印

2008年04月20日 19時23分02秒 | 小包第5期
220130表 小包5期 クロアチア郵便代行業者の消印

小包第5期 クロアチアからセルビア宛て
小包送票:ユーゴスラヴィアKRALJEVSTVO SRBA・HRVATA SLOVENACA 10 PARA(40 vinar,小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、セルボクロアート語、淡黄白色紙、左側のクーポンが残されています
小包ラベル:Mala Vašica p.ügyn. p.ag. 42 ハンガリー王国領の郵便代行業者のラベルをそのまま使用しています。
料金手書き:無し

切手:ユーゴスラヴィア全国共通普通切手1 Dinar (Mi. 154) 12枚
合計 12 Dinar

料金計算:
重量料金10 kg---10 Dinar
価格表記(保険)料金---無し
代金引換料金---無し
配達料金---2.0 Dinar
合計12 Dinar (貼り付け切手と一致)

消印:
長方形の4つの角を切り落としたハンガリー式の郵便代行業者の消印
MALAVAŠICA
22 JAN 30 d.e.
POSTAI ÜGYN,
POSTAN AGENCIJA
(1922年1月30日)
ハンガリー語のPOSTAI ÜGYNとセルボクロアート語のPOSTAN. AGENCIJAは、両方とも郵便代行業者を意味しています(英語ではPostal Agencyとするべきでしょう)。
ハンガリー式の左から右に「年月日」の配列のままで使用しており、ユーゴ式の「日月年」にはなっていません。
この使用例では年号表示がハンガリー式の3桁の年号表示920ではなく、ユーゴ式の年号表記の2桁の20になっています。
また、ハンガリー語表記の「POSTAI ÜGYN」は残されたままになっています。

211220裏 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

2008年04月19日 06時59分00秒 | 小包第5期
211220裏 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

到着印:BLATO 27. XII. 21 *a* (BLATO郵便局1921年12月27日、消印識別記号a)

イタリア軍によるダルマチア占領
Korčula(コルチュラ)島は、イタリア軍占領下のダルマチアのゾーンIであり、1921年4月17日にユーゴスラヴィアに返還されました。
この使用例は、返還8ヵ月後の消印であり、ユーゴスラヴィアの消印が間に合わなかったため、古いオーストリア時代の消印がそのまま使用されています。
参考文献
Dr. H. Dietz
Die Postämter in den von Italien besetzten Gebieten Norddalmatiens nach dem I. Weltkrieg 第一次世界大戦後にイタリアにより占領された地域である北ダルマチアの郵便局
Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten No.26, p.375-376 (1984)

受取人サイン日付け: 1921年12月29日

備考
代金引換金額を為替送金するための用紙の一部が残っており、送金の宛先のSarajevoと金額の一部の95が残っています。

211220表 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

2008年04月19日 06時58分09秒 | 小包第5期
211220表 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

小包第5期 セルビアの小包送票をボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォで使用、
ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォから、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

小包送票:KRALJEVINA SRBA, HRVATA i SLOVENACA, SPROVODNI LIST, 40 para
翻訳「セルビア人、クロアチア人、及びスロヴェニア人の王国、小包送票、40 para」
(この使用例では切手の下に隠れていますが、「201017表」より40 paraの印刷がされていることが判明しています)
この形式のものは、旧セルビア王国領内だけで使用するために用意されたと思われますが、小包送票の不足のため、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォにも回されたと推定されます。
小包送票(代金引換有り)の販売価格は40 para (160 vinar)で、これは収入印紙として領収され、小包料金には含まれません。

小包ラベル:Sarajevo H.P.A. 4005、1921年末になってもオーストリア帝国時代のラベルをまだ使用しています。

価格表記ラベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。

料金手書き:無し

切手:
ユーゴスラヴィア全国共通普通切手20 para(Mi.149), 50 para(Mi.151), 5 Dinar(Mi.157), 10 Dinar(Mi.158)2枚
合計25.7 Dinar

料金計算:
重量料金16.7 kg---20.0 Dinar
価格表記(保険)料金1000 Dinar---2.0 Dinar
代金引換料金950 Dinar
・郵便為替料金500~1000D以下----3.0 Dinar
・受取人住所での支払い料金、50 Dを越える----0.5 Dinar
・合計3.5 Dinar
通知料金---0.2 Dinar
合計25.7 Dinar、貼り付け切手に一致。

消印:SARAJEVO 1 20. XII. 21 -7 15 (SARAJEVO 1郵便局1921年12月20日7時、消印識別番号15)、上はキリル文字、下はローマ字の二文字表記。

宛先: イタリア占領から返還されたコルチュラ島のBlato

211203表 小包第5期、ユーゴスラヴィア全国共通普通切手の最高額面10 Dinar

2008年04月16日 21時33分32秒 | 小包第5期
211203表 小包第5期、ユーゴスラヴィア全国共通普通切手の最高額面10 Dinar

小包第5期 セルビアの小包送票、セルビア地域内便
小包送票:KRALJEVINA SRBA, HRVATA i SLOVENACA, SPROVODNI LIST, 40 para
翻訳「セルビア人、クロアチア人、及びスロヴェニア人の王国、小包送票、40 para」
(この使用例では切手の下に隠れていますが、「201017表」の使用例より40 paraの印刷がされていることが判明しています)

小包送票(代金引換有り)の販売価格は40 para (160 vinar)で、これは収入印紙として領収され、小包料金には含まれません。
この例のように、左側の小包発送者の控えの部分(クーポン)が残されている例は少ないのが実状です。

小包ラベル:П.П.-С.Р. 471。ローマ字ではP.P.-S.R.となりますが、省略前の元の意味は不明です。
料金手書き:25.20

切手:
ユーゴスラヴィア全国共通普通切手20 para(Mi.149), 5 Dinar(Mi.157), 10 Dinar(Mi.158)2枚
合計25.2 Dinar (料金手書きと一致)

料金計算:
重量料金18 kg---20.0 Dinar
価格表記(保険)料金520.60 Dinar---2.0 Dinar
代金引換料金520.60 Dinar
・郵便為替料金500~1000D以下----3.0 Dinar
・受取人住所での支払い料金----無し
・合計3.0 Dinar
通知料金---0.2 Dinar
合計25.2 Dinar 料金手書き、貼り付け切手に一致。

消印:BEOGRAD 2 3-IIX…921 (1921年12月3日)、上はキリル文字、下はローマ字の二文字表記。
備考:月は本来XIIとすべきところが、間違ってIIXとされています。

210521裏 小包第4期~5期 保管料金、スロヴェニア不足切手1, 3, 8 Dinarの使用例

2008年04月13日 10時22分15秒 | 小包第5期
210521裏 小包第4期~5期 保管料金、スロヴェニア不足切手1, 3, 8 Dinarの使用例

到着印:CELJE 27. II. 21. -4 1b (CELJE郵便局1921年2月27日4時、消印識別記号1b)、上側がローマ字、下側がキリル文字の二文字表記のユーゴ型の消印。

保管料金徴収指示
Ležarina zar od 1/3 – 19/5. 21 62.40 K u Celje 20/5. 21
「1921年3月1日~5月19日までの保管料金62.40 K、Celjeにて 1921年5月20日」

保管料金計算
小包第4期 3月1日~4月30日、61日間、10 para/日、合計6.1 Dinar
小包第5期 5月1日~5月19日、19日間、50 para/日、合計9.5 Dinar
総計15.6 Dinar (62.40 Kronen)、表側の記載金額62.40 Kと一致。

小包の宛て先のCelje郵便局で保管され、Celje郵便局で不足切手が貼り付けられて、Celje郵便局の消印で不足切手が消印されています。
このため、小包の保管料金は小包の受取人がCelje郵便局で支払ったが、小包の受取りは拒否したため、小包発送人のいるZagrebへ返送されたと考えられます。
小包の返送料金に関しては、小包送票には全く記載されていませんので、Zagrebの郵便局で処理されたと推定されます。

不足切手
5 para (15 vinar石版) 2枚、左側の切手は目打ちがシフト
50 para (15 vinar石版)
1 Dinar (30 vinar石版)
3 Dinar (30 vinar凸版、右側のみ直線ルレット、上下左側はノコギリルレット) 2枚
8 Dinar (30 vinar石版)

スロヴェニアの加刷不足切手の発行枚数は少なく、以下の通りです。
5 para (15 vinar石版) 72万枚
50 para (15 vinar石版) 72万枚
1 Dinar (30 vinar石版) 30万枚
3 Dinar (30 vinar凸版) 9万枚
8 Dinar (30 vinar石版) 12万枚
発行数9万枚の3 Dinar (30 vinar凸版)が2枚貼られていること、
発行数12万枚の最高額面の8 Dinar (30 vinar石版)が貼られていること、
を考慮すると、この使用例は非常に稀なものであると思われます。

発行数が9万枚、12万枚と言っただけではピンと来ないのですが、ほぼ同年代の日本の戦前の記念切手の発行数と比較すると、その少なさの感覚はつかめると思います。例えば、
1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、
1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚。
これらの日本切手のカバーがどれほど希少なものかは良くご存知のことと思います。
ここでご紹介している小包送票に貼られている発行数9万枚のスロヴェニア不足切手3 Dinar (30 vinar凸版)は、1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚とほぼ発行数が同じで、1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚よりも発行数が1万枚も少ない切手です。
また、発行数12万枚の8 Dinar (30 vinar石版)も、カバーではほとんど見ることのできないものです。
ほぼ同時代の日本のこれらの戦前の記念切手と、スロヴェニアの不足切手の直接比較は社会的・経済的状況が異なりますので困難ですが、日本人が良く知っている日本切手と比較した方がカバーの価値の類推には役立つと思われますのでご紹介いたしました。

不足切手の消印:CELJE 21. V. 21. 2c (CELJE郵便局1921年5月21日、消印識別記号2c)、上側がローマ字、下側がキリル文字の二文字表記のユーゴ型の消印。

小包返送時のZAGREBの到着印:
ZAGREB 21-MAJ-21 N8 W2W (ZAGREB2郵便局1921年5月21日昼間8時、消印識別記号W)、ユーゴ化した消印
ハンガリー型の「年-月-日-時刻」をユーゴ型の「日-月-年-時刻」の順に変更しています。
ハンガリー型消印のD欄のハンガリー王の王権を示す「イシュトヴァーン・クラウン」は削除されて、空欄になっています。
年号は、ハンガリー型の3桁の921をユーゴ型の2桁の21に変更しています。

返送小包の受取人サイン日付け:1921年5月25日

210521表 小包第4期~5期 保管料金、スロヴェニア不足切手1, 3, 8 Dinarの使用例

2008年04月13日 10時21分14秒 | 小包第5期
210521表 小包第4期~5期 保管料金、スロヴェニア不足切手1, 3, 8 Dinarの使用例

小包第4期~5期 クロアチアからスロヴェニア宛て、返送便

小包送票:ユーゴスラヴィアPOŠTNA SPREMNICA、左上角にSHS 16 v無し、スロヴェニア語、ピンク色紙(ただし色は薄い)、代金引換のある小包送票

小包ラベル:ZAGREB 6 38 29
料金手書き:無し(右下角の4080は重量4080gを意味すると考えられます)

切手:
スロヴェニア2次チェインブレーカー10 para (Mi.121) 2枚
ユーゴスラヴィア全国共通普通切手4 Dinar (Mi.156)
合計 4.2 Dinar

料金計算(小包第4期):
重量料金4080 g---2.0 Dinar
価格表記(保険)料金---無し
代金引換料金2812 K (703 D)--- 200 Dinarを越えて、宛先住所での支払い有り1.6 Dinar
配達料金---0.6 Dinar
合計 4.2 Dinar (貼り付け切手と一致)

消印: ZAGREB 25 FEB 921 -8 A6A (ZAGREB 6郵便局1921年2月25日8時、消印識別記号A)、不完全にユーゴ化した消印
ハンガリー型の「年-月-日-時刻」をユーゴ型の「日-月-年-時刻」の順に変更しています。
ハンガリー型消印のD欄のハンガリー王の王権を示す「イシュトヴァーン・クラウン」は削除されて、空欄になっています。
年号は、ハンガリー型の3桁の921のままであり、ユーゴ型の2桁の21には変更されていません。
時刻表示は「-8」と表示されており、ハンガリー型消印に見られたNまたはEの記号が削除されています。

返送指示
紫色鉛筆で中央部に記載: スロヴェニア語nazaj Zagreb「ザグレブへ返送」

保管料金徴収指示
鉛筆で下部にスロヴェニア語で記載
Ležarina zar od 1/3 – 19/5. 21 62.40 K u Celje 20/5. 21
「1921年3月1日~5月19日までの保管料金62.40 K、Celjeにて 1921年5月20日」

備考: スロヴェニア語の翻訳に使用した辞書
DOŠA KOMAC, English-Slovene/ Slovene-English Modern Dictionary, 1998, HIPPOCRENE BOOKS, New York