チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻p.73-74印刷版まとめ No.1

2008年04月27日 17時35分18秒 | スロヴェニア切手
訳注
p.73-74の概要を最初に見ておいた方が分かり易いと思われますので、最初にそちらをご紹介し、その後で各額面をご紹介いたします。
記録に残されている印刷の日付けの1日だけで、数十万枚から数百万枚以上もの印刷が行われたとは考えにくいと思われます。まず間違いなく、何日間かに渡って印刷されているはずです。
記録されている日が、印刷の開始日なのか、終了日なのか、あるいは印刷途中の日付けなのかは分かりません。
印刷が全て完了して一括して郵政当局に引き渡されたのか、印刷が仕上がった順に順次引き渡して、郵便局の窓口で販売されたのかも分かりません。
従って、ここに記録されている印刷日よりも早く印刷され、郵便局の窓口で販売された使用例もあり得ますので、関心のおありの方は使用済みやカバーの消印の日付けをチェックしてみてください。

「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」
p.73-74

印刷版のリストをp.74の表に示す。上記の記述はかなり面白い。
我々は、「Druckauflage印刷版」という言葉を使用したのではあるが、それぞれが郵便経済局の注文で行なわれた印刷版で本当に新しいものであるのか、それとも切手が印刷された各印刷所の納品順なのかは明らかではない。
(訳注:各額面の印刷版と書かれているものが、その都度新しく作られた印刷用の版なのか、あるいは以前作っておいた版を再使用して印刷したものなのかは分かりません。よって、このまとめに複数の印刷版が記載されている場合には、各額面の印刷用の版が実際に幾つあるのかは分かりません。石版と凸版の区別は明らかですから、この二種の区別は容易です。)

上記の内容より、いつからいつまで各切手が3つの印刷所から納入されたかが明らかである。
それに続いて、石版と凸版の二種の印刷、さらに三つの場所での印刷、リュブリャナのそれほどでもない印刷所のストライキ、一つの印刷所では全ての注文をうまく処理することが技術的に不可能なことが、反映されている。

我々が知っているように、両方の印刷方式で行なわれた各々の額面には、石版と凸版の切手図案には明らかな相違がある。今日まで、なぜそしてどのようにして印刷技術により切手図案の違いが発生するのを防止できなかったのかは不明である。
また大急ぎで作ったことが精密さを決定したと思われ、それは色・紙・目打ちの変種の多さに現れている。

全ての記載は完全には正確ではないけれども、それらは全ての専門収集家と研究者にとって、実用的利用の面で役立つ、しかし、正確な印刷数の確定のみならず、各印刷方式、色調、紙の種類の印刷数の確定もできない。
これらの3つの印刷所の発行切手の専門家は、これらの記述にかなり重要な記載を見つけているが、その様な収集システムが多くの困難に突き当たっており、今日完全に支配的である石版と凸版という簡単な分類方法を認めている、という確信に至っている。

我々は、リュブリャナのJugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)で印刷された切手はルレット目打ちで目打ちされたと明言できる。
同様に、灰色海綿紙、アイボリー紙、灰色の厚紙または薄紙、ダンボール紙に印刷された切手は、ウィーンのA. Reisser Nachfolgern印刷所で印刷されたことは疑いない。
凸版印刷の額面では、異なるあるいは同一の紙(平滑白色あるいは黄色紙)に、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)のみでなくA. Reisser Nachfolgern印刷所でも印刷され、それだけになおさら今まで全て当然ではあるが、我々の記述では、きちんと色とその濃淡の名称は大部分の場合区別してきたという確実性を信じている。
まとまった色の記述は存在しない、各研究者は知られている色の変種に対して自己流の表示をしてきたため大混乱が存在している。
リュブリャナ郵政局が最初からその記録に対して全く注意と努力を払わなかったのは大きな欠陥であり、そうされていれば、これらの発行切手についての確かで完全な研究ができていたであろう。



「Priručnik Maraka Jugoslavenskih Zemalja, vol.4, 1945, Zagreb (Croatia)、翻訳:ユーゴスラヴィア切手ハンドブック 第4巻」
p.74 普通切手 印刷版リスト

額面 3 vin
総発行数 731万6000枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数497万6000枚 印刷版数3
凸版ウィーンReisser 印刷数234万枚 印刷版数3
凸版リュブリャナJugoslovanska無し
最初の印刷版の印刷日付 1919年2月12日、最後の印刷版の印刷日付 1920年2月11日

額面 5vin
総発行数 2151万6350枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数1096万4350枚 印刷版数4
凸版ウィーンReisser 印刷数300万枚 印刷版数3
(訳注: 300万枚は誤り、正しくは432万枚。ただし、総発行数の計算は432万枚で計算されており、正しい数値が用いられている。このため、300万枚は単なる誤植の可能性が高い。)
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数623万2000枚 印刷版数3
最初の印刷版の印刷日付 1919年1月25日、最後の印刷版の印刷日付 1920年5月

額面 10vin
総発行数 4514万9008枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数1329万6200枚 印刷版数3
凸版ウィーンReisser 印刷数498万枚 印刷版数3
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数2687万2808枚 印刷版数4
最初の印刷版の印刷日付 1919年1月3日、最後の印刷版の印刷日付 1920年3月

額面 15vin
総発行数 3339万3100枚
石版リュブリャナ Blaznik 印刷数2614万100枚 印刷版数2
凸版ウィーンReisser 印刷数302万枚 印刷版数2
凸版リュブリャナJugoslovanska印刷数423万3000枚 印刷版数2
最初の印刷版の印刷日付 1919年9月20日、最後の印刷版の印刷日付 1920年4月


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