チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

拡大図: オーストリア帝国時代のドイツ語表記の「POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I」

2013年09月29日 14時11分22秒 | 郵便為替
拡大図: オーストリア帝国時代のドイツ語表記の「POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I」

POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I
10. II. 21
SARAJEVO 1
ボスニア・ヘルツェゴビナのSARAJEVO 1郵便局 1921年2月10日
「POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I」は、ドイツ語表記であり、「郵便為替支払いI」という意味です。
この消印は、オーストリア帝国時代のドイツ語表記の消印をそのまま使用しており、珍しいものと考えられます

210207裏 ボスニア・ヘルツェゴビナのPROZOR

2013年09月29日 14時10分23秒 | 郵便為替
210207裏 ボスニア・ヘルツェゴビナのPROZOR

到着印
POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I
10. II. 21
SARAJEVO 1
ボスニア・ヘルツェゴビナのSARAJEVO 1郵便局 1921年2月10日
「POSTANWEISUNGS – AUSZAHLUNG I」は、ドイツ語表記であり、「郵便為替支払いI」という意味です。
この消印は、オーストリア帝国時代のドイツ語表記の消印をそのまま使用しており、珍しいものと考えられます。

210207表 ボスニア・ヘルツェゴビナのPROZOR

2013年09月29日 14時08分37秒 | 郵便為替
210207表 ボスニア・ヘルツェゴビナのPROZOR

郵便為替証書
オーストリア帝国時代のドイツ語、ボスニア語、フランス語表記の郵便為替証書

切手
スロヴェニア・チェインブレーカー2次
Mi.126 45 para
合計45 para (180 vinar)

郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
2. 1920年5月16日~1921年4月30日
25 Dinar以下-----25 para
25 Dinarを越えて50 Dinar以下-----50 para
50 Dinarを越えて100 Dinar以下-----60 para
100 Dinarを越えて100 Dinar毎に-----10 paraを加算

支払い(払い出し)料金
50 Dinar以下-----10 para
50 Dinarを越えて-----20 para

料金計算
為替金額 68K (17 Dinar)
25 Dinar以下-----25 para
支払い(払い出し)料金50 Dinar以下-----10 para
合計 35 para
貼り付けた切手は45 paraであり、10 para過剰
この10paraは、郵便為替証書の代金に相当する可能性もある

消印
PROZOR 7. II. 21
ボスニア・ヘルツェゴビナのPROZOR郵便局 1921年2月7日
オーストリア型消印から、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POST(帝国及び王国の軍事郵便局)を削除してユーゴ化した消印。
オーストリア帝国は、正式にはオーストリア帝国とハンガリー王国の連合王国であり、ボスニア・ヘルツェゴビナはこの二重帝国に占領された占領地であったため、郵便局の運営は全て軍隊が行う軍事郵便局であり、K. UND K. MILIT. POST(帝国及び王国の軍事郵便局)と上部に表示していました。

210204裏 20 para不足切手にFRANCOハンドスタンプ加刷

2013年09月22日 18時41分33秒 | 郵便為替
210204裏 20 para不足切手にFRANCOハンドスタンプ加刷

切手
Mi.46I, 20 para不足切手、加刷切手, 加刷は水平方向にずれている、黒色でFRANCOとハンドスタンプを押印して不足切手を普通切手として使用

到着印
ZAGREB U 2 U 921- FEB 7- N10
クロアチアのZAGREB 2郵便局 1921年2月7日、昼間10時、消印識別記号U
D欄にイシュトバンクラウンと呼ばれる王冠の入ったハンガリー型の消印

青色の3行のスタンプ(薄い部分の表記は他の使用例で把握したものです)
Rač. Odsjek 会計部
Pošt. Ček. Ureda 郵便小切手局
u Zagrebu ザグレブ
翻訳: ザグレブ郵便小切手局会計部

210204表 20 para不足切手にFRANCOハンドスタンプ加刷

2013年09月22日 18時40分39秒 | 郵便為替
210204表 20 para不足切手にFRANCOハンドスタンプ加刷

郵便為替証書
ユーゴスラヴィアの新形式の郵便為替証書
1919年中頃に、郵便為替の価格が3 filirに値上げされ、額面印紙「Pošta Kraljevstva SHS 3 fil」と印刷された新しい郵便為替が登場した。この新郵便為替証書の早期使用は1919年7月7日(ZAGREB 6)、後期使用は1920年9月。

切手
チェインブレーカー1次
Mi.105, 30 vinar石版 2枚
Mi.46I, 20 para不足切手、加刷切手, 加刷は水平方向にずれている、黒色でFRANCOとハンドスタンプで押印して不足切手を普通切手として使用
合計35 para (140 vinar)

郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
2. 1920年5月16日~1921年4月30日
25 Dinar以下-----25 para
25 Dinarを越えて50 Dinar以下-----50 para
50 Dinarを越えて100 Dinar以下-----60 para
100 Dinarを越えて100 Dinar毎に-----10 paraを加算

支払い(払い出し)料金
50 Dinar以下-----10 para
50 Dinarを越えて-----20 para

料金計算
為替金額 85K 60f (21.4 Dinar)
25 Dinar以下-----25 para
支払い(払い出し)料金50 Dinar以下-----10 para
合計 35 para
貼り付けた切手35 paraと一致

消印
PLOČICE -4. II. 21 *a*
ダルマチアのPLOČICE 郵便局 1921年2月4日
オーストリア型の消印をそのまま使用

為替管理証示印 VI 172
この記号番号はPLOČICE 郵便局を示すと考えられます

Wikipediaの記載
http://sl.wikipedia.org/wiki/Plo%C4%8Dice
PLOČICEの人口推移
1857年 381人
1869年 409人
1880年 191人
1890年 249人
1900年 444人
1910年 254人
1921年 243人
1931年 249人
1948年 194人
1953年 186人
1961年 190人
1971年 175人
1981年 149人
1991年 119人
2001年 95人
この郵便為替が使用された1921年にはPLOČICEの人口は僅か243人の非常に小さな海沿いの村でした。

210113 GRADAČAC 2次チェインブレーカー60 para, 50 para

2013年09月08日 10時57分27秒 | 郵便為替
210113 GRADAČAC 2次チェインブレーカー60 para, 50 para

郵便為替証書
ユーゴスラヴィアの郵便為替証書、クロアチア語表記、額面印紙は印刷されていない

切手
チェインブレーカー2次
Mi.127, 50 para
Mi.128, 60 para, 2枚
合計170 para

郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
2. 1920年5月16日~1921年4月30日
25 Dinar以下-----25 para
25 Dinarを越えて50 Dinar以下-----50 para
50 Dinarを越えて100 Dinar以下-----60 para
100 Dinarを越えて100 Dinar毎に-----10 paraを加算

支払い(払い出し)料金
50 Dinar以下-----10 para
50 Dinarを越えて-----20 para

料金計算
900 Dinarを越えて1000 Dinar以下---150para
支払い(払い出し)料金50 Dinarを越えて-----20 para
合計 170 para
貼り付けた切手170paraと一致

消印
GRADAČAC 13. 1. 21 a
ボスニア・ヘルツェゴビナのGRADAČAC郵便局 1921年1月13日
オーストリア型消印から、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POST(帝国及び王国の軍事郵便局)を削除してユーゴ化した消印。
オーストリア帝国は、正式にはオーストリア帝国とハンガリー王国の連合王国であり、ボスニア・ヘルツェゴビナはこの二重帝国に占領された占領地であったため、郵便局の運営は全て軍隊が行う軍事郵便局であり、K. UND K. MILIT. POST(帝国及び王国の軍事郵便局)と上部に表示していました

210117裏 2次チェインブレーカー10 paraバイセクト、郵便為替の使用例

2013年09月01日 09時23分56秒 | 郵便為替
210117裏 2次チェインブレーカー10 paraバイセクト、郵便為替の使用例

到着印
LJUBLJANA 1 17. I. 21. 24
スロヴェニアのLJUBLJANA1郵便局 1921年1月17日24時
上側がローマ字、下側がキリル文字(セルビア人の使用する文字)の二文字表記の新しいユーゴスラヴィアの全国統一型消印


到着印
LJUBLJANA 1 17. I. 21. 24
スロヴェニアのLJUBLJANA1郵便局 1921年1月17日24時
上側がローマ字、下側がキリル文字(セルビア人の使用する文字)の二文字表記の新しいユーゴスラヴィアの全国統一型消印

210117表 2次チェインレーカー10 paraバイセクト、郵便為替の使用例

2013年09月01日 09時23分15秒 | 郵便為替
210117表 2次チェインレーカー10 paraバイセクト、郵便為替の使用例

郵便為替証書
ユーゴスラヴィアのスロヴェニアのスロヴェニア語のみで表記された新形式の郵便為替証書、額面印紙は印刷されていない

切手
チェインブレーカー2次
Mi.122, 15 para 2枚
Mi.111, 10 paraバイセクト
合計35para (140 vinar)
公式には、10para切手のバイセクトは、国内印刷物にのみ認められました。しかし、現実には、外国郵便、郵便為替などにも使用されました。
この使用例では、国内郵便為替に10paraのバイセクトが使用されており、これは公式には認められていない使用例です。
郵便為替への切手の貼り付けは、郵便局員が行うことになっており、この使用例では、郵便局員が公式の通達を無視して、郵便為替に10paraバイセクトを使用したと考えられます。

郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
2. 1920年5月16日~1921年4月30日
25 Dinar以下-----25 para
25 Dinarを越えて50 Dinar以下-----50 para
50 Dinarを越えて100 Dinar以下-----60 para
100 Dinarを越えて100 Dinar毎に-----10 paraを加算

支払い(払い出し)料金
50 Dinar以下-----10 para
50 Dinarを越えて-----20 para

料金計算
25 Dinar以下-----25 para
支払い(払い出し)料金 50 Dinar以下-----10 para
合計 35 para
貼り付けた切手35 paraと一致

消印
KRANJSKA GORA 17 I 21 a
スロヴェニアのKRANJSKA GORA郵便局1921年1月17日、消印識別記号a
上部のドイツ語の郵便局名KRONAUを削除してスロヴェニア語の郵便局名KRANJSKA GORAだけにしてユーゴ化した消印

為替管理証示印 V358
この記号番号はKRANJSKA GORA郵便局を示すと考えられます

Wikipediaの記載
クランスカ・ゴーラ(Kranjska Gora, ドイツ語:Kronau)は、スロベニアの北西部ゴレンスカ地方にある町であり、そして地方行政区画としての市でもある。クランスカ・ゴーラはオーストリアとイタリアに接している。

クランスカ・ゴーラはジュリア・アルプス山脈に位置し、ウィンタースポーツの町としてとても有名である。Vitranc山の北斜面にスロベニアで最も古いスキー場が広がり[1]、毎年アルペンスキー・ワールドカップや回転と大回転競技のVitranc Cup[2]開催地としても知られている。また、プラニツァ地区には巨大なスキージャンプ台があり、スキージャンプ・ワールドカップが開催されている。

地理
市域はサヴァ川の上流域で、典型的なアルプスの谷アッパーサヴァ谷に位置する。東側はイェセニツェ、南東側にブレッド、南西側にボヴェツ、西側ではイタリアのタルヴィージオ、北側ではオーストリアのフィラッハ=ラント郡と、それぞれ接している。
クランスカ・ゴーラ市は以下の町村から構成される。
Kranjska Gora
Belca
Dovje
Gozd Martuljek
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