チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

190208裏 オーストリアのケルンテン州1次占領 PRÄVALI

2011年04月24日 09時16分48秒 | 郵便為替
190208裏 オーストリアのケルンテン州1次占領 PRÄVALI

到着印
LAIBACH 1 LJUBLJANA 1
12 2 19 n
スロヴェニアのドイツ語名LAIBACH 1、スロヴェニア語LJUBLJANA 1郵便局、1919年2月12日、消印識別記号n
ドイツ語・スロヴェニア語二カ国語表示の消印 (この後しばらくするとユーゴ化されてドイツ語表記のLAIBACH 1は削除されます)

190208表 オーストリアのケルンテン州1次占領 PRÄVALI

2011年04月24日 09時15分36秒 | 郵便為替
190208表 オーストリアのケルンテン州1次占領 PRÄVALI

郵便為替証書
オーストリア・ハンガリー帝国時代のドイツ語表記
額面印紙の印刷されていない郵便為替証書

切手
オーストリア帝国速達切手
Mi.219, 2 heller, 3枚(速達切手を普通切手として使用)
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.103, 20 vinar石版
合計 26 vinar

郵便為替料金
(1)スロヴェニアのこの時期の国内宛て
国内郵便為替料金1918年9月1日~1919年6月30日まで
基本料金 20 vinar
50 Kronen毎の金額料金の加算 5 vinar

受取人により支払われる配達料金(不足切手により徴収)
郵便為替または郵便小切手
10 Kronen以下 5 vinar
10 Kronenを越えて1000 Kronen以下 20 vinar
1000 Kronenを越えて1000 Kronen毎に 20 vinar

(2)料金計算
基本料金20 vinar
50 Kronenまでの金額料金の加算 5 vinar
合計 25 vinar
切手は26 vinar貼られているため1 vinar過貼り。
恐らく、切手不足により5 vinar切手がなかったため、速達切手6vinar(heller)分を5 vinar切手として代用した可能性が高い。
この時期1919年2月8日は、1919年4月15日の郵便為替証書の販売価格引き上げの前の時期のため、値上げ分を切手で追加貼り付けする措置はまだ行われていない時期である。

消印
PRÄVALI 8. II. 19 *b*
ユーゴ軍の占領下にあったオーストリアのケルンテン州の町、ドイツ語名PRÄVALI、スロヴェニア語名前REVALJE郵便局、1919年2月8日、消印識別記号b
オーストリア型消印

備考:ユーゴスラヴィア軍によるケルンテン州の占領
ユーゴスラヴィア軍によるケルンテン第1次占領は、1918年11月初めから1919年5月初めまで行われましたが、いったんオーストリア軍がケルンテン州を奪還しました。
そして再びユーゴスラヴィア軍が侵攻し、1919年5月末から1920年10月末まで第2次占領が行われました。一部の地域を除き、1920年10月10日の住民投票によりこの地域の帰属が決定され、オーストリアへの残留が決まりました。
ドイツ語名PRÄVALI (スロヴェニア語名PREVALJE)の第1次占領は、1918年11月7日から1919年5月6日まで行われました。この町はいったんオーストリア軍に奪還されましたが1919年5月28日から再びユーゴスラヴィア軍の占領下に入り、住民投票の結果を待たずにユーゴスラヴィアへの併合が行われました。
この郵便為替の使用例は、約半年間続いたPRÄVALI (スロヴェニア語名PREVALJE)の第1次占領の時期の使用例です。

参考文献
Poštni žigi na Koroškem ケルンテンの郵便印
スイスのArge der Balkanländerの会長Thomas Artel氏よりご提供いただいた資料です。

190203表 クロアチアSHS加刷 クロアチアのザグレブからオーストリアのウィーン口座宛て

2011年04月17日 16時49分19秒 | 郵便為替
190203表 クロアチアSHS加刷 クロアチアのザグレブからオーストリアのウィーン口座宛て

郵便為替証書
オーストリア・ハンガリー帝国時代のドイツ語表記
額面印紙の印刷されていないNACHNAHME POSTANWEISUNG着払い郵便為替
(オーストリアのウィーンから送られてきた着払い郵便物の着払い金額を送金したものと推定)

切手
クロアチア、ハンガリー切手へのSHS加刷
Mi.71, 15 fillér
Mi.85, 20 fillér
合計 35 fillér

為替金額 134 K 65 h
宛て先: オーストリア、ウイーン、郵便貯金局口座No. 157.375

郵便為替料金
(1)クロアチアのこの時期のオーストリア宛ては、オーストリア・ハンガリー帝国時代の国内料金が適用された
国内郵便為替料金1918年9月1日~1919年6月30日まで
10 Kronen以下20 fillér
10 Kronenを越えた時の基本料金20 fillér
50 Kronen毎に5 fillér

(2)料金計算
10 Kronenを越えた時の基本料金20 fillér
送金金額は50 + 50 + 34.65 = 134.65 Kのため、5 fillér × 3 = 15 fillér
合計 35 fillér
これは、為替証書の右上角の黒インクの料金記載35と一致している

為替記号および各種の記載など
(1)右下: 黒色の長方形の箱型の証示印90.b、これはZAGREB 2郵便局を表すと考えられる
(2)上部:
①赤インクの手書き Z/210、管理用記号番号と推定
②紫色証示印 VISA…(判読不能)、
③青インク手書き Z57 II 920
(3)下部:
①赤鉛筆手書き 54059/??
②黒インク証示印 338

消印
ZAGREB 2 919 FEB. -3 N9 W
クロアチアのZAGREB2郵便局、1919年2月3日、昼間9時、消印識別記号W
ハンガリー型消印

受領書の部分
この使用例では、左側の受領書が本体についたまま残されている

消印
ZAGREB 2 919 FEB. -3 N9 W
クロアチアのZAGREB2郵便局、1919年2月3日、昼間9時、消印識別記号W
ハンガリー型消印

為替金額 134 K 65 hの記載
着払い料金の支払い者の記載: 青インクで記載
宛て先の赤色スタンプ: オーストリア、ウイーン、郵便貯金局口座No. 157.375
合計金額(着払い金額134 K 65 h +郵便為替料金 35 fillér) 135 Kの記載

3.サラエボ郵政局管内-ボスニア・ヘルツェゴビナ

2011年04月10日 11時02分42秒 | 郵便為替
3.サラエボ郵政局管内-ボスニア・ヘルツェゴビナ

1918年のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便為替書式には、額面印紙3 hellerが印刷されていた。

額面印紙の印刷されていない郵便為替への追加貼り付けは、1919年8, 9, 10月にBRČKO郵便局だけで知られている。
BRČKOでは、6 heller新聞切手(Mi.24目打ち有り)の縦バイセクト=3 hellerを普通切手として使用し、郵便為替に貼り付けた。
表4に使用例11例を記載。

ブログ著者備考
このBRČKOの6 heller新聞切手(Mi.24目打ち有り)のバイセクトは、非常に人気があります。ヨーロッパ(ドイツ、オーストリア、スイス、クロアチア、スロヴエニア)のオークションでは、完全な郵便為替で3万円以上、カットスクエアーでも5000円以上が相場です。

以上

2.ザグレブ、ノヴィサド(ナギ ベチュケレク)、スプリト郵政局管内

2011年04月03日 13時20分46秒 | 郵便為替
2.ザグレブ、ノヴィサド(ナギ ベチュケレク)、スプリト郵政局管内
クロアチア、スラヴォニア、ヴォイヴォディナ、ダルマチア地方

(1)この地域の一般的状況
1918年には、ハンガリー地域(クロアチア、スラヴォニア、ヴォイヴォディナ)では、額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替が使用されていた。
この他に、額面印紙の印刷されていないNachnahme-Postanweisung(着払い郵便為替)とInternationale- Postanweisung(国際郵便為替)が存在していた。

この地域の郵便為替証書の価格の値上げに関する公文書を著者は入手していない。

著者の経験では、1918年12月から1920年3月まで、額面印紙の印刷されていない郵便為替は2 fillér または3 fillér切手を追加貼り付けされて使用された、しかし、この追加貼りつけをしなかった郵便局もある。

1918年12月から1919年3月まで、額面印紙の印刷されていない郵便為替は2 fillér切手を追加貼り付けされて使用された、しかし、この追加貼りつけをしなかった郵便局もある。

1919年3月以降は、額面印紙の印刷されていない郵便為替では、2 fillér (後に3 fillér)切手を追加貼り付けしていない使用例を著者は知らないと記載している。
また、この追加貼り付けの規定が郵便局で例外なく適用されたと著者は推定している。

額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替は、1920年6月まで使用され、恐らく使い尽くされたか、あるいは後に10 filirの加刷をされた(後述)。

1919年中頃に、郵便為替の価格が3 filirに値上げされ、額面印紙「Pošta Kraljevstva SHS 3 fil」と印刷された新しい郵便為替が登場した。
この新郵便為替証書の早期使用は1919年7月7日(ZAGREB 6)、後期使用は1920年9月である。

1919年7月から1920年3月には、額面印紙の印刷されていない郵便為替では、3 filirの追加貼りつけを必要とした。
1920年9月の3 filir追加貼りつけの後期使用例が、ダルマチア地方のスプリト郵政局管内で少数例が知られている。

1919年9月から1920年3月には、以下の郵便為替が使用された:
①額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替
②額面印紙の印刷されていない郵便為替 + 2 filir追加貼り付け
③額面印紙「Pošta Kraljevstva SHS 3 fil」が印刷された新しい郵便為替
④額面印紙の印刷されていない郵便為替(主としてSHS-Nachnahme) + 3 filir追加貼り付け


表2
追加貼付け2 filir 43例を記載
追加貼付け3 filir (vinar) 24例を記載 (その内4例はダルマチア地方(スプリト郵政局管内))
追加貼付け3 filir (2f +2fバイセクト) PRTROVARADIN 1919年8月6日
追加貼付け4 filir (2×2f) VINKOVCI 1919年9月10日
追加貼付け2.5 vinar
KUZMIN 1919年12月4日、チェインブレーカー5 vinar石版バイセクト=2.5 vinar
SELCE 1920年4月12日、チェインブレーカー5 vinar凸版バイセクト=2.5 vinar


図3
①3 filir追加貼り付けの例
郵便局PRTROVARADIN、クロアチア正刷2 filir切手+同切手のバイセクト=3 filir
②4 filir追加貼り付けの例
郵便局VINKOVCI クロアチア正刷2 filir切手×2=4 filir


図4 2.5 vinar追加貼り付けの例
①郵便局KUZMIN 1919年12月4日、チェインブレーカー5 vinar石版バイセクト=2.5 vinar
②郵便局SELCE 1920年4月12日、チェインブレーカー5 vinar凸版バイセクト=2.5 vinar
3 vinar切手が不足したために、5 vinar切手をバイセクトして2.5vinarを3 vinar切手の代用品として使用したと推定される。


図5 PETROVARADINのクロアチア正刷2 filir切手バイセクト
①額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替に、クロアチア正刷2 filir切手バイセクト=1 filirを追加貼り付けして、合計3 filirにしている。
②額面印紙2 fillérが印刷された電信郵便為替に、クロアチア正刷2 filir切手バイセクト=1 filirを追加貼り付けして、合計3 filirにしている。


図6 不必要な追加貼り付けをした使用例
額面印紙2 fillérが印刷された通常のハンガリーの郵便為替に、以下の追加貼り付けをしている例がある:
①クロアチア正刷2filir切手を追加貼り付け VINKOVCI郵便局 1919年2月14日
②クロアチア正刷2filir切手2枚=4 filirを追加貼り付け OSIJEK5郵便局 1919年5月2日
③クロアチアSHS加刷3filir切手を追加貼り付け HERCEGOVAC郵便局 1919年2月6日
これらは、適用の誤りの例である。


(2)1920年後半の加刷した郵便為替
種々の郵便為替書式に額面「Kraljevstvo SHS 10 filira」と、その他の文字記載の変更を加刷。1920年9月から1921年3月の使用例が知られている。

(3)30 vinar追加貼り付けが、1920年9月から1921年3月にヴォイヴォディナ(ノヴィサド郵政局)の僅かな郵便局で知られている。

表3
①30 vinar追加貼り付け
30 vinar追加貼り付けの10例の使用例を記載。
ノヴィサド郵政局管内の同時期の30 vinar追加貼り付けの無い使用例2例も記載。

②郵便料金無料の公用便への30 vinarの追加貼り付け
Banat Batschka/Baranya 1920年9月20日
GMBOŠ 1920年9月22日
いずれもチェインブレーカー15vinar石版2枚

③公用印「Susak-Handkasse des Forstamts」 30 vinar+6 vinarの追加貼り付け
1920年9月20日 SUSAK チェインブレーカー30 vinar凸版+3 vinar石版2枚