一期一会

日々是好日な身辺雑記

白馬岳登山

2018年07月22日 | 山登り


19日(木)から2泊で北アルプスの白馬岳(2,932m)にいつもの山友達と登ってきた。

白馬岳は40年前に関西在住の同じ歳の友達と登った事があり、その時は新宿発の夜行列車に乗り、関西から来る彼と白馬駅で待ち合わせた。
当時は週末や夏山シーズンになると、新宿駅西口広場は夜行列車に乗る登山客でいつもごった返していた。
そんな友達も60歳の定年退職の年に、肺癌で亡くなった。その事を喪中ハガキで知り、1月に奈良の自宅へ弔問にお伺いした。
新婚当時にお会いした事がある奥様から、体調不良を訴えてからあっという間の闘病生活の様子を聞き、
高度成長期の職業人として頑張り、昔泊めてもらった家も建て替え、京都の大学生だったご子息の就職も決まり、
これからという時に病に倒れた無念さを、遺骨を前にして思わずにはいられなかった。

そんな思い出がある40年振りの白馬岳登山は、猿倉から白馬尻まで行き白馬尻小屋に一泊し、
翌日大雪渓を上って白馬岳へ、3日目は小蓮華山、白馬大池から栂池に下りるというコースだ。
いつもは始発電車に乗り、西武新宿線の南大塚駅で待ち合わせだったが、今回は1日目がゆとりのスケジュールだったので、
3時間遅い9時待合わせで、関越道、上信越道と走り長野インターで降り、国道19号を白馬を通って栂池高原に12:30に到着。
白馬岳への登山口猿倉へは白馬からバスが出ているが、下山が栂池高原なので駐車場に3日分1,500円を支払い駐車。
栂池高原から白馬八方へのバスが13:00発なので、その待ち時間に持参したオニギリなどの昼食を取る。
白馬八方からは猿倉行きのバスに乗り換えて、13:50に白馬岳登山口の猿倉に着く。
登山計画書を出して、1時間10分ほど歩いてこの日泊まる白馬尻小屋に到着。
平日の木曜日という事もあってか、宿泊客は我々も含め14人で、6人入るスペースに2人での利用だった。



翌20日(金)は大雪渓を上っての白馬岳へのコースタイムは5時間なので、少しゆっくりめの6:30に白馬尻小屋を出発。
25分ほど上った所で大雪渓になり、ここで登山靴にアイゼンを装着して上り始める。
私のアイゼンは靴全体に装着する10本歯のアイゼンだったが、相棒は靴の真ん中に装着する4本歯の簡易アイゼンだったので、
固めの雪渓の上りに難儀し、2回ほど滑っていた。他の4本歯アイゼンの女性も滑っていた。
10本歯だと爪先から雪面を蹴り込むキックステップが使えるし、確実に雪面を捉えられるので10本歯がおススメだ。
50分歩き10分給水休みというペースで、2時間程上ると大雪渓が終わり、アイゼンを外して高山植物を
眺めながらの上りを続けると、小雪渓になりまたアイゼンを付け10分くらいのトラバースをする。
アイゼンを付けての雪渓の上りは、岩場の上りと比べると数段楽だった。白馬山荘には11:40に到着。

(大雪渓)









昼食用にとパンやオレンジなどを持参してきたが、昼前の到着となり昼食は白馬山荘のカレーを食べる。
白馬山荘は一泊二食付きで10,000円で白馬尻小屋と同じで、寝るスペースは一人布団一枚分だったが、
枕は3個あったので、これからの本格的夏山シーズンや週末は、2枚の布団に3人なのだろう。
人気の白馬岳の混み具合を予想し、7月中旬の平日に設定したのが正解だった。
昼食の後は少し休憩した後で20分ほど上って白馬岳頂上(2,932m)へ。
頂上からは立山連峰が見えたが、ガスがかかっていたので、翌朝の眺望に期待して頂上から下りる。

 (白馬山荘の夕食)



翌21日(土)は栂池ヒュッテまでの6時間の下山コースだが、週末の登山客が多くなり、上り優先の原則でその待ち時間もあり、
高速道の行楽客帰京混雑も予想されるので、早めに出発しようと話していたが、朝食が5時なので5:50の出発となった。
この日も雲一つない快晴で、朝のガスがかかっていない立山連峰や遠くに見える槍ヶ岳の眺望は素晴らしかった。
下を見ながら歩く上りと比べ、絶景を見ながらの緩やかな稜線歩きは登山における一番の楽しみだ。
前日の雪渓上りとこの日の稜線歩きに、こんな楽な登山は初めてだねと、上機嫌で相棒と話ながら白馬大池まで下りてきた。
因みに40年前は白馬岳からは逆方向に杓子岳、鑓温泉から猿倉に下った。

  (立山連峰)





  (杓子岳)



  (旭岳)



(小蓮華岳からの白馬岳)



(白馬大池)



白馬大池から栂池ヒュッテまではコースタイムで2時間40分なので12時半には着けると9:40に出発。
ところがどっこい、そんな予測も外れ白馬大池からは岩場の上り下りが続き、途中からは地図に載っていない雪渓が2ヶ所あり、
最初のが100mくらいだったので、アイゼンを付けずストックを突き刺しながら足跡を辿って慎重に下りる。
そこを下ったところでまた雪渓で、ロープが張ってあり距離は前より長いが、アイゼンはザックの底だったので、
右手にキャップを外したストックを持ち、左手でロープを持ち下るが、 バランスが悪く脚元が不安定で時間がかかる。
急な斜面の雪渓の下りなので、ザックを下ろしアイゼンを取り出し付けるのも出来なかったが、半分くらい来たところで雪渓の端に
2、3本の細い木があり、そこでアイゼン装着をしている人が2人いたので、終わるのを待ってそこでアイゼンを付けた。
こんな事なら面倒がらずに足場の良い、雪渓に入る前にアイゼンを付けとけば良かったと後悔する。

そんな予想外の岩場と雪渓での苦闘で、2ℓの水も飲み干してヘトヘト状態で13時に栂池ヒュッテに到着。
アイゼンを付けて雪渓を下り20分前に到着したと言う相棒と合流し、早速コーラで無事下山を祝う。
ここ2、3年下山すると(上級ルートはもう止めよう)とか、(ヘルメット必須の山は止めよう)と、縮み志向の話になりがちだったが、
今回は冗談か本気か(これからは3時間くらいのコースにしよう)との話があり、
(それじゃジイさんのハイキングだろう)と言ったら、(だってジイさんだろう)との返答だった。
爺さんの定義は何歳からなのだろう。





栂池ヒュッテ(1,860m)からはロープウェイ、ゴンドラリフトと乗り継いで、猛暑の下界の栂池高原まで下りてくる。
ゴンドラの高原駅の近くで足湯をつかい、遅めの昼食は信州に来たら蕎麦という事で、車が多く停まっている繫盛店に入ろうと決め、
白馬駅を過ぎた辺りで(そば神)という店に入り、海老おろし蕎麦なる大きな海老2本と野菜天が入ったものを食べたがこれが美味しかった。
満足の昼食を終え帰路の車中では来年は何処に行くとの話になり、北岳、奥穂高、前穂高、槍ヶ岳と40代に登ってきた山に再び相棒と登ってきており、
あと3,000m級で残るは劒ヶ岳だけなのでそこはどうかと尋ねたら、あそこの(蟹の横這い)は怖いので止めようとの即答だった。
そこで涸沢から北穂高岳ルートを検討しようという事と、相棒からは5月頃に西穂独漂まで登り、冠雪のジャンダルムや穂高連峰を見ようとの提案があった。
人間、腹が空いて疲れると縮み志向になるが、それが満たされると前向き発想になるのだ。まだまだ老け込む歳でもないだろう。

そんな来年の話の前に、8月下旬から9月下旬にかけて甲斐駒ヶ岳に登る。日程調整の話などをしながら19時に帰宅した


台湾旅情報

2018年07月12日 | 旅行



6/29(金)から7/10(火)までの12日間、台湾を鉄道でぐるりと一周の旅をしたが、一番感じたのは意外と言葉が通じない事。
よく聞いていたのが日本語が通じるという事だが、勿論最初から日本語で話しかける事はしなかったが英語も通じない。
これはホテルフロント以外での話だが、個人旅行なので電車やバスを使って移動・観光する時に困る。
バスに乗る時は行き先の台湾語での発音が分からないので、メモパッドに書いたものを提示し、
料金を確認し入れるのだが、お釣りは出ないので硬貨は常に持ってないといけない。
料金を入れると運転手からコンビニでのレシートや札のような物を渡される。
これをレシートだと思いそのまま持って降りたら、呼び止められて返すように言われた。
当然最初は何を言われているのか分からなかった。別の乗車で渡された札は下の写真で、当用漢字ではないが何となく分かった。
(この票を保管しておいて、下車時に回収するよ。失くしたり毀損したら、全線全額分支払ってもらうよ)と。



台湾には悠々カードというSUICAのようなICカードがあり、コンビニで簡単に買えるのも知っていたが、
一人旅だとこれくらいしか人と話す機会がないので、電車もバスも現金支払いにしていた。

今回の旅行で奇遇だったのが、行きと帰りの飛行機の隣座席が同じ日本人の若い女性だった事。
行きの時は彼女も一人旅の様で機中では本を読んでいたし、私も京成スカイライナーから中公新書(台湾)
を読んでいたので声をかける事はしなかったが、降りる時に私のザックを取ってくれた。
それが帰りの飛行機に乗った時の隣座席の女性が来る時の人と同じかなと思ったが、02:55発の深夜便だったので、
機中が暗くなって就寝態勢だったので、声をかけなかったが、5時過ぎに明るくなってきたので、
確認の声がけをしたら同じ女性だった。12日間の台湾旅行というのも珍しいと思ったが、台湾在住の友達との旅行との事だった。
ICカードは金額不足でも下車出来て、次にチャージする時に引かれる事や、余った分の精算の仕方などを教わった。
旅慣れた感じで、中南米のグアテマラに居た事があるということや、スペイン語が話せるらしいので、
後で考えてJICAの青年海外協力隊員だったのかと思ったが、初対面の若い女性に根掘り葉掘り聞けなかった。
台南に行ってた時も同じ時期だった。成田に着くまで今まで行った国の話などをした。

台湾高速鐡路(高鐵)の新幹線利用は桃園から嘉義までで、九州と同じくらいなので在来線の台湾鐡路(台鐡)で一周出来る。
台北市内は台北捷運(MRT)が走っており、路線は色別となっているので分かりやすいし、
トークンの買い方も簡単なので特に悠々カードの必要もない。
台鐡の電車は日本で言う優先席は(博愛席)となっていたが、何となくこっちの方が柔らかくて良い気がする。

今回の旅行は、日本統治時代の歴史ある建物や、老街と言われる古い街並み、客家や原住民の住む村、
景勝地の太魯閣国家公園、阿里山などを主な見所として計画したが、ガイド本に載っていない情報も
下のWebサイトに載っている。

TAIPEI NAVI

ぐるっと台湾を一周して感じたのは、言葉の問題は別にして総じて台湾の人は親日的だと思う。
東日本大震災の時に台湾から寄せられた義援金が65億円と、世界で一番だったらしい。
高雄には竹下通り的存在として(原宿王竹商圏)というエリアもあり、台北では西門から台北駅までの
地下街で日本の色んな商品のフェアをやっていたが、日曜日という事もあり大変な人出だった。

次に溜まっているJALマイレージでカミさん来るとしたら4泊5日くらいで台南、台北と廻るのが良いだろう。
台南は台湾の京都と言われる歴史ある街で、日本統治時代の歴史ある建物も残っており、マンゴーや
紅豆かき氷なども美味しいし、のんびりと過ごせるだろう。また行こうと思っている。


台湾一周旅行最終日

2018年07月10日 | 旅行


台湾旅行最終日となる今日9日(月)は朝から雲ひとつない快晴となった。
日中どんなに暑くなろうとも、晴れた日の朝は気持ちが良い。
今回は台南の2日目、高雄の2日間が大雨だったので、最後の台北2日間が快晴でラッキーだった。
帰国する便は今日の深夜というか、明日の早朝というか、10日(火)02:55発の便なのだ。
最初に取った便もこの時間で、他の時間帯は空いてなかったのでマイレージ利用者の適用便かと思った。
23時頃まで台北市内で過ごし、それから空港へ移動でも充分なのだが、3度目の台北で大体の所は見ているし、
2009年にカミさんと行った国立故宮博物院は(最低半日は居るだろう)と言っていながら2時間だったので、
今でもそれがからかいネタになっているが、書と陶器が中心の展示にあまり関心が持てなかったのだ。

台北の見所は見たのでチェックアウトまでホテル近くの二二八和平公園や総統府などを見てから、
午後から桃園にある大渓老街に行く事にする。ここは(地球の歩き方)には載っていず、Webサイトの(台北ナビ)で見て興味を持った。
台北でのMホテルはNHKが見れるので、連ドラの(半分、青い)を見てから出かける。
話は全く変わるが、このドラマの脚本家の北川悦吏子って凄いですね。
ストリーテラーとしての才能と脚本家の命のセリフ回しの面白さは56歳の女性とは思えない。
あんなみずみずしく生き生きしたセリフがよく書ける。感性が若いのだろう。
律が結婚して今後の展開はどうなるのだろうと思っていたら、今日の放送では次の展開が始まっていた。

それた話を元に戻すと、ホテルから5分くらいの所に二二八和平公園や総統府など日本統治時代に
建てられた歴史的建築物を見る事が出来る。現在の東京では

(台湾銀行)



(二二八和平公園)





(台湾病院)



(国立台湾博物館)
日本統治時代の1915年に完成。


(総統府)
日本統治時代の台湾総督府ビルで1919年に完成。


歴史的建築物を見終えた後は、ホテルに戻りシャワーを浴び着替えてチェックアウト。
大渓老街へは台北駅から台湾鉄道に50分乗り中壢へ 、そこでバスに乗り換え50分で大渓着。
前述の通り地球の歩き方には載っていないので、iPad miniに台北ナビのスクリーンショットを
取ってあるので、それを見ながら中山路、和平路と老街を観て廻る。







老街見て廻りも暑さで小豆かき氷を食べ、遅めの昼食は完全冷房からレストランでピザを食べる。
大渓からは桃園行きのバスがあったのでそれに乗り、桃園からは空港行きの電車があるかと思ったら
バスしか無くて、同じ桃園が付いているので近いかと思ったが1時間ほどかかった。
空港に着いたのが5時、この時点で財布には1250台湾$が。初日の空港ATMでは10,000$単位での
クレジットカードでのキャッシングだったが、もう1枚持参したデビッドカードでの引き出しは
1,000$単位だったので余分な台湾$が残らず、1,000$は円に両替し残った250$で食事と
ミネラルウオーターを買い台湾$は使い切った。

出発まで10時間を過ごすという空港難民のような感じだが、エアコンが効いているだけでも快適で、
ブログを書いたり、本を読んで出発までの時間を過ごした。
今回の旅行は実質11日間の内、3日間が大雨に見舞われるという状況だったが、
日本と台湾の歴史的な関わりの一端を知れて有意義な旅だった。


台北観光/三角湧老街へ

2018年07月09日 | 旅行



台北は3度目で、iPadに2005年のマレーシア旅行以後の海外旅行の写真が保存してある。
そのiPadのアルバムの中に2009年8月にカミさんと台北に来た時の写真があるが、あまり枚数がない。
6日間いてホテルを2ヶ所に取った事と国立故宮博物院に行った事くらいしか覚えていない。
bあとはあずき氷を食べた事と小籠包の鼎秦豊に行ったくらいか。
今朝はこのホテルはNHKが見れるので日本の大雨被害のニュースを見ながら地球の歩き方で今日の観光プランを練る。
足を延ばしての三角湧老街を最初に、台北のシンボルTAIPEI 101、昔の繁華街の迪化街、そして夜は士林夜市というプランにした。
ニュースを見ていて始動は珍しく10:00となったが、今朝の台北は晴れたので歩き廻るには絶好の天気だ。

三角湧老街は新北市にあり、台北からはMRT阪南線終点の永寧からバスで行くのだが、
永寧駅で出口を間違ったかバス停が見当たらず、地球の歩き方にはバス代15元とあったので、
大した距離ではないだろうと思いタクシーに乗った。だがその予想とは違い高速道路にのったので
ちょっと驚き、現金の持ち合わせも少なかったので、少しビクビクしながら乗っていた。
そのタクシーが三角湧老街に着いたら320$(日本円で1280円くらい)だったが、
このタクシー利用が間違いだった事を後で痛感する。

老街とは古くからの街並みの事で、三角湧老街も日本統治時代に建てられたレンガ作りの家屋が並ぶ。
一つ一つの建物が重厚で、よく見ると彫刻も施されなかなか立派な家屋だ。
お土産屋や食べ物屋が多く、乾物などお土産に良いかと思ったが、結局手提げ袋案はカミさんも
パイナップルケーキも何もお土産はいらないとの事で、ザックで帰る事になった。
あまりの暑さにミルク小豆かき氷を食べる。

(三角湧老街)









1時間くらいの散策を終えて帰りのバス停を探すが、来る時がタクシーだったのでその場所が分からない。
頼りは地球の歩き方159ページに載って小さな地図で、そこには李梅樹文物館という表記の上に
(三峡バス停へ)と書いてあるので、縮尺からすると三角湧老街から1kmくらいなのでその建物を目指し歩く。
1kmは走って6分だから歩いて20分位だろうと思ったが、どこかで間違えたらしく通り名が違っていた。
地図さえあれば通り名で分かるのだが、地球の歩き方の地図の枠の外に出てしまったらしく、現在地が分からない。
仕方がないので李梅樹文物館までタクシーで行ってもらう82$。(三峡バス停へ)の表示に従い、聞いてみるが分からない。
若い人なら英語が通じるかと話しかけるが、スマホの翻訳機を使っての会話になる。
バス停は幾つかあるのだが、何本ものバスが走っているが、どれもバスNOと行き先が違うのだ。
探し始めて1時間くらい経ち、8人目くらいの中年男性に聞いたら息子のような若い男性と話し
場所が分かったらしく、バイクで送ってくれると言う、10分くらい走って着いたのでだいぶ離れていたのだ。
そもそも地球の歩き方の位置と違っていた。前にもスペイン旅行でマドリッドからトレドに行く時に、
バスが出る地下鉄の駅が違っていた事がある。帰ったら編集部に電話しておこう。
ただ世界中の旅情報を最新のものに改訂する事が紙ベースの媒体では不可能だろう。

そんなトラブった三角湧老街の後は台北に戻り、高さ508mのランドマークタワーTAIPEI101に行く。、
台北市内はMRTに乗り動けるので便利だ。これまではバスでの観光が主だったので、行き先を告げ、
料金を聞き、コインを入れるだけなのだが、発音が分からないので書いたメモを見せるのだ。
これが意外と厄介で下りる時も車内アナウンスと電子表示板に注意してないといけない。
TAIPEI101は展望台には登らず、ショッピングモール見物と遅くなったランチを食べる為に行った。
小籠包の店鼎泰豊は長蛇の列で60分待ちの表示が出ていた。
ショッピングモールには世界中の名だたるブティックが軒を並べているが、服には関心がないので
ウィンドウショッピングもしなかった。何しろこの日の装いもユニクロコーディネーションだし。
遅い昼食を3時にコーラとクレープのサンドウィッチで済ませた。

(迪化街)





(士林市場)







この後は迪化街を散策し、5時ごろに一旦ホテルに戻り、7時から台湾で一番規模の大きな士林夜市にでかける。
この士林市場は新設されたらしく、屋内の夜市で日曜日という事もあり、大変な人出だった。
屋外の道端では射的や弓矢の的当てもありお祭りのようだ。
ここではワンタン麺と青菜炒め、デザートにマンゴーを食べた。
ナイフとマンゴーを買って、夕食後のデザートにホテルの部屋で食べれば良かった。



九份から台北へ

2018年07月07日 | 旅行


今日は8:00にチェックアウトし、花蓮発9:12の電車に乗り九份に向かう。
台北からの日帰り観光地の九份へは台湾鉄道の北回り線で瑞芳まで行き、そこでバスに乗り換える。
この電車は自強号という座席指定の特急で、瑞芳までは2時間半かかり、司馬遼太郎の「台湾紀行」を読んで過ごす。





この「台湾紀行」は先月読んだが、関心深いところに付箋紙を貼ってあるので、読み返す為に持ってきた。
司馬遼太郎の歴史小説は殆ど読んでおり、代表作「龍馬がゆく」は初版本5巻を高校生の頃に読んだ。
「台湾紀行」は紀行エッセイの形だが、それが人物論、文明論、国家論になってるのがこの人の本らしい。
この本で児玉源太郎と後藤新兵が日本領時代50年間の台湾の行政の基礎を作ったと書いており、
児玉源太郎については「坂の上の雲」でも秋山兄弟、正岡子規と並んで扱われており、その人物像が興味深い。
李登輝前総統との事や対談も載っている。李登輝の「熱誠憂国」が出発前日に届いていたが、
次の予約が入ってなかったので、延長申請をしておいた帰ってから読もう。
また旅行中のガイドをしてくれた蔡焜燦氏の言葉として台湾人と中国人の違いについての話が興味深い。

(公という観念の有無だと思う。日本の教育は台湾人に他の近代国家と伍して恥じない
最高水準の道徳を身につけさせてくれた。日本統治時代の道徳教育こそが、台湾人と中国人を
精神的に分離させたのである。日本統治時代に公という観念は徹底的に教え込まれた。
それは秩序ある法治社会を築きあげるためには必要不可欠だった)

解るなぁ。







瑞芳から九份へはバスに乗り、坂道をずうっと15分ほど上り到着、運賃は15$。
最近よく旅ガイド本やテレビの旅行番組で取り上げられる九份は観光客で大賑わいだった。
九份散策のメインストリートの基山街には、幅2mから3mの狭い小径にお土産物屋や食べ物屋がひしめき合っている。
ここでは昼食代わりに、高雄で食べたアイスとパクチー入りクレープを食べた。
(アイス&ピーナッツ粉入り春巻き)と書いてあった。あの削っていたのはピーナッツをキャラメルで固めた物だったのだ。
そしてもう一つは紅豆入りの今川焼きのような物で、我ながら何とも変な昼食だ。



基山路を上って行くと交差する所があり、その石段を下がっていくと映画(非情城市)の撮影地がある。
1989年にヴェネツィア国際映画祭で金賞を受賞し、台湾で大ヒットし日本でも公開された。
前にも書いたがこのDVDをTUTAYAなどで探したが無かった。
1945年の2・28事件を描いたこの映画はYoutubeにアップされているが、主人公を香港俳優の
トニー・レオンが演じているが、台湾語が話せないので吹き替えだったらしいが、
時代背景を考えると30代の台湾人は日本語も話したと思うがどうなのだろう。
同じく大ヒットした台湾映画(KANO 海の向こうの甲子園)では日本語が話されていた。

九份は1時間半ほどで廻れ、台北にはバスで1時間でデパートのそごう前に着く。
MRTに乗り換えホテルのある西門まで行き、そこから歩いて5分くらいのTAIPEI M HOTELにチェックイン。







夕食はMRTに乗り5つ先の忠孝教化まで行き、台南で行った(度小月担仔麺)の台北支店に行った。
落ち着いた感じの店だったので、台湾ビールと担仔麺、豚足、台南小炒という炒め物を注文する。
久し振りのビールだったが、店内がクーラーが効き過ぎくらいで、ビールよりも熱燗が欲しいくらいで、
後から来た若い日本女性達はカーディガンやパーカーを着ていた。
それと出てくる順番が担仔麺、暫くして豚足それから炒め物なのでビールを飲むには順番が逆で、
〆のラーメンが一番先に来た。ただ味は良かったので満足の夕食だった。