チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

210428裏 小包第4期 ユーゴスラヴィア全国共通普通切手のみの使用例

2008年04月06日 16時37分07秒 | 小包第4期
210428裏 小包第4期 ユーゴスラヴィア全国共通普通切手のみの使用例

小包到着印:モンテネグロNIKŠIĆ -7 V. 1921 (NIKŠIĆ郵便局1921年5月7日)
上側がキリル文字、下側がローマ字の二文字表記のユーゴ型消印。
ただし、年号はユーゴ型の2桁表示の21ではなく、4桁表示の1921になっています。
モンテネグロは山国でもともと人口が少なく、しかも第一次世界大戦で戦場となって多数の死者を出して荒廃したため、この時代の郵便物は非常に少なくほとんど見かけませんので、この時代の消印は珍しいと思われます。
小包受取人サイン日付け:1921年5月8日

210428表 小包第4期 ユーゴスラヴィア全国共通普通切手のみの使用例

2008年04月06日 16時36分25秒 | 小包第4期
210428表 小包第4期 ユーゴスラヴィア全国共通普通切手のみの使用例

小包第4期 ボスニア・ヘルツェゴビナからモンテネグロ宛て

備考:モンテネグロ
モンテネグロは山国でもともと人口が少なく(第一次世界大戦開始時で約24万人)、しかも第一次世界大戦でセルビア側について戦場となり、人口の25%に相当する6万人もの死者を出して荒廃したため、1920年前後の時代の郵便物は非常に少なくほとんど見かけません。
小包送票に記載されている宛て先の「Crnagora(ツルナゴーラ)」はモンテネグロの国名であり、その意味は「黒い山」です。モンテネグロは山国で、山々は非常に濃い緑色をした木々で覆われており、遠目にはそれらの木々が黒く見えるため「黒い山」という国名になったと言われています。2008年現在では独立国となっており、概要はWikipediaのサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD
で知ることができます。
参考文献: 柴宜弘、ユ-ゴスラヴィア現代史、p.52、岩波書店、1996

小包送票:オーストリア・ハンガリー帝国占領下のボスニア・ヘルツェゴビナ10 heller(剣)の小包送票に、キリル文字でKRALJEVSTVO S.H.S. 12 hと加刷(小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、ドイツ語・セルボクロアート語、白紙

小包ラベル:Sarajevo 1 143

価格表記ベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。

料金手書き:31 K 20 h (7.8 Dinar)

切手:ユーゴスラヴィア全国共通普通切手
15 para (Mi.148)2枚, 50 para (Mi.151), 1 Dinar (Mi.154) 2枚, 5 Dinar (Mi.157)
合計7.8 Dinar (31 Kronen 20 vinar)

料金計算:
重量料金11.7 kg---6.0 Dinar (24 Kronen)
価格表記(保険)料金(četiri hiljade)4000 K (1000 Dinar)---1.2 Dinar (4.8 Kronen)
代金引換料金---無し
配達料金---0.6 Dinar (2.4 Kronen)
合計7.8 Dinar (31 Kronen 20 vinar)(料金手書きに一致、貼り付け切手に一致)

参考文献:価格表記(保険)の文字表記の解読に使った辞書と参考書
(1)Langenscheidt, Universal Croatian Dictionary, 1987
(2)Nicholas Awde, Hippocrene Practical Dictionary, SERBO-CROATIAN, 1996
(3)中島由美、エクスプレス セルビア・クロアチア語, 白水社, 1987

消印: SARAJEVO 1 28. IV. 21 -0 7 (SARAJEVO 1郵便局1921年4月28日、消印識別番号7)、上側がキリル文字、下側がローマ字の二文字表記のユーゴ型消印
時刻表示が「-0」とされている理由は不明です。昼の正午を意味する可能性もあります。