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一期一会

日々是好日な身辺雑記

世界遺産城塞都市アビラへ

2025年04月19日 | 旅行
今年のイースター(復活祭)は4月20日(日)で、スペインではその前後4月17日(木)から4月21(月)までが5連休となっており、そのせいか前夜の16日夜から各広場は大変な人だかりで、マヨール広場などにはテレビ中継車まで停まっていた。

トレドから戻り翌日のセゴビア行きをカミさんがOMIOというヨーロッパの鉄道、バス予約サイトで探すが午前発のものがない。セゴビアはローマ時代の水道橋とディズニー映画白雪姫のモデルになったアルカサルがあり、特急列車で30分、普通列車で2時間、バスで1時間半と便数も行き方もあるのだが、全く駄目だと言う。仕方なくセゴビア行きは諦め、元々日帰り旅行先の候補の一つに挙げていた世界遺産で要塞都市のアビラに変更する。
スペインは世界遺産が44とイタリアに次いで多く、行く先候補には困らない。ただこれもイースター休暇のせいか、鉄道便の空きがなく、ようやく行きが8:00発、帰りが16;00発のバス便が取れた。人気観光地のフィレンツェの鉄道チケットは購入していたが、スペインでのイースター休暇での混雑までは考えていなかった。

(城壁)


(カテドラル/大聖堂)
















アビラはグレドス山脈の北に位置し、夏は朝夕涼しく、冬になれば凍えるほど寒くなると、地球の歩き方にあった。この旅行で感じたのは街往く人の半数近くはまだダウンやコート姿だった。ネットで検索したらアビラの気温は日中でも5°〜7°とあった。

持ってる服の重ね着をして出かける。南バスターミナルは東京でも見ることがない広さとゲート数で、そこがスーツケースやリュック姿の乗客でいっぱいだった。我々は日帰りなので小さなリュックと手提げバッグだけだった。やはり予想通り高速道路も渋滞し、30分遅れの到着となった。バスターミナルからは歩いて10分ほどで旧市街に。

スペインで初めてのゴシック様式で14世紀に建てられた大聖堂は見事な物だった。大聖堂の内部は主祭壇があり、聖歌隊席がありという構造は変わらず、その説明は長くなるのでカット。ただ赤い砂岩入りで造られたアーチ状の柱は、前のスペイン旅行で見たコルドバのイスラム教とキリスト教が共存するメスキータの内部に似ていた。



イスラム教徒との最前線だったアビラが、11世紀に町を取り戻したカトリックの王が、1090年から9年の年月をかけて、防備の為に築いた城壁は全長2.5km、幅約3m、高さ12m、90の塔を持つ堅固な要塞だ。

(城壁)






(城壁通路から見た冠雪のグレドス山脈)


(同じくアビラ市街)


寒い寒いを連発のカミさんに、日向でベンチに座り、陽を浴びながら旧市街散策を続ける。大聖堂の広場にはイースターの関連なのだろう、宗教装束姿の行進が行われていた。
ランチは寒さ凌ぎに、白いんげんのスープと
牛頬肉、ボロネーゼを摂る。ここで初めて普通の麺でのボロネーゼを食べた。








思いがけずセゴビアから変更になったアビラ観光だったが、カミさんはセゴビアは前に見たし、初めてのアビラ観光を出来て逆に良かったと。16:00発のバスに乗り、帰りは渋滞もなく17:30にはマドリッドに戻ってきた。

ただ今現地時間19日(土)9:30、マドリッド発13:30の便で帰国の途につく。北京までの48時間前のネット予約は娘が通路側の繋ぎ席を取ってくれたので良かった。

毎朝、目が覚めてから食事までの間に書いていたこのブログもホテルを出る時間が迫ってきたので、この辺でアップする。
今回も国際ローミングはカミさんのスマホだけなので、長い長い待ち時間と機中では持参した浅田次郎の壬生義士伝を読んで過ごそう。


トレド観光2日目

2025年04月18日 | 旅行


トレド観光2日目16日(水)は、大聖堂をゆっくり見学するだけの予定だったので、8:00スタートのビュッフェスタイルの朝食を前日に予約した。パン、乳製品、果物、スイーツと品数も豊富だったが、日課の1時間のヨガも
しておらず、それほど腹も空いてなかったので、写真の一皿だけだった。
初めて一泊したパラドールとは、宮殿、城、修道院の歴史的構造物を改修し、宿泊施設にしたもので、ここも国営の施設だ。
雰囲気のある館内施設と立地環境も申し分なかった。

(絵画の飾られたロビーコーナー)


(パラドールの朝食)


ローマ時代に城塞都市として築かれたトレドの繁栄を象徴するトレド大聖堂は、四つの側廊と22の礼拝堂からなり、スペインで1番の規模を誇っている。

(トレド大聖堂免罪の門)


免罪の門は通常閉ざされており、大司教や一国の元首を迎え入れる時のみ、扉が開かれる。
門の上には18世紀に造られた最後の晩餐の晩餐のキリストと12人の使徒の像が一直線に並んでいる。

(主祭壇)


高さ30mの主祭壇にはキリストの生涯20場面を表した木彫りの衝立が置かれ、壁一面に新約聖書の各場面が描かれて、そのスケール感に圧倒される。

(礼拝堂)


(明かり取りのついた天井)


(トランスパレンテ)




祭壇の裏側にあるのが、スペイン独自のバロック様式の傑作とされるトランスパレンテで、聖母像や天使のきめ細かな像が、明かり取りがついた天井からの光にひときわ鮮やかに見える。

(パイプオルガン)


聖歌隊席は2台のパイプオルガンが向き合う形で、金色で装飾された豪華な造りた。

(聖歌隊席)


聖堂の中央にあるマリア像の裏には、上下2段の聖歌隊席があり、上がルネサンスえ様式、下がゴシック様式に分かれている。その彫刻はレコンキスタが終了した、グラナダ征服を題材としている。

(聖体顕示台)


聖体顕示断台はイザベル女王の王冠や金、銀、宝石などで16世紀に造られた物で、高さは3mあり、総重量は200kgだ。



(下りエスカレーター)


トレド旧市街観光を終え、エスカレーターで
新市街まで下りてきて、左川に真っ直ぐ進むとバスステーションになるが、アルカンタラ橋と鉄道のトレド駅が見所だということから、城壁沿いに右側に歩みを進める。

(アルカンタラ橋)










(トレド駅)


アルカンタラ橋は古代ローマ時代に作られたテージョ川を渡る橋で、旧市街に入る城門が2つ造られており、歴史を感じさせる重厚な石門だ。

2日間のトレド観光は1561年に首都がマドリッドに移るまで、政治•経済の重要な拠点として繁栄し、(16世紀で歩みを止めた町)と言われる正にその通りの町だ。560年に西ゴート王国の首都になったトレドは711年から約400年にわたってイスラム教徒の支配下におかれた。1492年にレコンキスタによりカトリック両王に追放されるまで、カトリック教徒、ユダヤ人、イスラム教徒の3つ文化が共存していた町だ。

迷路のような狭い石畳みの路地、赤煉瓦と石造りの建物と、(スペインに1日しかいられないなら、迷わずトレドへ行け)の町だった。













世界遺産トレド観光

2025年04月17日 | 旅行
15日、16日と(スペインに1日しか滞在しないなら、迷わずトレドへ行け)との格言がある世界遺産トレドへ一泊で行ってきた。前日泊まったホテルアグネルにスーツケースを預け、それぞれ手持ちのバッグと小さなリュックに、洗面道具と着替えの下着を詰め軽装で出かけた。2015年5月に来た時はマドリッドから日帰りの4時間くらいの滞在で、この日泊まるパラドールからの展望とエルグレコ博物館を見学したくらいだった。
この時はバルセロナ、バスク地方のサンセバスチャン、マドリッド、グラナダなどのアンダルシア地方巡りで3週間、リスボン4日、イスタンブール3日という超駆け足旅行だった。

マドリッドからのバスはトレドのバスターミナルへ45分ほどで着き、そこから城壁に沿いに15分ほど歩きビサグラの新門からエスカレーターで旧市街に入る。6つのエスカレーターを乗り継いで旧市街に着くので全長何メートルになるのだろう、両脇は岩壁になっている。





(旧市街への上りエスカレーター)


(新市街の展望)


(旧市街カフェでの朝食)


旧市街散策前にカフェで腹ごしらえ。トレドは迷路のような石畳みの路地を、目的箇所を探しながら歩き廻るので大変だ。





(サント•トメ教会)

(エル•グレコ作/オルガス伯爵の埋葬)


サント•トメ教会は14世紀にムデハル様式という、イスラム建築とキリスト教建築を融合した建築様式で建てられている。ムデハルとは残留者の意味で、キリスト教徒に征服された町にそのまま居残り続けることを許されたイスラム人のことだ。
エル•グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」を
所蔵している。



(サン•ファン•デ•ロス•レイエス教会)




(ムデハル様式の天井)






サン•ファン•デ•ロス•レイエス教会は1476年に建てられた教会で、ゴシックとムデハル様式をミックスしたイサベル様式で内部の彫刻が素晴らしかった。回廊は1階がゴシック、そして2階天井はムデハル様式とさまざまな様式が調和している。

(トルティジャのランチ)


(Chieri CHOCOLATERIA)




歩き疲れた後のランチは、スペイン風オムレツを食べ、疲れ取りに細長い揚げパンをチョコレートにつけて食べるチュロスを。

(パラドールトレド)




















宿泊したパラドールトレドは旧市街からタクシーで10分くらいの山の上に建つ、石造りの重厚な感じの四つ星ホテルで、部屋も広くテラスからの旧市街の眺望が素晴らしかった。そんな眺望の窓際の席での夕食にはカミさんも大満足だった。


アランフェスへ、そしてフラメンコ

2025年04月16日 | 旅行


14日(月)はボローニャ旅行を挟んで3泊したリンコン•デ.•グランビアを7時にチェックアウトし、マドリッドのターミナル駅アトーチャ駅まで行き、そこから歩いて4,5分のアグマルにチェックインした。この日はクラシックの名曲(アランフェス協奏曲)のアランフェスに行く予定だったので、スーツケースだけ預けようと思っていたが、部屋に入る事が出来た。このホテルは四つ星で、日本人の口コミが良かったのと、アトーチャ駅に近く近郊都市に行くのに便利なので連泊したかったがこの日1日しか取れなかった。
立地も良く商業施設もない閑静な環境で、大きなレディーロ公園のすぐ近くだ。
部屋も広く落ち着いた感じの内装で、今までの中で1番良かった。




アランフェスの王宮は16世紀にフェリペ2世が夏の離宮としての建設を命じてから、200年かけて完成したもので、マドリッドの王宮と同じくとにかく大きく広い。アトーチャ駅から近郊電車で40分ほどで着き、降り立った駅舎は大きくなく、田舎町のような風情だ。
歩いて10分ほどで着き、警備員のような男性に入り口を尋ねたら、月曜日は休館で観れるのは庭園と外回りだけだと。ラヴェンナに続いて2度目の空振りだったが、元々アランフェス行きは半日観光コースとして、こちらに来てから決めたもので、王家の財宝の数々はマドリッドの王宮で観ているので、特にガックリすることもなく、庭園や外回り回廊を1時間ほど観て廻り、マドリッドに戻ってきた。











ホテルで一休みした後、16:30に予約したフラメンコの店Essential Flamencoへプラド美術館エリアをブラリ歩きしながら向かった。アランフェス王宮の後の午後のプランとして、プラド美術館とフラメンコのどちらかと提案したらカミさんは絵画鑑賞よりフラメンコ観賞を選んだ。








マドリッドはエリアによって町の雰囲気が全然違う。プラド美術館のエリアは道路幅も広く、プラザホテルやホテルリッツが建つ高級感漂う街並みだ。







フラメンコの店タブラオのEssential Flamenco は16:30の開演30前に入店出来て、グラス一杯付きなのでカミさんがシャングリア、私が白ワインを頼んだ。店の女性にビデオ撮影はOKか尋ねたら、全く問題ない但し写真撮影のフラッシュはNGとの事だった。このブログはYouTubeは貼りつけられるが、スマホのビデオは貼り付けられないので、上の写真はビデオのスクリーンショットである。

最初にボードを使ってのインド発祥のジプシーと言われるロマ人の歴史説明から始まった。2015年のスペイン旅行ではセベーリャでフラメンコ観賞をして、いたく感激したカミさんは今回も良かったの連発で、東京でフラメンコを見に行こうと言い、娘にビデオをLineで送ったと言う。私は踊りはともかくフラメンコのギター演奏とカンテと言われるあの独特の歌が好きで、YouTubeでビセンテ•アミーゴやパコ•デルシアの演奏を聴いている。沖仁のコンサートには何回か一人で行った。

グラナダに行った時のアルハンブラ宮殿の思い出から名曲(アルハンブラの思い出)が弾けるようになりたくて、国立音大卒の先生の週一回の個人レッスンを3年間受け、自宅で30分から1時間の練習をしたが、ゼロから始めてあのトレモロ奏法をマスターするには、30分からそこらの練習では無理だという事が分かり断念した。まぁ、こんな単純な動機ではあの名曲はマスター出来ないのだ。
その頃は村治佳織の演奏もよく聴き、コンサートにも行っていた。


この日の夕食は、そんなフラメンコの話をしながらホテルのカフェで、2杯目となるワインを飲みながらとなった。



ボローニャからマドリッドへ

2025年04月15日 | 旅行
5日間のポローニャ滞在を終え、13日(日)は12:30発の飛行機に乗りマドリッドに戻ってきた。その5日間でポローニャを中心に、電車で1時間以内の都市ラヴェンナ、フィレンツェ、フェラーラと廻ったが、マドリッドが近代都市と思える程、これらの都市はすべて中世の歴史を感じさせる街並みだった。
ラヴェンナだけはチャールズ国王とカミラ王妃の滞在による規制で、旧市街観光が出来なかったが、ポポロ広場に行くまでの街並みは、中世を感じさせるものだった。

(ポローニャ空港でのランチ、フォカッチャ)


このフォカッチャは美味しかった!そのボリュームと中身は今まで食べたことがないものだ。

(空港内のフェラーリ)




ボローニャは美食と歴史の街だが、イタリアが誇るスポーカーの街でもあり、ランボルギーニ、マセラティ、フェラーリなどの博物館があり、そのツアーも催されている。
ボローニャ空港にはフェラーリが展示されており、現在は車のソフト化や自動運転技術が話題になるが、それとは一線を画すデザイン性だ。













マドリッドに戻り、この日宿泊するリンコン•デ•グランビアへチェックインし、夕食取りがてらグランビアをブラリ歩きする。この通りにはミュージカルの劇場が3つあり、ユニクロもあったが日本とはポジショニングが違うようで、入り口にはスーツ姿の男性が立ち、高級感?を漂わせていた。
日曜日ということもあり、大変な人出だった。夕食はタパスのようなものをという事で、ネットデ調べたTAPA TAPAという店に行ったが、賑わってはいたが特にどうという事もなかった。

この日は2時間半のフライトとはいえ、昼からの便でチェックインなどもあり、2時間前に空港に行くという具合に、移動だけの無駄な一日だった。変則的な旅程から生じたものだが、計画は入念に時間をかけてという教訓だ、