チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

190311裏 第1期 ドイツ語・スロヴェニア語表記の通知及び配達状

2010年01月31日 12時49分39秒 | 通知状
190311裏 第1期 ドイツ語・スロヴェニア語表記の通知及び配達状

不足切手:スロヴェニア普通切手5vinar(Mi.100石版)に黒色ハンドスタンプでPorto(不足を意味する)を加刷して不足切手として使用しています。
消印:GORENJE GORJE 11 3 19 (1919年3月11日) 、郵便局名はスロヴェニア語表記です。ドイツ語表記の郵便局名OBER-GÖRIACH bei VELDESは削除されてユーゴ化されています。
備考:この使用例では、不足切手は通常通りに裏側に貼って消印されています。

190311表 ドイツ語・スロヴェニア語表記の通知及び配達状

2010年01月31日 12時47分17秒 | 通知状
190311表 ドイツ語・スロヴェニア語表記の通知及び配達状

これは既に小包の所でご紹介しましたが、国内料金不統一期のスロヴェニアの価格表記(保険)書状の通知及び配達状を再度ご紹介します。

オーストリア帝国時代のドイツ語・スロヴェニア語二カ国語表記の「通知及び配達状」です。
この書式では、先にご紹介したドイツ語表記のものにはあった到着印を押す欄が表側にありません。
その点以外はドイツ語表記のものと同一内容で、ドイツ語とスロヴェニア語の二カ国で書かれています。
これは、Bled1郵便局からの価格表記(保険)2076K60h、重さ58gの価格表記(保険)書状に関する通知料金5vinarを徴収するものです。
受取人サインは1919年3月17日です。

190524価格表記(保険)書状の通知及び配達状 ドイツ語表記書式

2010年01月31日 12時42分44秒 | 通知状
190524価格表記(保険)書状の通知及び配達状 ドイツ語表記書式

これは既に小包の所でご紹介しましたが、国内料金不統一期のスロヴェニアの価格表記(保険)書状の通知及び配達状を再度ご紹介します。


オーストリア帝国のドイツ語表記の「通知及び配達状」の独和対訳

Nr.93 No.93
Eingelangt am (ORMOŽの郵便印) ORMOŽに到着した
Aviso- und Abgabeschein 通知及び配達状
Den Empfang der Sendung aus Vinica bestehend in d.p. Wert 4701K--h, Gewicht --Kg 30gr an Jakob Robinšak Ormož bestätigt
Zur entrichten an:
OrmožのJakob Robinšak宛ての価格表記(保険)4701Kronen, 重量30gを本質とするVinicaからの発送物の受取に対して以下の料金を支払うことを確認する:
Porto 不足料金
Auslagen 立て替え金
Nachnahme 代金引換金
Provision (仲介)手数料
Aviso oder Bestellgebür 通知または配達料金 05 h
Zusammen 合計

Der Empfänger hat das Datum einzusehen und die Namensfertigung beizufügen.
受取人は日付を調べてサインすること。
Am 24/V 1919 1919年5月24日
Unterschriftサイン Jak. Robinšak

不足料金、立て替え金、代金引換金、(仲介)手数料、通知または配達料金を一枚の書式で徴収できますから、この書式で数多くの料金を受取人から徴収することができたことがわかります。小包の配達料金などもこの書式で徴収されたと考えられます。

料金:価格表記(保険)4701Kronen, 重量30gの保険付書状の通知料金5vinarが徴収されています。

不足切手:スロヴェニア普通切手5vinar(Mi.100石版)に赤インクでPorto(不足を意味する)を手書きで加刷して不足切手として使用しています。
消印:ORMOŽ 24 V. 19 C (1919年5月24日) 郵便局名はスロヴェニア語表記です。
備考:この書式は裏は白紙です。通常では不足切手は裏側に貼って消印することになっていますが、この使用例では表側に貼られて消印されています。

5 vinar石版: リタッチ版Retouched Stone

2010年01月31日 09時09分25秒 | チェインブレーカーのタイプ
5 vinar石版: リタッチ版Retouched Stone
5 vinar石版のRetouched Stoneリタッチ版の存在もストークス博士は報告されています。
図では、基本的な10タイプに付き加えられた余分な線が矢印で示されています。
リタッチ版の確認は非常に困難であり、私は確認できたものをまだ持っていません。

5 vinar 石版 タイプ13~20

2010年01月31日 09時08分34秒 | チェインブレーカーのタイプ
5 vinar 石版 タイプ
5 vinar基本10タイプ
5 vinar 石版には基本的には10タイプあります。
100枚シートの場合には、10×10=100枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。
50枚シートの場合には、10×5=50枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。

私の経験では、5 vinarではタイプの確認困難な切手を多数発見しています。その理由は分かりませんが、版の磨耗や、まだ確認されていないタイプやリタッチの存在の可能性もあります。

5 vinar: 稀なタイプ11から20
タイプ11から20は、ストークス博士が確認されている4種類の50枚シートの中の1種類のシートの中で、しかも上から4行目の第4水平行に左からタイプ11, 12, 13, ・・・19, 20と配列されているだけです。
このため、タイプ11から20は、非常に稀なタイプであり、私はまだ持っていません。

5 vinar 石版 タイプ1~12

2010年01月31日 09時06分47秒 | チェインブレーカーのタイプ
5 vinar 石版 タイプ
5 vinar基本10タイプ
5 vinar 石版には基本的には10タイプあります。
100枚シートの場合には、10×10=100枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。
50枚シートの場合には、10×5=50枚シートで、左の列からタイプ1, 2, 3, ・・・9, 10と配列されています。

私の経験では、5 vinarではタイプの確認困難な切手を多数発見しています。その理由は分かりませんが、版の磨耗や、まだ確認されていないタイプやリタッチの存在の可能性もあります。

5 vinar: 稀なタイプ11から20
タイプ11から20は、ストークス博士が確認されている4種類の50枚シートの中の1種類のシートの中で、しかも上から4行目の第4水平行に左からタイプ11, 12, 13, ・・・19, 20と配列されているだけです。
このため、タイプ11から20は、非常に稀なタイプであり、私はまだ持っていません。

200706裏 15 vinar石版と15 vinar凸版の混貼り

2010年01月31日 08時22分13秒 | 封書
200706裏 15 vinar石版と15 vinar凸版の混貼り

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.102, 15 vinar石版、横3枚ストリップ、上耳紙付き
Mi.102, 15 vinar凸版、平滑白紙、ノコギリルレット目打ち、8枚ブロック + 1枚(下側無目打ち)
合計 180 vinar
15 vinar石版と15 vinar凸版の混貼り

宛先: Sarajevo (ボスニア・ヘルツェゴビナ)

書留ラベル: ハンガリー型ラベルOsijek3 708

郵便料金
国内料金
書状: 20gまで20 para (80 vinar)
書留: 25 para (100 vinar)
合計: 45 para (180 vinar)(貼り付け切手と一致)

消印: OSIJEK 920-JUL-6-N9 E3E
クロアチアのOSIJEK郵便局 1920年7月6日昼間9時、消印識別記号E
ハンガリー型消印

着印
SARAJEVO1 -7 VII 20 ○*
ボスニア・ヘルツェゴビナのSARAJEVO1郵便局 1920年7月7日、消印識別記号○*
ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

クロアチアにおけるハンガリー型消印の継続使用
この使用例では、1920年6月25日のセルビアのアレクサンドラ国王のクロアチアの首都ザグレブ訪問の後になっても、OSIJEKでハンガリー王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠が消印から削除されずに、ハンガリー王国時代の消印がそのまま使用されています。
ハンガリー式消印の年月日の表示順序は、左から右に「年・月・日」ですが、これもそのまま使用されており、ユーゴスラヴィア式の左から右に「日・月・年」に変更されていません。
1921年の後半くらいまでは、ハンガリー型の消印がクロアチアでは使用され続けます。
これは、クロアチア人のセルビア支配に対する反感の現れであると思われ、ある程度の自治が認められていたハンガリー王国時代の方が良かったという思いがあるように思われます。

200703裏 5 vinar石版と凸版の混貼り、スイス宛て

2010年01月24日 08時58分49秒 | 封書
200703裏 5 vinar石版と凸版の混貼り、スイス宛て

切手:
裏側
スロヴェニア・チェインブレーカー1次
Mi.100, 5 vinar, 凸版、上側2枚、平滑白紙、2種のシェイド
左側: 目打ち11 1/2
右側: ノコギリルレット目打ち
Mi.100, 5 vinar, 石版、下側3枚、3種のシェイド
左側: 粗紙
右側2枚: 平滑紙(多孔質縞紙の可能性も高い)、右側の切手は左の縦の目打ちが左にシフト
合計 25 vinar

到着印: スイス
GRENCHEN -7 VII 20-- SOLOTHURN
スイスのGRENCHEN郵便局 1920年7月7日

200703表 5 vinar石版と凸版の混貼り、スイス宛て

2010年01月24日 08時57分56秒 | 封書
200703表 5 vinar石版と凸版の混貼り、スイス宛て

切手:
表側
スロヴェニア・チェインブレーカー1次と2次
Mi.109, 1 Krona、ノコギリルレット目打ち
Mi.129, 1 Dinar
合計 125 para (500 vinar)

裏側
スロヴェニア・チェインブレーカー1次
Mi.100, 5 vinar, 凸版、上側2枚、平滑白紙、2種のシェイド
左側: 目打ち11 1/2
右側: ノコギリルレット目打ち
Mi.100, 5 vinar, 石版、下側3枚、3種のシェイド
左側: 粗紙
右側2枚: 平滑紙(多孔質縞紙の可能性も高い)、右側の切手は左の縦の目打ちが左にシフト
合計 25 vinar
総計 525 vinar (131.25 para)

宛先: Grenchen (スイス)

書留ラベル:
長方形のRと刻印されたハンドスタンプに、鉛筆で書留番号200を記載
(Noはローマ字とキリル文字の二文字表記)

郵便料金
外国料金
書状: 20gまで50 para
20gを越えて40gまで 30 para
書留: 50 para
合計: 130 para (1.25 para過貼り)

消印: LJUBLJANA 6 3 VII 20 b
スロヴェニアのLJUBLJANA 6郵便局 1920年7月3日、消印識別記号b
スロヴェニア語表示、ドイツ語表記のLAIBACH 6を削除してユーゴ化した消印。

チェインブレーカーのタイプ

2010年01月17日 11時55分43秒 | チェインブレーカーのタイプ
チェインブレーカーのタイプ

チェインブレーカーのまとまったハンドブックは既に何度もご紹介している下記の文献です:
Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 5, 6, 7, 1945-47, Zagreb (Croatia)
翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4, 5, 6, 7巻
残念ながら、この文献に記載されているタイプの図では、実際の切手のタイプの区別はできません。
カナダのA.H. Stokes博士の研究が必要になります。

これから提供するタイプの図は、カナダのDr. A.H. Stokesにより作成された手書きの図であり、私に対して個人的に有償で提供された資料からの抜粋です(出版物からの引用ではありません)。
これらのタイプの図が完全なものかどうかは私には分かりませんが、私は分類に使用しています。
紙が粗雑で表面に凹凸がありすぎる場合、印刷時の加圧が不足している場合、版が磨耗した場合、インクが不足している場合には、インクが紙につきにくくなり、図案の線が細くなったり、途切れたり、消えたりします。
また、印刷時の加圧が過剰な場合、インクが過剰な場合には、インクが紙につきすぎて、図案の線が太くなったり、他の線とくっついてしまったりします。
このような場合には、タイプの判別は困難になります。
特に、石版は版が磨耗しやすいため、タイプの判別の困難なものを多く経験しています。
このような制限はありますが、これ以上に役立つ資料を私は知りませんから、私のブログをご覧の皆様に提供いたします。
皆様のお手元のチェインブレーカーの研究に役立てば幸いです。

200630裏 20 vianr, 40 vinar混貼り、国内書留便

2010年01月17日 08時53分39秒 | 封書
200630裏 20 vianr, 40 vinar混貼り、国内書留便

到着印
ZAGREB 920 JUL -2 N7 P2P
クロアチアのZAGREB 2郵便局 1920年7月2日昼間7時、消印識別記号P
ハンガリー型消印

受取人による書き込み: 1920年7月2日(ユーゴスラヴィア式の左から右に「日・月・年」の順序)

クロアチアの首都ザグレブにおけるハンガリー型消印の継続使用
1920年6月25日のセルビアのアレクサンドラ国王のクロアチアの首都ザグレブ訪問の記念印は、ハンガリー王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠が消印から削除され、櫛型に置換されています。
そして、ハンガリー式消印の年月日の表示順序は、左から右に「年・月・日」ですが、これはユーゴスラヴィア式の左から右に「日・月・年」に変更されています。
この記念印は、セルビアのアレクサンドラ国王のクロアチアの首都ザグレブ訪問を記念する記念印であるため、ハンガリー形式を改めてユーゴスラヴィア形式にしています。
しかし、ZAGREB 2郵便局に1920年7月2日に到着したこの書留便の使用例では、1920年6月25日のセルビアのアレクサンドラ国王のクロアチアの首都ザグレブ訪問の後になっても、首都ザグレブの郵便局では、ハンガリー王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠が消印から削除されずに、ハンガリー王国時代の消印がそのまま使用されています。
ハンガリー式消印の年月日の表示順序は、左から右に「年・月・日」ですが、これもそのまま使用されており、ユーゴスラヴィア式の左から右に「日・月・年」に変更されていません。
1921年の後半くらいまでは、ハンガリー型の消印がクロアチアやその首都のザグレブでは使用され続けます。
これは、クロアチア人のセルビア支配に対する反感の現れであると思われ、ある程度の自治が認められていたハンガリー王国時代の方が良かったという思いがあるように思われます。

200630表 20 vianr, 40 vinar混貼り、国内書留便

2010年01月17日 08時52分52秒 | 封書
200630表 20 vianr, 40 vinar混貼り、国内書留便

切手: スロヴェニア・チェインブレーカー1次
裏側
Mi.103, 20 vinar, 凸版, 1枚
Mi.106, 40 vinar, 凸版, 4枚
合計 180 vinar (45 para)

宛先: Zagreb (クロアチア)

書留ラベル:
長方形のRと刻印されたハンドスタンプに、鉛筆で書留番号3923を記載
(Noはローマ字とキリル文字の二文字表記)

郵便料金
国内書状: 20gまで25 para
書留: 20 para
合計 45 para (180 vinar)

消印: VINKOVCI 920 JUN 30 N8 E
クロアチアのVINKOVCI郵便局 1920年6月30日昼間8時、消印識別記号E
ハンガリー型消印