一期一会

日々是好日な身辺雑記

お食い初め

2020年08月17日 | 日記
15日(土)は息子から生後100日目の儀式「お食い初め」をするので来てほしいとの誘いがあったので行ってきた。恥ずかしながらこの「お食い初め」の儀式は知らなかったし、子供達にもしてなかった。ネットで見ると中国、韓国でもするらしいので、儒教の習わしなのか。八ッ場に行った時に同じ歳であるSさんにその話をしたら(やらなかった?)と言われてしまった。子供達へ着物を着せ、お互いの両親をよんでの祝いの儀式は七五三からだった。

この日も35度を超える猛暑で、2時間かかる息子の家に着くまでに大汗をかいてしまう。
孫に会うのは40日ぶりだが、ネットの家族共有アルバム(みてね)に動画や写真をアップしてくれるので、うつ伏せになった、指しゃぶりが始まったと、その成長ぶりを見ていた。
「お食い初め」は作法に則って、年長者からとご飯、鯛、お吸物をあげる真似をする。
 5/4というコロナ禍の緊急事態宣言最中の入院出産で、息子も面会出来なかった時に生まれた子で、予定日より早い出産だったが、順調に育っているようで安心した。

3回目の訪問で少しずつ起きている時間が長くなったが、お食い初めの儀が終わって暫くしたら寝てしまい、大人達だけで育児話を聞きながら祝いの膳を頂いた。
その話を聞いていると、改めて育児は大変だなぁと思う。少しずつ寝る時間も長くなってきているらしいが夜中に起きるし、日中も泣き止まない時があったりと、1日があっというまに終わると言う。コロナ禍とこの暑さで引きこもり生活を余儀なくされストレスも溜まるかと思うが、そんな事もなく2人で協力し合いながら育児をしてる様子は見てて感じが良い。

そんな息子の育児サポート振りに、最近カミさんからは(私の時は・・・)と、息子と私の育児協力比較論という話がよく出る。昔の事でよく覚えていないが、息子が生まれた時は外資コンピュータ会社に転職したばかりで、色んな面で大変で帰りも遅く、夕食は原則家で食べず、食べる時はカエルコールをした時だけ作り始めるという決め事にしていた。
その会社では営業職は残業代が付かないが、8時過ぎると2000円までの夜食が認められていたので、食事を済ませて帰る事が多かった。
現在のコロナ禍で週の半分はテレワークだという息子は、出社の時も終業時間になるとさっさと帰宅し、孫を7時半に寝かせる為に帰宅して風呂に入れているという。
私もあまり上や周りに気兼ねする事もなく、有休や退社時間も自分の思うままにしてきたが、ワークライフバランスが言われる現代、それで良いのだろう。

育児の話になると息子からは(俺の時はどうしてたの・・・)との、私が育児参加していなかった前提のような質問が出て、話が妙な方向に流れる。
家事は何もしない親父というイメージがあるのかも知れない。大学卒業と同時に家を出ているので、定年後に掃除、洗濯(自分の分)、夕食、そして自分の朝食と昼食を作る姿は見ていない。

そんな話の流れを変えるように、前回来た時に体重4kg、ウェスト6cmのダイエットをしたと言ってたので、そちらに話を振ってみた。4ヶ月でのダイエット成果はジムでの筋トレとカロリー計算した上での食事という事だったので、RIZAPと同じやり方なのだろう。
カロリー計算のアプリがあると言ってたが、面倒そうなので突っ込んでは聞かなかった。
中、高と水球部で、夏合宿では毎日10kmを泳いでいたらしいので、カロリー消費率が高いのだろう。

私の方は腹筋が緩んでいるとはいえ、中肉中背と思っているのでダイエットしたいのは、体重はともかくウェストを絞りたいのだ。
持っているリーバイスの30インチ(76cm)の501がきつくなっているのでウェストを絞り楽に履きたいのだ。

ダイエット話は置いといて、息子夫婦もコロナ禍と100日経ったとはいえまだ乳児なので
行動に制限がある。そんな中で来週軽井沢の東急ハーヴェストクラブに3泊を予定していたが断念した。新幹線で行くつもりだったが、泣かせずの移動、滞在中の食事など無理だと思ったらしい。先日スターバックスに行ったら泣き出し、頼んだラテを一気に飲んで出てきたと言う。まだしばらくは外食などは無理なので、家の中での楽しみを見つけるしかないだろう。

上州温泉高原旅行

2020年08月15日 | 旅行
12日(水)から群馬県長野原町に友達が借りている(クラインガルテンやんば)に一泊し、温泉と高原散策を楽しんできた。
クラインガルテンは滞在型市民農園とも言われドイツが発祥の地で、(クラインガルテンやんば)は100坪の敷地に菜園と1LDK +ロフトの家屋が付いており、八ッ場ダムの国の補償金の関係からか広い土間やテラスと家屋の設備も良く出来ている。

6月から日程調整をしていたが、8月のコロナ感染再拡大により(来ないで下さい)(県を跨ぐ移動の自粛を)との報道が相次ぎ、どうしようかとの話もあったが、地域の拒否反応もないし大丈夫だろうとの家主のSさんの声により予定通りとなった。
その後山本一太知事の(お盆は特別な行事なので・・・)との発言もあり、堂々と行く事が出来た。

隣町に住むIさんと待合せ、浦和発10:19発の特急に乗り11:57に中之条駅に着いた。
前日から来ていたSさんが車で迎えに来ており、昼食は昨年末も入った駅前の(はやしや)で同じ蕎麦定食を食べる。 小鉢が3品、メインがイカフライとカボチャの天ぷら、ご飯と蕎麦が付いて720円とコストパフォーマンスの良さで、それに加え蕎麦が美味しいという文句なしのランチだ。
昼食の後はスーパーのヤオコーに寄り買い出しをする。ここは惣菜の品揃えが豊富なので、それを買って並べるだけで済むので、刺身の盛合せやローストビーフなどを買う。


いったん家に寄って荷物を置き温泉へ。川原湯温泉や吾妻狭温泉の近くなので日帰り温泉施設もあるが、コロナ禍でもあり混雑する所は避けようと、Sさんが選んでいたのは車で30分の草津ナウリゾートホテルで、「温泉×マウンテンリゾート」という謳い文句の森に囲まれたホテルの日帰り温泉だ。混雑以外にも大きな施設の方がコロナ対策もしっかりやっているだろうとの読みで、その通り検温とアルコール手洗いをしての入館だった。

のんびりと温泉に浸かり戻ってきたのは夕食にはまだ早い16:30頃だったが、湯上りの一杯という事で、ヤオコーで各自が選んだ500mlの缶ビールとスパークリング日本酒で乾杯。
グラスはSさんが役員をしている某県スポーツ団体の70周年記念に作られたビアタンブラーを一つずつ頂き、ツマミは菜園で取れた枝豆で飲んだ。

それを飲み終えると夕食には早かったが、いつもの居酒屋での飲み会は17:00スタートなので、引き続いて酒のおかずを並べて本格的宴会を始める。昨年末の飲み会では夏にBBQをとの話をしていたが、コロナ禍でもあり近所に対する影響を考え、室内での宴会となった。
風が通ってクーラー要らずの気持ち良さに杯を重ね、22:00にお開きとなった。
後片付けをして22:30には床についたが、網戸にして寝たので風も通りぐっすりと寝れた。
(草津ナウリゾートホテル)









ぐっすり眠り、いつも通りの6時間睡眠で、4:40には目が醒める。
ロフト、居間、和室とそれぞれ別の部屋で、2人ともまだ寝ているようだったので、1人で朝の散歩に出かけた。朝靄のかかる八ッ場ダムや山並みを眺めながらの散歩は汗をかくこともなく気持ちが良かった。そして毎朝見ているテレビ東京の経済情報番組(モーニングサテライト)が始まる5:45に戻った。朝食は菜園の取れたてトマトでのサラダなどでする。







8:00前には荷物をまとめてこの日のプラン草津白根山から志賀高原へのドライブへ出発。
国道292号線を走るドライブもクーラー要らずで、窓を少し開けての風が気持ち良かった。
日本の国道最高地点標高2,172mの渋峠から眺める草津白根山の噴火の煙と、裏側に広がる芳ヶ平は絶景だった。さすがにこの標高なので気温17度という東京では考えられない気候で、持ってきた長袖シャツを着る。横手山のドライブイン駐車場から眺める笠ヶ岳(2,075m)や、白樺の森に囲まれた木戸池、ほたる温泉の源泉の平床大噴泉などの志賀高原散策をする。田ノ原湿原の木道を歩いて廻るが、やはり長く続いた梅雨の影響かワタスゲやニッコウキスゲは見れなかった。

(渋峠からの芳ヶ平)


(日本国道最高地点)


(笠ヶ岳)


(木戸池)


(田ノ原湿原)


志賀高原散策をした後は、草津温泉に戻り湯畑近くの(そば処わへい)で昼食。人気店なのか観光客で賑わっており、待っての食事となったが蕎麦は美味しかった。
この時期蕎麦は毎日でも飽きることはない。その後は道の駅に寄り、川湯温泉駅から14:30発の各停電車に乗り、高崎乗り換えで18:30には帰宅した。

コロナ禍で引きこもり生活が続き、夏山にも海外旅行にも行けず、正に特別な夏だが、そのストレスも温泉高原旅行で少し解消された。
Sさんには旅行中のプランニングから、菜園での玉葱とジャガ芋や、ビアタンブラーを頂き、感謝!感謝!だ。




「銀河を渡る」沢木耕太郎

2020年08月10日 | 雑記
昨日、今日と午前中のジョギング以外は引きこもり生活をしていた。
今日は祝日でモーニングサテライトなどの株式・経済番組がない事から、5時半頃から録画のラジオ体操、DVDのパワーヨガ、ダンベルをして、7:15からのNHK BS(はね駒)を見てから家を出る。この時間の気温は29度くらいなので、陽が上がってから走るのと比べると、いくぶん楽である。ジョギングから戻りシャワーを浴びてからは、ソファーに横たわり読みかけの沢木耕太郎のエッセイ集(銀河を渡る)を読み、夕方には読み終えた。

7月には図書館からの新刊エッセイ「旅のつばくろ」、Book offで買った小説「波の音が消えるまで」と沢木耕太郎の本を読む事が多かった。
この人のルポライターとして書いたノンフィクションが好きで、「敗れざる者たち」から以降ほとんど読んでおり、買った本も断捨離で処分する事もなく、村上春樹の本と共に今でも本棚にある。
近年は「春に散る」や「波の音が消えるまで」のような小説も書いているが、やはりこの人の持ち味は、綿密な取材を通して書くその文章力と、対象としての人を視る深さと洞察力に裏打ちされたルポルタージュだろう。

「銀河を渡る」は25年間に新聞や雑誌に書かれてきたエッセイを、(歩く)、(見る)、(書く)、(暮らす)、(別れる)という5つのパートに分類した全エッセイ集だ。
第5部は(別れる)という事で故人となった高倉健、美空ひばり、横浜国立大のゼミの教授で後に神奈川県知事になった長洲一二などとの交わりへの想いが綴られていた。
恩人としての長洲一二については色んな媒体で書かれている。
そして高倉健のパートでは先月読んだ「波の音が消えるまで」が、高倉健をイメージして書かれた小説で、高倉健の最後の映画として演じてほしいと思っていたが、その本の新聞広告が朝刊に出たその日に亡くなったという事が書かれている。
「波の音が消えるまで」は一気に読めたが、ノンフィクションのルポのような読み応えは感じなかった。

第5部で最も印象的だったのは有名人との別れではなく、彼が23歳の時に初めて会って以来、4年間にわたって「調査情報」というTBSの放送専門誌で一緒に仕事をした編集者太田欣三との別れだった。(太田欣三さんを偲ぶ会)という集まりから書き始められ、13歳年上の編集者との交流が語られ、偲ぶ会の終わりに奥様から手渡された書類封筒は、生前に(自分が死んだら、これを耕太郎に渡してくれ)と言い残されたものだった。
書類封筒の中は(飲食365日)と記された30ページほどの原稿で、原稿の中身は300ほどの俳句だった。
その俳句や故人との交わりがウェットになる事なく、この人の文章の特徴であるドライな筆致で書かれ、20ページというこの全エッセイ集の中で一番の長さだ。



第3部(書く)では、一つの作品として出版されている「テロルの決算」、「危機の宰相」、「檀」、「凍」の番外編とも言うべき取材過程の話が語られており、それが本編と同じく興味深い読み物になっている。この4冊は今も本棚にある。
17歳の右翼テロリスト山口二矢が社会党委員長の浅沼稲次郎を刺殺し、獄中で自殺したという1960年の事件を描いた「テロルの決算」はノンフィクションの金字塔とも言うべき本だ。
この「テロルの決算」と「危機の宰相」に加えて、「未完の六月」という全学連委員長の唐牛健太郎を扱った作品で三部作とする構想があったが、この「未完の六月」は作品化されていない。
全学連委員長の唐牛健太郎が、右翼の田中清玄から資金提供を受けていたとして(ゆがんだ青春)というラジオ番組で放送された事に構想を得たものだ。
田中清玄はその経歴から、児玉誉士夫や赤尾敏の様に右翼と分類するのは疑問だが、唐牛健太郎と田中清玄の関わりに構想を持った「未完の六月」は読んでみたかった。
全てのことを綿密な調査で、肯定的に書く沢木耕太郎がどう書いたか興味があった。

そんな興味の一端が分かるかもしれない対談集が、「達人、かく語りき」との題で3月に岩波書店から出版されており、沢木耕太郎と西部邁の対談が載っている。
唐牛健太郎と西部邁は同じ北海道出身で、学生運動に関わっていたので、その事に触れた対談になっているだろう。
図書館に予約してあり、8番目となっているので11月には手に出来るだろう。

対談集やエッセイは買わずに図書館から借りて読む。


角川武蔵野ミュージアム

2020年08月08日 | 日記
昨日は8/1に我が町にオープンした角川武蔵野ミュージアムに行ってきた。
元々は6月にオープンの予定だったが、コロナ禍で延びて8月になったのだが、4万平方米の敷地の「ところざわサクラタウン」に併設されるホテル、ショップ&レストラン、商業施設、KADOKAWAのオフィスなどのグランドオープンが11月なので、今回はプレオープンとなった。ここは東川の側道が桜並木になっているので、春先にジョギングで何度か来た。





今回も角川武蔵野ミュージアムまでのウォーキングが主目的なので、事前予約制の建築家・隈研吾の展覧会のチケットは買わず、隣接した武蔵野樹林パークの(チームラボ どんぐりの森の呼応する生命)という展示のチケットを購入したら、12:00〜17:00という時間指定だった。

図書館に予約本が届いていたのでそれを受け取り、東川沿いに歩いたら1時間半くらいで着いた。ジョギングの1時間半と比べたら運動量としては大したことはないが、35度という気温では1時間も走れない。
先週末の旅行中に長く続いた梅雨が明けたら、今度は35度を超す気温で、9時過ぎから2kmの周回コースを走ると、2周で終えてしまう。
それでも走って汗をかかないとコロナ太りになってしまう。

昼前に着いたミュージアムは平日ということもあるのか、人は少なかった。編集工学者の松岡正剛が館長で、博物学者の荒俣宏
が関わっているこの施設は、美術館×図書館×博物館の文化複合施設が謳い文句だが、高さ8mの本棚からなる本棚劇場は11月オープンとなっている。

チケットを購入した武蔵野樹林パークは、入園前に検温をし、ビニール手袋を渡された。
手袋?と思ったが、森に点在する銀色の卵形の物体は触ると音が鳴るという物で、入園者が直接手で触りコロナ感染したらという防止用の手袋だった。
その物体は夜になると光を放つらしいが、昼は音を出すだけなので、モダンアートは不可解だという、身も蓋もない感想だった。
帰りは武蔵野線の東所沢駅前から所沢駅までのバスが出ており、それに乗って戻ってきたが、このアクセスの悪さが集客に影響しないのだろうか。
東所沢駅までは歩いて10分位で、歩道のマンホールの蓋にはアニメが描かれており、それが17:00から深夜2:00までLEDで照らされるらしい。
アニメの聖地として海外からの観光客を見込んでいるらしいが、コロナが終息するまではそれも計算出来ない。
ただ国内アニメファン向けのイベントで
コスプレ衣装の若い娘が大挙して来襲するかもしれない。



そして今日はカミさんと、兄と母と待合せて亡父の墓参りに行ってきた。実家と墓参りに行くのは正月以来で8ヶ月振りだった。95歳という高齢なので、月に1回はご機嫌伺いに行っていたが、コロナの感染拡大で今日まで訪問を控えていた。
(特別の夏です)とか(お盆帰省は控えて下さい)(来ないで下さい)と喧しく、これに対し思うところがあるが、それは書かない。
このブログはそういう場ではないので。
トランプ批判は別だが。墓参りはともかく、高齢の肉親には誰しも会っておかなくてはと思うだろう。





来週は友達2人との一泊二日の温泉旅行、
そして15日(土)は息子から生後100日祝いのお食い初めをするのでとの誘いがあったので行ってくる。
お宮参りや写真館での記念撮影と節目できちんとやってる事には感心する。
どちらも県を跨いでの移動になるが、それぞれに目的と理由があるので仕方がない。

そして6月から再開した囲碁対局が、今日連絡があり最近の感染者増により、また休止となってしまった。
とりあえず8月いっぱいとなっているが、今の感染拡大からすると、いつ再開されるか分からない。
1番の楽しみである週2回の囲碁対局がない生活は張り合いがない。あとは緊急事態宣言の時のような図書館閉館がなければ良いなと思っている。走って本さえあれば引きこもり生活もそれなりに楽しめる。

コロナ感染者も増加しているので、改めて感染防止の基本作法に立ち戻っての生活をしなければ。


コロナ禍の奥蓼科旅行

2020年08月03日 | 旅行
31日(金)から2泊3日で義父母が眠る小諸の先祖代々の墓参りにカミさんと娘、義妹と姪と行ってきた。
今回はコロナ禍という事もあり、どうしようかとの話しをカミさんと義妹との間でしていたが、8月上旬の墓参りは長年続いているので、例年通り行う事になった。
この墓参りに合わせて娘が会社提携保養施設で、31日の東急ハーヴェストクラブ蓼科が予約出来たので、一時的に巣篭もり生活から解放され奥蓼科の高原散策を楽しんできた。

(車山高原)


(御射鹿池)


(横谷峡の王滝)



東急ハーヴェストクラブ蓼科は標高1,366mの広大な敷地の東急リゾートタウン内にあり、
テニスコートやフィールドアスレチック、レストランが点在し、その中を循環バスが廻っているという、高原の自然を生かしたデベロッパー東急らしい施設だ。
夕食はリゾートタウン内の和食の店を予約しておいたが、お客は我々だけでアラカルトの料理の品数も少なく、その料理も値段の割にはイマイチで完全に外れだった。
これは全員一致の感想で、その外れぶりに良い思い出になったと笑い話になったが、コロナでの客数減少という影響なのだろうか。
この日は昼に食べた女神湖側の(そば処せんすい)の田舎蕎麦のせいろは、そばつゆの他に塩でも食べたが美味しかった。







翌朝は朝食前に樹林の中のトレッキングコースを1時間ほど歩いてきたが、途中リスを見かけ、雄大な八ヶ岳連峰を眺める事が出来た。
そして館内レストランでのビュッフェスタイル朝食は、マスク・手袋着用で料理を取るというコロナ対応で、初めての体験だった。







旅行2日目の8/1(土)は北八ヶ岳ロープウェイに乗り、標高2237mの坪庭自然園へ行ってきた。7分くらい乗るロープウェイのゴンドラから、立派な角を生やしたニホンジカを見る事が出来た。山頂駅を降りると広がる坪庭自然園は、一周40分くらいで廻れる探勝路が整備されており、八ヶ岳の噴火による溶岩がゴロゴロしている坪庭の木道を歩いていくと、北八ヶ岳の山並みを眺められる。ただ長く続いた梅雨のせいか、40種くらい群生すると言われる高山植物を見る事は出来なかった。

坪庭自然園散策の後は長門牧場へ向かうが、途中我々の車の前をニホンジカが走って横切るという驚きの場面に遭遇した。目の前の5m先という近距離だったが幸いにも衝突する事もなく良かった。
長門牧場では牛やアルパカを見ながらここで1番人気のソフトクリームを食べたが、さすがに牧場らしく濃厚でミルキーな味の絶品のソフトクリームだった。ここで昼過ぎだったが朝のバイキングで腹も空いてなかったので、八島ヶ原湿原へ行きたいという娘とは別行動にして、義妹達の車に移り道の駅巡りをしながら、湯上りの一杯の為に軽井沢エールビールとツマミを仕入れて、この日の宿(布引温泉 こもろ)へ向かう。

(北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅)


(坪庭自然園)


(長門牧場)




(布引温泉 こもろ)は入館時に検温とアルコール洗浄した上でのチェックインとなった。
墓参りの時に昔からよく利用しているが、露天風呂では浅間山を眺めながらのんびりと風呂に浸かるのがここでの楽しみだ。夕食は郷土料理コースを予約していたので好きな鯉の洗いと鯉のうま煮を食べる事が出来た。どちらもカミさんと結婚してから覚えた味で、墓参りの時に泊めて頂いた叔父さんの家では、これに加えて千曲川で釣った鮎の塩焼きが必ず出てきた。



 朝食はバイキングで東急ハーヴェストクラブと同じく手袋とマスクをしての料理を取るという作法だった。これは国が勧めるガイドラインなのだろうか。レストランの中を見渡すと夕食と同じく我々を含めて4組だけだった。緊急事態宣言解除後に予約した時には、ほぼ満室だったらしいが、その後の感染再拡大と全国的な(来ないで下さい)報道で、キャンセルが相次いだとの事だった。

一週間前にはお寺近くの長野銀行小諸支店が職員のコロナ感染を公表したら、窓ガラスを割られるという事件が新聞やテレビで報じられていたが、いつも墓参りする時はこの銀行の屋外駐車場に停めるのだ。
長門牧場では駐車していた品川ナンバーの車のボンネットに白いものが付着しており、車のフロントには(群馬在住)の札が置いてあった。カミさん達は鳥の糞だろうと言っていたが、そんなものを水洗いしないで観光ドライブをするだろうかと思った。
この種の話が報じられている事もあり、墓守りの従弟の家には寄らなかった。
カミさんは東京生まれだが、夏になると叔父さんの家に長期逗留していたらしいので仲が良く、その従弟の結婚式にも2人で出席したくらいだ。

そしていつも寄る軽井沢の追分そば茶屋とアウトレットにも行かなかった。
心配性姉妹を前にしては、楽観主義者の私も(大丈夫だから行こうよ)とも言い出せず、13時には小諸を後にした。