チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

190205表 クロアチアSHS加刷普通切手貼りドイツ宛て

2009年01月25日 09時36分23秒 | 封書
190205表 クロアチアSHS加刷普通切手貼りドイツ宛て

切手: クロアチアHRVATSKA SHS加刷普通切手
Mi85. 20 filir (発行数227万5000枚)
Mi73. 25 filir (発行数49万7800枚)
合計 45 filir

宛先: Essen (ドイツ)

郵便料金
不統一期:クロアチア(旧ハンガリー王国)封書料金
ドイツ宛ても国内料金
書状: 20g以下の市外便20 fillér
書留: 25 fillér
合計 45 fillér

書留ラベル: ハンガリー型 Zagreb1 6296

消印: ZAGREB L1L 919 FEB 5 –N3
クロアチアのZAGREB 1郵便局 1919年2月5日昼間3時、消印識別記号L、ハンガリー型消印

備考
紫色鉛筆の記載1610の意味は不明です。検閲番号の可能性はありますが、検閲印が見られないため詳細は判断不能です。
宛先のEssenの右側の青色鉛筆のWestは、ドイツ語で「西」を意味しており、「Essen West西エッセン」を意味していると考えられます。

190201 5 vinar石版4枚貼りウィーン宛て

2009年01月18日 16時14分45秒 | 封書
190201 5 vinar石版4枚貼りウィーン宛て

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー5 vinar石版 Mi.100、4枚貼り
このカバーの使用日時1919年2月1日より前に印刷された5 vinar石版は、下記の1919年1月25日の印刷記録のものだけです。
このカバーは印刷後8日目に使用された初期使用例です。

5 vinar印刷版
1. 1919年1月25日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所
平滑白色~黄色紙
grün緑色、trübgrün濁った緑色、bläulichgrün青味をおびた緑色、olivgrünオリーブ色(黄緑色)
目打ち11 1/2
32万9650枚(Novakによる)

5 vinar石版タイプ
上段: タイプ6、タイプ7
下段: タイプ6、タイプ7

宛先: Wien (オーストリア)

郵便料金
不統一期: スロヴェニア及びダルマチア(旧オーストリア帝国)
1921年1月31日までオーストリア宛てに対して国内料金を適用
国内封書料金: 書状: 20gまで20 vinar

消印: LAIBACH 1 LJUBLJANA 1 -1 II 19 - 2c
スロヴェニアのLAIBACH 1(LJUBLJANA 1)郵便局 1919年2月1日、消印識別記号2c
ドイツ語・スロヴェニア語二カ国語表示 (この後しばらくするとユーゴ化されてドイツ語表記のLAIBACH 1は削除されます)


190107印刷物、郵便料金現金支払い

2009年01月11日 11時54分21秒 | 封書
190107印刷物、郵便料金現金支払い

切手: 無し

郵便料金現金支払い表示
上部の青色鉛筆の記載: V g fr : V gotovni franco 現金支払い

印刷物表示
左上の黒インクの記載Tis.: Tiskovine 印刷物

宛先: Ljubljna (スロヴェニア)市内便

郵便料金
不統一期: スロヴェニア及びダルマチア(旧オーストリア帝国)
印刷物: 100gまで3 vinar

消印: LAIBACH 1 LJUBLJANA 1 -7 I 19 -5 2b
スロヴェニアのLAIBACH 1(LJUBLJANA 1)郵便局 1919年1月7日5時、消印識別記号2b
ドイツ語・スロヴェニア語二カ国語表示 (この後しばらくするとユーゴ化されてドイツ語表記のLAIBACH 1は削除されます)

チェインブレーカーの印刷物料金用の3 Vinar切手の印刷は、「1919年2月12日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所」が最初です。このカバーが使用された当時には、チェインブレーカーの3 vinar切手はまだ印刷されていませんでした。
そして、オーストリア帝国時代の印刷物用の切手も在庫がなくなったため、このような現金支払いを行ったと考えられます。
尚、チェインブレーカーの最初の発売は1月3日であり、10 vinar石版、20 vinar石版の2種だけがこの日に発売されています。

181230表 クロアチアHRVATSKA SHS加刷不足切手ザグレブ市内便

2009年01月04日 09時20分29秒 | 封書
181230表 クロアチアHRVATSKA SHS加刷不足切手ザグレブ市内便

切手: クロアチアHRVATSKA SHS加刷不足切手
Mi32. 20 filir (発行数6万5200枚)
Mi33. 30 filir (発行数3万6300枚)
合計 50 filir
不足切手を普通切手として使用したと推定

宛先: Zagreb (クロアチア)市内便

郵便料金
不統一期:クロアチア(旧ハンガリー王国)封書料金
市内便20g以下: 15 fillér
20gを越えると20g毎に5 fillér---40gを越えて60gまで10 fillér
書留: 25 fillér
合計 50 fillér

書留ラベル: はがれた痕跡有り

消印: ZAGREB A3A 918-DEC 30. –N8
ZAGREB 3郵便局 1918年12月30日昼間8時、消印識別記号A、ハンガリー型消印


このカバーの希少性の解説
クロアチアHRVATSKA SHS加刷不足切手は、発行数が少ないためカバーの入手は困難です。
この使用例では、発行数6万5200枚のMi32. 20 filir と、発行数わずか3万6300枚のMi33. 30 filir が貼られています。
発行数が6万5200枚、3万6300枚と言っただけではピンと来ないのですが、日本の戦前の記念切手の発行数と比較すると、その少なさの感覚はつかめると思います:
1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚、
1919年の飛行郵便試験記念1.5銭5万枚、3銭3万枚、
1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚。
これらの日本切手のカバーがどれほど希少なものかは良くご存知のことと思います。
ここでご紹介している封書に貼られている発行数6万5200枚のクロアチアの加刷不足切手20 filirは、1921年の郵便創始50周年記念10銭10万枚や1916年の裕仁立太子記念10銭8.6万枚よりも発行数が少ないものです。
そして、発行数わずか3万6300枚のクロアチアの加刷不足切手30 filirは、1919年の飛行郵便試験記念1.5銭5万枚よりも発行枚数が少なく、同3銭の3万枚に近い発行数です。
ほぼ同時代の日本のこれらの戦前の記念切手と、クロアチアの加刷不足切手の直接比較は社会的・経済的状況が異なりますので困難ですが、日本人が良く知っている日本切手と比較した方がカバーの価値の類推には役立つと思われますのでご紹介いたしました。