一期一会

日々是好日な身辺雑記

iPhone8からiPhone13

2023年10月28日 | 日記
上海旅行から帰国して一週間経った26日(木)の午前中はテニスをして、帰りにジムに寄りサウナとお風呂だけ利用してきた。ヨガが一週間前の予約が取れてないのでマシーンの筋トレも休んでいたが、その代わりジョギングを長めに走っていたので、テニスの調子は良かった。

ジムから戻り昼食を済ませ、新宿のアップルストアにiPhoneを買いに出かけた。今まで使ってきたiPhone8は2018年のクリスマスの時期に買ったもので、5年近く使っている。この1年くらいバッテリーの持ちが悪くなり、その交換も検討していた。
今年の長崎、隠岐諸島、上海と旅行中はモバイルバッテリーに繋いでいたが、帰ってきたらそのモバイルバッテリー自体が充電出来なくなり、スマホを買い替えることにした。

iPhone購入を決める前にスマホ専門ショップ、ビックカメラ、auショップと廻り、機種と買い替え方式を検討した。ここ数年でスマホ市場は様変わりし、機種は日本メーカーの選択肢は無くなり、Google Pixel8かiPhone13、14、15で、と思っていた。どちらも10万円〜15万円と、今まで通信キャリア乗換えで0円スマホをGetしていたので高いと感じていた。それを3店舗ともに勧めてくるのは、キャリア乗換えの2年後本体返却で実質半額という、リースのようなものだ。通信顧客の奪い合いで成り立つビジネスモデルのようだ。通信キャリアは製造業と比べると圧倒的な利益と利益率の高さで、儲け過ぎだ。

現在auのセカンドキャリアUQモバイルの繰越しプランで月1300円〜1500円と、充分安いのと乗換え手続きが面倒なので、スマホの買い替えだけとした。そうなると使い慣れたiPhoneでGooglePixel8と値段が同じくらいの2021年発売のiPhone13に決めた。
2年後のスマホ返却で実質半額というのは、スマホの高価格化をぼやかすマジックのようなもので、結果的にキャリアによる拘束でコスト高になる。
そんな事で地元3店舗廻りでの結論を受けて、翌日テニスを終えてから、アップルストアに行きiPhone13 128GBのモデル¥95,800を買った。iPadの併用なのと、写真やビデオ動画もGoogleフォト上にあるので、ディスク容量も充分だ。使っていたiPhone8はアップルでも下取りプログラムがあるが、西新宿にあるスマホ買取店(じゃんばら)の方が高いはずなので使わなかった。



帰国して一週間経ち溜まっていた日経新聞を読み終え、テレビ録画は7割くらいまで見た。録画しておいたのはNHK朝ドラと、いつも録画して翌朝に見ているBSテレビ東京(日経プラス9)(WBS)(日経モーニングプラスFT)とNHK BS(国際報道2023)だ。
イスラエルとハマスの紛争は日経電子版で読んでいたが、文字で読むのと映像で見るのとは大きな違いだ。
紛争直後のEUボレル外務安全保障代表のイスラエルの自衛権を認めつつ、この権利にも国際人道法によって定められた限界があるというのは、バイデン大統領やブリンケン長官のイスラエル支持とは明らかに差があった。
そしてグテーレス国連総長の長年のガザ地区へのイスラエルの侵食と封鎖との関連性や、ガザ空爆の国際人道法違反発言は、アメリカと一線を画すものだ。
国際報道2023ではヒラリー•クリントンのインタビューを放送していたが、ハマス批判とイスラエル自衛権への支持が主な主張だった。

ネタヤニヤフ首相というのは汚職容疑や、憲法改正で最高裁の規制などアメリカの民主主義と相入れないと思うのだが、アメリカ社会におけるユダヤ人の影響力なのか。
この紛争に関連して10/11のBS TBS(報道19:30)にジャーナリスト重信メイが出ていた。彼女は重信房子とパレスチナ人との間の娘で、この番組への出演に関しても、イスラエル駐日大使から強烈な抗議があったらしい。重信房子の事は我々の年代しか知らないだろう。日本赤軍の幹部でハーグ事件で20年懲役の判決を受け、昨年刑期満了で出所した。重信メイの本を10年前に買って読み、まだ本棚にあったので、読み返してみよう。

そして昨日中国の李克強前首相死亡のニュースが入ってきた。習近平の党重視、国営起業重視の立場とリコノミクスと言われた李克強の借金によるバブル警戒、市場重視、民間企業重視と政策に対する立場が違っていたのだろう。
今回旅行して感じたのは、恒大や碧桂園などの不動産デベロッパーの経営破綻は当然かなとも思った。上海から黄山への新幹線車窓から見えた地方都市での高層マンション、黄山駅前の入居者が少ないという何棟もの高層マンションなど、供給過剰だろう思った。
中国のGDPの30%くらいが不動産関連だと言う、地方政府の不動産融資の問題など構造要因なのだろう。23日の日経新聞には天津市の話として、不動産不況による地方財政の逼迫で、公務員の給与が2割削減との記事が載っていた。

中国経済の減速は、関連株を持っている立場からすると懸念材料だ。


海外旅行あれこれ

2023年10月24日 | 旅行

 



上海旅行帰国日の20日(金)は帰りの便が13:45なので、タクシーで11;00にホテルを出れば良いので、それまで近辺をプラリ歩きしながら朝食を取ろうと婁山関路駅に向かう。前に行った市場を再度覗き、その安さを再認識する。シャインマスカットは日本では高いので買ったことはないし、厳密には品種が違うのかもしれないが、それにしても安い。





その市場の向かいにいつも行列ができている肉饅の店があり、5種類の中から一個3元で2個買ったが、パックに入れてもらい20個くらい買っていく人もいる。買った肉饅は前に入ったカフェの2階でパンとラテと一緒に食べる。日本ではスタバで持ち込み肉饅は食べれないが、ここは中国、大人の国である誰もそんな事は気にしないだろう。
カミさんは(美味しいわね!)を連発し、いたく感激の様子。Wechatで息子に伝えたら同意の返信があったらしい。味オンチの私もコンビニで買うヤマザキの肉饅よりは美味しいと思った。
 




地下鉄、新幹線と移動に関わる入りと出は
チェックされるが、帰りの出国手続きはより厳格で、最終段階の顔認証では(もう出ていくのだから• •)とも思った。アステラスの役員はここで拘束されたのだろう。蘇州観光中に日経速報で拘束から逮捕されたとのニュースを知った。アステラスがノーコメントなので背景や事実は知らない。黄山登山中にも日経速報で谷村新司の訃報が届いた。カミさんにそれを伝えたら、ガイドの孫さんも驚いて自分のスマホで確認し、何日か前に亡くなっていたのだと教えてくれた。谷村新司は(昴)で中国でも有名らしく、2010年の上海万博にも招待された。
 
そんな上海旅行も13:45の便に乗り、羽田からはバスで20:30に帰宅した。4年振りの海外旅行は楽しかった。息子からはまた来てと言われ、雲南省、福建省の客家土楼と行きたい所はあるのだが、思ってた以上に個人旅行の壁は高かった。来る前にネットでだいぶ調べ、それなりの前知識はあったのだが• • 。
 
ホテルの支払いはともかく、クレジットカードが使えないレストランがあった。その時は息子が一緒だったので彼のカードを使った。AliPayも使える所と使えない所があり、それは地下鉄やコンビニでも店によった。
私とカミさんの決済口座は三井住友と三菱UFJの違いがあり、小遣い財布口座と家計全般口座という性格の違いがある。旅行は家庭のイベントなのでカミさんが持つ三菱UFJに紐づいたカミさんのカードやAliPay をメインに使っていた。
AlIPayも全ての店で利用できるのだが、三菱UFJからの(フィッシュング詐欺の恐れ• •)のメッセージが出て決済されず使えないことがあるのだ。金額によるのかとか色々推測したが分からなかった。
 
息子からは事前にAliPayが使えない事もあるのでWeChatPayも、とのアドバイスがあり、アプリの設定をカミさんがしたがパスポートの読み取りなど設定が面倒のようで失敗し、私の分だけ成功したが、あいにくパスワードを書いた紙を忘れてきたので、使わなかった。AlIPay、WechatPayもVISAとの連携は7月末に始まったばかりなので、まだ問題もあるのだろう。ただガイドの孫さんが(中国人は財布は持たずスマホだけ)と言ってたが、これが使えないと身動きが取れない。因みにショッピングモールでVISAカード、コンビニで自分のを使ってみたが問題なかった。決済口座は三井住友で、息子も振込口座からすると三井住友だろう。我が家はメインが三菱UFJの2つの口座で、三井住友は小遣い口座というだけで、この話に全く他意はない。
 
8日間の旅行で、7月にこのブログの(中国旅行事情)に書いたBusiness Insiderの記事「4年ぶりに渡航した中国はデジタルガラパゴスだった。オンライン化と実名制徹底で外国人は実質排除」という記事の通りだった。上海、黄山、蘇州と廻ってみて欧米や日本からの旅行者は見かけなかったし、日本語の会話を耳にすることもなかった。
 


そんな上海旅行から帰った翌日に、来年5月中旬のパリ行きのエアチケットをネットで購入した。これは元々2020年の秋に計画して、コロナ禍により中止したものだ。
息子家族が春先に一時帰国すると聞いていたので、その日程を確認してからと思っていた。半年以上先であるがエアチケットは圧倒的に早得なのだ。
それに中近東情勢の不安定による原油高で、サーチャージも上がるだろうと思っている。
 
 
何回か利用したことがあるエアトリ(前DeNAトラベル)、日本の比較サイトのトラベルコ、イギリスの比較サイトSkyScannerで検討していた。エアチケットは価格だけでなく、乗換え待ち時間も決め手となる。ウクライナ戦争がなければロシアのアエロフロートの直接購入が一番良く、直前のキャンセルも可能だった。
 2019年のドイツ、オーストリア、ハンガリー旅行で利用した。
 
9月から4月中旬のパリ行きを検討したら、SkyScannerで中国国際航空の北京乗換えが料金、所要時間ともに一番良かった。それが上海行きの直前に調べたら料金が上がり、北京での乗換え時間も長くなっていた。
上海滞在中に1ヶ月先の5月に替えて検索したら同じ便が出てきた。そこで帰国した翌日に早速ネットで購入した。次いで座席指定をしたら羽田発が30番台、北京発が50番台で、その前の席は既に売れていたのだ。
そう言えば、上海旅行は往復息子が座席指定してくれたのだが、非常口近くのCAさんと向かい合う席だったので、足が楽だった。
 
JALの直行便は倍以上、他の航空会社も10万円くらい高かった。息子に中国国際航空の事を聞いたら、ナショナルフラッグだから大丈夫だろうと。他のサイトには中国東方航空の上海乗換えの便が載っていたが、10万円くらい高く虹橋空港から浦東空港への乗換えとなっていた。旅行会社や比較サイトで、取り扱い便が違うので色々検討すべきだ。
 
パリのホテルも検索してみたが料金は上海の3倍くらいだ。ホテルは逆に直前得割だが、この円安で食事代も高いだろう。
パリは初めてだが、主目的はプロヴァンス地方のアルルやアヴィニヨンなので、正味8日半の滞在を、カミさんの意見も聞いてパリとの日数割当てを決めよう。

世界遺産 蘇州へ

2023年10月23日 | 旅行
実質的に上海旅行最終日となる19日(金)は、息子が休みを取って蘇州観光に付き合ってくれた。世界文化遺産の蘇州は懐メロの(蘇州夜曲)で馴染みなのと、中国楽器二胡の奏者チェン•ミンの奏でる音色とメロディーが好きで、YouTubeでよく聴いているが、その中の一曲が(蘇州夜曲)なのだ。7月に帰ってきた時に蘇州行きを伝えたら(川越のような所だよ)とのコメント。それでも同行観光の予定を組んでくれていた。



息子とは地下鉄の婁山関路駅で7;40に待合せ、上海虹橋駅まで行き8:45発の新幹線(高鉄)に乗り、30分で蘇州駅に着く。蘇州は唐の時代からシルク産業で発展を遂げ、明の寺代になると国内有数の大都市になった。
シルク産業とともに有名なのが、富豪たちが競い合うように造った庭園で、9ヵ所がユネスコの世界文化遺産に登録されている。

蘇州には4本の地下鉄が走り、最初は2号線
に乗り2つ先の石路まで行き、清時代を代表する名園の留園へ。
(留園)







 
留園は中国の四大名園の一つと言われ、敷地は2万3300㎡に及び、個人の庭園としては最大のもので、明の時代(1590年代)のシルク産業での豪商ぶりをうかがわせる。
正にシルクロードで掴んだ富なのだろう。
園内は四つに分けられており、おのおのの楼閣が花窓や透かし彫りで飾られた長い回廊で結ばれている。廊壁には歴代の名書家により書かれたものが飾られている。




留園の後は配車サービスを使い蘇州博物館に移動。このアプリがどうなっているか分からないが、5分以内で来るようで、車両ナンバーと車両写真で確認しているのか、(来た、これだ)と直ぐ分かる。行き先も言わないので、呼ぶ時に指定しているのだろう。
蘇州博物館は1960年に開館したもので、2006年には中国系アメリカ人建築家による設計の新館が68億円をかけて完成した。
台北の故宮博物館にも行ったことがあるが、正直なところ展示品についてはよく分からないが、上の写真の縦10cmくらいの彫刻は顔の表情や衣服の流れるような曲線に目を引かれた。





博物館見学の後は、老舗レストランやショップが軒を連ねる観前街をブラリ歩きし、昼食はラーメンを食べ、スターバックスでお茶をして、息子の予定表にあった琵琶の弾き語り14:30の開演を待つ。
その弾き語りは歌を交えてのもので、その歌詞が両脇に出るのだが勿論分からない。
時々後ろ席に座った息子が小声で説明してくれるが、習慣の昼寝が出来ず寝不足なのと、早く衣装替えをして半袖を持ってこなかったので汗をかき、申し訳ないことにコックリコックリと。










夕食は息子が予約しておいた中華レストランへ。ここでは1匹150元(約3000円)の上海蟹を食べたが、やはり毛蟹や松葉蟹には敵わない。ただ香港でも食べていたので、
蟹味噌の量と味は分かっていた。何かと併せて炒めて食べるものだろう。
ここで一番印象的だったのが、円卓に残された食事の量だ。この食習慣に習近平も警鐘をならしていたが、なかなか文化的なもので変わらないのだろう。



食事の後は山塘街の夜景を見て、新幹線に乗り上海には20時過ぎに戻ってきた。
翌日には一泊二日の社員旅行でバスを連ねて紹興へ行くという息子とはホテル近くで別れたが、今回は最初から最後まで色々と世話になった。2021年7月の単身赴任、2022年4月から2ヶ月間の上海のロックダウン、1年半の家族との別居生活と色々心配事があったが、一月から3人での生活になりそれぞれ元気で暮らしているようで安心した。


水郷古鎮の朱家角へ

2023年10月22日 | 旅行
上海旅行6日目の18日(水)は水郷古鎮の朱家角にカミさんと行ってきた。朱家角は1700年前の三国時代から水運の町として栄えた。古鎮とは中国語で古い町という意味で、鎮は行政区の単位だが、文鎮、重鎮と同じような意味なのだろうか。明の時代には周辺で一番大きな鎮となった。

婁山関路駅から地下鉄2号線に乗り、虹橋火車駅で17号線に乗り換え朱家角まで約1時間だ。






駅を降りて観光客の流れについて20分ほど歩くと放生橋に着く。この橋は明の時代の1571年に架けられたもので、5つのアーチをもつ全長72m、幅5.8m、高さ7.4mの水郷一の橋だ。放生橋の上からは白壁と黒瓦の江南地方の民居が並ぶ趣きのある風景が眺められる。橋を渡ると明、清時代の建物が並ぶ昔ながらのストリート北大街になる。細い路地の両側にみやげ物や名物の肉入りのチマキが並んでいる。そんな北大街をブラリ歩きをしていると昼頃になる。

要所要所でWechatメールでカミさんが息子に連絡していると、(舟に乗るのも良いよ)とのアドバイス。それを受けて帰りはのんびりと水路を舟に乗り朱家角駅の近くまで戻る。





朱家角の後は、第2次世界大戦の頃には
10万人の日本人が暮らしていた虹口を散策しようと思っていたが、婁山関路駅まで戻ってきた時は14:00を過ぎていたので止めた。そしてハイアットプレースホテルの隣りのビルにある息子オススメのスイーツの店に行き、ここで新しい体験をする。
上の写真の大理石風のカウンターでメニューを見ながら注文したら、若い女性店員が何やら戸惑った様子で、若い男性店員に声をかけスマホを使いだす。どうやら注文は成立したようで、しばらくしたら注文通りの品が出てきた。

私が注文したのは、昼食兼用だったので腹に溜まりそうな物だったが、甘酒のような味と豆腐とプリンの中間のような食感で美味しかった。他の入ってくる客を見ていると、テーブルの上のQRコードをスマホで読み取り、それで注文と支払いをすませるのだ。店員とお客の接触は品物を持ってくる時だけだ。

その後は私はホテルに戻り一休み、カミさんはそのままショッピングモールへ。
今回はどちらのホテルもプール付きだったので水着を持ってきたが一度も使わずじまいだった。10時OPENをせめて7時OPENにしてくれれば利用できたのだが。

17時頃になってショッピングモールのスーパーでワインを買い息子のマンションへ。
この日のメインは出前で取った雲南料理で、今までとは違う味付けで、これも美味しかった。
翌日は息子が休みを取って蘇州を案内してくれる事になっていて、孫と嫁さんは最後となったが、最初の日は別れのバイバイをした時にグズつき泣き出した孫も、
この時は普通に別れの挨拶をした。
来年3月末に一時帰国するのでまた会える。
これもコロナが収束したからだ。

世界遺産 黄山へ

2023年10月21日 | 旅行
 
 
上海旅行4日目となる16日(月)から一泊二日で世界遺産の黄山へ行ってきた。新幹線(高鉄)で3時間なので東京から大阪までの距離感だ。この黄山旅行は7月に息子が出張で帰国した時に、2人での個人旅行を考えている事を話したら、無理だと思うとツアー利用を強く勧められた。そこで2019年ミュンヘンで利用したVELTRAを調べたら適当なものがあったが、息子が手配してくれたのが旅悟空という会社の日本語ガイド付きツアーの一泊朝食付き6064元(約122,000円)で、その他に黄山内のバス代、ケーブル代、入山料が別途800元(約16,000円)現地支払いというものだ。
 





3泊したハイアットプレースホテルをチェックアウトし、一泊用の着替え他をザックに入れ、スーツケースは預けた。
7:20に地下鉄の駅で息子と待合せ、3人で上海虹橋駅に向かう。仕事もあるだろうから見送りは良いと言ったが、余程お上りさんか、歳を取ったと思ったのか改札口まで付いてきた。乗車するまでには、パスポートで認証するゲートが2カ所あり、最初が実名認証&安全検査というゲートで、中国人はIDカードを読み取らせ通過するが、外国人は担当官のいるゲートに並び、パスポートを渡し認証を受け、その後で手荷物検査を受ける。チケットは無く予約した時点でパスポートに紐付けされているのだ。
息子は最後のチェックインの所まで付いてきたが、どうしたのか聞いたら、隣駅まで買って実際には乗らず、キャンセルすると言う。入場券のようなものはないのだ。
 
息子は黄山には2回来たので、そのコースも知っており事前にガイドとコンタクトし、日本語能力を確認し、安全なコースを頼んだと言う。要所要所で連絡をくれと言われながら8:35に出発し、黄山北駅には11:32に到着する。改札口前にプラカードを持ったガイドさんが立っていた。






中国人ガイドの孫 偉(そんい)さんは40代の男性で、長春の大学で日本語を勉強し、中国人団体旅行の日本ツアーガイドもしていたが、黄山のガイドは20年くらいしているとの事。日本語はイントネーションはともかく完璧だった。麓の町までは5人乗りのセダンで鄭さんというドライバーだった。
30分ほど走り昼食を食べてから、バス、ケーブルカーと乗り継いで歩き始めたのが14:00で、次から次と現れる花崗岩の岩山は72峰あり、日本では見ることがない景観だ。2016年に行ったイタリアのドロミテの山のようだ。麓までの車中でも孫さんの中国の文化•歴史に関する話は興味深いものだったが、山に入って上り始めてからのガイドも流石20年のキャリアを思わせるものだった。主峰1850mの3時間の予定コースを上ったり下ったりしながら、息を切らすこともなく2時間半て宿泊するホテルに到着した。途中何度か(ゆっくり、ゆっくり)と言われのは、息子の(年寄りだから• •)の事前注意喚起が効き過ぎたのだろうが、歩き方が速いと驚かれた。カミさんもカーブス通いの成果かバテることもなく歩き通した。
途中神輿のように何人かで人を担ぐ強力や天秤で荷物を運ぶ強力を何人も見るが、大変な作業である。ホテルの食材やタオル、建築中のホテルのセメントや鋼材も運ぶらしいが、さすが万里の長城を築いた国民である。ヘリコプターの利用を聞いてみたが、72峰が林立する黄山では無理だと言う。
 






 


山中には4,5軒のホテルがありすべて1990年代に建てられたものだが、我々が泊まったホテル黄山排雲型旅酒店は2020年に建てられたもので、内装もモダンな感じだった。夕食の後は部屋に備えつけのダウンコートを着て、5分くらいの展望台へ満天の星を見に行ってきた。
 


 









翌17日(火)は朝5:30にロビーでガイドの孫文さんと待合せ、30分ほど上ってご来光を
拝んできた。バイキングの朝食を取ってからしばらく部屋で休んで9:30に出発する。前日とは違うコースを上ったり下ったりしながら、断崖絶壁の岩山の息をのむような景観は日本では見れないものだ。
正直なところ満天の星もご来光も北アルプスの3000m級の山で見ているので、大きな感激はなかったが、72峰の花崗岩の岩山が林立する景観は圧巻で、期待以上だった。
写真で見た雨の降った後の雲海にそびえる山の景観は素晴らしいだろう。
 
 
 
 
 
 
3時間くらい黄山観光しながら昼過ぎに下山し、昼食後前日のドライバー鄭さんのセダンに乗り、石畳の宋時代の古街が1200mに渡って続く屯渓老街に移動して散策。
中国には(文房四宝)という言葉があり、文房具の筆、硯、墨、紙を指し、黄山市はその内の筆と硯の名産地で、通りには水墨画を描いている絵師の方も見れた。
 
そんな老街散策の後、黄山北駅まで送ってもらい黄山北17:30、上海虹橋20:26の新幹線に乗り、スーツケースを預けたハイアットプレースホテルには21:00頃に着き、そこから歩いて3分のホリデーイン上海虹橋に移動する。ホリデーインはバンクーバーとロンドンで泊まっているので、部屋の感じは分かっていたが、口コミで日本語の話せるスタッフがいて、評点も高かったので選択した。当初の息子からの予定表には3人で和食をとなっていたが、翌日仕事であるから心配しないでと断っていた。
 
それでも心配だったのか、カミさんの携帯に電話したがバッグに入れたままで繋がらず、ハイアットプレースホテルまで出向き、スーツケースをピックアップした事を確認したらしい。ホリデーインにチェックインしカミさんがコンビニに小腹にたまる物を買いに行き、ロビーで待っていたらフロントから息子さんから電話ですよと声がかかる。私の携帯番号を知らないので、フロントにチェックインの確認電話をしたらしい。
 
ことごとく上海での行動を心配する息子だが、それは治安ではなく言葉の壁と交通や飲食時の決済の問題からである。
この日の一泊二日の黄山観光もガイドなしでは難しかっただろう。個人旅行は無理だろうと息子が言うのが分かった。
 
この辺の事は中国旅行する人の参考に最後の項で書こう。ただ黄山はオススメの観光地であり、ガイドの孫偉さんを指名する事もオススメする。