チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

ユーゴスラヴィア第二次大戦前の国際航空郵便 DAMIR NOVAKOVIC(イギリス)

2009年05月31日 19時23分22秒 | その他
ユーゴスラヴィア第二次大戦前の国際航空郵便 DAMIR NOVAKOVIC(イギリス)
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アドレス
http://www.japhila.cz/hof/0531/index0531_001.htm

ユーゴスラヴィアの第二次世界大戦前の国際航空郵便の郵便史です。
ユーゴの初期の航空郵便は入手が難しく、めったにこれだけのコレクションを見ることはできません。
1923年からの初期の飛行郵便、ヨーロッパの珍しい宛先、ユーゴスラヴィア切手のDo-X飛行郵便の唯一の使用例、ツェッペリン、ヒンデンブルグ、カタパルト郵便まで含まれているという素晴らしいコレクションです。

191103表 5 vinar石版2枚貼り、20 vinar凸版1枚貼り、ドイツ語局名表示

2009年05月31日 12時02分46秒 | 封書
191103表 5 vinar石版2枚貼り、20 vinar凸版1枚貼り、ドイツ語局名表示

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.100. 5 vinar石版、2枚貼り、平滑白紙、左のタイプは不明、右のタイプは9
Mi.103. 20 vinar凸版、平滑白紙、タイプ3
合計 30 vinar

宛先: Ptuj (スロヴェニア)

郵便料金
全国統一料金: 国内封書20gまで30 vinar

消印: ST. LORENZEN OB MARBURG 3/11 19
スロヴェニアのST. LORENZEN OB MARBURG郵便局 1919年11月3日
ドイツ語表記の郵便局名
スロヴェニア語表記はSVETI LOVRENC PRI MARIBORU

現在の名前はLOVRENC na POHORJU
この町の旅行記は日本語で下記のサイトにあります
http://www.eu-alps.com/p-site/do-2003/610/610lovrenc1.htm
http://www.eu-alps.com/p-site/do-2003/611/611lovrenc2.htm

190923 チェインブレーカーとボスニア・ヘルツェゴビナ切手の混貼り

2009年05月24日 09時12分23秒 | 封書
190923 チェインブレーカーとボスニア・ヘルツェゴビナ切手の混貼り

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.100. 5 vinar石版、田型貼り、平滑白紙、上段のタイプは左から1と2、下段のタイプは左から1と2、
ボスニア・ヘルツェゴビナ普通切手
Mi.23. 2 heller、青色、2枚 (発行枚数80万枚)
Mi.24. 6 heller、紫色 (発行枚数20万枚)
ボスニア・ヘルツェゴビナ加刷普通切手
Mi. 6. 30 heller、2枚 (発行枚数43万3700枚)
合計 90 vinar

宛先: Linz (オーストリア)

書留ラベル: オーストリア帝国時代の白色紙のラベルに黒色文字 Sarajevo 1 926
ラベルの左下に黒インクでR (ドイツ語表記でRekommandiert、意味は書留)が書かれています

郵便料金
オーストリア宛ては国内料金と同一
書状: 20gまで30 vinar
書留: 60 vinar
合計 90 vinar

消印: SRAJEVO 1 23 IX. 19 L *
ボスニア・ヘルツェゴビナのSRAJEVO 1郵便局 1919年9月23日、消印識別記号L *
ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。

検閲印: 黒色ハンドスタンプ、三行印の一部解読不能
VOJNA CENZURA 軍事検閲
SARAJEVO サラエボ (ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)

備考
オーストリア帝国時代の官製現金封筒を通常の書留便に使用しています。

190830裏 Bos. Krupa郵便局の公式封緘紙

2009年05月16日 10時54分23秒 | 封書
190830裏 Bos. Krupa郵便局の公式封緘紙

オーストリア帝国時代のBos. Krupa郵便局の公式封緘紙を使用し、紫色鉛筆でドイツ語表記の「K. U. K. MILITÄR帝国及び王国の軍事」を抹消しています。ただし「POSTAMT郵便局」だけは残しています。
また、ハプスブルグ家の双頭の鷲の紋章の上に紫色鉛筆で新国家名の略称「SHS」を記載してユーゴ化しています。

190830表 ボスニア・ヘルツェゴビナ加刷不足切手1 KrunaにFRANCO加刷

2009年05月16日 10時46分21秒 | 封書
190830表 ボスニア・ヘルツェゴビナ加刷不足切手1 KrunaにFRANCO加刷

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.100. 5 vinar石版、平滑白紙、タイプ10、右下コーナーの耳紙付き。下側の耳紙の下辺にも目打ちがあり、印刷シートの下側のシートとの切り離しに使用されたと推定されます。
ボスニア・ヘルツェゴビナ加刷普通切手
Mi. 40. 45 heller
ボスニア・ヘルツェゴビナ加刷不足切手
Mi. 12. 1 Kruna、赤色加刷が上にずれています、黒色でFRANCOハンドスタンプ加刷を行い臨時普通切手として使用
合計 150 vinar

宛先: Urfahr Linz (Linzの町の一部, オーストリア)

書留ラベル: オーストリア帝国時代の黄色紙のラベルに黒色文字 Bos. Krupa 383
ラベルの下に薄い紫色のスタンプRekommandiert (ドイツ語表記、意味は書留)が押されています

郵便料金
オーストリア宛ては国内料金と同一
書状: 20gまで30 vinar、20gを越えると20g毎に30 vinar
重量60gを越えて80gまでの3倍重量便、料金は30 vinar×3 = 90 vinar
書留: 60 vinar
合計 150 vinar

消印: BOS. KRUPA 30 VIII 19 C ○
ボスニア・ヘルツェゴビナのBOS. KRUPA郵便局 1919年8月30日、消印識別記号C ○
ドイツ語のK. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印。


190821表 10, 20 vinarノコギリルレット貼り

2009年05月10日 10時53分13秒 | 封書
190821表 10, 20 vinarノコギリルレット貼り

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
10 vinar凸版 Mi.101、平滑白紙、ノコギリルレット(上側シザーカット)、タイプ3
20 vinar凸版 Mi.103、平滑白紙、ノコギリルレット、タイプ1
合計 30 vinar

10 vinar凸版印刷版
このカバーの使用日時1919年8月21日より前に印刷された10 vinar凸版ノコギリルレットは、下記の1919年7月2日の印刷記録のものだけです。
このカバーは印刷後51日目に使用された初期使用例です。
3. 1919年7月2日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙、白い非常に厚い(ダンボール)紙
rosaバラ色(淡紅色、ピンク色)、scharlachrot深紅色がかった赤色、blutrot血のような赤色
(FleckとNovakによるとzinnoberrot朱色、hellrot明るい赤色(淡紅色)、lilarot淡紫色(藤色)がかった赤色、weinrotワインレッド(深紅色)、dunkelrot暗赤色、karmin深紅色)
のこぎりルレット、のこぎりルレットと11 1/2の複合目打ち、直線ルレットと11 1/2の複合目打ち
S. Veselićの記述によると、7月2日~14日に5000シート、7月10日~14日に1万9000シート(いずれも200枚シート)、すなわち480万枚を郵便経済局に納入。
D. Novakによると1715万8008枚印刷。
(訳注: 集計には1715万8008枚を使用。)

20 vinar凸版印刷版
このカバーの使用日時1919年8月21日より前に印刷された20 vinar凸版ノコギリルレットは、下記の1919年7月8日の印刷記録のものだけです。
このカバーは印刷後45日目に使用された初期使用例です。
3. 1919年7月8日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙
braun茶色(褐色)、dunkelbraun暗い茶色(暗褐色)、sepiaセピア色(暗褐色)、schwarzbraun黒褐色、rotbraun赤褐色(濃淡あり)
目打ち: のこぎりルレット、直線ルレット、直線ルレットを含む複合目打ち
FleckとNovakによると669万2094枚、Deroccoによると398万枚。
Veselićによると、7月5日~7日に200枚/シートを1万9000シート(380万枚)を郵便経済局に納入。
(訳注: 380万枚を集計に使用。)

宛先: ウインドウカバーのため不明

郵便料金
全国統一料金: 国内封書20gまで30 vinar

備考:
外国宛て封書には下記の料金が適用されています。
「国内料金が、1921年1月31日まで、オーストリア(1)、ハンガリー、ブルガリアに対して適用され、1919年8月からチェコスロバキアとルーマニア(1)に対して適用された。
注: (1)1919年8月~11月まで、印刷物は50g毎に15 vinar、12月から100g以下10 vinar、100gを越えると100g毎に10 vinar。」
このため、この封書は国内便ではなく、これらの国宛ての郵便物である可能性もあります。


消印: LJUBLJANA 1 21 VIII 19 5 2c *
スロヴェニアのLJUBLJANA 1郵便局 1919年8月21日5時、消印識別記号2c *
スロヴェニア語表示、ドイツ語表記のLAIBACH 1を削除してユーゴ化した消印。

190814裏 セルビア10 para貼りザグレブ宛て国内便

2009年05月02日 15時56分57秒 | 封書
190814裏 セルビア10 para貼りザグレブ宛て国内便

到着印
ZAGREB 919 AUG. 17. N5 Y1Y
ZAGREB 1郵便局 1919年8月17日昼間5時、消印識別記号Y、ハンガリー型消印

ZAGREB 919 AUG. 21. E3 Y1Y
ZAGREB 1郵便局 1919年8月21日夜間3時、消印識別記号Y、ハンガリー型消印

この郵便物は、書留便でも速達便でもないのに到着印が2つも押されている理由は分かりません。

190814表 セルビア10 para貼りザグレブ宛て国内便

2009年05月02日 15時55分30秒 | 封書
190814表 セルビア10 para貼りザグレブ宛て国内便

切手:
セルビア普通切手
Mi 135. 10 para
合計 10 para (30 vinarとして換算、備考参照)

宛先: Zagreb (クロアチア)

郵便料金
全国統一料金: 国内封書20gまで30 vinar
セルビアの10 paraは30 vinarとして換算(備考参照)

消印: BEOGRAD 14 VIII -19
セルビアのBEOGRAD郵便局 1919年8月14日、上がキリル文字、下がローマ字の二文字表記のセルビア型消印

差出人の印刷
French- Serbian Bank Beograd
フランス-セルビア銀行 ベオグラード

備考
1919年7月1日~1920年5月15日の期間では、セルビア、モンテネグロ及び外国との郵便送達に際しては、KroneからDinarへの換算を、3 Kronen = 1 Dinar の相場に決定された。(参考文献(1))
例えば、セルビアの10 para切手は、30 vinarとして計算された。
参考文献
(1)Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten 47/93, p.732-735 (1993)
Prof. Dr.-Ing. Klaus Wieland
Ausgewählte Postgebühren in Slowenien 1918 bis 1921
スロヴェニアにおける1918年~1921年までの郵便料金選集