チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200312 ダルマチアの使用例、Dubrovnik検閲印

2008年09月28日 21時28分48秒 | 葉書
200312 ダルマチアの使用例、Dubrovnik検閲印

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー
5 vinar(Mi.100)石版、平滑白紙、タイプ3
10 vinar(Mi.101)凸版、平滑白紙、タイプ1、pos.6
合計15 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar

消印: SPLIT 2 12 III. 20 SPALATO 2 ? *
SPLIT 2郵便局1920年3月12日、
クロアチア語SPLIT、イタリア語SPALATOの二ヶ国語表記の消印

右下部の葉書受け取りの記載と思われる書き込み
23/III – 920 1920年3月23日、スプリトからウィーンまで11日かかっているようです。

200310オーストリア往復葉書の返信部にチェインブレーカー30 vinarを加貼り

2008年09月27日 15時38分57秒 | 葉書
200310オーストリア往復葉書の返信部にチェインブレーカー30 vinarを加貼り

切手:
オーストリア官製往復葉書の返信部10 hellerと推定(切手の下のため不明)
スロヴェニア: チェインブレーカー30 vinar(Mi.105) 凸版、平滑白紙、タイプ1、ノコギリルレット目打ち
合計40 vinarと推定、切手だけでは30 vinar

宛先: Zürich (スイス)
スイス宛て外国葉書料金: 30 vinar
オーストリア官製往復葉書の返信部10 hellerは、スイス宛てには無効であるため、スイス宛て外国葉書料金に相当する30 vinar切手を貼って使用したと推定されます。

消印: SARAJEVO(局名部分は消えている) 10 III 20 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
1920年3月10日、上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印
左の差出人のハンドスタンプの住所はSARAJEVOと記載されていますので、この葉書の差出地はSARAJEVOであると考えられます。

検閲印: 黒紫色ハンドスタンプ、キリル文字表記
VOJNA CENZURA 軍事検閲
SARAJEVO サラエボ (ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)

200307 クロアチア加刷官製葉書とチェインブレーカーのセルビアでの使用例

2008年09月25日 19時58分01秒 | 葉書
200307 クロアチア加刷官製葉書とチェインブレーカーのセルビアでの使用例

切手:
クロアチア加刷官製葉書10 filira (Mi. P36)
スロヴェニア: チェインブレーカー5 vinar(Mi.100) 凸版、上無目打ち、右側の目打ちずれ、タイプ2
合計15 vinar

備考:
セルビア領では、クロアチアの加刷官製葉書もスロヴェニアのチェインブレーカー切手も無効でしたが、この使用例ではセルビアの首都のベオグラードの消印が押されて、郵便料金として通用しています。

宛先: Požega (クロアチアのスラヴォニア)
国内葉書料金: 15 vinar

消印: BELGRADE 1 -7 III 20 ・・・ (セルビア)
BELGRADE 1郵便局1920年3月7日、上側がキリル文字、下側がローマ字表記のセルビア型消印
これは、セルビアの首都ベオグラードの第1郵便局の消印であり、ここの担当官はセルビアではクロアチア加刷官製葉書もスロヴェニアのチェインブレーカー切手も無効であることを知らずに見過ごしたようです。

200306スロヴェニア官製葉書10 vinar、中央の縦線が消失、ドイツ宛て

2008年09月21日 10時07分05秒 | 葉書
200306スロヴェニア官製葉書10 vinar、中央の縦線が消失、ドイツ宛て

切手:
スロヴェニア官製葉書10 vinar
スロヴェニア: チェインブレーカー5 vinar(Mi.100) 凸版、平滑白紙、タイプ4
合計15 vinar

宛先: München (ドイツ)

ドイツ宛て葉書料金は外国料金: 30 vinar
料金は15 vinar不足していますが、不足料を徴収していません。

消印: MARIBOR 2 -6. III. 20. – *i* (スロヴェニア)
MARIBOR 2郵便局1920年3月6日、消印識別記号i、局名はスロヴェニア語表記の消印
MARIBOR 2郵便局の横の波線が6本ある機械消印の押されたカバーは少ないと考えられます。

10 vinar官製葉書
10 vinarの印面: red 赤色
タイプ3: 上側のキリル文字の国名表示; Pの上の枠線が大きく白く窪んで見える、最初のCの上側の線の上の枠線が切れて白く見える
紙: glossy yellowish paper光沢のある黄色がかった紙
サイズ: 上13.9, 下13.8 x 左9.3, 右9.1cm
中央の縦の分割線: 中央の縦線が完全に消失

200306 チェインブレーカー5 vinar石版3枚貼り

2008年09月20日 07時38分35秒 | 葉書
200306 チェインブレーカー5 vinar石版3枚貼り

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー5 vinar石版3枚、平滑白紙、合計15 vinar
左:タイプ10(ただし一部変形)、中:タイプ9、右:タイプ8

宛先: Mor. Btrava (チェコスロバキア)
チェコスロバキア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar

消印: CRIKVENICA 920 MAR ? E? B (クロアチア)
CRIKVENICA 郵便局1920年3月?日 夜?時、消印識別記号B、ハンガリー型消印
差出人の記載は、6. III. 20と記載されています。
左の2枚は鉛筆で線を引いて消印されています。

検閲印: 青紫色ハンドスタンプ
Pregledala 検査
vojna cenzura 軍事検閲
検閲官のサイン: K

200204 チェインブレーカー15 vinar, 5 vinar凸版、ダルマチアでの使用例

2008年09月18日 20時13分02秒 | 葉書
200204 チェインブレーカー15 vinar, 5 vinar凸版、ダルマチアでの使用例

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー
5 vinar(Mi.100) 凸版、平滑白紙、タイプ1
15 vinar(Mi.102) 凸版、平滑白紙、タイプ3
合計20 vinar

宛先: Žiri (スロヴェニア)
国内葉書料金: 15 vinar (5 vinar過貼り)

消印: KUNA ? II 20 *a*(ダルマチア)
KUNA郵便局1920年2月?日、消印識別記号a、オーストリア型消印
左端の差出人の記載は、4. II. 1920と記載されています。

200203チェインブレーカー20 vinar凸版1枚貼り

2008年09月14日 07時52分45秒 | 葉書
200203チェインブレーカー20 vinar凸版1枚貼り

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー20 vinar(Mi.103)凸版、平滑白紙、タイプ3
合計20 vinar

宛先: DRAHOTUŠICH (チェコスロバキアのモラビア)
チェコスロバキア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar (5 vinar過貼り)

消印: ZAGREB 920 FEB -3 N1 v2v (クロアチア)
ZAGREB 2郵便局1920年2月3日昼間1時、消印識別記号v、ハンガリー型消印

検閲印: 紫色ハンドスタンプ、キリル文字表記
Pregledala 検査
vojna cenzura 軍事検閲
検閲官のサイン: W

2002 チェインブレーカー15 vinar凸版、ダルマチアでの使用例

2008年09月13日 10時22分43秒 | 葉書
2002 チェインブレーカー15 vinar凸版、ダルマチアでの使用例

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー15 vinar(Mi.102) 凸版、平滑白紙、タイプ1
合計15 vinar

宛先: Ljubljana (スロヴェニア)
国内葉書料金: 15 vinar

消印: HERCEGNOVI CASTELNUOVO di CATTARO ? II 20 (ダルマチア、Kotor湾の町、現在はモンテネグロ領)、オーストリア型消印
クロアチア語HERCEGNOVI、イタリア語CASTELNUOVO di CATTARO 郵便局1920年2月?日

200128ドイツ帝国往復葉書返信部、ドイツ切手、ユーゴスラヴィア切手の混貼り

2008年09月10日 20時15分16秒 | 葉書
200128ドイツ帝国往復葉書返信部、ドイツ切手、ユーゴスラヴィア切手の混貼り

切手:
ドイツ帝国往復葉書返信部 ゲルマニア図案 7 1/2 pf
ドイツ帝国切手 ゲルマニア図案 7 1/2 pf
スロヴェニア: チェインブレーカー10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、タイプ1
ボスニア・ヘルツェゴビナ: 10 heller (Mi.25)
合計35 vinar
(ただし、ドイツ帝国pf = スロヴェニアvinar =ボスニア・ヘルツェゴビナhellerの場合の計算です。これとは別の換算レートの可能性もあります。現状では、ドイツとユーゴスラヴィア通貨の換算レートの資料がありませんので、詳細は解析できません。)

宛先: Eisleben (ドイツ)
ドイツ宛ては外国葉書料金: 30 vinar (5 vinar過貼りに相当する可能性が有ります)

消印: BANJALUKA 28. I. 20 b (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
BANJALUKA郵便局1920年1月28日、消印識別記号b
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

検閲印: 黒紫色ハンドスタンプ、キリル文字表記
VOJNA CENZURA 軍事検閲
SARAJEVO サラエボ (ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)
ボスニア北西部のバニャルカから南東部のサラエボに送られて、つまり一度ドイツとは逆方向に送って検閲されて、その後でドイツに送られたことが分かります。
これは、ボスニア・ヘルツェゴビナの外国との交換郵便局がサラエボであったためと考えられます。


備考: この葉書の発信人に関して
左下に紫色の楕円形の発信人のスタンプが押されており、次のように書かれています。
Trgovina Poštanskih Maraka 郵便切手店
Arnold Krebs Banja Luka アーノルド・クレブス バニャルカ
Import – Export 輸入-輸出
この記載内容から、このドイツの往復葉書の返信部は、ボスニア・ヘルツェゴビナのバニャルカで郵便切手の輸入・輸出・販売を行なうアーノルド・クレブス氏からドイツ宛てに出されたことが分かります。
ボスニア・ヘルツェゴビナの切手の販売に関する問い合わせに対する返事であったと考えられ、裏面にはドイツ語で次のように書かれています。

『外国宛ての代金引換便の郵便封鎖が行なわれていますので、残念ながらお求めの切手を代金引換便で送ることはできません。そのため、お金を銀行を通して送っていただけませんでしょうか、そうすれば書留便で切手を送ることができます。
葉書に見本を添えた切手については、既に十分に持っており、アルトドイッチュラントと交換する良い方法を試みたいと思います。』

この文面から、1920年1月28日当時は、ボスニア・ヘルツェゴビナから外国宛ての代金引換便は禁止されていたという、郵便史的に非常に興味深い記述が見られます。このような禁止措置を書いた文献は他に見たことがありませんので、これは重要な資料であると思われます。
また、このドイツの往復葉書の返信部の表側に追加貼り付けされた2枚の切手
スロヴェニア: チェインブレーカー10 vinar(Mi.101) 凸版
ボスニア・ヘルツェゴビナ: 10 heller (Mi.25)
は、郵便料金として使用すると同時に、ドイツの取引相手に対する見本の役割も果たしているようです。そしてこのアーノルド・クレブス氏が、これらのユーゴスラヴィアの切手とドイツ統一前のアルトドイッチュラントの切手との交換を話しを持ちかけているのは、あの当時にはユーゴスラヴィ切手の価値が高く評価されていたことを推測することができるので、面白い話しだと思います。


アクセス数が4万を超えました

2008年09月07日 11時38分28秒 | 葉書
昨年9月にこのブログを開始して以来、アクセス数が4万を超えました。
このような特殊な分野に関心を持っていただいて感謝しております。
郵便史は、一定のパターンの範囲内で話しが進みますので、飽きられることが多いのですが、この分野に関心がおありでしたら、これからもよろしくお願いいたします。

チェインブレーカー3 vinar石版の使用例

2008年09月07日 11時24分36秒 | 葉書
チェインブレーカー3 vinar石版の使用例

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー
3 vinar(Mi.99) 石版、2枚、粗紙、タイプ1と2
10 vinar (Mi.101) 凸版、平滑白紙、タイプ2
合計16 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar (1 vinar過貼り)

消印: ZAGREB 920 JAN 27 N7 T2T (クロアチア)
ZAGREB 2郵便局1920年1月27日昼間7時、消印識別記号T、ハンガリー型消印

検閲印: 紫色ハンドスタンプ、キリル文字表記
Pregledala 検査
vojna cenzura 軍事検閲


200105ハンガリー軍事葉書にチェインブレーカーを加貼り

2008年09月06日 13時38分40秒 | 葉書
200105ハンガリー軍事葉書にチェインブレーカーを加貼り

ハンガリー軍事葉書
チェインブレーカー切手の下に描かれているのは、第一次世界大戦の時の中央同盟国であるドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマントルコ帝国、ブルガリアの国王の肖像です。
その下の行には、ハンガリー語で「Egyesült erövel !」「同盟軍と共に!」という宣伝文句が書かれています。
また、左上には8ヶ国語で「発信人」と印刷されており、オーストリア・ハンガリー帝国が多民族国家であったことを物語っています。
中央同盟国の国王の肖像の上に、束縛と支配からの解放を意味する「チェインブレーカー」、即ち「鎖を切る奴隷」を描く切手が貼られているのは、スロヴェニアがオーストリア・ハンガリー帝国の支配から解放されたことを象徴する、歴史的に興味深いカバーだと思います。

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー5 vinar(Mi.100) 石版、平滑白紙、3枚、左からタイプ9、タイプ10、タイプ10
合計15 vinar

宛先: Wien (オーストリア)
オーストリア宛ては国内葉書料金と同一: 15 vinar

消印: PTUJ -5 I 20 *?* (スロヴェニア)、オーストリア型消印
PTUJ郵便局1920年1月5日、消印識別記号不明


200104チェインブレーカー15 vinar凸版、目打ち11

2008年09月03日 20時17分56秒 | 葉書
200104チェインブレーカー15 vinar凸版、目打ち11

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー15 vinar(Mi.102) 凸版、平滑白紙、タイプ2、目打ち11 (通常のものは11 1/2)
合計15 vinar

宛先: St. Vrbas (ヴォイヴォディナ地方の南バチュカ、別名Novi Vrbas、Ujverbasz)(現在のVrbas)
国内葉書料金: 15 vinar

消印: PRČANJ -4 V 20 *a*(ダルマチア、Kotor湾の町、現在はモンテネグロ領)、オーストリア型消印
PRČANJ郵便局1920年5月4日、消印識別記号a