チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

15 vianr石版タイプ、第1次印刷、平滑紙、20タイプ 13-20

2010年02月28日 12時31分44秒 | チェインブレーカーのタイプ
15 vianr石版タイプ、第1次印刷、平滑紙、20タイプ 13-20
これは、下記の印刷版のもののタイプであり、平滑紙で20タイプが存在します。
100枚シートの場合には、10×10=100枚シートで、ポジション1から順にタイプ1, 2, 3・・・. 19, 20と配列され、後はこの繰り返しです。

15 vianr石版タイプ、第1次印刷、印刷版
1. 1919年9月20日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所
平滑白色~黄色紙(かなり固い)
hellblau明るい青色、trübblau濁った青色(FleckとNovakによるとblau青色とgraublau灰色がかった青色)
目打ち11 1/2
D. Novakによると296万枚。
S. Veselićによると、9月12日~19日に9904シート(300枚/シート)(297万1200枚)印刷し、1919年9月20日に郵便経済局に引き渡した。
(訳注: 集計には297万1200枚を使用。)

15 vianr石版タイプ、第1次印刷、平滑紙、20タイプ 1-12

2010年02月28日 12時30分44秒 | チェインブレーカーのタイプ
15 vianr石版タイプ、第1次印刷、平滑紙、20タイプ 1-12
これは、下記の印刷版のもののタイプであり、平滑紙で20タイプが存在します。
100枚シートの場合には、10×10=100枚シートで、ポジション1から順にタイプ1, 2, 3・・・. 19, 20と配列され、後はこの繰り返しです。

15 vianr石版タイプ、第1次印刷、印刷版
1. 1919年9月20日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所
平滑白色~黄色紙(かなり固い)
hellblau明るい青色、trübblau濁った青色(FleckとNovakによるとblau青色とgraublau灰色がかった青色)
目打ち11 1/2
D. Novakによると296万枚。
S. Veselićによると、9月12日~19日に9904シート(300枚/シート)(297万1200枚)印刷し、1919年9月20日に郵便経済局に引き渡した。
(訳注: 集計には297万1200枚を使用。)

200821裏 ダルマチアでイタリア語表記の郵便局名を削除した使用例

2010年02月28日 12時29分52秒 | 封書
200821裏 ダルマチアでイタリア語表記の郵便局名を削除した使用例

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.106, 40 vinar凸版, 2枚
Mi.124, 25 para
合計 1 Krona 80 vinar (45 para)

消印: SOLIN 21 VIII 20 a
ダルマチアのSOLIN郵便局 1920年8月21日、消印識別記号a
オーストリア型のクロアチア語(上)とイタリア語(下)の二カ国表記の消印から、イタリア語表記SALONAを削除してユーゴ化した消印。

200821表 ダルマチアでイタリア語表記の郵便局名を削除した使用例

2010年02月28日 12時29分00秒 | 封書
200821表 ダルマチアでイタリア語表記の郵便局名を削除した使用例

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.106, 40 vinar凸版, 2枚
Mi.124, 25 para
合計 1 Krona 80 vinar (45 para)

宛先: Wien (オーストリア)

書留ラベル: なし
右上に赤鉛筆でR306と記載

郵便料金
1921年1月31日までオーストリア宛てに対して国内料金を適用
国内封書料金: 書状: 20gまで25 para (100 vinar)
書留: 20 para
合計 45 para (180 vinar)(貼り付け切手と一致)

消印: SOLIN 21 VIII 20 a
ダルマチアのSOLIN郵便局 1920年8月21日、消印識別記号a
オーストリア型消印のクロアチア語(上)とイタリア語(下)の二カ国表記の消印から、下部のイタリア語表記SALONAを削除してユーゴ化した消印。

200819裏 クロアチア国内書留便

2010年02月21日 08時46分40秒 | 封書
200819裏 クロアチア国内書留便

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi. 103, 20 vinar凸版, 2枚, 平滑白紙、灰色海綿紙
Mi. 106, 40 vinar凸版, 平滑白紙
Mi. 109, 1 Krona, 平滑白紙、ノコギリルレット目打ち
合計 1 Krona 80 vinar (45 para)

宛先: Vinkovci (クロアチア)

書留ラベル:
長方形の郵便局名の証示印: POŽEGA
書留用証示印: R No 508 (Noはローマ字とキリル文字の二文字表記)

注意: 右上に黒インクによる632の書き込みがありますが、意味は分かりません。

郵便料金
全国統一料金:
国内封書20gまで25 para
書留: 20 para
合計 45 para (180 vinar)(貼り付け切手と一致)

消印: POŽEGA 920. AUG. 19 N10 C
クロアチアのPOŽEGA郵便局 1920年8月19日昼間10時、消印識別記号C
ハンガリー型消印

到着印: VINKOVCI 920-AUG. 21.-N8 D
クロアチアのVINKOVCI郵便局 1920年8月21日昼間8時、消印識別記号D
ハンガリー型消印

クロアチアにおけるハンガリー型消印の継続使用
この使用例では、1920年6月25日のセルビアのアレクサンドラ国王のクロアチアの首都ザグレブ訪問の後になっても、POŽEGAとVINKOVCIで、ハンガリー王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠が消印から削除されずに、ハンガリー王国時代の消印がそのまま使用されています。
ハンガリー式消印の年月日の表示順序は、左から右に「年・月・日」ですが、これもそのまま使用されており、ユーゴスラヴィア式の左から右に「日・月・年」に変更されていません。
1921年の後半くらいまでは、ハンガリー型の消印がクロアチアでは使用され続けます。
これは、クロアチア人のセルビア支配に対する反感の現れであると思われ、ある程度の自治が認められていたハンガリー王国時代の方が良かったという思いがあるように思われます。

10 vinar 石版 タイプ

2010年02月14日 08時34分09秒 | チェインブレーカーのタイプ
10 vinar 石版 タイプ
チェインブレーカーのハンドブック「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja,ユーゴスラヴィア切手ハンドブック」には、10 vinar 石版にはタイプは存在しないと記載されています。
しかし、ストークス博士によれば、他の石版と同様に10タイプが存在し、基本的には他の石版と同様に下記のように配列されているそうです。
100枚シートの場合には、10×10=100枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。
50枚シートの場合には、10×5=50枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。
そして、一部のシートでは、通常の配置とは異なるタイプに置換されているポジションが見いだされるそうです。

ストークス博士も述べられていますが、この10 vinar 石版のタイプの特徴は小さな点や欠損であるため、他の額面に比べて確認が困難です。
このため、過去の研究者には発見されず、チェインブレーカーのハンドブック「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja,ユーゴスラヴィア切手ハンドブック」には、10 vinar 石版にはタイプは存在しないと記載されてきたと考えられます。

私が所有している10 vinar 石版を調査した結果
①粗紙の場合
粗紙の表面の凹凸により印刷インクが紙に付着しにくく、小さな白点や欠損が多数発生しやすいため、ストークス博士の述べられているタイプを全く確認できませんでした。
②平滑白紙の場合
インク過剰または不足、印刷時の加圧過剰または不足の場合には、小さな白点や欠損が消滅したり、多数のものが発生するため、ストークス博士の述べられているタイプを確認できませんでした。
また、版が磨耗した場合も同様に多数の小さな白点や欠損が発生するため、確認は困難だと思われます。
私の経験では、よほど理想的に印刷されたものでないと確認できないと思われます。
また、使用済みの場合には、消印のインクが妨害するため確認は未使用よりも困難です。

200716表 30 vinar石版と凸版の混貼り

2010年02月14日 08時29分58秒 | 封書
200716表 30 vinar石版と凸版の混貼り

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
1次
Mi.105, 30 vinar石版
Mi.105, 30 vinar凸版
2次
Mi.122, 15 para
合計 30 para (120 vinar)

宛先: Wien (オーストリア)

郵便料金
1921年1月31日までオーストリア宛てに対して国内料金を適用
国内封書料金: 書状: 20gまで25 para (100 vinar)
(5 para (20 vinar)過剰)

消印: SARAJEVO 1 16. VII. 20. p *
ボスニア・ヘルツェゴビナのSARAJEVO 1郵便局 1920年7月16日、消印識別記号p *
ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

200706裏 スロヴェニア語表記の官製現金封筒

2010年02月07日 08時45分18秒 | 封書
200706裏 スロヴェニア語表記の官製現金封筒

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
裏Mi. 106, 40 vinar凸版, 2枚

消印: CELJE -6 VII 20 -- *3d*
スロヴェニアのCELJE郵便局 1920年7月6日、消印識別記号3d
スロヴェニア語表記

シーリングワックス
赤色のシーリングワックスで二箇所封印されています。

深刻な紙不足
このチェインブレーカーを貼った現金封筒の使用例は、鉛筆による書き込みが多くあり汚いものですが、ロット物の中から見つかったものです。
切手展の展示に出して何も知らない人が見れば、ひんしゅくを買い減点されるようなものでしょう。
この現金封筒が使用された1920年当時は、オーストリア・ハンガリー帝国という中央ヨーロッパを支配した巨大な帝国が崩壊し、それまで存在していた中央ヨーロッパの広大な一つの経済圏が崩壊して分断されたため物資の流通が止まってしまい、旧オーストリア・ハンガリー帝国領内とユーゴスラヴィアの物不足・紙不足は極めて深刻でした。
オーストリアの首都ウィーンでは、燃料がないのでウィーンの森の木を切って焚き木にしたそうです。
ユーゴスラヴィアでは切手用の紙が不足し、入手難であったため上質な紙を用意できず、手に入る紙は手当たり次第に使ったということで、紙のバラエティは多くのものがあります。
このような状況のため、紙があれば徹底的に利用されることが多く、封筒を再利用して郵便に使ったものもありますし、様々な計算に使用している例があります。
この使用例もそのようなものであり、見掛けは汚いものですが、当時の深刻な紙不足を示している歴史の証人です。
そのような目で見ていただければ、この汚さが新たな価値に見えてくるのではないでしょうか。
ディミトリー・カンドーロフ著「Collecting Postal History(郵便史の収集)」によれば、郵便史には当時の社会状況も含まれるそうですから、このような汚いカバーも、見方によっては貴重と言えるのでしょう。
独りよがりという批判を受けるとは思いましたが、当時の社会状況を踏まえてあえて書いて見ました。

200706表 スロヴェニア語表記の官製現金封筒

2010年02月07日 08時44分31秒 | 封書
200706表 スロヴェニア語表記の官製現金封筒

官製現金封筒:
スロヴェニア語表記。左上に現金封筒販売価格の収入印紙の印刷がありますが、5 Krona切手の下になっています。
ドイツ語表記が全くないため、オーストリア帝国時代の現金封筒ではなく、新国家ユーゴスラヴィアになった後に、スロヴェニアのリュブリャナ郵政管理局で発行されたものと推定されます。

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
表Mi. 111, 5 Krona
裏Mi. 106, 40 vinar凸版, 2枚
合計 5 Krona 80 vinar (145 para)

宛先: Sveti Pavel pri Preboldu (スロヴェニア)

重量: 20 g (右上角に鉛筆で記載)
現金: 2584 K (646 Dinar)

郵便料金
書状20 g: 20gまで25 para
書留: 20 para
価格表記料金:
300 Dinar以下-----30 para
300 Dinarを越えて300 Dinar毎に-----30 paraを加算
646 Dinarであるため、30+30+30= 90 para
通知料金: 10 para
合計: 145 para (貼り付け切手の額面と一致)

郵便局員による料金計算の記載: 5 Krona切手の右横
1.80---封書20g・書留料金45 para = 1.80 Krona
40---通知料金10 para = 40 vinar
3.60---価格表記料金: 金額646 Dinarを30+30+30=90 para = 3.60 Kronaと計算
5.80---合計5.80 Krona
(5.80 Kronaは145 paraに相当)

消印: CELJE -6 VII 20 -- *3d*
スロヴェニアのCELJE郵便局 1920年7月6日、消印識別記号3d
スロヴェニア語表記