チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

211220裏 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

2008年04月19日 06時59分00秒 | 小包第5期
211220裏 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

到着印:BLATO 27. XII. 21 *a* (BLATO郵便局1921年12月27日、消印識別記号a)

イタリア軍によるダルマチア占領
Korčula(コルチュラ)島は、イタリア軍占領下のダルマチアのゾーンIであり、1921年4月17日にユーゴスラヴィアに返還されました。
この使用例は、返還8ヵ月後の消印であり、ユーゴスラヴィアの消印が間に合わなかったため、古いオーストリア時代の消印がそのまま使用されています。
参考文献
Dr. H. Dietz
Die Postämter in den von Italien besetzten Gebieten Norddalmatiens nach dem I. Weltkrieg 第一次世界大戦後にイタリアにより占領された地域である北ダルマチアの郵便局
Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten No.26, p.375-376 (1984)

受取人サイン日付け: 1921年12月29日

備考
代金引換金額を為替送金するための用紙の一部が残っており、送金の宛先のSarajevoと金額の一部の95が残っています。

211220表 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

2008年04月19日 06時58分09秒 | 小包第5期
211220表 小包第5期、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

小包第5期 セルビアの小包送票をボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォで使用、
ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォから、イタリア占領から返還されたコルチュラ島宛て

小包送票:KRALJEVINA SRBA, HRVATA i SLOVENACA, SPROVODNI LIST, 40 para
翻訳「セルビア人、クロアチア人、及びスロヴェニア人の王国、小包送票、40 para」
(この使用例では切手の下に隠れていますが、「201017表」より40 paraの印刷がされていることが判明しています)
この形式のものは、旧セルビア王国領内だけで使用するために用意されたと思われますが、小包送票の不足のため、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォにも回されたと推定されます。
小包送票(代金引換有り)の販売価格は40 para (160 vinar)で、これは収入印紙として領収され、小包料金には含まれません。

小包ラベル:Sarajevo H.P.A. 4005、1921年末になってもオーストリア帝国時代のラベルをまだ使用しています。

価格表記ラベル:白色紙に赤字でV;セルボクロアート語でVrijednost価格表記(保険)付きを示します。オーストリア帝国占領時代のボスニア・ヘルツェゴビナの郵便規則では、価格表記(保険)付きは黒字でWと表示したラベルであったため、このVと表示したラベルはユーゴスラヴィアのものであると考えられます。

料金手書き:無し

切手:
ユーゴスラヴィア全国共通普通切手20 para(Mi.149), 50 para(Mi.151), 5 Dinar(Mi.157), 10 Dinar(Mi.158)2枚
合計25.7 Dinar

料金計算:
重量料金16.7 kg---20.0 Dinar
価格表記(保険)料金1000 Dinar---2.0 Dinar
代金引換料金950 Dinar
・郵便為替料金500~1000D以下----3.0 Dinar
・受取人住所での支払い料金、50 Dを越える----0.5 Dinar
・合計3.5 Dinar
通知料金---0.2 Dinar
合計25.7 Dinar、貼り付け切手に一致。

消印:SARAJEVO 1 20. XII. 21 -7 15 (SARAJEVO 1郵便局1921年12月20日7時、消印識別番号15)、上はキリル文字、下はローマ字の二文字表記。

宛先: イタリア占領から返還されたコルチュラ島のBlato