一期一会

日々是好日な身辺雑記

バリ島旅行後日談

2013年09月28日 | 旅行



バリ島旅行から帰って2週間位経った頃、思いがけない人からメールが入る。
定年退職して直ぐに香港・バリ島を一ヶ月近く(2009年10月中旬~)一人旅をしていた時に
知り合った人からだった。
この人N.Wさんとはバリ島のサヌールで知合い、帰国後、お住まいが私の実家から車で
15分位の所だったので、最寄り駅で待合せ、一杯やったりした。
私より3歳上の男性でヨットとアマチュア無線が趣味で、奥さんを亡くされたという事もあり、
よく一人で東南アジアをバックパック旅行しているということだった。

そのN.Wさんからのメールには、バリ島以降何処へ行ってますか?という事と、9月17日~10月10日まで
バリ島に旅行する、サヌールでは私が泊まっていたKeKe Homestayに泊まると書いてあった。
早速、バリ島以降のバックパック旅行は2010年9月からトルコ・ギリシャ旅行、
2011年の震災の前日からタイ・カンボジア旅行、2012年3月にタイ・ラオス旅行をし、
そしてバリ島には2週間前に行ってきて、ブログにアップしているとURLを知らせる返信をしたら
暫くして返信があり、私のカテゴリー旅行のブログは一気に読んだという事と、
同じく震災の時はカンボジアに居たという事、そしてご自身のブログのURLを幾つか貼り付けてくれ、
その中に(地球の歩き方さんに会った)という題で2009年11月4日に会った時の事が書かれていた。
そう(地球の歩き方さん)とは私のことで、サヌールの町を地球の歩き方を持って歩いていたら、
その私を見たN.Wさんが声をかけてくれ、カフェ?のような所でビールを飲んで話をした。
翌日は私が泊まっていたKeKe Home stayに来られてテラスでビールを飲んだ。
そして7日には私が誘って催行人員2名のタナロット寺院のオプショナルツアーへ一緒に行った。
そこでもタナロット寺院に沈む夕陽を見ながらビールを飲んだ。



サヌールには10日まで滞在し、KeKe Homestayに6泊した。その間歩いて5分位のビーチに行って
デッキに寝そべり本を読んだりして、ひたすらのんびり過ごしていた。(欧米人のように?)
サヌールはサーフィンのメッカであるクタの反対側に位置し、インド洋に面したクタと違い、
波も立たない遠浅の海で人も少なかった。
ビーチ以外にも、ぺモというライトバンを改造した相乗り車で、州都デンパサールに行ったりもした。



そんなサヌール滞在も6日を過ぎ、10日には16時頃の飛行機で香港に向かった。
出発前にN.Wさんのゲストハウスに挨拶に行った。N.Wさんはバンコクから来る知人と
ウブドで合流すると言ってた。ブログを読みそんなことを思いだした。

N.Wさんは現在バリ島滞在中であるが、最近のブログを見ると私が泊まっていた4年前は
一泊朝食付きで900円だったKeKe Homestayも2500円位(新館の方らしいが)になったとのこと。
ウブドのFamily GuestHouseも高くなってるのか?

一泊朝食付き900円と聞いて(どんな安宿!)と思うかも知れないが、そんなことはなく、
宿泊料金は為替の関係だけで、清潔で居心地の良い宿である。
若女将は日本人女性でインドネシア人のご主人の両親とこの宿を営んでいた。
大阪弁を話す10歳位の女の子と活発で利発そうな6歳位の男の子がいた。

ツアーでの旅行と違い、一人でバックパック旅行していると、国籍を問わず色々な人との出会いがある。
このバリ旅行の翌年2010年9月から1ヶ月間トルコ・ギリシャを旅してた時は、
2年間の予定で世界一周していて、既に一年経っている日本人の若夫婦、
テント持参で1年間のユーラシア大陸を廻っているイスラエル人男性等、
話を聞くだけでも面白かった。

この旅行中に知り合い食事を一緒にした人とその数日後に、また別の町で再会するということもあった。
ブルガリアに留学する途中でトルコ旅行をしていたマレーシアの女子大生、UAEで働いて
いるというインド人のオイルエンジニアとはカッパドキアのドミトリー(相部屋)で一緒になり、
1週間後に地中海に面した町フェティエのドミトリーでまた同じ部屋になったり、
古い街並みが世界遺産になっているサフランボルで知り合った明治学院大学生4人とは
その10日後にエフェス遺跡のあるセルチェクで再会したり、その他にもカッパドキアのオプショナルツアー
で一緒になった鉄鋼会社で働いているという韓国の男性とも翌朝のバルーンで会ったり、
滞在型のバリ島旅行と違い、移動して廻るこのトルコ旅行の方が人との出会いの機会が多くなる。

この頃ブログを書いていたら、読み返しても面白かっただろうとも思う。

N.Wさんはこのバリ島旅行以降も東南アジアの長期旅行をしていたらしいので、
また今度お会いしてバリ島の話や、私が今年の3月に行こうと思い飛行機のチケットまで
買っていながら、行けなかったベトナムの情報でも聞いてみよう。



桧枝岐村から大内宿へ

2013年09月21日 | 山登り



会津駒ヶ岳から下山しキリンテ登山口に着いたのが13時。
いつもは下山してからキャンプ場にテントを張り、一泊するというのが多かったが今回はバンガローにした。
翌朝から台風の影響による雨が降り出したのでこの選択が正解だった。

滝沢登山口に停めた車を取りに行った相棒が戻り、その車で温泉に行く。
源泉かけ流しの「駒の湯」は露天風呂もある良い温泉だった。

入浴の後に檜枝岐村を散策するが、この村が秘境と言われる由縁が何となく解った。
地形的に街道の両脇に直ぐ山が迫っているので、平地が少ない。そこから村の集落というのが無く、
街道沿いに家が点在し、人口600人なのでその家の数も多くない。
地形からくる特徴的なことはお墓が道路の直ぐ脇にあるのだ。特にお寺というものもないのだろう。
その墓石に刻まれている性も「平野」「星」「橘」が殆んどで、現在の住民の性もこの三つだけとのこと。

もう一つの伝説「平家落人村」は歴史民族資料館を見学して解った。
檜枝岐村は福島県の南会津に位置するのだが、言葉は福島県や隣県の栃木県で話されている
東北弁ではなく、京なまりの言葉らしい。
この話に興味を持った相棒が「お年寄りに話しかけて京なまりを確認してみようか」と言ったが、
お年寄りに出会うことはなかった。

檜枝岐村を通る国道352号線、通称沼田街道は会津若松と新潟県の沼田を結ぶ道だが、
山ばかりで大きな町もなく、それこそ昔は陸の孤島で物資や人の往来もなかったのだろう。
地形的に水田が出来ず、ソバ・アワ・ヒエなどの穀類を主食とし、狩猟での肉を食料にし、
自給自足の生活をしていたらしい。
それにしても「平家落人村説」は歴史のロマンを感じさせる話である。



この後、歴史民族資料館に車を置き、歩いて檜枝岐歌舞伎の舞台のある鎮守神社へ行く。
250年の歴史があるという檜枝岐歌舞伎は、僻地であるがゆえに、
村民唯一の娯楽として代々伝承されてきたものらしい。
現在は5月、8月、9月の年3回の公演が行われている。
9月は第一土曜日の開催ということで、我々が行った一週間前に行われ800人の観客があったらしい。
山の傾斜に沿って石で作られた観客席は樹々に囲まれており、ここで夜7時から行われる歌舞伎を見るのは、なかなかのものだろう。
鎮守神社の入口に歌舞伎伝承館「千葉之家」があり、檜枝岐歌舞伎の歴史を説明してくれる。



翌朝起きたら雨で、ラジオもあまり良く聞きとれないが、強い台風が接近している
らしい。相棒が作ってくれたリゾットとサラダの朝食を食べ、8時には尾瀬街道バンガローを出発。
352号線を北上し、雨の中を2時間程走り、この日の観光目的地の大内宿に着く。
大内宿は南会津の山中にある旧宿場町で、茅葺き民家が軒を並べ、江戸時代の風情を残した街並みである。
生憎の雨で傘をさしての観光となる。
この天気を予想してなかったので、登山靴以外の履物はサンダルしか持参してなく、
足元が雨に濡れての散策となってしまった。
雨の土曜日の早い時間の観光だったが観光バスやマイカーでの結構な人出だった。



1時間位の散策の後、白河インターから東北縦貫道に乗り15時に川越に戻ってきた。
大内宿は紅葉の時期に行ったら素晴らしいと思う。

日本で他に興味ある街並みとしては、京都を除いては、秋田県の角館と岡山県の倉敷である。
どちらも行ったことがない。それと20代の頃に行った山口県の萩と島根県の松江がある。
海外旅行も楽しいが日本も行ってみたいところがある。



会津駒ケ岳(桧枝岐村)へ

2013年09月17日 | 山登り



13日(金)から日本百名山の一つ会津駒ヶ岳へ、いつもの山友達と行ってきた。
7月の常念岳に続いて今年の夏二度目の相棒との山行きである。
そして今回の会津駒ヶ岳は、永年行きたいと思っていた檜枝岐村に位置する山だ。
檜枝岐村は「奥会津の秘境」「平家落人村」とも称され前から興味があった。
北海道知床半島ならともかく、福島県に秘境が?との感じでもいた。

いつも通り始発電車に乗り、5時50分に西武新宿線本川越駅で待合せ、彼の車で桧枝岐村へ向かう。
16号を走り久喜インターから東北縦貫道に乗り西那須野インターで降り、
沼田街道を2時間近く走るが道路両脇が直ぐ山というこの街道は車も少ない。
正に秘境に向っている感じである。

会津駒ヶ岳の滝沢登山口駐車場に着いたのが10時。白樺やブナ林を抜けて行くこのルートは岩場もなく、
水場を過ぎた辺りから木道も敷設されており、登り易い山である。
途中水場での15分位の休みと、30分の昼食を挟んで13時45分に駒の小屋に着く。
ここから会津駒ヶ岳頂上(2133m)へは20分程である。翌日登ることにして、
リュックを置き山小屋の周りを散策する。
小さな池と湿原があり尾瀬のような風景である。



駒の小屋は10人収容出来る部屋が二つの、小さな山小屋だが清潔で居心地が良い。
電気が無くランプで、消灯も8時との説明を受け部屋で一休み。
ランプの山小屋に泊まるのは何十年振りだろう?秘境に位置する山である。
食事は付いてなく自炊なので暗くなる前に、ということで4時から外のテーブルで
持参したサントリー角ハイボール缶と山小屋で買った缶ビールで酒盛り?
5時ごろからレトルトカレーとご飯をコッヘルで温めて夕食を取る。
夕食を済ませると何もすることがない。相棒は4時間の運転疲れもあってか、
6時半頃から布団をしいて寝てしまった。私も読みかけの文庫本ジョン・グリシャムの
「テスタメント」(下)を持ってきてるが、ランプではそれを読むことも出来ない。



部屋は10人分の布団が用意されていたが、平日ということもあり中年のご夫婦一組と
沖縄から来たという50代位?の男性一人だけだった。この男性は日本百名山踏破を
目標としているらしく北海道の山、東北の山、日本アルプスの山々を登っているとのこと。
一度沖縄から出てくると8泊位して百名山巡りをしてるらしい。
沖縄からだとお金もかかるだろうに、世の中には色んな人がいるものだ。
具志堅用高のような話し方の人だった。



翌日は4時半頃起きてご来光を拝み、パンとクラムチャウダー、オレンジ、コーヒー
で朝食を済ませ、
リュックを山小屋に置いて水だけを持ち駒ヶ岳から中門岳への高層湿原片道1時間を往復する。
頂上から続く稜線はなだらかで草原のようだ。8月末頃まで咲いていたという高山植物は見れなかった。



8時45分に山小屋に戻り、リュックを取り9時に出発。
下山はルートを変えて、稜線を行き大津岐峠からキリンテ登山口に下りる。
登りと同じく岩場もなく歩き易い道で13時に到着。
そこから歩いて10分位の所にある尾瀬街道キャンプ場のバンガローがこの日の宿泊場所だ。
車は滝沢登山口に駐車しておいたので、キャンプ場の主人の軽トラックに相棒が
乗せてもらい車を取りに行く。

7月中旬の常念岳、8月上旬の塔ノ岳、大岳山、そして会津駒ヶ岳と続いた夏山登山も今回で終りだ。

一ヶ月もすると山は紅葉の時期を迎える。


バリ島旅行 in スミニヤック

2013年09月01日 | 旅行



バリ島旅行4日目の27日(火)はバリ島南部のリゾート地スミニヤックに移動する。
朝9時にいつものドライバーPutuさんに迎えに来てもらい、彼の車で1時間位のドライブのスミニヤックまで
250,000Rp。この時のPutuさんがバリ人男性の盛装だったので、 何故かと尋ねたら、
14時からサヌールでの義妹さんの葬儀に出席するからとのこと。
43歳で二人の子供がいるらしく気の毒な話だ。

彼も18歳の大学生の男の子と高校生の娘さんがいるとのことで、息子さんにはエンジニアになってほしかったが、バリには理工系の大学は無く、ジャカルタの大学に行かせるお金はなかったとのこと。
日本で良く言われている中国の次に発展するのはインドネシア、という話には
(現在よりは良くなるだろうが・・・)と懐疑的だった。政府関係者の賄賂とか、一部の華僑が豊かになるとか、色々問題があるとのこと。またウブドにはフランス人の観光客が多いが、
クタは好きではないと言う人が多いとも。この話しには、なるほどなぁb私もそうだし、と思う。



スミニヤックに取ったホテルはウマ・サプナUma Sapunaという、インターネットホテル予約サイトAgodaで
探したホテルで、(地球の歩き方)には載っていないが、ザ・オベロイに近いという立地環境と、
口コミでの評価が良かったので決めた。
いつもの旅行では大体カミさんがホテルを決めるが、今回は立地環境がイメージ出来ることから
私が選定した。フロントにスーツケースを預け、ビーチとスミニヤック散策、DFSに行ったりして
14時にチェックインする。Wellcome drinkにはフルーツも付いていた。



Uma Sapunaは高級住宅街と言われるスミニヤックの裏通りを入った閑静な所にある。
26室のヴィラタイプのホテルで、建物は現代的造りでバスや洗面所がオープンなスペースの中にある。
庭には専用の15mプールが付いており、その庭のテラスで食事が取れるという、
完全にプライバシーが守れた空間の、隠れ家的なヴィラだ。
夕食はこのテラスでインドネシア料理とビンタンビールでとる。



朝食も何種類かのメニューから選べ、カミさんはインドネシアンブレックファースト、
私はアメリカンブレックファーストを選んだが、それぞれ量も味も申し分なかった。
朝食後,カミさんはショッピングやホテルでのマッサージ、私はスイミング等をしてのんびり過ごす。

昼食は歩いて10分程のザ・オベロイに行く。27年前のオベロイは周りが田んぼで他にはホテルもなく、
そこだけ別世界の感じだったが、現在は高級住宅やラグジャリーホテルが建つ地域になっていた。
オベロイの入り口にはゲートバーがおりていて、警備員が数名立っていた。
普段、宿泊者以外が訪れることはないのだろうが、レストランに行くということで入る。
27年ぶりのオベロイは懐かしかったし、月日の経つ速さを感じた。

ビーチに面したカフェでクラブサンドとミーゴレン、そしてペリエを飲み530、000Rpだった。



この日は夕食にジンバランの夕日を見ながらのシーフードBBQにも行ったが、
価格のわりには特にどうということもなかった。

そして28日(木)の朝3時にホテルをチェックアウトし、バリ6時発の便に乗り帰路についた。


バリ島旅行 Jalan Jalan

2013年09月01日 | 旅行




ウブド滞在も3日目。せっかく豊かな自然環境の中にあるホテルなので、
この日は少しのんびり過ごそうということになる。朝食の後はiPad miniで日経電子版を見たり、
株式市場をチェックしたりしてテラスでのんびり過ごす。

そして10:00発のホテルのシャトルバスでウブド中心部へ行き、田園地帯の散歩ジャランジャランをする。
Jalanは通りの意味で、Jalan Jalanで散歩となる。
幾つかルートが設定されているが、今回は4年前にも廻ったジャラン・カジェンのルートを行く。
田園地帯をゆっくり周遊して1時間位のコースである。
ウブド王宮から2本目の通りJl Kajenを入り、10分も歩くと田園地帯が広がる。
二人が通るのがやっとの細い小道を行くと途中水路で水浴びをしている農民を見かける。
なんとものどかな風景である。

30分ほど歩いたところで、道の脇に小屋があり小さなサイズの絵が何点か壁に飾ってある。
その小屋の店番か椅子に座っている30代?の男性を見てビックリ!
なんと4年前に会ったことがある人である。このルートを4年前に歩いたのは前述の通りである。
その時に、近くに滝があるというので行ってみると、下の方に椰子の実を取っている男性が二人。
見ていると手招きするので、下りて行くと椰子の実を割って飲ませてくれた。
暑い中歩いた後で飲んだ椰子の実は美味しかったのを思い出す。

その時に写真を取った彼だったのだ!
(奇遇ですね)のインドネシア語も分からず、(Longtime no see)も通じないと思ったので、
持っていたiPod touchに入っているその時の写真を見せると驚き、喜んでくれた。
iPodには定年後に1人で行ったバリ島・香港旅行、タイ・カンボジア旅行、トルコ・ギリシャ旅行、
タイ・ラオス旅行の写真が収められている。
IPodを持ってきて良かった。下の写真が4年前のもので右側に写っている彼は変わっていなかった。



またしばらく歩くとガイドブックで見ていたカフェがあり、そこで一休み。
このカフェ(Warung Bodag Maliah)で飲んだマンゴーとパパイヤのフレッシュジュースとバリニーズクレープは文句なく美味しかった。ウブドへ行く人へのお勧めである。




この後Jalan Jalanのゴール地点近くにあるプリ・ルキサン美術館に寄り、
昼食は4年前に何回か通いウブドのワルン(食堂)では最も気に入ったマンガ・マドゥ
Mangga Maduで取る。ミー・ゴレン、ナシ・ゴレンと、二人では飲みきれないような
椰子の実一個で62,000Rp、味もコストパフォーマンスの良さも変わりなかった。



昼食の後はタクシーでホテルに戻り、カミさんはスパでマッサージ、私はプールでスイミング。
プールには誰もいない貸切状態で、泳いだ後はプールサイドのデッキチェアに寝そべり
渓谷の樹々を眺め、のんびりした時間を過ごす。

夕食はモンキーフォレスト近くのレストラン、ラカレケLaka Lekeに19時に予約しておいたので
ホテルのフロントに送り迎えを頼む。ここはホテルから車で30分位の辺鄙な所に
あるレストランだが、4年前のウブド滞在中に2度来て、味も雰囲気も強く印象に
残ったのでカミさんを案内した。

何故一人旅の時にワルン(食堂)ではなく、高いレストランに2度も行ったか?
ラカレケは、ウブドで一週間泊まったファミリーゲストハウスが経営するレストランで、
オーナーであるワヤン女史の家族も、8室あるファミリーゲストハウスの敷地内に住んでいたので、
毎日顔を合わせており、ラカレケのことを聞いていたのだ。

ラカレケは田園地帯の中にあり、大きな野外ステージを囲む形でテーブルが配置されており、
ステージではレゴンダンスやケチャ等のバリ舞踊が見れる。この二つを見たくて2度通った。

その時にはパフォーマンスが終った後のダンサーとの記念撮影にステージ真ん中に連れていかれ、
ワヤンさんに写真を撮ってもらった。その時の写真はあるが、犯罪者のように自分の顔に
アイマスクはかけられないので、ここにはアップできない。
そして行きも帰りもワヤンさんの車に乗せてもらうという、何かと思い出のあるレストランだ。
因みにワヤンというのは一般的な女性の名前で、前日のカフェ・ワヤンとは関係がない。

初めて行ったカミさんは料理の味が良い、雰囲気が良い、従業員の接遇マナーが良いと
喜んでくれたので案内した甲斐があった。ホスピタリティーのレベルが高いレストランだ。

この日は野外ステージのパフォーマンスはバリ舞踊のケチャで、その終了後に迎えの車でホテルに戻る。
下の写真は4年前の昼のラカレケと、この日のケチャのパフォーマンスである。





この日は、思わぬ出会い、マンガ・マドゥーでの昼食、そしてラカレケでのディナーと、
4年前の思い出を辿る一日だった。