チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200626裏 チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て

2008年10月29日 22時07分23秒 | 葉書
200626裏 チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て

DUBROVNIKの城と海岸の風景

ドゥブロヴニク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%83%8B%E3%82%AF

ドゥブロヴニク(Dubrovnik, イタリア語 Ragusa, ラテン語 Ragusium)は、クロアチア、アドリア海沿岸に位置する都市。ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都。「アドリア海の真珠」とうたわれる美しい町並みを誇り、1979年に世界遺産に登録された。

200626チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て

2008年10月29日 22時06分39秒 | 葉書
200626チェインブレーカー 40 vinar凸版、アメリカ宛て

切手: チェインブレーカー
40 vinar(Mi.106) 凸版2枚、平滑白紙、左タイプ1、右タイプ4
合計80 vinar

宛先: Benton Harbor, Michigan (アメリカ)
外国葉書料金: 20 para (80 vinar)

消印: DUBROVNIK 26. VI. 20 RAGUSA a (ダルマチア)
クロアチア語DUBROVNIK、イタリア語RAGUSA郵便局1920年6月26日、消印識別記号a
この消印にはまだイタリア語表記が残されたままになっています。もうしばらくすると削除されてユーゴ化されクロアチア語表記だけになります。

葉書発信者の記載
in Reguisa tustua
Reguisa tustuaにて、
Vic What do you think of the stamp.
ヴィッチ、切手をどう思う


200624 15 vinar官製葉書、20 vinar, 25 vinar凸版

2008年10月26日 11時25分58秒 | 葉書
200624 15 vinar官製葉書、20 vinar, 25 vinar凸版

チェインブレーカー官製葉書15 vinar
切手: チェインブレーカー
20 vinar(Mi.103) 凸版、平滑白紙、タイプ確認不能
25 vinar(Mi.104) 凸版、平滑白紙、タイプ4
合計60 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金を適用: 15 para (60 vinar)

消印: LJUBLJANA 1 24 VI 20 -5 2c(スロヴェニア)
LJUBLJANA 1郵便局1920年6月24日5時、消印識別記号2c
ドイツ語表記LAIBACH 1を削除してユーゴ化した消印

15 vinar官製葉書
(1)印面: greyish blue灰色がかった青色
(2)印面の位置: 1番目の住所の線と印面の間隔が15mm
(3)紙: thin grey paper灰色がかった厚い紙
(4)4番目の住所の線: 細い
(5)中央の縦の分割線: 太く完全


200622クロアチア官製加刷葉書15 filir

2008年10月25日 10時01分33秒 | 葉書
200622クロアチア官製加刷葉書15 filir

クロアチア官製加刷葉書: Mi P41, 15 filir
切手: チェインブレーカー
5 vinar(Mi.100) 凸版、平滑白紙、タイプ4
10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、タイプ2
合計30 vinar

宛先: Beograd (セルビア)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)
料金不足: 30 vinar
料金不足を示すハンドスタンプ「T」有り、不足料は60 vinar (15 para)
ただし不足切手は貼られておらず、別書式で処理したと推定されます。

消印: PANCSOVA 920 JUN ? N4 H (ヴォイヴォディナ)
PANCSOVA郵便局1920年6月?日昼間4時、消印識別記号H、ハンガリー型消印
葉書の裏の記載は6月22日です。

200607チェインブレーカー 10 vinar, 20 vinar凸版

2008年10月22日 20時00分59秒 | 葉書
200607チェインブレーカー 10 vinar, 20 vinar凸版

切手: チェインブレーカー
10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、タイプ3
20 vinar(Mi.103) 凸版、平滑白紙、2枚ともタイプ4
合計50 vinar

宛先: Bos. Brod (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)
料金不足: 10 vinar
料金不足を示すハンドスタンプ「T」有り、不足料は20 vinar (5 para)
ただし不足切手は貼られておらず、別書式で処理したと推定されます。

消印: SARAJEVO 6 7 VI 20 a (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
SARAJEVO 6郵便局1920年6月7日、消印識別記号a
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

200605 スロヴェニア官製15 vinar葉書、チェインブレーカーとの混貼り

2008年10月19日 09時17分33秒 | 葉書
200605 スロヴェニア官製15 vinar葉書、チェインブレーカーとの混貼り

スロヴェニア官製葉書15 vinar
切手: チェインブレーカー
5 vinar (Mi.100)凸版、ノコギリルレット目打ち、平滑白紙、タイプ3
40 vinar (Mi.106)凸版、平滑白紙、タイプ4
合計 60 vinar (15 para)

国内葉書料金: 60 vinar (15 para)
宛先: Zagreb (クロアチア)
消印: KOČEVJE -5. VI. 20 -- *d*(スロヴェニア)
KOČEVJE郵便局1920年6月5日、消印識別記号d

15 vinar葉書
(1)印面: greyish blue灰色がかった青色
(2)印面の位置: 1番目の住所の線と印面の間隔が15mm
(3)紙: thin grey paper灰色がかった薄い紙
(4)4番目の住所の線: 細い
(5)中央の縦の分割線: 中央の縦の分割線の中央部の1番目の住所の線の上下に2箇所の切れ込み有り。

200601 スロヴェニア官製10 vinar葉書 ピンク色紙

2008年10月18日 18時01分18秒 | 葉書
200601 スロヴェニア官製10 vinar葉書 ピンク色紙

スロヴェニア官製葉書10 vinar、ピンク色紙(通常の黄白紙の3倍のカタログ評価)
切手: チェインブレーカー
5 vinar (Mi.100)凸版、縦と水平方向の目打ちずれ、平滑白紙、タイプ4
5 vinar (Mi.100)凸版、上記の切手とは異なる色調、平滑白紙、タイプ2
20 vinar (Mi.103)凸版 2枚、平滑白紙、左からタイプ1, 2
合計 60 vinar (15 para)

スロヴェニア官製葉書10 vinarの後期使用例

国内葉書料金: 60 vinar (15 para)
宛先: Kamnik (スロヴェニア)
消印: LJUBLJANA 1 -1. VI. 20 -5 *2e*(スロヴェニア)
LJUBLJANA 1郵便局1920年6月1日、消印識別記号2e

10 vinar葉書
10 vinarの印面: carmine洋紅色
タイプ2: 下側のローマ字の国名表示; 最初のSの下の枠線が切れて白く見える
ただし、タイプ1の上側のキリル文字の国名表示の中の、最初のCの上側の線の上の枠線が切れて白く見える特徴も持っている。これはタイプ4の可能性もあります。
紙: thin pink paper薄いピンク紙、
サイズ: 上14.3, 下14.3 x 左9.0, 右8.9cm
中央の縦の分割線: 太い、ただし下側の4番目の住所線の上が切れている部分がある

2006裏 クロアチア官製葉書 セルビア軍占領下のバラーニャ地方での使用

2008年10月15日 21時07分41秒 | 葉書
2006裏 クロアチア官製葉書 セルビア軍占領下のバラーニャ地方での使用

到着印: ZÜRICH 1 16. VI. 20. -16 BRIEFTRÄGER I + VIII
ZÜRICH 1郵便局1920年6月16日 16時、

この使用例では、書留ラベルが貼られ、スイスの到着印がありますから、実逓便であることは間違いないと思われます。
葉書の裏側には何も書かれていませんから、この葉書はフィラテリック・カバーであると思われます。

2006クロアチア官製葉書 セルビア軍占領下のバラーニャ地方での使用

2008年10月15日 21時06分43秒 | 葉書
2006クロアチア官製葉書 セルビア軍占領下のバラーニャ地方での使用

解説: セルビア軍占領下のバラーニャ地方
第一次世界大戦後、セルビア軍は、鉄鉱石鉱山の支配を目的として、ハンガリー南部のバラーニャBaranya地方を占領しました。
その中心都市PÉCSペーチは文化都市であり、ハンガリー最古の大学であるペーチ大学があります。
バラーニャ地方では、セルビア軍の占領下で当初はハンガリー切手がそのまま使用され、後にハンガリー切手にBaranyaと加刷した一連の切手と葉書、レターカード、書留封筒が発行されました。

ユーゴスラヴィアの切手(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア)の切手は、バラーニャ地方の郵便局の窓口で発売されることはなく、これらは公式にはバラーニャ地方では無効でした。また、バラーニャ加刷切手がユーゴスラヴィアの郵便局で発売されることも無く、もちろんそれらはユーゴスラヴィアでは無効でした。

しかし現実には、セルビア軍占領下のバラーニャ地方で、スロヴェニアのチェインブレーカーの使用例が非常に少数ですが報告されています。
私の知っている範囲内では3例の使用例が文献で報告されており、私はその内の2例(この葉書とこれとは別の封書)を持っています。
私のコレクションの2つの使用例は、イギリスのYugoslavia Study Groupの機関誌Jugopošta No. 42, p.32-34, September, 1995に投稿してあります。
もう1例は封書で、Jugopošta No. 41, p.24, June, 1995に掲載されています。



ご参考までにBaranya加刷切手がユーゴスラヴィアのクロアチアのNOVA GRADIŠKA(ノヴァ グラディシュカ)で使用された郵便為替(料金計算と切手の貼り付けは郵便局員が行なう)の使用例は、
EXPONENT
SLOVENIAN ISSUES FROM 1919 TO 1920 IN MIXED FRANKING
http://www.japhila.cz/hof/0146/index0146_076.htm
に公開されています。

この他に、ユーゴスラヴィアの葉書やレターカードがセルビア軍占領下のバラーニャ地方で使用された例も報告されており、下記の文献があります。
イギリスのYugoslavia Study Groupの機関誌Jugopošta
①No. 52, December, 1995
②No. 51, Sepetember, 1995 ---これは私のコレクションの報告であり、クロアチアで発行された軍事葉書へ加刷した葉書がバラーニャのPÉCSペーチからスイス宛てに使用された例です。ただし、これはフィラテリック・メールと考えられます。

このようにバラーニャ地方の国境近辺では、ユーゴスラヴィアとバラーニャ占領地の切手が非常にまれに併用されたと考えられます。
それらは、公式に郵便局で発売されたものではなく、旅行者や軍人が持ち込んで使用したと考えられます。

画像の使用例の解説

クロアチア官製加刷葉書: Mi P39 B, 15 filir
切手: セルビア軍占領下のハンガリーのバラーニャ地方加刷
5 fillér (Mi.20)
3 Korona (Mi.32)
45 fillér (Mi.40)
50 fillér (Mi.53)
100 fillér (Mi.55)
合計5 Korona 15 fillér

書留ラベル: Pécs 2823

宛先: Zürich (スイス)

セルビア軍占領下のバラーニャ地方の郵便料金
外国葉書料金: 100 fillér
外国書留料金: 250 fillér
合計: 350 fillér
ただしこの郵便料金の文献の著者は、外国宛て葉書料金に関しては、今後再確認が必要と記載しており、この料金が正しいとは限りません。

参考文献:セルビア軍占領下のバラーニャ地方の郵便料金の出典
イギリスのYugoslavia Study Groupの機関誌Jugopošta No. 66, p.66/5-66/10, June, 2003
著者: Bernard Sharp
The Baranya Republic – The Serbian Occupation of 1918 to 1921 – Postal Tariffs バラーニャ共和国- 1918年から1921年のセルビア占領- 郵便料金

消印
PÉCS 920 JUN ? A1A (セルビア軍占領下のバラーニャ地方)
PÉCS 1郵便局1920年6月?日、消印識別記号A、ハンガリー型消印
PÉCSの日本語読みは「ペーチ」です。

この使用例では、書留ラベルが貼られ、スイスの到着印がありますから、実逓便であることは間違いないと思われます。
この使用例では、クロアチア官製加刷葉書にセルビア軍占領下で発行されたBaranya加刷切手が貼られています。消印はBaranya加刷切手には押されていますが、クロアチア官製加刷葉書の料金印面15 filirには押されていません。
正確な外国宛葉書料金はまだ確定していませんので、クロアチア官製加刷葉書の料金印面15 filirが郵便料金に含まれるかどうかは確定できていません。


200517チェインブレーカー 10 vinar凸版 上側無目打ち

2008年10月12日 09時01分48秒 | 葉書
200517チェインブレーカー 10 vinar凸版 上側無目打ち

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、2枚貼り、上下両方ともタイプ3、上の切手は上側無目打ち
合計20 vinar

宛先: Ruma (クロアチア、正確にはSrijem郡、葉書では宛先の最下段にSremと記載)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)
料金不足: 40 vinar、不足料金は徴収されていません。
この葉書は、1920年5月16日の料金値上げ(国内葉書料金を15 vinarから15 paraに値上げ)の翌日の5月17日の使用例です。
料金値上げの直後のため、郵便局員が不慣れなために、旧料金で計算して不足料金を徴収しなかった可能性があります。

消印: SARAJEVO 1 17 V 20 P * (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
SARAJEVO 1郵便局1920年5月17日、消印識別記号P *
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

到着印: RUMA 20 ? ? 8 C (クロアチア、正確にはSrijem郡)
RUMA郵便局1920年5月20日、昼間8時、消印識別記号C
不鮮明な部分が多いためはっきりとしませんが、左端の数字20は日付けを表していると思われます。
ハンガリー型消印の「年月日」をユーゴスラヴィア式の「日月年」の順に変更してユーゴ化した消印と推定しています。
ただし、ハンガリー国王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠は残されています。

1910年の国勢調査によれば、Ruma地域(Rumaの町とその周辺地域)の住人は49,138人であり、各言語を話す人の割合は、セルビア語22,956人(47%)、ドイツ語15,529人(32%)、ハンガリー語5,746(12%)、クロアチア語3,730人(8%)でした。
このようにセルビアに近いこのSrijem郡地域では、セルビア人の比率が高く、また移住してきたドイツ人の比率も高い地域であり、クロアチア人の比率はかなり低いものでした。現在はセルビア領です。
出典: Wikipedia英語版 http://en.wikipedia.org/wiki/Ruma

200503 チェインブレーカー15 vinar凸版2枚貼り

2008年10月11日 09時19分23秒 | 葉書
200503 チェインブレーカー15 vinar凸版2枚貼り

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー15 vinar(Mi.102) 凸版、平滑白紙、2枚貼り、左からタイプ1と4
合計30 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar
この時期の外国宛て葉書料金は30 vinarのため、オーストリア宛てが国内と同一料金であることを知らずに30 vinarを貼りつけた可能性があります。

消印: SAMOBOR 3 MAJ 20 A (クロアチア)
SAMOBOR郵便局1920年5月3日、消印識別記号A
ハンガリー型消印の「年月日」をユーゴスラヴィア式の「日月年」の順に変更してユーゴ化した消印です。ハンガリー式の3桁の年号表示920も、ユーゴ式の2桁の年号表示20に変更されています。
ただし、ハンガリー国王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠は不鮮明なため判読できません。

暗青色の検閲印
CENZURA. 検閲

200416チェインブレーカー10 vinar凸版1枚貼り

2008年10月08日 21時51分15秒 | 葉書
200416チェインブレーカー10 vinar凸版1枚貼り

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー10 vinar(Mi.101)凸版、平滑白紙、タイプ1、ノコギリルレット、下のマージンが異常に大きい
合計10 vinar

宛先: ZEMUN (ヴォイヴォディナ)
国内葉書料金: 15 vinar
5 vinar不足していますが、不足料金は徴収されていません

消印: ZAGREB 920 -APR 16 -N? L2L (クロアチア)
ZAGREB 2郵便局1920年4月16日昼間?時、消印識別記号L、ハンガリー型消印