チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

210515表 サラエヴォ 戦争身体障害者会議記念印

2008年12月27日 19時04分50秒 | 葉書
210515表 サラエヴォ 戦争身体障害者会議記念印

切手: 戦争身体障害者寄付金付き切手
10 para + 10 para (Mi.159) 1389年にコソボで勃発したセルビア王国とオスマン帝国の間のコソボの戦い
15 para + 15 para (Mi.160) 銃を持つ負傷したセルビア兵士
25 para + 25 para (Mi.161) 王冠を掲げるセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人。3民族協調の象徴。
合計50 para (寄付金50 para)

宛先: Sarajevo (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
国内葉書料金: 25 para (25 para過剰)
1921年5月1日から国内葉書料金は25 para

消印: 赤色
SARAJEVO 1 15. V. 21. 10 18 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
上がキリル文字、下がローマ字の二文字表記のユーゴスラヴィアの消印
SARAJEVO 1郵便局1921年5月15日10時、消印識別番号18

参考文献
1937年のD. NOVAK氏の記事(スイスのThomas Artel氏より提供されたクロアチア語の文献を翻訳)
1921年5月15日のサラエヴォでの戦争身体障害者会議に際して、SARAJEVO 1郵便局は、通常の二重丸型消印を赤色で使用した。
そしてその側に、身体障害者を描く独自の私製の青紫色の大型二重丸型スタンプが押され、円周部には次の表示がある:
戦争身体障害者協会 SARAJEVO

210421チェインブレーカー15 para官製葉書

2008年12月25日 20時00分43秒 | 葉書
210421チェインブレーカー15 para官製葉書

チェインブレーカー15 para官製葉書
(1)印面: dark brown暗い茶色、鮮明な印刷
(2)印面の位置:中央の縦の分割線と印面の間隔が上50,下50mm
(3)紙:light brown paper明るい茶色の紙
(4)中央の縦の分割線:4番目の住所線の上に1箇所の切れ目有り

宛先: Zagreb (クロアチア)
国内葉書料金: 15 para

消印: KOSTAJNICA 921 -APR 21 N11 (クロアチア)
KOSTAJNICA郵便局1921年4月21日、ハンガリー型消印
この郵便局では、1921年4月21日になっても消印をユーゴ型に変更せずにハンガリー型のままで使用し続けています。
KOSTAJNICAは、クロアチアの首都ZAGREBの南東約90 kmのボスニア・ヘルツェゴビナとの国境の小さな町です。

備考
(1)中央上の鉛筆の書き込み「23. IV. 1921」は、葉書の受取人が受取日を書いたものと推定されます。Zagrebまで2日間で着いています。
(2)このチェインブレーカー15 para官製葉書は、Michel葉書類のカタログによると1921年4月1日まで有効であり、この使用例は使用禁止後の使用例です。

210418 チェインブレーカー15 para官製葉書、ハンガリー型消印をユーゴ化した消印

2008年12月21日 18時49分52秒 | 葉書
210418 チェインブレーカー15 para官製葉書、ハンガリー型消印をユーゴ化した消印

チェインブレーカー15 para官製葉書
(1)印面: dark brown暗い茶色、鮮明な印刷
(2)印面の位置:中央の縦の分割線と印面の間隔が上49,下49mm
(3)紙:light brown paper明るい茶色の紙
(4)中央の縦の分割線:左上の差出人の線の上に1箇所の切れ目有り。

宛先: Zagreb (クロアチア)
国内葉書料金: 15 para

消印: OTOČAC 18 APR 921 ? ? (クロアチア)
D欄: 「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更しているように見えます。
OTOČAC郵便局1921年4月18日
ハンガリー型の「年月日」をユーゴ型の「日月年」に変えて、C欄の「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更したユーゴ型消印。
OTOČACは、クロアチアの首都ZAGREBの南西約120 kmの山の中の小さな町です。

備考
このチェインブレーカー15 para官製葉書は、Michel葉書類のカタログによると1921年4月1日まで有効であり、この使用例は使用禁止後の使用例です。

210330消印:

2008年12月20日 10時18分31秒 | 葉書
210330消印:
CRIKVENICA 30 MAR 921 -N9 A (ダルマチア)
D欄: 「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更
CRIKVENICA郵便局1921年3月30日昼間9時、消印識別記号A
ハンガリー型の「年月日」をユーゴ型の「日月年」に変えて、C欄の「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更したユーゴ型消印。

210330 スロヴェニア1次+2次+クロアチア正刷の混貼り

2008年12月20日 10時16分06秒 | 葉書
210330 スロヴェニア1次+2次+クロアチア正刷の混貼り

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー1次
3 vinar(Mi.99)石版、タイプ1
15 vinar(Mi.102)石版
スロヴェニア・チェインブレーカー2次 10 para (Mi.121) (40 vinar)
クロアチア正刷2 filir (Mi.88)
合計 60 vinar (15 para)

宛先: Zagreb (クロアチア)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)

210326消印

2008年12月17日 20時42分38秒 | 葉書
210326消印
KOTOR 26 III 21 a (ダルマチア、現在のモンテネグロのコトル湾の奥の町)
KOTOR郵便局1921年3月26日、消印識別記号a
元はオーストリアの消印ですが、上のクロアチア語KOTORだけが表示され、下がイタリア語CATTAROは削除されてユーゴ化されています。

KOTORは、現在のモンテネグロのコトル湾の奥の町、世界遺産に登録
コトルWikipedia
日本語版: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%AB
英語版: http://en.wikipedia.org/wiki/Kotor

コトルの写真(Historical Archives Kotor)
http://www.matf.bg.ac.yu/konferencije/kotor/

210326表 30 vinar石版1枚貼り、ウィーン宛て

2008年12月17日 20時41分08秒 | 葉書
210326表 30 vinar石版1枚貼り、ウィーン宛て

切手: チェインブレーカー30 vinar(Mi.105) 石版、タイプ9
合計30 vinar

宛先: Wien (オーストリア)

外国葉書料金: 20 para (80 vinar)
オーストリア宛て葉書は、1921年1月31日までは国内と同一料金でしたが、1921年2月1日からは外国宛て葉書料金になりました。
この葉書の場合には、50 vinar不足していますが、不足表示が無いので不足料金未徴収と考えられます

210312裏 20para加刷不足切手のバイセクト

2008年12月14日 14時43分31秒 | 葉書
210312裏 20para加刷不足切手のバイセクト

不足料金:
国内葉書料金15 paraの2倍の30 para (120 vinar、表の手書きの数字120と一致)

不足切手:
15 vinar石版へ加刷不足切手
20 para (Mi.46)
20 para (Mi.46)の水平バイセクトの上側
合計30 para (120 vinar)

消印:
O-BECSÉ 921 MAR 15 N5 C
O-BECSÉ郵便局1921年3月15日昼間5時、消印識別記号C、ハンガリー型消印
セルビア語O-Bečej、ハンガリー語Obecse、現在のBečej、ヴォイヴォディナ


210312消印

2008年12月14日 14時42分14秒 | 葉書
210312消印:
A欄: SZENTTAMAS
B欄:921 -MAR 12 -N10
C欄: BACS BODROG VM.
D欄: 「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除
E欄: A
(ヴォイヴォディナ、現在のセルビア語のSrbobran)
SZENTTAMASはハンガリー語。BACS BODROGは何語か不明、恐らく当時のセルビア語と推定。
SZENTTAMAS郵便局1921年3月12日昼間10時、消印識別記号A、ハンガリー型消印から「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除。