一期一会

日々是好日な身辺雑記

パリ観光最終日

2024年05月28日 | 旅行

パリ観光最終日となる5/24(金)は、17日(金)9:30からのルーブル美術館入場券が欠航で無駄になったので、22ユーロ×2名の44ユーロで再度購入した。カミさんがネット予約しようとしたが、何故か上手くいかず娘にネット購入を頼み、eTicketのファイルを送ってもらった。通常18:00までの営業時間が、金曜日は閉館が2130なので、比較的楽に観れるかと18:00からの入場券にした。

 
そして最後のパリ観光は、街並み散策にしようと、午前中は左岸5区のカルチェ•ラタン地区、午後は高級住宅地である右岸16区パッシー地区にした。8:00から動き始めリュクサンプール公園→パンテオン →ムフタール通り→ランチ→パッシー地区と廻った。
15:00頃には一旦ホテルに戻り一休みしてから、17:00ホテルから歩いて15分くらいのルーブル美術館に向かった。途中娘が日本語メニューがあるよとメールしてきたフレンチレストランLe Mersturetに寄り、20:30の予約をしてきた。
料理オーダーに苦労しているのをブログで見て、ネットで調べ教えて来たのだろう。娘はパリに3度ほど来て、フランス語検定を持っているので少しは話せるらしく、今回もセーヌ川クルーズ、モンマルトル散策とかオススメだったがどれも出来なかった。
 
(リュクサンブール宮)
 
 イタリアかフランス王室に嫁いできたマリー•ド•メディシスが故郷を懐かしんで、フィレンツェのメディチ家のビッティ宮を模して作られた。現在は国会上院として使われている。ピッティ宮がどんな感じだったが思いだせない。

(リュクサンプール公園)


 
リュクサンブール公園は面積は25haで、リュクサンブール宮の庭園だったところだ。朝緑濃い中を歩くのは気持ちが良かった。

(パンテオン)


(哲学者JJ•ルソー像)

(ムフタール通り)








ムフタール通りはローマ時代に作られたパリ最古の通りで、600mの通りの両サイドにはあらゆる食材、ワインの店が立ち並ぶ。
感心するのはその立体的な飾りつけで、色合いの組合せと立てかけられたホワイトアスパラ、いかにも美味しそうだろう。カミさんは2種類のチーズをお買い上げ、しばらく土曜日はワインとチーズか。
 
(パッシー地区)






(La Grande Epicene de Paris)
 
 パッシー地区はパリの高級住宅地で、駅からのパッシー通りはブランドブティックが立ち並ぶ。老舗デパートの食品館(ラ•グランデ•エビスリー•パリの2号店もあった。
朝からの散策で15:00頃にホテルに戻り、カミさんのスマホ歩数計を見たら32000歩で、初めてとなる最高歩数だと言う。
 
パリ市内を歩いてみると感じるのは、統一のとれた街並みで、高さは5階から6階で高層ビルというのも見当たらない。そして大きな看板もないので、逆に地図を片手に通り名を確認しながら散策する身には大変である。
 
(ルーブル美術館)


(モナリザ)


(サモトラケのニケ)


 ルーブル美術館はとにかく広い!日本語ガイドマップがあり、それを手に目当ての作品を探すのだが、途中何回か係員に聞かないと辿り着けない。さすがにモナリザは大変なひとだかりだった。そしてこの部屋ではテニスの松岡修造氏を見かけた。あの身長と容姿である一際目立っていた。大谷もそうなんだろうが、日本人の体型も変わったものである。

カミさんお目当てのフェルメールは(レースを編む女)が現在貸し出し中で(天文学者)だけの展示だった。フェルメールは全作品が37作で、ロンドンのナショナギャラリーで(ヴァージルの前に立つ女)、ウィーンの美術史美術館で(絵画芸術)を観たが、何年か前に上野の森美術館でのフェルメール展は、それこそ芋の子洗いで頭越しにしか観えなかった。

2時間近い見学の中で、残念ながら(ミロのヴィナス)は見れなかった。

 (Le Merusturet)
(前菜 エスカルゴとキノコのニンニク炒め)

 
(主菜 牛頬肉の赤ワイン煮)


 

娘から教えてもらい20:30に予約しておいた(Le Merusturet)は金曜日という事もあり満席だった。JCBと提携しているのか、注文時に提示するとワイングラス一杯サービスというのが、ネットに出ていたがJCBカードは持ってきてなかった。SuicaがJCBなのだ。
日本語メニューがあるからか、日本人カップルが何組か見えた。今回の旅行で入った全部のレストランは前菜+主菜+デザートという組合せでのアラカルトだった。何品もあるのはポール•ボキューズのような店なのか。
日本にも何店舗かあるので今度行ってみようかとも思うが、でもやはり高いお金を払うのであれば、懐石料理か寿司が良い。
フレンチで育ったわけでもないので、飽きてしまう。そんな事で美味しかったが、それ以上の食レポは無し。

(オペラ座裏手)


上の写真はオペラ座裏手からのものだが、パリ到着時に見たシャネルの看板をより遥かに良い。強い違和感を感じたあの看板は、現在オペラ座が工事中なので一時的なもののようだ。騙し絵的なものもあったようだ。オペラ座からシャルル•ドゴール空港へのバス停の場所も変わっていた。




5/25(土)パリ発13:00の便で北京に向かい、飛行時間9時間くらいで翌朝5/26(日)4:00北京空港に到着。機中モニターも中国映画ばかりで、チャン•イーモウ監督作品がないかと
探したが見つからなかった。
行きも帰りもやる事がないので持参した立松和平の(良寛)を読んだり、3D航路マップを見たりしていたが、そのマップにはイルクーツクなどのロシアの都市が載っていた。
今回エアチャイナのパリ行きを選択したのは運賃の安さもあるが、飛行時間の短さだ。
同じような運賃で大韓航空やエミュレーツ航空のパリ行きはあったが飛行時間が長かった。それもそのはず、現在ロシア上空を飛べるのはマルクス兄弟国家の中国だけだ。










行きは乗換時間が2時間だったが帰りは4時間で、空港内Wifi設定も中国語なので難しく、インターネットに繋がってもGoogleアプリや日経新聞、このブログは使えないので意味がない。改めて中国の異質さを感じる場面だ。逆にやる事がないので上下巻(良寛)を読み終えた。良寛の人生記なのでストーリー性はなく、道玄のことや正法眼蔵からの引用などで宗教本のようで、今回のような環境でなければ読み進めなかっただろう。次は同じ立松和平の(道元禅師)だ。

26日(日)15:00に無事帰宅したが、このブログで抜けている16日(土)16:00頃からパリ到着までのエアチャイナトラブル記は、時差ボケや風邪も治る週末に書こうと思う。
 

TGVでアヴィニヨンからパリへ

2024年05月25日 | 旅行
5/23(木)アヴィニヨン8:30発のTGVでパリに11:16に戻ってきた。チェックインしたHotel Ascot Operaはやはりオペラ座に近く、何かと便利で治安も良いだろうと、同じエリアを選んだ。エアチャイナの機体トラブルによる欠航でパリ到着が1日遅れ、3日半を予定していたパリ観光が実質2日半となってしまった。そんなロスした一日を取り戻そうと、早速行動を開始した。

(アヴィニヨンTGV駅)
ホームの直ぐ脇が待合室になっている。


プロヴァンスの4日間は美しい村巡り、ローマ時代の遺跡巡りと、どちらかというと私好みのプランだったので、残りのパリ観光一日半は出来るだけカミさんの意向に合わせようと思っていた。ただどうしても強い意向が無い場合は、指導力を発揮してしまう傾向がある。

(ル•ボン•マルシェ)

ル•ボン•マルシェは1852年創業の老舗デパートで隣接する食品館は、あらゆる種類の食材が豊富に取り揃えてあった。そしてカミさんのショッピング中は、何分後待合せといういつものスタイルにする。ただあまりの広さに待合せ場所が分からなくなるので、目の届く範囲での自由行動だ。


(精肉棚)

(チョコレート棚)

(ビネガー棚)


食材のコーナーでは幾つかの食べる所があり、ワインを飲みながら食事をしている。フランス人にとっては時間帯に関係なく、食事にワインは欠かせないのだろう。
そしてこの日のカミさんのお買い上げは110ユーロで殆どがお土産だ。週2回のパートになったとはいえ、まだ長年勤めた医療機関で働く身なので色々付き合いがあるのだろう。その他にも2月に1回の子供の幼少期からのママ友との会食、他3種類の地元サークル仲間と、お土産関係者が多いのだ。総じて周りを見渡しても女性の方が元気が良い。
私の場合は特に配布先もないので、お土産の購入はない。

(サン•ジェルマン•デ•プレ教会)







ショッピングの後は6世紀にベネディクト派の修道院としての起源を持つ左岸のサン•ジェルマン•デ•プレ教会へ。

(オルセー美術館)


そしてこの日のメインイベントであるオルセー美術館へ。移動は全てメトロを利用しているが、乗換駅間の距離が長いので歩く、歩く。メトロでのスリ被害が多いのだが、今回の観光は18区、19区の治安の悪い所や、北駅、東駅などの利用も避けているので、まだスリとの遭遇はない。

比較的ゆっくり見れるだろうと16:00入場券を予約したが、多くの人で賑わっていた。
オルセー美術館は、マネ、モネ、ルノアールの印象派の絵画や、ゴッホ、ゴーギャンなどのよく知られている名画を数多く見ることが出来た。賑わっているとはいえ、東京の海外からの名画展のように、芋の子洗いの頭越し肩越しの鑑賞とはならない。美術館そのものの建築物としてのスケールが違うのだ。

ロンドン、ウィーン、ローマ、フィレンツェ、マドリードと名だたる美術館に行ってきたが、どこもゆっくり鑑賞できた。

(ゴッホ/ローヌ川の星月夜)


(ゴッホ/ アルルの部屋)

(ゴッホ/ 自画像)

(ルノアール/ 田舎のダンス)


(モネ/ 日傘の女)


(ベトナム料理フォーティン)




(牛肉フォー)


ご飯、味噌汁、納得、魚の干物で育った身としては、ソースがどうの、肉の柔らかさがどうのと言っても飽きてしまう。そこでこの日はベトナムのフォーの店へ。フォーが好きで池袋、新宿のフォーティン•トーキョーにはよく行くが、ここもハノイ本店のフォーティンのパリ店なのだろう。
嬉しいことに、8月我が町にオープンする商業施設にフォーティン•トーキョーが入るので今から楽しみにしているのだ。

アルル観光へ

2024年05月23日 | 旅行
5/22(水)はニームと同じくローマ遺産の街であるアルルへ行ってきた。そしてこの街はゴッホゆかりの地でもあり、ゴーギャンと共同生活をし創作に励んだ所だが、ゴッホの作品は一枚もこの街には無い。(エスパス•ヴァン•ゴッホ)というゴッホが精神を病んで、耳を切り落とした時に入院していた場所が、現在総合文化センターとして利用されている。



アヴィニヨンからノンストップで17分でアルルへ到着。一つの車輌が日本のようには長くなく対面4人席や2人席などが混在している。
アルルには20分弱で着き、ローマ時代の遺産である見所が円形闘技場の周辺にあるので、先ずはそこに向かって10分ほど歩く。

(円形闘技場)


円形闘技場のチケット窓口では四つの建造物一つの美術館への共通入場券を購入する。円形闘技場はニームで見ているので、古代劇場→地下回廊→コンスタンティヌスの共同浴場→サン•トロフィーム教会回廊→レアチュー美術館と廻った。

(古代劇場)





(地下回廊)




(サン•トロフィーム教会回廊)







(コンスタンティヌスの共同浴場)



(ローヌ川)



(レストランAVENIO)


(前菜)


(私の主菜、豚肉の何ちゃら)


(カミさんの主菜、鱈の何ちゃら)


娘がネットで調べてくれた(AVENIO)は英語メニューがあったので、それなりにイマジネーションを働かせて注文できたが、グラスワインのテスティングを促された時は、戸惑ったがそれなりの反応を返しておいた。
カミさんは鱈とは思えないほど美味しかったと言うが、私の方は豚肉が柔らかかった、ソースが初めての味だったくらいの食レポしかなかった。会計は閉めて89ユーロだった。
それより普段週一の飲酒なのに連日のワインだが、アルコール抜きの食事というのは許容範囲なのかどうかは分からない。因みに前日の(Forchette)はミシュラン認定レストランらしい。

プロヴァンスの地方都市で4日間をすごしたが、特に気づいたのは喫煙に対する寛容な社会である事だ。テラス席での食事でも煙草付きだ。それと電動キックボードが非常に普及している事で、あのスピードには驚かされる。それと犬連れが多く、テラス席での食事にも同伴するが、よく調教されている感じがする。まぁ、色々な多様性を受け入れるフランス社会なので、ミネラルウォーターでフレンチを、というのも許容されるかも知れない。


古代ローマ遺産の町ニームへ

2024年05月22日 | 旅行
5/21(火)は(フランスの中のローマ)とも呼ばれるニームに行ってきた。アヴィニヨンから電車で20分の位置にあり、デニムの語源の地としても知られている。「Serge de Nime」(ニームのサージ)と綾織物の産地として繁栄した歴史がある。

8:24発の電車に乗る前に、7時から始まる市場を覗いた。海外旅行をすると必ずその町の市場視察がカミさんの楽しみの一つで、その町の食文化の豊かさが分かると言う。
勿論プロヴァンスの中心地アヴィニヨンは肉、魚、乳製品、果物と豊富だった。















そしてチケット売場の窓口がなく、フランス語が読めず、使い方も分からず、悪戦苦闘したのがニームまでのチケットの購入だ。
まず英語表記にするのが分からず2人でああでもない、こうでもないとやっていたら、画面上部に小さく仏、英、伊の3つの国旗が表示されているのが分かった。そして下部の丸い物の外側を右に左に回して要求する事項に移動させ、真ん中のボタンで確定するというのが分かった。この操作で片道か往復か、日付設定、出発地、行き先、枚数の指定すると買えるのだ。下部の丸い物の操作が盲点だった。



フランスの中のローマと言われるニームにはローマ帝国時代の遺跡が幾つかあるが、紀元100年に建てられた円形闘技場は、世界一保存状態の良い闘技場と言われている。確かにローマのコロッセオから、トルコ、スペインのローマ時代の円形闘技場を見てきたが、ここの保存状態が1番良かった。
ただチケットを買った時に日本語の音声ガイドが含まれると聞いたが、貸出窓口に行ったら写真付きのIDカードを要求され、パスポートを提示したが、QRコードを読み取るように指示されたが、インターネットに未接続なので、読み取っても開けない。こんな時に国際ローミングを設定しておけば問題はなかった。ネット制限のある上海ではその必要性を感じていたが、現在ではインターネット接続デバイスは社会システム上必要不可欠なのだろう。まぁ美術館でもないので特にガイドもいらないかと、ゴネなかった。因みにUQモバイルでは出発前予約で一日450円である。

(円形闘技場)









ニームには紀元前16年に建築された古代神殿メゾン•カレが世界遺産に登録されている。
ニームは初代ローマ皇帝アウグストゥスが城跡を築き、腹心のアグリッパが修復したとされている。当初同じ世界遺産の水道橋ボン•デユ•ガールに行く予定でいたが、バスの連絡が悪くアヴィニョン戻るのが19:00近くなるので止めた。この辺が個人旅行の限界である。
まぁ、水道橋についてはスペインのセゴビアで世界一の水道橋を見ているし良いかと諦めた。

(古代神殿メゾン•カレ)






フムス(茹でたひよこ豆)料理の店かと思いランチに入り、違ったが美味しかった。 



(FrenchRestaurant /La Forchette)






夜はガイドさんから教えてもらったレストラン(La Forchette)に行った。19:00オープンだと思って行ったら19:15だと言い、ほぼ予約で満席だが一席だけ空いていると言う。本当かなと思いながらも予約して、時間潰しのぶらり歩きをしながら 、明日の夕食の店を娘が調べて送ってくれた(AVENIO)を予約して、オープン時間通りに戻った。この店は奥まった道路に面しており、外の席はなかった。我々が2番目のお客で、窓際近くの席に案内された。

最初は飲み物の注文で、ハウスワインで通じるはずだが、オススメは?などと聞いてしまいそれを注文した。それを飲みながら食事を検討するのだが、フランス語のメニューでアラカルトでの注文になるのでよく分からない。英語のメニューを頼んだら(Yes)と言いながら、中年の女性が来て英語で説明すると言う。
前菜、主菜と説明を受けたが、文字を拾うより、訛りがあるので言葉を聴くとる方が難しい。前菜はバジルとアスパラガスが聴き取れたのでそれを注文し、主菜はシュリンプと何たらフィッシュ、コリアンダーが聴き取れたのでそれを注文した。

カミさんは前菜は茄子の何とか、主菜は豚肉の煮込みを注文。それから次々とお客が来て満席になったので、残り一席は本当だったのだ。人気店らしく食事もワインも美味しかった。サービスもよく、デザートを勧められたが断ったら小さなシャーベットを持ってきてくれた。会計はしめて108ユーロだった。


プロヴァンス美しい村巡りツアー

2024年05月21日 | 旅行
5/20(月)はVELTRAで予約した(フランスの最も美しい村)を巡る日帰りツアーに参加した。8:50にツーリストインフォメーションセンター前に集合というバウチャーにより、10分程前に行くと8名くらいの外国人ツーリストと2組の日本人シニアカップルがいた。
ミュンヘンのように、小型バスを仕立てのツアーかと思っていたら、外国人ツーリストは別グループだった。バウチャーには英語ガイドの場合もありますと書いてあった。

我々の名前を出し尋ねてきたのは、日本人女性ガイドのHさんで、VELTRAの口コミに親切なガイドさんとして載っていた方だったので一安心。同じグループになったのはもう1組のシニアカップルで、Hさんのベンツのセダンに5名での出発となった。

フランスの最も美しい村は、1982年に質の良い資産を持っ田舎の村の観光を促進させる目的で設立された協会により、フランス全土の中から選定されている。その定義は人口が2000名以下であること。最低2つの遺産•遺跡があること、地域議会の同意を得られる事などだ。我が家にもフランスの最も美しい村の本がある。

(フォンテーヌ•ヴォークリューズ)








(プラタナスの並木)


フォンテーヌ•ヴォークリーズはアヴィニヨン近郊の人口700人足らずの小さな村で、村の名前にもなっている(ヴォークリューズの泉)は、水深300m以上のヨーロッパで最も豊富な水量を噴き出される泉として有名だ。その水源からの水はアヴィニヨン市街を流れるローヌ川に注がれている。村には大きなプラタナスの樹が立ち、緑が鮮やかだった。
このツアーの特徴は車内で主なガイドをすると現地で自由散策となる点だ。ガイドさんの旗に従って見て廻るというのとは違うのが、我々の旅のスタイルに合っている。1時間の自由散策だった。

(ゴルドGordes)



(セナンク修道院)


アヴィニヨンから40kmのゴルドはプロヴァンスで最も有名な美しい村で、天空に聳え立つ村の全景は別名(鷲の巣村)とも呼ばれ、ビュースポットからの眺めは圧巻の景色で、眼下に広がる風景もプロヴァンスらしいものだ。
そのビュースポットでの写真撮影を終えると、近くのセナンク修道院に移る。この修道院はシート派という最も戒律の厳しい宗派で、現在7名の修道士が居るという。美しい村のガイドブックを見ると紫のラヴェンダーが咲く7月頃が最も素晴らしいだろう。

(ゴルド村)






(ゴッホが描き続けた糸杉)


セナンク修道院からゴルドの村の中心地に着いたのが12:30で、ここから2時間の自由昼食+自由散策となる。人気観光地なのでランチ時は混み合うので、先に昼食を取りその後で散策を、とのガイドさんのアドバイスにより、オススメのプロヴァンス料理の店で昼食を。特にベジタリアというわけでもないが、フランス語メニューから単語を拾い出して注文した料理は、運ばれてきた時はそのボリュームに驚いたが、美味しかった。ただ完食は出来ず8割の消化率だった。

そして村の中は鷲の巣村と称されるように、村の中心から下るように家が立つ、独特の景観だ。そんな家の中にゴッホが向日葵の後に描き続けた糸杉もあった。
そしてゴルドは、ユダヤ人の画家シャガールが1940年ナチスがパリを占領した時に、迫害を逃れた地だ。豊かな自然に心慰められていただろう。

(ルシヨン)











ルシヨンは赤い村とも称され、ゴルドと並ぶ最も美しい村の一つで人口は1300人に満たない小さな村だ。赤い村の基になっているのが
ローマ時代から使用されていた天然のオーグル(赤土)によって作られた顔料で、そのオークルと漆喰で作られたペンキで、教会や家の壁を塗ると、その美しい景観が美しい村として観光業が発達した。現在は自然保護地区としてオーグルは使えない。1時間の自由散策で村の中心地を廻ったが、日本では見ない景観と静かな環境だった。

今回の旅行でパリを1番の楽しみにしていたカミさんも、この日廻った美しい村の景色にはいたく感激したようで、4日間のプロヴァンス旅行を企画して良かった。そしてツアーで廻るのは楽だった。



17時頃にはアヴィニヨン戻り、部屋で一休みして19時頃にガイドさんに聞いていたレストランに行ったが月曜日のこの日は復活祭から50日後のホイットマンデーにあたる祝日で休みだった。町をブラリ歩きをしたら台湾料理の店を見つけ入る。メニューを見たら(何ちゃって台湾料理)らしく、グラスワインも青島ピールも無かったが、意外にも味は良く美味しかった。