191022表 郵便為替証書代金の収入印紙として2 filler切手を加貼り
郵便為替証書
ユーゴスラヴィアの新形式の郵便為替証書、額面印紙は印刷されていない、クロアチア語表記
切手
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.103. 20 vinar凸版
Mi.108, 60 vinar
クロアチア正刷
Mi.88, 2 filler
合計 82 vinar
郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
1. 1919年7月1日~1920年5月15日
25 Kronen以下-----25 vinar
25 Kronenを越えて50 Kronen以下-----50 vinar
50 Kronenを越えて100 Kronen以下-----60 vinar
100 Kronenを越えて100 Kronen毎に-----10 vinarを加算
支払い(払い出し)料金、全ての為替金額に対して-----10 vinar
為替料金計算
100 Kronenを越えて200 Kronen以下-----70 vinar
支払い(払い出し)料金、全ての為替金額に対して-----10 vinar
小計 80 vinar
郵便為替証書の販売価格引き上げにより、郵便為替証書代金の収入印紙としてクロアチア正刷2 filler切手を加貼り
合計 82 vinar
消印
VARAŽDIN 919 - OKT. 22 N10
クロアチアのVARAŽDIN郵便局1919年10月22日、昼間10時
D欄にイシュトヴァン・クラウンと呼ばれるハンガリー王冠の入ったハンガリー型の消印
郵便為替証書の代金(収入印紙)としての切手の使用について
出典: Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten 97-98/2006, p.1931-1945 (2006)
Prof. Dr.-Ing. Klaus Wieland
SHS 1918 bis 1921: Fiskalische Zusatzfrankaturen auf Postanweisungs-Formularen
SHS 1918年-1921年: 郵便為替証書への収入印紙としての追加貼り付け
2.ザグレブ、ノヴィサド(ナギ ベチュケレク)、スプリト郵政局管内(クロアチア、スラヴォニア、ヴォイヴォディナ、ダルマチア地方)の郵便為替証書への切手の追加貼り付け(証書料金の収入印紙として使用)
1918年には、ハンガリー地域(クロアチア、スラヴォニア、ヴォイヴォディナ)では、額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替が使用されていた。
この他に、額面印紙の印刷されていないNachnahme-Postanweisung(着払い郵便為替)とInternationale- Postanweisung(国際郵便為替)が存在していた。
この地域の郵便為替証書の価格の値上げに関する公文書を著者は入手していない。
著者の経験では、1918年12月から1920年3月まで、額面印紙の印刷されていない郵便為替は2 fillér または3 fillér切手を追加貼り付けされて使用された、しかし、この追加貼りつけをしなかった郵便局もある。
1918年12月から1919年3月まで、額面印紙の印刷されていない郵便為替は2 fillér切手を追加貼り付けされて使用された、しかし、この追加貼りつけをしなかった郵便局もある。
1919年3月以降は、額面印紙の印刷されていない郵便為替では、2 fillér (後に3 fillér)切手を追加貼り付けしていない使用例を著者は知らないと記載している。
また、この追加貼り付けの規定が郵便局で例外なく適用されたと著者は推定している。
額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替は、1920年6月まで使用され、恐らく使い尽くされたか、あるいは後に10 filirの加刷をされた(後述)。
1919年中頃に、郵便為替の価格が3 filirに値上げされ、額面印紙「Pošta Kraljevstva SHS 3 fil」と印刷された新しい郵便為替が登場した。
この新郵便為替証書の早期使用は1919年7月7日(ZAGREB 6)、後期使用は1920年9月である。
1919年7月から1920年3月には、額面印紙の印刷されていない郵便為替では、3 filirの追加貼りつけを必要とした。
1920年9月の3 filir追加貼りつけの後期使用例が、ダルマチア地方のスプリト郵政局管内で少数例が知られている。