一期一会

日々是好日な身辺雑記

島原•天草一揆探訪

2023年04月30日 | 旅行
今日はロープウェイを利用し、雲仙岳に登ろうとの計画だったが、曇り空なので眺望が良くないだろうと、晴れ予報の明日に変更し、島原•天草一揆で主戦場となった世界遺産の原城跡などを廻ってきた。
(世界遺産 原城跡)

約400年前に若干16歳の天草四郎時貞を総大将として、一揆勢が立て籠った原城跡。
周囲4キロの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞と言われた城で、本丸、二ノ丸、三ノ丸からなる大きな城だったことが分かる。原城跡の入り口では無料でタブレットが貸し出され、8ヶ所のポイントで
VRで当時の城の再現と説明ガイドが聞けた。
(天草四郎の象)

(ホネカミ地蔵)

1766年(明和三年)に敵味方関係なく収集された数千の遺骨を供養する為に建立された
ホネカミ地蔵碑。
(有馬キリシタン遺産記念館)


南島原市はキリスト文化が栄えた町で、有馬キリシタン遺産記念館は、島原•天草一揆の背景や、250年にわたる潜伏キリシタンの遺品資料が展示されている。
三万数千人が虐殺されたという、徳川幕府の弾圧の苛烈さが分かる。

日本で初めてのキリストの学校である有馬セミナリヨ、そこから派遣された4人の少年遣欧使節など、キリスト教文化の繁栄から弾圧による衰退までの歴史が史料や動画で見れる。





今日は雲仙観光の予定が、島原•天草一揆と島原におけるキリスト教の歴史を知る観光だったが、原城跡も建物こそ残っていないが、2万人が籠城したという原城の歴史が偲ばれる場所だった。



雨の島原観光

2023年04月29日 | 旅行
今日は8:00にチェックアウトし、タクシーでレンタカー会社へ。長崎から車で移動し3日間で雲仙天草国立公園を廻る予定である。今回の旅行の話が持ち上がったのは、12月末に帰国した息子からマイレージによるチケット提供の申し出があってからである。
9月から長崎で働く姪を訪ねる事になり、それから義妹と娘とで旅行プランが練られ、当初五島列島や天草も検討されたが、最終的に雲仙島原になった。

義妹はコロナ禍からリモートワークが中心なので、姪の引越しの時、年末から正月とそれぞれ2週間くらい長崎滞在をしている。
例年正月は我が家での宴会だったが、今年は息子を含めてのZOOMでの宴会になった。今日からGWの休みに入った2人と合流する為に諫早市に住む姪の家へ。

姪はオレゴン州ポートランド生まれで、その4ヶ月後に家族4人でポートランドを訪ねた。その旅行は娘の中学受験合格ご褒美を兼ねた春休みの時期で、私より一週間前に渡米した3人は義妹の家に滞在し、6人でのスキー旅行などを楽しんだ。
私の合流後は生まれて4ヶ月の姪を含めた7人でのシアトル旅行をし、そこから我々4人は高速フェリーでカナダのヴィクトリアに渡る小旅行をした。

そんな生まれた時から見ている姪はなかなかユニークな持ち味で、容姿は身長170cmの小さなハーフ顔の美人だが、動物好きで幼少の頃からウサギ、犬、猫を飼っていた。奥多摩にキャンプに行った時は捕まえた蛇を手掴みしていた。
9月からの長崎移住にあたっても飼っていた猫を連れてきている。2年前に犬が亡くなった時は義妹と共にペットロスで落ち込んだらしい。
そんな田舎暮らしの姪の家はウグイスの鳴き声が聞こえる3DKで、一部屋全部が観葉植物で占められていた。NHK朝ドラ(らんまん)の万太郎の話をしても通じなかったのは、テレビを持ってないからで、いわゆるネット世代である。念願の田舎暮らしを実現させた姪の今後がどうなるか興味深い。



30分くらい歓談した後は、生憎の雨の中をそれぞれの車で3日間の旅行にスタート。
先ずは昼食として海岸沿いにある牟田商店という姪のオススメの牡蠣小屋へ。ここで牡蠣やサザエを買い、炭火で焼いて食べるのだがこれが安くて美味しい!15個で1000円だ。野菜などを送ってくれた気の良い姪は、今度は牡蠣を送るよと言う。
その後に寄った漁協では1.5キロの牡蠣が1000円だった。牡蠣は地元の人たちの食生活に根付いているらしく、解禁になると箱で買っていくという豊かな食生活だ。







島原観光では長さ400mにわたる武家屋敷通りを散策し、山本邸、篠塚邸という無料公開されている武家屋敷を見学し、その後は湧水庭園(四明荘)に廻る。庭内の池には一日約3000トンの湧水が湧き、錦鯉が泳いでいた。











次は義妹オススメの雲仙岳災害記念館がまだすドームへ。平成の雲仙岳噴火で何が起こり、どんな被害があったのか、資料と体感できる展示、シアターでの火砕流、土石流の迫力の映像が見れた。入場料1000円に見合ったなかなか良い施設だった。


島原から1時間ドライブして着いた2泊する雲仙温泉青雲荘は綺麗なホテルで、2部屋に分宿する和室も広く綺麗だった。
温泉は白濁の源泉掛け流しの硫黄の香りが漂う名湯だ。露天風呂もあるが生憎の雨降りで入れなかった。明日は雨もあがるので
入れるだろう。





生ビールとワインでの夕食もいつも通り盛り上がり、今話題のChatGPTを仕事で使っているという義妹や姪の話は、隠居の身には興味深いものだった。

高速バスで長崎へ

2023年04月28日 | 旅行
今朝は6:30といつもよりだいぶ遅く目が覚め、早速一階にある大型風呂へ。14階建ての西鉄ホテルはロビーも広く、全体的にゆったりした作りだ。大型風呂にはサウナもありアメニティも充実していた。一人旅の時は味も素っ気もない寝るだけのビジネスホテルに泊まっているが、今回の西鉄ホテルは正解だった。
入浴の後はホテル内にあるローソンでサンドイッチ、ヨーグルト、野菜ジュースを買い、NHK BSの朝ドラを見ながら食事。

そしてホテル向かいのバスターミナルからノンストップの高速バス長崎駅前行き8:19発に乗って長崎に向かった。長崎へは2時間半、普段九州の地図を見ることがないが、関東での距離感からすると軽井沢あたりだろうか。

長崎駅前には10:50に到着。福岡からは新幹線があるのだが一部佐賀県の武雄が開通していないので、乗り換えないといけない。特急利用でも30分しか違わず、料金は倍以上なのでバスが効率的だ。

長崎は2度目で、前回は定年まで勤めた会社の社員旅行だったので、10数年前になるのだろうが、あまり記憶がない。48歳から60歳まで働いたこの会社、電機メーカーとリース会社の合弁会社で、業績も安定し堅実な会社だった。非上場会社で業績も良かったので、経営の自由度が高かったのだろう。入社3年目が創立10周年でオーストラリアのゴールドコースト旅行、20周年がハワイ旅行だった。

社員旅行と言ってもガチガチのスケジュールではなく、基本自由参加で現地でも一回会食パーティーがあるくらいで、あとはフリーだった。ゴールドコーストでは外資コンピュータ会社時代の同じリストラ組の仕事仲間が移住していたので、一日車で観光案内してもらった。そこには電機メーカーからの出向社員で飲み仲間だった同僚も一緒だった。

ハワイ旅行はオワフ島ワイキキのヒルトンビレッジに宿泊し、オプション旅行として自己負担のハワイ本島日帰り観光もした。
またバスを利用してサーフィンのメッカであるノースショアなどを1人で島内を廻った。
記念旅行としてのイベントなので、不参加者には10万円の支給があったようだ。
当時600名の社員の何割参加は知らないが、大変な経費だったろう。上場会社なら
(そんな事をするなら株主還元をしろ)と言われそうだ。

その他の年一回の地域サイトごとに実施される社員旅行への参加は、沖縄だけだった。12、3年毎に替わった職業生活も運が良かったのか、それぞれ良い思い出があるし、何より家族の生活の基盤を築く事が出来た。

(国宝 崇福寺)
(国宝 大雄宝殿)


カミさんと娘は11:30に長崎空港に到着したが、特に合流する事もなく自由行動にした。今日の予定は崇福寺→坂本龍馬亀山社中資料館→出島→オランダ坂洋館→グラバー園→大浦天主堂とした。

崇福寺は長崎で貿易を行なっていた、福建省出身の華僑の人達が、中国から僧侶を招き創建した、中国様式の寺院では日本最古のものだ。国宝でもある朱色の三門は、禅宗黄檗宗のお寺というより、台湾でよく見かけた寺院のようだ。




坂本龍馬の亀山社中記念館は、土、日、祝日のみの開館で生憎の休館だった。坂と階段を登った先にあるのだが、徒労に終った。高校生時代に読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が坂本龍馬への関心だったが、今の若い人たちはNHK大河ドラマ福山雅治主演「龍馬伝」が坂本龍馬への関心なのだろう。そのブームは長くは続かないし、司馬遼太郎の描いた坂本龍馬と福山雅治ではイメージが違った。ブームも去り土、日、祝日のみの開館となったのだろう、残念!


坂本龍馬像のある風頭公園から電車通りまで下りてきたら13時。中華街での昼食を考えていたが、腹も空き、歩き疲れてもいたので、最初に長崎チャンポンの文字が目についた店に入る。カウンター席5つだけの小さな店だが、3人の先客があり、壁には沢山の色紙が貼ってあるので、地元の隠れた名店なのかと思った。
60代か70代のご主人夫婦と、他の客がいなかったので、しばらくおしゃべりをする。
その後の予定の出島、オランダ坂、グラバー園、大浦天主堂への行き方を聞き、歩きで廻る事にする。
他には墓石の家名が金色に塗られているが、どんな意味があるかとか、ジャパネット高田が進める長崎振興プロジェクトの話とか旅雑誌では見れない話を聞いた。



(出島)



(グラバー亭)

(大浦天主堂)


この後定番のコースを廻ったが、そこはガイドブックで知られているところなのでカット。大浦天主堂から下った所にあるANAクラウンプラザに17:00にチェックイン。カミさんと娘は既にチェックインを済ませ定番コースの観光中だった。


娘が予約したANAクラウンプラザは1フロア100室くらいの大型ホテルだ。
歩き疲れと汗をかいたので、風呂に入りのんびりしていたら、19:00に中華街で待合せとの連絡。
姪がオススメの福寿という中華店は満席で入れず、京華園という店に入る。
ここも満席だったが暫く待つ。中華街の店でも客があまり入ってない店もあるので、
満席でも待った方が良い。それでも5分ほどで席に案内された。クルーズ船が入港しているらしく外人観光客もいた。

食事の方は中華料理なので、特に味が変わるわけでもなく、食レポのブログでもないのでこのへんで。



ANAで福岡へ

2023年04月27日 | 旅行
今日は羽田発8:30のANA便で10何年振りかの福岡へ来た。今回の旅行は昨年から長崎で働く姪を訪ね、カミさん、娘、義妹といういつもの信州墓参り旅行メンバーと、明日から3泊4日で雲仙•島原などを廻るというものだ。その旅行の1日前に福岡を訪れ、北九州市に住む友人と、夜に一杯呑んで旧交を温め、昼は昨年から福岡に単身赴任した歳下の飲み仲間とランチを一緒にするというプランだ。

今回がいつものJALを使っての国内旅行でないのは、上海に居る息子が溜まったマイレージが3月に切れるので、義妹を含めて4人分のチケットを手配するという申し出があった。ただマイレージ利用でのチケット購入は二親等までで、義妹は自身での手配になつた。

先月だったかANAのシステムトラブルで搭乗手続きが大混乱したニュースを見ていたので、GW前と8:30発という早い時間でもありWebチェックインをしたかった。
出発の24時間前から可能になるのだが、昨日は4ヶ月毎の定期検診の為に、7:30には大学病院の受付をしていた。8:30を過ぎ採血、超音波検査、問診と続く合間にWebチェックインを試みるが、入力の最後の段階になると9桁の確認番号が必要なのが分かった。
検査結果と確認番号が必要な事を仕事中のカミさんに伝え、早めに空港で手続きをするので、息子の手を煩わらはせなくても良いとも伝えた。それでもWebチェックインを勧めるカミさんはWeChat(微信)で繋がっている息子と連絡をとり確認番号を入手し、帰宅後の夜にWebチェックインが出来た。
私の方は空港カウンターでの手続きを想定して、帰りに駅で6時前の池袋までの特急券を買っていたのだが。

今朝の天気は雲一つない快晴で、絶好の旅行日和となった。出発1時間前に空港に着いたが、本格的なGW前に•••という事からか、旅行客で保安検査場は混雑していた。

福岡空港へは定刻通り10:20に到着。博多駅までは地下鉄で二つめという世界一交通便の良い空港である。
1月末に予約した博多駅前の西鉄ホテルクルーム博多は今では満室で予約出来ず、料金も高くなっている。矢張りホテル予約は早得だ。
昼にロビーで待合せたのは、定年まで勤めた会社の20歳下の飲み仲間だ。昨年4月から単身赴任しており、その時に新宿思い出横丁で送別会をした。

私は性別、年齢に関係なく人に関心があるので、20歳の年齢差なども全く関係ない。彼は剣道の高段者で、地元では警察官相手に稽古しているらしいが、福岡にも道具を持ってきているが、道場が遠く稽古が出来てないとのことだった。
単身赴任には月2回の帰京する交通費とプラス単身赴任手当てが出ると言う。私もこの条件での福岡単身赴任の話しがあったら喜んで受けただろう。
そして週末の休みは九州各地を旅行し、夏休みにはフェリーに乗って釜山に渡り、韓国各地を廻ったことだろう。

定年一年前には(一丁上がりポスト)につき、眠ってても出来るような職務だった。
その時は中国の広州に現地法人があり、責任者を知っていたので、広州で働かせてくれないかとメールしたら(間に合っています)とやんわり断られた。
息子のように中国語も話せないのに、中国での仕事を希望するというのも図々しい話だが、現地日本企業向けの営業として働こうと思っていた。
歳下のその現地責任者も私の営業としての実力は知っているだろうと思っての提案だったが、今考えると赤面の至りだ。
そんな事で60歳の定年後の一年半の間に、バリ島•香港1ヶ月、タイ2週間、トルコ•ギリシャ1ヶ月、タイ•カンボジア2週間と、かねてより念願のバックパック旅行をしていた。
(大濠公園)

(アメリカ領事館)

(旧福岡県公会堂貴賓館)


彼とランチを済ませ別れた後は地下鉄に乗り大濠公園へ。そこにはアメリカ領事館があり、ここには外資コンピュータ会社時代の思い出がある。領事館主催のアメリカのコンピュータ会社の展示会が九電ホールであり、その展示会の終了後に領事館で出展会社の打ち上げパーティーがあり、そこは正にアメリカという感じだったのと、九州電力などの大手企業に張り付いていたのはIBMの社員で、我々にそのコネクションはなかったという事だ。

大濠公園の後は天神、中洲と廻り、博多駅まで歩き続けた。そこから歩いて5分位の福岡支店があった第一生命ビルまで行ってみた。昼の中洲を歩いても特に感慨はなかったが、北は札幌から南は鹿児島まで出張していたが、色々な面で福岡が一番良いと思っていたので懐かしかった。


そんな時代の福岡支店勤務の同僚と12年振りで会い呑んだ。彼は同じ歳で北九州市に住み、一緒にボストン本社への研修にも行った。同じくリストラによる退社後も交友を続け、仕事仲間で唯一我が家に泊まったことがあるという付き合いだった。
娘さんの大学受験に付き沿って上京した時も会って3人で食事をした。
その娘さんは九州大学からミシガン大学に留学し、帰国後教職につき今では4人の子供の母親とか。娘さんの長男が今年京大に入学し、引越しの手伝いで先月京都に行ってきたとの事。同じ歳でも3歳の初孫と18歳の初孫、随分と違う家族構成だ。
そんなこの12年間の変化の話しをしながらの久しぶりの会食だった。



春の宴

2023年04月22日 | 日記
20日(木)は35歳から48歳まで勤めていた外資コンピュータ会社時代の仕事仲間との飲み会があった。その中の1人は40歳の時にニューヨークに働く場を移し、家族と移住した同じ歳の男性だ。
彼の帰国の折に何度か囲む会をやっており、前回は6年前だった。その彼から正月に、10人くらいの同じ年代の男女に、近況と4月に墓参りを兼ねて帰国するというメールがあった。
そこには息子さん2人と娘さんの、伴侶とお孫さん5人の13人の家族写真が添付されていた。アメリカ移住に反対していたという息子さん2人の奥さんは白人女性で、絵に描いたようなアメリカンファミリーの様子だ。

勿論彼は大阪生まれの日本人なのだが、商社勤めの父親の関係で子供時代をテキサスで育ち、中学時代に帰国して詰襟の学生服を着せられた時は、違和感を感じたと言う。
大学はアメリカで学び、その学生時代にバイクでアラスカまで行ったらしいが、当時ピーター•フォンダ主演の「イージー•ライダー」とその主題曲(Born to Be Wild)が大人気だった。♪Born to Be Wild♪と歌うSteppenwolfのロックはよく聴いていた。
70年代のアメリカ映画はニューシネマ時代と言われ(明日に向かって撃て)や(俺たちに明日はない)などの、数々の名画を生んでいた。「イージー•ライダー」は名優のデニス•ホッパー、ジャック•ニコルソンが共演の名作で、今のハリウッド映画とは違う。

そんな6年ぶりの彼を囲む会の幹事を自ら買って出た。そしてお店は本社オフィスのあった西新宿にした。



18:00開始の宴席に向かう為に西武新宿に着いたので、最近オープンしテレビでも報じられている東急歌舞伎町タワーを見物してきた。定年まで勤めた会社も最初の2年間は野村ビルだったので、15年間は西新宿に居たのだが、歌舞伎町には殆ど足を踏み入れた事がなかった。
風俗店の看板が目につくあの猥雑さが嫌いだった。それでも伊勢丹向かいの横丁ゴールデン街には馴染みの小さなBARがあり、よく行っていた。
東急歌舞伎町タワーは平日の17時頃だったが、何故か外人観光客や若者で賑わっていた。
2階がカブキホールというカフェや横丁をイメージした飲み屋街、3階がナムコのゲームセンターとなっていた。
東急と言えば渋谷のBunkamuraから演劇、音楽、映画での文化の発信のイメージがあるが、それとは違うし、歌舞伎町というのも田園都市線沿線を開発したデベロッパー東急のイメージと違う。
ぐるっと一回りしたが、昭和の生まれ育ちの身からすると、その時代がそのまま残った思い出横丁や新橋烏森のような呑み屋横丁は好きだが、イメージして作られた横丁はピンと来なかった。
そんな事で久しぶりに足を踏みいれた歌舞伎町は、アパホテルやホテルグレイスリーなどの高層ホテルが建ち並び、どっちに行けば靖国通りに出るのだろうという感じだった。



続いて6年ぶりの宴会の話だが、当初のメールリストの中から2人が仕事の関係などで不参加だったが、この話を廻り聞いて参加させて下さいとの連絡が4名からあった。
一人は大手IT会社に転職し単身赴任先の名古屋から参加し、新卒組男女2人の参加もあった。
一緒の部署で働いた新卒組の女性は、和服姿で参加して息子さんが27歳とか、年月の経つ速さを感じた。

そんな参加メンバーは12人となり、西新宿で個室という条件から、センタービル別館の(音音)を予約した。この店は親戚の飲み会などでも利用しているが、意外と落ち着いて会話が出来る店だ。
日程を決める為に、彼と日本滞在スケジュールの確認したら、大阪→松山となっていたので、昨年6月に旅行した道後温泉の(ふなや)などの情報をメールで伝えたら行ってくれたらしく、良かったと喜んでくれた。その他にもセブンイレブンのさくら餅が美味しかったとか、電車の窓ガラスが綺麗でビックリして、その感激を声に出して言ったら奥さんから注意されたという、大阪生まれの日系人のような相変わらずのオープンマインドの彼だった。

他のメンバーには大手IT会社を退職後システム開発会社を起業し、現在60名の会社の社長を息子さんに譲り、会長職となり趣味の街道歩きをして、日光街道を踏破し、次は中仙道か奥州街道を計画している75歳の人などそれぞれの現況だった。