チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

201213裏 2次チェインブレーカー15para 穿孔、イタリア宛て

2008年11月30日 10時17分03秒 | 葉書
201213裏 2次チェインブレーカー15para 穿孔、イタリア宛て

絵葉書の建物
KARL TEPPEY STEIERM. HOLZINDUSTRIE GESELLSCHAFT m.b.H.
カール・テペイ、シュタイヤーマルク木材工業有限会社

15 para切手の穿孔記号は、この会社の記号である可能性が高いと思われます。

201213表 2次チェインブレーカー15para 穿孔、イタリア宛て

2008年11月30日 10時15分41秒 | 葉書
201213表 2次チェインブレーカー15para 穿孔、イタリア宛て

切手: スロヴェニア・2次チェインブレーカー 15 para (Mi.122)
合計15 para (60 vinar)

宛先: Trieste (イタリア、旧オーストリア帝国領のイストリア半島の付け根の港町)
外国葉書料金: 20 para (5 para料金不足、不足表示が無いので不足料金未徴収と考えられます)

消印: CELJE 13 XII 20 -8 ? (スロヴェニア)
CELJE郵便局1920年12月13日8時、消印識別記号不明、スロヴェニア語表記の消印

検閲印: イタリアのTRIESTEの黒色箱型検閲印
CENZURA TRIESTE

201212 クロアチア加刷官製葉書+チェインブレーカー10 vianr凸版6枚貼り

2008年11月29日 22時31分47秒 | 葉書
201212 クロアチア加刷官製葉書+チェインブレーカー10 vianr凸版6枚貼り

クロアチア官製加刷葉書: Mi P44bB, 15 para
切手: チェインブレーカー
10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、ノコギリルレット、6枚貼り
上側4枚は全てタイプ1、下の左側はタイプ1、右側はタイプ2
合計120 vinar (30 para)

宛先: Kisač (ヴォイヴォディナ, Novi Sadの北北西約15kmの町)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)、15 para加貼り

消印: OSIJEK 12 DEC 920 –N9 A2A (クロアチア、東スラヴォニア)
C欄: 「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更。
OSIJEK郵便局1920年12月12日昼間9時、消印識別記号A、
ハンガリー型の「年月日」をユーゴ型の「日月年」に変えて、C欄の「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠を削除して櫛に変更したユーゴ型消印。

201007 2次チェインブレーカー5para 3枚貼り

2008年11月26日 22時03分44秒 | 葉書
201007 2次チェインブレーカー5para 3枚貼り

切手: スロヴェニア・2次チェインブレーカー
5 para (Mi.120) 3枚
合計15 para (60 vinar)

宛先: Osijek (クロアチア、東スラヴォニア)
国内葉書料金: 15 para

消印: VINKOVCI 920 OKT -7 ? A (クロアチア、東スラヴォニア)
VINKOVCI郵便局1920年10月7日、消印識別記号A、ハンガリー型消印

200915 消印

2008年11月24日 09時45分16秒 | 葉書
消印
SV. ILJ V SLOV. GORICAH 15. IX. 20
SV. ILJ V SLOV. GORICAH郵便局1920年9月15日、スロヴェニア語表記の二重丸型消印

Egdi-Tunnel、別名Šentilj、またはSV. ILJ V SLOV. GORICAHの位置
オーストリアのシュタイアーマルク州のこの町は、1918年11月25日にユーゴスラヴィア軍に占領されました。1920年7月19日にユーゴスラヴィア軍は撤退しましたが、この町はオーストリアに返還されずにユーゴスラヴィアに併合されました。
現在のGoogleの地図では、Šentiljで検索すると、スロヴェニアとオーストリアの国境に町が表示され、北にはオーストリアのGraz、南にはスロヴェニアのMariborがあります。

200915表 15 vinar石版加刷不足切手5 para, 20 paraの使用例

2008年11月24日 09時44分18秒 | 葉書
200915表 15 vinar石版加刷不足切手5 para, 20 paraの使用例

チェコスロバキアのブラチスラヴァからユーゴスラヴィア宛て

切手: 裏側
チェコスロバキア: プラハ城20h、チェインブレーカー40h
合計60 h
郵便料金: チェコスロバキアからユーゴスラヴィア宛ての葉書料金は不明

宛先: ユーゴスラヴィア Egdi-Tunnel
別名Šentilj、またはSV. ILJ V SLOV. GORICAH
オーストリアのシュタイアーマルク州のこの町は、1918年11月25日にユーゴスラヴィア軍に占領されました。1920年7月19日にユーゴスラヴィア軍は撤退しましたが、この町はオーストリアに返還されずにユーゴスラヴィアに併合されました。
この使用例は、ユーゴスラヴィアへの併合後の使用例です。
ユーゴスラヴィアの不足切手
15 vinar石版への加刷不足切手
5 para (Mi. 44) 2枚、20 para (Mi. 46)
合計 30 para (120 vinar)を徴収。その半額の60 vinarが不足していたと考えられます。

200911 15 para官製葉書サラエヴォでの使用例

2008年11月22日 11時40分13秒 | 葉書
200911 15 para官製葉書サラエヴォでの使用例

15 para官製葉書
(1)印面: brown茶色、鮮明な印刷
(2)印面の位置:中央の縦の分割線と印面の間隔が上50,下50mm
(3)紙:light brown paper明るい茶色の紙
(4)中央の縦の分割線:完全

宛先: Praha (チェコスロバキア)
チェコスロバキア宛葉書料金: 国内料金と同一の15 para

消印: SARAJEVO 11. IX. 20 K
SARAJEVO郵便局1920年9月11日、消印識別記号K
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

200908後にルーマニア領になった町ZSOMBOLYA (JIMBOLIA)の消印

2008年11月19日 21時01分44秒 | 葉書
200908後にルーマニア領になった町ZSOMBOLYA (JIMBOLIA)での使用例

消印: ZSOMBOLYA 920-SEP-8-N5 G (ヴォイヴォディナ)
ZSOMBOLYA 郵便局1920年9月8日昼間5時、消印識別記号G、ハンガリー型消印
この葉書が使用された当時は、ZSOMBOLYAはユーゴスラヴィア領でしたが、後に平和的にルーマニアに編入されました。

ZSOMBOLYA (JIMBOLIA)のルーマニアへの編入
Google MapでJimboliaで検索すると、ルーマニアとユーゴスラヴィアの国境の町である、ハンガリー語: Zsombolya、ルーマニア語Jimboliaの町が表示されます。

JimboliaについてWikipedia英語版は次のように書いています:
http://en.wikipedia.org/wiki/Jimbolia
Jimbolia (ルーマニア語)(バナート・ブルガリア語: Džimbolj, ドイツ語: Hatzfeld, ハンガリー語: Zsombolya, セルビア語: Žombolj または Жомбољ)は、今はルーマニアのティミシュ郡Timiş countyの町です。
2004年の人口は11,605人。
1910年の国勢調査では、人口10,893人、ルーマニア人1%、ハンガリー人20.8%、ドイツ人74.2%の民族分布であり、セルビア人はいませんでした。

Zombolyaは、1918年11月17日にセルビア軍の支配下に入りました。
トリアノン条約の結果、Zombolyaは1920年7月4日にSHS王国(ユーゴスラヴィア)の領土になりました。
ルーマニアとユーゴスラヴィアの間の国境の調整の結果、1924年4月9日にJimboliaの名でルーマニア領になりました。
同時にModosch村がルーマニアからユーゴスラヴィアに移管されました。

ブログ著者備考
ユーゴスラヴィア領のZombolya(Jimbolia)は、ほとんどがハンガリー人とドイツ人でありセルビア人はいませんでした。
このためルーマニア領のセルビア人が多い地区(代表的なのはModosch村)とZombolya(Jimbolia)が交換されて国境線が引き直され、Zombolya(Jimbolia)はルーマニアに編入されました。

200908後にルーマニア領になった町ZSOMBOLYA (JIMBOLIA)での使用例

2008年11月19日 21時00分35秒 | 葉書
200908後にルーマニア領になった町ZSOMBOLYA (JIMBOLIA)での使用例

クロアチア官製加刷葉書: Mi P41 (1918), 15 filir
切手: チェインブレーカー
5 vinar(Mi.100) 凸版、平滑白紙、ノコギリルレット、タイプ1
10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、ノコギリルレット、タイプ1
30 vinar(Mi.105) 凸版、平滑白紙、ノコギリルレット、タイプ4
合計60 vinar (15 para)

宛先: Pancsova (ヴォイヴォディナ)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)

200902 15 vinar石版4枚貼りクロアチア国内便

2008年11月16日 13時46分46秒 | 葉書
200902 15 vinar石版4枚貼りクロアチア国内便

切手: チェインブレーカー15 vinar(Mi.102) 石版
合計60 vinar (15 para)

宛先: Zagreb (クロアチア)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)
消印: KRALJEVICA 2 SEP 920
KRALJEVICA 郵便局1920年9月20日、
ハンガリー式の「年月日」をユーゴ式の「日月年」に変更したユーゴ化した消印
KRALJEVICAは、Fiume (Rijeka)の南東11 kmの海岸の町

200829裏側の消印: ハンガリー型の郵便業務代理人の消印

2008年11月15日 22時27分44秒 | 葉書
200829裏側の消印: ハンガリー型の郵便業務代理人の消印

サイズ: 38.5×23.5 mm
VOJNIĆ P.U. –KLDV. VOJNIĆ郵便業務代理人、KLDV.の意味は不明
29 AUG 920 1920年8月29日
POSTAI ÜGYN. 郵便業務代理人のハンガリー語表記
POSTAN. AGENCIJA 郵便業務代理人のクロアチア語表記
ハンガリー語とクロアチア語の二ヶ国語表記
ハンガリー式の「年月日」をユーゴ式の「日月年」に変更したユーゴ化した消印