ポートランドに移住して直面した“プラスチック問題”。
私のなかで起きた大きな変化
移住直後、大家さんに叱られた。ーー「あなたたち親が、ちゃんと未来を考えなさい」あれから半年、我が家のプラスチックをめぐる環境は大きく変わった。
ハフポスト BLOG 2020年01月22日
ポートランドに移住してから半年、我が家、とりわけ私に起こった変化を書き留めていこうと思う。最初のテーマとして、これを書かないわけにはいかない。
テーマは「プラスチック」だ。
多くの海外への移住者が、移住してから暮らしの「プラスチック」問題と対面しているに違いない。散々論じられている事でもあるかもしれない。私も例外ではなく、日本と、いま私が住む街の「プラスチック」を取り巻く環境は異なり、暮らしが大きく変わった。まず移住前、移住直後に実際にあった、私の恥ずかしいエピソードから書こうと思う。
移住直前、鎌倉の家を引き払い、知人宅などを転々としていた我が家。飲み水として消費したペットボトルの空き容器を捨てる場所に困り大家(インド出身の方)に相談したところ、「あなたたち親が、ちゃんと未来を考えなさい」と叱られた。
移住してすぐに、2歳の息子がアメリカサイズのカップから上手にジュースを飲めなくて、店内で迷う事なくストローを探した(日本ではかなりの確率で小さい子にはストロー付きで提供されていませんか?)。
当時の私には、今思うほどこの出来事が恥ずかしい、という気持ちはなかった。その私の姿勢が本当に問題なわけで、これを恥ずかしいと思えるようになった今だから、過去の自分への戒めとして晒してみた。
駅にも道端にもたくさんの自販機が設置されていていつでもペットボトルの飲み物を買うことができる環境、コンビニでは必ずビニール袋が出てくる環境、そしてレストランで子どもの飲み物にはストローが添えられている環境。日本にいた時には、それを当然のように享受していた。
プラスチックと私を取り巻く環境は移住で変わった
いま住むこの街では、ペットボトルの自販機を見かけることはほぼない。移住して半年で私が購入したペットボトルの数は正確にはカウントしていないが数えられるぐらいの本数だろう。家族全員が当然のようにマイボトルを持ち歩くようになっている。
ビニール袋(スーパーのレジ袋)は家の中にいっさいなくなった。どこに行く時にも買い物したものを入れる袋を持ち歩くようになった。もちろん、そのためにわざわざ用意した(購入した)エコバックではない。移住する時に持っていったお気に入りのバッグの中から買い物に都合が良い大きさのものが自然と我が家の買い物バッグになった。しばしば、急遽スーパーに寄ったりすると持っていなかったりするのだが、紙袋(そもそもビニールではなく紙袋だ)をもらうのもなぁと思い、コートのポケットにパンパンに詰めたりすることもある(笑)。
筆者提供
だいぶくたびれたLepettoのレッスンバッグが買い物袋だ。
日本の保育園では汚れ物入れにレジ袋を用意するルールだったが、それも変わった。いま通わせている保育園は汚れ物袋として園が用意したオリジナルの耐水性のある布袋がある。使い捨てではなく洗濯して在園中はずっと使う。
また先日のこと。ストローがあるジュースを提供された2歳の次男は、なんとストローで飲み物が飲めなくなっていた!それほどに半年間ストローに出会わなかったということだ(しばらくトライして、飲めた)。ちなみにスーパーマーケットにはたくさんの使い捨てストローやマイストローが売られている。
ラップの消費量も減った。ミツロウラップ(洗って何度も使える)を活用し始めた。野菜の保存にたくさんのラップを使うことに気づいて、ポートランドの友人に相談したところ、デリや野菜の空き容器を活用するアイデアをもらった。
筆者提供
洗って何度も使えるミツロウラップ
そして今月、日本に一時帰国した。当然のようにコンビニの店員さんはビニール袋に入れようとしてくれた。成田空港でセキュリティを通る際に水筒の中身を空にして、ゲートに向かう途中で再び水を入れようとしたところ、ポートランドの空港にあったようなウォーターサーバーはなくて水分補給したかったのに困った。
筆者提供
ポートランド国際空港にあるウォーターサーバー
付随して起こった変化としては、子どもたちと一緒に自分たちが暮らしの中で使ったもの、消費したものが地球に及ぼす影響を話す機会が格段に増えた。紙、食べ物、いろいろ。そして使い捨てることに対しての抵抗が増した。ここ1年ほどとても気になっていた化粧品コットンもこんな素敵なアイテムを見つけて使い捨てから脱却ができた。
筆者提供
生活からすべてのプラスチックを排除するのは不可能なのも事実だ。いまもストレージなどには一部プラスチック製品を使っている。が、移住前に断捨離をした時の経験が私のストッパーになっている。その時に処分することになった時のプラスチック製品の多さに愕然としたのだ。そして、捨てることに伴うストレスと疲労をものすごく強く感じた。その経験があり、今は極力買わずに、増やさずに、そのストレスとさようならをしたいと強く思っている(経験がなくて学べる人は素晴らしいと思う)。
ひとを暮らしのストレスと疲労感から解放するものは何か?
「プラスチック」をテーマに書いたが、これはきっとプラスチックに限った話ではないのだと思う。
暮らしのストレスや疲労から解放してくれるのは、物質がもたらす便利さと効率ではなく、社会や街との共生感であること。うっすらとした予感として持っていたこの考えを、私は移住による暮らしの変化があって、体感した。都市部での暮らしから、ちょっと田舎だったり、人との距離感や自然が近い場所での暮らしを求める思想の背景には、この渇望があるのではないだろうか。
ライフステージによって、便利さと効率が大事な時期もあるかもしれないから、一概にそれを一蹴する暮らしをみんなにおすすめしたりはできない。でも、少なくとも私は、以前よりもずっと心が晴れている。
(2020年1月16日の松原佳代さんnote掲載記事「移住とプラスチックと私」より転載)
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「私たちの家は、まだ燃えている」
スイスで開催されている世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で1月21日、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが演説をした。
前年の同会議で「私たちの家が燃えている」と訴え注目を浴びたトゥーンベリさん。今回の会議でも「アクションを取らないことが、今も火に油を注いでいる」と主張し、「アクション」の必要性を訴えた。
また、会議に参加している多くの政治家や経済界のリーダーたちに、化石燃料への投資を直ちに廃止するよう求めた。
「2050年や2030年、もしくは2021年に実現して欲しいのではないのです。今すぐに行って欲しいのです」
アメリカのトランプ大統領も登壇し、トゥーンベリさんが客席に座る中、スピーチを行った。彼女を名指しはしなかったものの、環境活動家たちを「過去の愚かな占い師の後継者」だと呼び、気候変動に関して「恐れや疑念は良い考え方ではない」「今は悲観的になる時ではない。楽観的になる時だ」と話した。
ハフポストWORLD
2020年01月22日より
薪ストーブ、湯沸かし、マッチ
ポータブル石油ストーブ、ガスレンジの電池の代わりにマッチを・・・