チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

190808表 クロアチア正刷切手貼りSusak市内便

2009年04月26日 13時07分24秒 | 封書
190808表 クロアチア正刷切手貼りSusak市内便

切手:
クロアチア正刷普通切手
Mi 88. 2 filir
Mi 89. 3 filir
Mi 90. 5 filir
Mi 91. 10 filir
合計 20 filir

宛先: Sušak市内便 (クロアチア)

郵便料金
全国統一料金: 国内封書20gまで30 vinar
貼り付けられた切手は20 vinarのため10 vinar料金不足ですが、不足料金は徴収されていません。

消印: SUŠAK 919 -AUG. -8. N9 A
クロアチアのSUŠAK郵便局 1919年8月8日昼間9時、消印識別記号A、ハンガリー型消印
SUŠAKは、支配者が入れ替わり様々な切手が発行されたFiume (Rijeka)の東隣の町です。


クラーゲンフルト軍事郵便局消印2

2009年04月19日 16時12分49秒 | 消印
クラーゲンフルト軍事郵便局消印2
第一次世界大戦後、ユーゴスラヴィア軍はスロヴェニア人の多く住むオーストリア南部のケルンテン州に軍を進め占領しました。
ケルンテン州の州都クラーゲンフルト(ドイツ語KLAGENFURT、スロヴェニア語CELOVEC)にも軍事郵便局が開設されました。

消印の局名表示
スロヴェニア語: VOJANSKI POŠTNI URAD CELOVEC
日本語: 軍事郵便局クラーゲンフルト(ツェロヴェツ)
郵便局の開局期間: 1919年6月16日~1919年7月30日の45日間

上記の消印は閉局前日の1919年7月29日の消印です。

参考情報
クラーゲンフルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88

クラーゲンフルト軍事郵便局消印1

2009年04月12日 14時04分04秒 | 消印
クラーゲンフルト軍事郵便局消印1

第一次世界大戦後、ユーゴスラヴィア軍はスロヴェニア人の多く住むオーストリア南部のケルンテン州に軍を進め占領しました。
ケルンテン州の州都クラーゲンフルト(ドイツ語KLAGENFURT、スロヴェニア語CELOVEC)にも軍事郵便局が開設されました。

消印の局名表示
スロヴェニア語: VOJANSKI POŠTNI URAD CELOVEC
日本語: 軍事郵便局クラーゲンフルト
郵便局の開局期間: 1919年6月16日~1919年7月30日の45日間

上記の消印は1919年7月14, 15, 19日のものが確認できます。

190715表 50, 60 vinar貼り外国宛て書留便

2009年04月05日 09時16分54秒 | 封書
190715表 50, 60 vinar貼り外国宛て書留便

切手:スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.107. 50 vinar、目打ち穴が糊で埋まっています
Mi.108. 60 vinar、目打ち穴が糊で埋まっています
合計110 vinar

50 vinar印刷版
このカバーの使用日時1919年7月15日より前に印刷された50 vinarは、下記の1919年4月8日の印刷記録のものだけです。
1. 1919年4月8日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
薄い平滑軟質紙
grün緑色~dunkelgrün暗い緑色
目打ち11 1/2、複合目打ち(11 1/2×のこぎりルレット、11 1/2×直線ルレット)
200万3606枚(D. Novakによる)
Deroccoは185万3500枚と記述している。
S. Veselićによると、4月8日~7月27日に100枚/シートを1万8535シート郵政経済局に納入した。
(訳注: 目打ち後に糊引きしたため、目打ち穴が糊で埋まっています。)
(訳注: 発行数集計には185万3500枚を使用)

60 vinar印刷版
このカバーの使用日時1919年7月15日より前に印刷された50 vinarは、下記の1919年4月23日の印刷記録のものだけです。
1. 1919年4月23日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
薄い平滑軟質紙
graublau灰色がかった青色~violettblau紫色がかった青色
目打ち11 1/2、目打ち穴は糊で埋められている。
140万4606枚(D. Novakによる)
(訳注: 目打ち後に糊引きしたため、目打ち穴が糊で埋まっています。)

宛先: Luzern (スイス)

書留ラベル
オーストリア時代のドイツ語表記の書留ラベル
黄色紙に黒色でLaibach 1 3833
ラベルの下の紫色のハンドスタンプは、スロヴェニア語のPriporočenoであり、意味は「書留」です。

郵便料金
不統一期: スロヴェニア及びダルマチア(旧オーストリア帝国)
1918年9月1日~1919年8月29日まで
外国書状: 20gまで25 vinar、20gを越えると20g毎に15 vinar
20gまで25 vinar、プラス 20g×4で15 vinar×4 = 60 vinar、
総重量80~100gまでで合計85 vinarの5倍重量便
外国書留料金: 25 vinar
合計110 vinar
この時期は、国内便は全国統一料金になっていましたが、外国便は各地域毎の不統一料金のままでした。

消印:
LJUBLJANA 1 15 VII 19 -5
スロヴェニアのLJUBLJANA 1郵便局 1919年7月15日5時
スロヴェニア語表記の消印、ドイツ語表記のLAIBACH 1を削除しユーゴ化した消印。

封筒の印刷のユーゴ化
封筒上部の印刷の部分で、ハプスブルグ家の双頭の鷲の紋章、ドイツ語表記の「K. K. priv.」、スロヴェニア語表記の「C. Kir. priv.」が紫色の鉛筆で抹消されています。これはオーストリア・ハンガリー帝国を意味する文字と紋章を抹消してユーゴ化したものと考えられます。