チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

210104裏 小包第4期 ボスニアの郵便印にPOSTだけが残されている使用例

2008年02月28日 21時10分59秒 | 小包第4期
210104裏 小包第4期 ボスニアの郵便印にPOSTだけが残されている使用例

到着印:二重丸型 .POST 6 1 21 VIŠEGRAD (VIŠEGRAD郵便局1921年1月6日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. を削除してユーゴ化した消印。「.POST」だけが残されています。

事務処理印:二重丸型 .POST 9 1 21 VIŠEGRAD (VIŠEGRAD郵便局1921年1月9日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. を削除してユーゴ化した消印。「.POST」だけが残されています。

小包引渡し印:二重丸内円ブリッジ型POST 10 1 21 VIŠEGRAD a (VIŠEGRAD郵便局1921年1月10日、消印識別記号a)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. を削除してユーゴ化した消印。「POST」だけが残されています。

小包受取人サイン日付け:1921年1月10日
備考:
このVIŠEGRAD郵便局で使用されている2種の消印で、ドイツ語表記の最後の部分のPOSTだけが残されている理由は不明です。ただし、ドイツ語のPOSTはセルボクロアート語ではPOŠTと書き、両者は良く似ていますのでそのまま残しておいた可能性があります。

210104表 小包第4期 ボスニアの郵便印にPOSTだけが残されている使用例

2008年02月28日 21時10分13秒 | 小包第4期
210104表 小包第4期 ボスニアの郵便印にPOSTだけが残されている使用例

小包第4期 クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナ宛て
小包送票:ユーゴスラヴィアSHS 16 vの印刷無し、スロヴェニア語、ピンク色紙、代金引換のある小包送票
小包ラベル:ZAGREB 2 1795
料金手書き:右上13.60

切手:スロヴェニア2次チェインブレーカー
5 para (Mi.120)、10 para (Mi.121)、25 para (Mi.124)、1 Dinar (Mi.129)、2 Dinar (Mi.130)
合計3.4 Dinar (13.6 Kronen)

料金計算:
重量料金5 kg---2.0 Dinar (8 Kronen)
価格表記(保険)料金1200 K(300 D)---0.3 Dinar (1.2 Kronen)
代金引換料金395.55 K (98.8875 D)--- 200 Dinar以下、宛先住所での支払い有り1.0 Dinar (4.0 Kronen)
通知料金---0.1 Dinar (0.4 Kronem)
合計3.4 Dinar (13.6 Kronen) (料金手書き、貼り付け切手と一致)

消印: ZAGREB 921-JAN 4 N3 C2C (ZAGREB2郵便局1921年1月4日昼間3時、消印識別記号C)、ハンガリー型消印
クロアチアの首都ザグレブ2郵便局では、1921年1月になってもハンガリー型消印が使用されておりユーゴ化されていません。

210103裏 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー4 Dianr

2008年02月26日 21時23分54秒 | 小包第4期
210103裏 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー4 Dianr

到着印: SUBOTICA 2 -6. 1. 21 -2 E欄に5、(SUBOTICA 2郵便局1921年1月6日2時、消印識別番号5)、上側キリル文字、下側ローマ字の二文字表記。
このヴォイヴォディナの新しい消印では、セルビア人の使用する文字であるキリル文字が上に来るように配置され、優越的な位置に配置されています。このように郵便印にもセルビアの支配権の露骨な表示が行なわれました。
ハンガリー王国時代には使用されていた、ハンガリー語表記のSzabadkaは使用されなくなっています。
参考文献: スイスのThomas Artel氏により提供されたヴォイヴォディナの消印の研究リスト

小包受取人サイン日付け: 1921年1月7日

210103表 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー4 Dianr

2008年02月26日 21時23分14秒 | 小包第4期
210103表 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー4 Dianr

小包第4期 ボスニア・ヘルツェゴビナからヴォイヴォディナ宛て

小包送票:オーストリア・ハンガリー帝国占領下のボスニア・ヘルツェゴビナ10 heller(剣)の小包送票に、キリル文字でKRALJEVSTVO S.H.S. 12 hと加刷(加刷が少し左右にずれて二重加刷気味になっています) (小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、ドイツ語・セルボクロアート語、白紙
小包ラベル:Sarajevo 1 914
その他の表示: 黒色スタンプ5、これは同一発送人による同一宛て先の小包が5個あることを示すと考えられます。
料金手書き:33.6

切手:スロヴェニア2次チェインブレーカー
15 para (Mi.122)(0.6 Kronen), 25 para (Mi.124)(1 Kronen), 4 Dinar (Mi.131)(16 Kronen)2枚
合計8.4 Dinar (33.6 Kronen)

料金計算:
重量料金20 kg---8.0 Dinar (32 Kronen)
価格表記(保険)料金1200 K (300 Dinar)---0.3 Dinar (1.2 Kronen)
代金引換料金---無し
通知料金---0.1 Dinar (0.4 Kronen)
合計8.4 Dinar (33.6 Kronen)(料金手書きに一致、貼り付け切手に一致)

消印:箱型SARAJEVO1 3 1 21 (SARAJEVO1郵便局1921年1月3日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

201221表 小包第4期 チェインブレーカー2次15 paraを収入印紙として使用

2008年02月24日 08時54分52秒 | 小包第4期
201221表 小包第4期 チェインブレーカー2次15 paraを収入印紙として使用

小包第4期 ヴォイヴォディナで代金引換の無い小包送票の販売代金領収のための収入印紙としてチェインブレーカー2次15 paraを使用

小包送票:ユーゴスラヴィアPOŠTNA SPREMNICA、左上角にSHS 16 v(小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、スロヴェニア語、灰白紙、代金引換のない小包送票
小包ラベル:Zombor 405
料金手書き:8.40 (6 K, 2 K 40 v, 8.40の計算有り)

切手:スロヴェニア2次チェインブレーカー
①代金引換の無い小包送票代金(収入印紙として使用)15 para (Mi.122)
小包送票にあらかじめ15 para切手を収入印紙として貼って準備していたと推定。
②小包料金(郵便切手として使用)
5 para (Mi.120)2枚, 1 Dinar (Mi.129)2枚
合計 2.1 Dinar (8 Krona 40 vinar)(郵便局員による料金手書きと一致)

料金計算:
①代金引換の無い小包送票代金(収入印紙として使用)15 para (Mi.122)
②小包料金(郵便切手として使用)
重量料金1.5 kg---1.5 Dinar (6 Kronen)
価格表記(保険)料金---無し
代金引換料金---無し
配達料金---60 para (2.4 Kronen)
合計2.1 Dinar (8.4 Kronen) (料金手書き、小包料金貼り付け切手と一致)

備考
郵便局員による小包料金の手書きは8.4 Kronenであり、この金額には「代金引換の無い小包送票代金(収入印紙として使用)15 para」が含まれていません。このため明らかに両者は別扱いがされています。この状態も右上角に貼られた15 paraが小包料金ではなく、小包送票代金を領収するための収入印紙であることを示しています。
ただし、この収入印紙15para分だけが徴収されたのか、あるいはこれとSHS 16 vと印刷された16 vinar (4 para)も併せて合計19 para徴収されたのかは不明です。

消印:ZOMBOR 920 DEC 21 N9 (ZOMBOR 郵便局1920年12月21日昼間9時)、年月日の順のハンガリー型
ヴォイヴォディナのゾムボール郵便局では、1920年12月末になってもハンガリー型消印が使用されておりユーゴ化されていません。
備考:
Zomborはハンガリー語表記であり、セルボクロアート語ではSomborです。
この使用例の時期にはまだ、小包ラベルも消印も旧ハンガリー王国時代のまま、ハンガリー語表記が行なわれていたことが分かります。
もう少し後になって1921年3月には、郵便局名はSOMBORと表示され、上側がセルビア人の使用するキリル文字、下側がローマ字の二文字表記になったことが知られています。
参考文献: スイスのThomas Artel氏により提供されたヴォイヴォディナの消印の研究リスト

アクセス数が2万pvを越えました

2008年02月24日 08時50分01秒 | その他
2/17~2/23の週で、このブログへのアクセス数が2万pvを越えました。
ブログ開設後5ヶ月間でこれだけのアクセスをしていただきましたことをお礼申し上げます。
仕事との兼ね合いがありますので、現在のアップロードのペースの維持は困難になることも予想されますが、これからもご覧いただければ幸いです。

ハンガリー型消印の時刻表示

2008年02月23日 09時51分40秒 | 消印
ハンガリー型消印の時刻表示

ハンガリー型消印の時刻表示について、下記の文献は、次のように記載しています:
Horst Grosse
Überganagstempel Sloweniens 1918-1920 II. Teil
1918-1920年のスロヴェニアの過渡的消印 第2部
Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten No.19, p.279-280 (1982)

文字N、ハンガリー語Nappal、ドイツ語am Tage、日本語: 昼間
文字E、ハンガリー語Ejjel、ドイツ語 in der Nacht、日本語: 夜間

また、下記のハンガリー語-英語辞書は、次のように記載しています:
L. GROSZÁGH,
Hungarian-English Dictionary 18th edition,
AKADÉMIAI KIADÓ, BUDAPEST, 1991
ハンガリー語nappal、英語day-time、日本語: 昼間
ハンガリー語ejjel、英語night、日本語: 夜間

以上より、ハンガリー型消印の時刻表示の記号は
N: 昼間
E: 夜間
であると考えられます。

例えば、写真の小包送票のハンガリー型の消印
ZAGREB 920-JUL 27.-N9 G1G
では、記号Nが使用されていますから「昼間」であり、
ZAGREB 1郵便局1920年7月27日昼間9時、消印識別記号G
となります。


201215裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

2008年02月23日 09時40分43秒 | 小包第4期
201215裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

到着印:単円型LIVNO 20 12 20 (LIVNO郵便局1920年12月20日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
小包受取人サイン日付:1920年12月21日
引渡し印:二重丸型LIVNO 21 12 20 (LIVNO郵便局1920年12月21日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
この時期にLIVNO郵便局では、ユーゴ化された単円型と二重丸型の2種類の消印が使用されていたことが分かります。

証示印:ドイツ語AUSGEFOLGT LAGERZINS K. h.
AUSGEFOLGTは「交付された」という意味であり、小包の受取人への引渡しを示します。LAGERZINSは「保管料金」という意味です。
20日に到着し21日に引き渡しています。AUSGEFOLGT LAGERZINSの証示印が押されていますので、小包の保管料金が徴収されたと考えられます。ただし、保管料金に相当する不足切手は小包送票に貼られていません。別の書式で処理されたと推定されます。

201215表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

2008年02月23日 09時40分00秒 | 小包第4期
201215表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

小包第4期 ボスニア・ヘルツェゴビナ地域内便

小包送票:オーストリア・ハンガリー帝国占領下のボスニア・ヘルツェゴビナ10 heller(剣)の小包送票に、キリル文字でKRALJEVSTVO S.H.S. 12 hと加刷 (小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、加刷が大きく上にシフト、ドイツ語・セルボクロアート語、白紙

小包ラベル:M. P. A. Sarajevo 91
価格表記ラベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。

参考文献:小包送票の表示及びラベル
Arge der Balkan Länder, No. 130, p.6-13, (1994)
Thomas Artel
Einführung in die Verwnedung von Klebzetteln als besonderer Kennzeichnung von Paketbegleitadressen 郵便小包送票の特別表示事項へのラベルの使用
備考:各種表示に関しては、規定のラベルを貼る代わりに、手書きで表示することも許されていました。

料金手書き:22 K 40 h

切手:スロヴェニア
1次チェインブレーカー不足切手リュブリャナ版5 Krona (Mi.42I, 発行数7万5000枚)
2次チェインブレーカー
10 para (Mi.121)(40 vinar), 25 para (Mi.124)(1 Kronen), 4 Dinar (Mi.131)(16 Kronen)
合計 5.6 Dinar (22 Kronen 40 vinar)

料金計算:
重量料金6.3 kg---4.0 Dinar (16 Kronen)
価格表記(保険)料金6000 K (1500 Dinar)---1.5 Dinar (6 Kronen)
代金引換料金---無し
通知料金---0.1 Dinar (0.4 Kronen)
合計5.6 Dinar (22 Kronen 40 vinar)(料金手書きに一致、貼り付け切手に一致)

消印:SARAJEVO1 15. XII. 20 g (SARAJEVO1郵便局1920年12月15日、消印識別記号g)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

このカバーの希少性の解説
スロヴェニア不足切手のリュブリャナ印刷およびウィーン印刷のKrona単位の高額面の切手は、発行数が少ないためカバーの入手は困難です。
この使用例では、発行数7万5000枚のリュブリャナ印刷5 Kronaが1枚貼られています。
発行数が7万5000枚と言っただけではピンと来ないのですが、ほぼ同年代の日本の戦前の記念切手の発行数と比較すると、その少なさの感覚はつかめると思います:
1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、
1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚。
これらの日本切手のカバーがどれほど希少なものかは良くご存知のことと思います。
ここでご紹介している小包送票に貼られている発行数7万5000枚のスロヴェニア不足切手リュブリャナ印刷5 Kronaは、1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚よりも発行数が各々1.1万枚、2.5万枚も少ない切手です。
ほぼ同時代の日本のこれらの戦前の記念切手と、スロヴェニアの不足切手の直接比較は社会的・経済的状況が異なりますので困難ですが、日本人が良く知っている日本切手と比較した方がカバーの価値の類推には役立つと思われますのでご紹介いたしました。

201211裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

2008年02月21日 21時00分57秒 | 小包第4期
201211裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

到着印:BIJELJINA 14. XII 20 C (BIJELJINA郵便局1920年12月14日、消印識別記号C)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
小包受取人サイン日付:1920年12月15日
事務処理印:BIJELJINA 17. XII 20 C (BIJELJINA郵便局1920年12月17日、消印識別記号C)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

証示印:ドイツ語AUSGEFOLGT LAGERZINS K. h.
AUSGEFOLGTは「交付された」という意味であり、小包の受取人への引渡しを示します。LAGERZINSは「保管料金」という意味です。
14日に到着し15日に引き渡しています。AUSGEFOLGT LAGERZINSの証示印が押されていますので、小包の保管料金が徴収されたと考えられます。ただし、保管料金に相当する不足切手は小包送票に貼られていません。別の書式で処理されたと推定されます。

201211表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

2008年02月21日 21時00分18秒 | 小包第4期
201211表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona

小包第4期 ボスニア・ヘルツェゴビナ地域内便

小包送票:オーストリア・ハンガリー帝国占領下のボスニア・ヘルツェゴビナ10 heller(剣)の小包送票に、キリル文字でKRALJEVSTVO S.H.S. 12 hと加刷 (小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、ドイツ語・セルボクロアート語、白紙
小包ラベル:Sarajevo H. P. A. 170

価格表記ラベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。

参考文献:小包送票の表示及びラベル
Arge der Balkan Länder, No. 130, p.6-13, (1994)
Thomas Artel
Einführung in die Verwnedung von Klebzetteln als besonderer Kennzeichnung von Paketbegleitadressen 郵便小包送票の特別表示事項へのラベルの使用
備考:各種表示に関しては、規定のラベルを貼る代わりに、手書きで表示することも許されていました。

料金手書き:39 K 20 h

切手:スロヴェニア
1次チェインブレーカー
普通切手2 Krona (Mi. 110)
不足切手リュブリャナ版5 Krona (Mi.42I, 発行数7万5000枚)
2次チェインブレーカー
5 para (Mi.120)(20 vinar), 4 Dinar (Mi.131)(16 Kronen)2枚
合計 9.8 Dinar (39 Kronen 20 vinar)

料金計算:
重量料金19.5 kg---8.0 Dinar (32 Kronen)
価格表記(保険)料金4000 K (1000 Dinar)---1.2 Dinar (4.8 Kronen)
代金引換料金---無し
配達料金---0.6 Dinar (2.4 Kronen)
合計9.8 Dinar (39 Kronen 20 vinar)(料金手書きに一致、貼り付け切手に一致)

消印:SARAJEVO1 11. XII. 20 g (SARAJEVO1郵便局1920年12月11日、消印識別記号g)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

このカバーの希少性の解説
スロヴェニア不足切手のリュブリャナ印刷およびウィーン印刷のKrona単位の高額面の切手は、発行数が少ないためカバーの入手は困難です。
この使用例では、発行数7万5000枚のリュブリャナ印刷5 Kronaが1枚貼られています。
発行数が7万5000枚と言っただけではピンと来ないのですが、ほぼ同年代の日本の戦前の記念切手の発行数と比較すると、その少なさの感覚はつかめると思います:
1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、
1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚。
これらの日本切手のカバーがどれほど希少なものかは良くご存知のことと思います。
ここでご紹介している小包送票に貼られている発行数7万5000枚のスロヴェニア不足切手リュブリャナ印刷5 Kronaは、1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚よりも発行数が各々1.1万枚、2.5万枚も少ない切手です。
ほぼ同時代の日本のこれらの戦前の記念切手と、スロヴェニアの不足切手の直接比較は社会的・経済的状況が異なりますので困難ですが、日本人が良く知っている日本切手と比較した方がカバーの価値の類推には役立つと思われますのでご紹介いたしました。

201210裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona、かさばる小包

2008年02月19日 21時37分53秒 | 小包第4期
201210裏 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona、かさばる小包

到着印:BIJELJINA 16. XII 20 C (BIJELJINA 郵便局1920年12月16日、消印識別記号C)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
事務処理印:BIJELJINA 22. XII 20 C (BIJELJINA 郵便局1920年12月22日、消印識別記号C)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
小包受取人サイン日付:1920年12月23日
小包引渡し印:BIJELJINA 23. XII 20 ? (BIJELJINA 郵便局1920年12月23日、消印識別記号不明)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

証示印:ドイツ語AUSGEFOLGT LAGERZINS K. h.
AUSGEFOLGTは「交付された」という意味であり、小包の受取人への引渡しを示します。LAGERZINSは「保管料金」という意味です。
16日に到着し23日に引き渡しています。AUSGEFOLGT LAGERZINSの証示印が押されていますので、小包の保管料金が徴収されたと考えられます。ただし、保管料金に相当する不足切手は小包送票に貼られていません。別の書式で処理されたと推定されます。

201210表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona、かさばる小包

2008年02月19日 21時37分09秒 | 小包第4期
201210表 小包第4期 スロヴェニア不足切手5 Krona、かさばる小包

小包第4期 ボスニア・ヘルツェゴビナ地域内便

小包送票:オーストリア・ハンガリー帝国占領下のボスニア・ヘルツェゴビナ10 heller(剣)の小包送票に、キリル文字でKRALJEVSTVO S.H.S. 12 hと加刷(加刷が少し左右にずれて二重加刷気味になっています) (小包送票代金の収入印紙、小包料金に含まない)、ドイツ語・セルボクロアート語、ピンク色がかった紙

小包ラベル:Sarajevo H. P. A. 4023
価格表記ラベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。
かさばる小包のラベル: 白色紙に赤字でSp(SpはSperrgut の略)。ドイツ活字体Frakturで記載。通常はローマ字体であり、この字体のラベルは例数が少ない。

参考文献:小包送票の表示及びラベル
Arge der Balkan Länder, No. 130, p.6-13, (1994)
Thomas Artel
Einführung in die Verwnedung von Klebzetteln als besonderer Kennzeichnung von Paketbegleitadressen 郵便小包送票の特別表示事項へのラベルの使用
備考:各種表示に関しては、規定のラベルを貼る代わりに、手書きで表示することも許されていました。

料金手書き:54 K

切手:スロヴェニア
1次チェインブレーカー不足切手リュブリャナ版5 Krona (Mi.42I, 発行数7万5000枚)
2次チェインブレーカー25 para (Mi.124)(1 Kronen), 6 Dinar (Mi.132)(24 Kronen)2枚
合計13.5 Dinar (54 Kronen)

料金計算:
重量料金17.4 kg---8.0 Dinar (32 Kronen)
かさばる小包料金(重量料金の50%)---4.0 Dinar (16 Kronen)
価格表記(保険)料金3000 K (750 Dinar)---0.9 Dinar (3.6 Kronen)
代金引換料金---無し
配達料金---0.6 Dinar (2.4 Kronen)
合計13.5 Dinar (54 Kronen) (料金手書きに一致、貼り付け切手に一致)

消印:SARAJEVO1 10. XII. 20 g (SARAJEVO1郵便局1920年12月10日、消印識別記号g)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

このカバーの希少性の解説
スロヴェニア不足切手のリュブリャナ印刷およびウィーン印刷のKrona単位の高額面の切手は、発行数が少ないためカバーの入手は困難です。
この使用例では、発行数7万5000枚のリュブリャナ印刷5 Kronaが1枚貼られています。
発行数が7万5000枚と言っただけではピンと来ないのですが、ほぼ同年代の日本の戦前の記念切手の発行数と比較すると、その少なさの感覚はつかめると思います:
1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、
1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚。
これらの日本切手のカバーがどれほど希少なものかは良くご存知のことと思います。
ここでご紹介している小包送票に貼られている発行数7万5000枚のスロヴェニア不足切手リュブリャナ印刷5 Kronaは、1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚よりも発行数が各々1.1万枚、2.5万枚も少ない切手です。
ほぼ同時代の日本のこれらの戦前の記念切手と、スロヴェニアの不足切手の直接比較は社会的・経済的状況が異なりますので困難ですが、日本人が良く知っている日本切手と比較した方がカバーの価値の類推には役立つと思われますのでご紹介いたしました。

201210裏 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー15para, 4 Dinar

2008年02月17日 10時15分43秒 | 小包第4期
201210裏 小包第4期 スロヴェニア2次チェインブレーカー15para, 4 Dinar

到着印:
箱型: BANJALUKA 13 12 20 (1920年12月13日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
二重丸内円ブリッジ型: BANJALUKA 13. 12. 20 a(1920年12月13日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
小包引渡し印:
二重丸内円ブリッジ型: BANJALUKA 15. 12. 20 a(1920年12月15日)、ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。
小包受取人サイン日付: 1920年12月15日