goo blog サービス終了のお知らせ 

一期一会

日々是好日な身辺雑記

Amebaへの引越し完了

2025年08月11日 | 日記
前回の投稿(最終章)の通りgooブログのサービスが終了する。旅行(海外、国内)や登山、マラソン大会出場などのリタイア後の生活を自分自身のライフログとして2012年から書き始め、757本の記事を投稿した。そのブログ投稿も止めてから4ヶ月近くなるが、今だにアクセスがあり過去の記事が読まれている。
何故か旅行記事だけではなく、バイオ創薬メーカーGNIに関する記事が多く読まれている。GNIに対する投資スタンスは変わりなく、今年度内に三つの上げ材料があると思い、そこでの更なる株価上昇に期待している。

gooからはサービス終了に伴い、製本化とAmebaへの引越しが案内されている。
元々が前述の通り自分自身のライフログとして始めたものなので、思い出の読み返し用として製本化しようと思っていたが、娘からはAmebaへの引越しを勧められ、その移行作業もやってあげようか、との申し出もあった。

そんなgooブログの扱いを考えていたが、今でもアクセスがある事からAmebaへ引っ越し、閲覧可能にすることにした。
既に引越しデータはダウンロードしてあり、そのZipファイルを開くと、文字の羅列と改行などのコマンドプロンプトが並んでいた。そのファイルをAmebaに移行すると写真は問題なかったが、文章は改行もなく文字の列なりだった。それを記事編集の改行などで文章の体裁を整えた。757本の記事の修正にはどれだけの時間が掛かるのだろうと思いながら、2本目を修正していたら編集画面にチェックボックスがあるのを見つけ、チェックを入れたら、文章がスタンダードな体裁になり、全ての記事が自動修正されていた。

意外に簡単にAmebaへの引越しが終わったので、その管理画面から基本設定をした。
広告非表示やカバー画像の表示が出来ることから有料会員とし、コメントやX、Facebook、Instagram、Lineでの共有はなしの設定にした。そしてこの引越しに伴い、食べた、呑んだ等の能天気な記事は30本位削除した。そんなAmebaへの引越し先は下記URLとなっています。

(Amebaブログ/一期一会)



最終章

2025年04月24日 | 日記

このブログを見て頂いている方は気づいていると思うが、NTT Docomoが提供していたこのアプリが11月をもってサービス中止となる。このブログを始めたキッカケは、定年後すぐに1ヶ月のバリ島旅行をし、その後タイのチェンマイやチェンライを旅行し、2010年にはトルコ、ギリシャを1ヶ月バックパック旅行をした。東日本大震災の前日2011年3月10日には同じ時間帯にカンボジアに向けて飛び立っていた。

そんな旅行記に加え、若い時からの趣味である登山やジョギング・マラソン大会出場などの定年後の生活をライフログとして記録しておきたいとの思いから始めた。あくまで自分自身の記録としての位置付けから、かなり踏み込んだ事も書いているので、一部の人しかこのブログを知らないし、兄にも教えていない。従ってSNSとしての機能は要求せず、コメントも入れられない設定にしてあるし、スタッフへのアピールという機能も使っていない。

一期一会というタイトルは、老若男女を問わず人との出会いに関心があり、そこに恵まれていたとの思いから付けた。一番時間の長い職業生活においても、同僚、後輩などの仕事仲間以外にもそんな出会いがあった。一番の職業生活においてのピンチは48歳で外資コンピューター会社をリストラされた時で、我が家の家庭生活はその外資コンピューター会社の業績給などの高給によって成り立っており、カミさんも専業主婦として家庭を守り、子供2人も中高一貫の私立に通っていた。転社するのも外資ITでまたリストラでは、子供達の教育費が賄えなくなるので、同じ轍は踏みたくないと思っていた。そんな職業生活の岐路に立った時に助けられたのが、リストラを私に伝えた上司だった。

この上司に定年まで勤めていた電機メーカーとリース会社との合弁会社を紹介され入社した。この会社の社長、専務をこの上司が知っていたのと、この会社がコンピューターシステムの販売事業に力を入れていたので、私の経験が買われたのだろう。ただ上場電機メーカーの合弁会社という事もあり、48歳の入社には難しさもあっただろうが、事前根回しもしてくれたのだろう。専務との直接面接で採用が決まった。この上司とはよく2人で酒を飲んでいたし、この人自身もリストラになり、中小企業診断士のライセンスを取りサラリーマン生活を辞めた。

そんな旅行中のブログ中止の知らせと共に、一番の親友の訃報が届いた。今回の旅行中も国際ローミングをしていなかったが、4/11 17:52着信お知らせのメッセージと奥様の電話番号が書いてあった。何事かと思いその友人とはLine友だちでもあったので、早速ホテルのWifi環境下でLineをしたら、8日に亡くなった旨のメッセージが奥様から返ってきた。この友人との関係性については11月の(草津温泉旅行)と3月の(有朋自遠方来)と題したこのブログで書いた。35歳まで勤めた3M時代の仕事仲間で、私が辞めた後も付き合いが続き、彼は64歳まで勤め上げた。この知らせを受けて(有朋自遠方来)に書いたメンバーにメールしたら、そのメンバーの1人から返事があり、居住地である府中の森市民聖苑へ葬儀予定を確認したら、11日に火葬のみの受付で済まされたとあった。推察するに火葬が終わった後に、その旨の連絡を電話でくれ、それが着信通知となったのだろう。お子さんもいなかったし、親族も東京には居なかったので密葬とし、火葬後の私への電話連絡は友人の遺言だったのだろう。

その友人とは20代からなので、50年以上の付き合いになる。3歳年上だったが同期中途入社という事もあり、苗字の上一文字にヤンとチャンを付けて呼び合っていた。山口県下関出身で独身時代の夏には他の2人とその実家に遊びに行き、泊まらせて頂いた。大学時代はハワイアンバンドの活動をして、当時グァムへの客船航路があったらしく、そこでアルバイトで演奏をしてたと言い、よくスナックのカラオケでルイ・アームストロングの(What a wonderful World) を歌っていた。彼が結婚してからは世田谷の東松原に住み、私が歩いて10分くらいの梅ヶ丘に住んでいたので、日曜日などに夕食に誘って頂いた。私の結婚式には友人代表としてスピーチをしてもらい、新婚の家にも奥様と一緒に遊びに来て頂いた。勤める会社は別れたが、ゴルフや定期的な飲み会での付き合いが続いていた。

そんな彼と飲んでいた時に口内炎で調子が悪いのでと、短い時間で切り上げた事があり、その後暫くしてからステージ4の舌癌で手術入院するとの連絡があった。そして翌年私がステージ2の肝臓ガンになった。(同病相憐れむ)ではないが、その後もお互いの状況を話しながらの呑みやゴルフの付き合いは続いた。そんな彼のガン闘病生活は他臓器への転移などでの手術や、月2回の放射線抗がん治療と続いていた。そして昨年の新年会ではアルコールは飲まなくなり、11月の温泉旅行、先月の飲み会も参加の意思を示していたが、参加出来なかった。私の携帯番号を奥様に伝えていたのも、自身の最後を予想していたのだろう。この訃報をカミさんに伝えたら涙ぐんでいた。カミさんも同僚として彼を知っていたし、私達のその後の付き合いも私からの話しで知っていた。旅行中も2人で彼の思い出話をしていた。(有朋自遠方来)の宴席でも、律儀な彼が不参加という事で皆が病状について心配していた。その飲み会には2,3日前まで参加のメールがあり、具合が悪くなったら途中失礼するかもしれないとの言葉も添えられていた。福岡の彼には下関へ帰郷の折には連絡があり、2人で釣りに行ったと言う。口数は少なかったが実直で律儀な性格の敬愛する友だった。

歳回りからだろうか、この1,2年私の周りで深刻な身体の変調を知らせる知人•友人が増えているが、これも人生の摂理なので仕方がないだろう。そんな状況と今回のgooブログサービス中止の知らせもあり、このブログも今回の投稿を持って最終章として止める事にした。2021年4月にもコロナ禍で海外旅行も出来なくなり旅行記も書けなくなり、山小屋も閉鎖され登山記も書けなくなったので(終章)としてブログ投稿を止め、一年後の2022年5月にコロナ禍の収束に伴い再開した。

Amebaブログへの移行も案内されているが、止める意図が前述の理由なので、サイトを変えての継続は考えていない。これからも海外旅行は行くと思うし、登山もまだ続けるつもりなので書くネタはある。書きたくても、書かないようにしていたトランプの阿呆ぶりと愚挙は枚挙にいとまがない。そんなトランプを支持する国民が半数以上いるというのが信じられない。あのベースボールキャップを被った中西部のオッサン達はワシントンポストやNYタイムズも読まないし、ABCニュースも見ない大いなる田舎者なのだろう。

明日そんなアメリカから外資コンピュータ会社時代の同僚が来日し、彼を囲む会が代々木の日本製鐵の社員倶楽部である。2年前の来日では私が幹事をしたが、今回はその幹事役を日鉄ソリューションズ勤務の歳下の仕事仲間に頼んだら、快く引き受けてくれ、団塊世代の集まりから一世代若いメンバーにも声をかけて、12,3人の集まりとなった。来日する彼は商社勤務の父親の関係で幼児期をアメリカで過ごし、中高を大阪の学校を出たらしいが、詰め襟制服に違和感を感じていたと言う。大学はユタ州の大学を卒業し、日本に戻り日本企業に就職したが、そこから私と同じ新興外資コンピュータ会社に転じた。そんな同じ歳の彼も42,3歳の時にリストラになり、3人のお子さんを連れて渡米、アメリカで再就職をした。金融機関向けのトレーディングシステムの営業に携わり、ニューヨーク勤務で2001年の同時多発テロ9.11事件の時はマンハッタンに居たと言う。現在はニュージャージー州に住んで3人のお子さんはそれぞれ結婚し、5人のお孫さんに恵まれている。そんな彼から集まりの前にお茶をしようとのメールがあった。現在の分断するアメリカの現状を聴いてみよう。

そんなことで、このブログの最後の投稿になるが、見知らぬ私のブログを海外旅行や登山、株投資への関心から読んで頂いた事に感謝します。不確実性に満ちた時代になってきましたが、花鳥風月ではないですが、日々の小さな事に喜びを見い出し、健やかな生活を送って下さい。


GNI株主総会2025

2025年03月28日 | 日記

昨日はバイオ創薬メーカーGNIの株主総会に出席してきた。基本的に各種媒体で情報が取れる会社については出席しないが、グロース市場上場でカバーするアナリストもいない会社については、情報収集と経営陣の資質判断の意味で出席している。資質判断って分かるのか?と思うだろうが分かるのだ。過去に出席した株主総会でエムスリーの谷村社長はマッキンゼー出身らしく、事業計画のプレゼンや質疑応答も一手に引受け、流石という感じだった。それに反して昨年出席した某社のオーナー会長は?という感じで、この会社は今年早々に損切りした。株主総会も一言物申したくて出席したのだ。

 
GNIは日本で上場しているとは言え、経営•事業の実態は中国とアメリカで、東京本社には15名位の社員数だ。昨年に続いての出席だったが今年は異例の株主総会となった。今回の決議事項議案の取締役8名選任の内の一人CFO北川氏が、インターネットでの議決権行使も始まっている3/24に辞任したのだ。彼は2023年7月に株式会社BASEの社長からGNIのCFOに転じ、PoorだったIRを改善した人物だった。
肝線維症治療薬F351の中国における第3相臨床試験が10/22に終了し、その結果レポートがQ1(1月〜3月)に発表されるだろうとアナウンスされていた。その間北川氏がX(旧Twitter )に、結果レポートを一株主として期待して待っている等の投稿をしていた。
これもYahooファイナンス掲示板や問合せなどへの対応だったと思うのだが、F351に関する情報は株価に対しSensitiveなのでXでの投稿はどんなものでも不適切ではと思っていた。
 
そして2/20に52週来高値3970円を付けたところで、保有株数の1割弱のカミさんと私のヘソクリ出資分を4000円で売り設定した。
買値の倍を超えた売値設定だったが、その30円高が届かず1週間後の2/27から下がり始め、3/5にはストップ安の700円安2475円と急落となった。
8年前からGNI株を保有してスイングトレードで2回利益確定をしているが、F351の第2相臨床試験を終えた後は、ブロックバスターへの期待から第3相臨床試験の結果レポートが出るまでは、上下に株価変動があろうとも売却しないと決めていた。
カミさんのヘソクリは幾らあるか知らないが、私の方はGNIの他にNASDAQ上場子会社GYREとPULMに昨年注ぎ込んだ。隠居生活で飲み食い、衣服などに小遣いを使うことも少なく、ジム代とヨガのパーソナルトレーニング代くらいだが、季節も良くなり一人旅費用の捻出をと思っての売り設定だった。
 
3/5のストップ安は9:16と9:20にYahooファイナンス掲示板にF351が失敗したとの投稿がその要因となったらしく、その個人株主の狼狽売りに外資空売り機関の売り浴びせにより、急落のストップ安となったのだろう。
GNIはF351失敗とのフェイクニュースに対し、風説の流布で証券取引等監視委員会に訴えたとの知らせがGNIのホームページに載ったが、一度下げた株価を再浮上させるにはF351の結果レポートの公表だが、それがQ1の公表予定がQ2に変更になった。
北川氏のXへの投稿はどうかと思うが、彼がIRを担当するようになって、格段に良くなったと評価してたし、選任議案にも信任するつもりだった。
 
今回の急落の発端や原因はともかく、問題はGNIの株主構成が個人株主が主となっている事だろう。それで外資空売り機関の餌食にもなるし、Yahooファイナンス掲示板のようなものに投資判断が左右されるのだろう。空売りに対して現物個人が勝つ為には、空売りしたものを買い戻す踏み上げ相場になるまで、持ち続けられるかどうかだ。
 
 (日本橋交番前の桜)
 
 (西武鉄道本社前の桜)


株主総会は14:00から日本橋三越前のCOREDO室町3で行われた。昨年同様グロース市場会社の平日での株主総会にしては出席者も多く、私が言うのも何だがご隠居さんの様な姿は少なく、現役世代が多いように感じた。
CEOイン・ルオ(Ying Lou)の逐次通訳での30分くらいの2024年度事業報告後に、質疑応答が行われたが挙手する人が多く、手短に一人二問までとの制限があった。質問は現在中国で行われているF351のトップラインデーターの進捗状況や成否についてもあったが、NMPA(National Medical Products Administration 中国国家薬品監督管理局と第三者としての大学教授3名、GNIの子会社北京コンチネントで進めているので、結果が出るまで待ってほしいとの回答だった。株価急落下での株主総会だったが、2時間に及ぶ質疑応答はあまり怨み節的なものはなく、専門的に良く調べているという印象の質問が多かった。
 
現在の日常生活の基本であるジム通いのヨガプライベートトレーニングを休んで出席した甲斐のある株主総会だった。その一問一答についての受け取り方は、あくまで私の感じ方なのでその内容については書かないが、GNIの投資に対するスタンスは変わらない。
 
(GNIの昨日までのチャート)
 
 
(GNI空売り残高情報)
 
そして今日の株価は日経平均679円安という全面安の中で、終値は66円高の2197円となり今日の高値は147円高の2278円だった。空売り残高サイトを確認すると2/27頃から空売りが増え3/5には外資空売り機関の総売り状態だった。
こんな下げ相場の中で個人信用売り組はYahooファイナンス掲示板などで売り煽りをするのだろうが、たまに見るがあまり論理的な分析内容ではない。
ましてやフェイクニュースで急落を誘うなどは論外である。
 
Q2、4月からの3か月間中国から届く第3相臨床試験トップラインデーターの吉報を待とう。

それにしてもトランプのお陰で他は総崩れだが、これが配当権利落ち日と週末売りが重なっての下げなのか、来週は4/3も来るし大荒れ相場となるだろう。あの阿呆とその取り巻きは何とかならないか!

「有朋自遠方来」

2025年03月19日 | 日記

タイトルの「有朋自遠方来」は孔子の論語の一節(有朋自遠方来 不亦楽/朋遠方より来たる、また楽しからずや)である。昨日は若い時の仕事仲間が福岡から上京し、その彼を囲む40年振りの再会飲み会が新宿であった。

その上京に至る経緯は11月に(草津温泉旅行)としてこのブログに書いた。
メンバーは8人で、私が35歳までの13年間勤めた3Mの日本法人の仕事仲間であり、米3Mの本社があるミネソタ州セントポールの大リーグMinesota Twinsに因んでTwinsというユニフォームを作り、ヘボ野球をしていた遊び仲間であり、飲み仲間だった。福岡からの彼は40年振りの参加だったが、この集まりは新年会という形で長く続いていて、どういうわけか幹事役を勤めている。
お店はここ数年利用している西新宿センタービルの音音で、17:00からのコース料理での2時間半の宴席は、次の予約が入っているのかサーブも速く、19:00には食事が出てきた。
 
 




集まった8人のメンバーはそれぞれの職業キャリアで、3人は65歳の定年近くまで勤めて、2人は部長職になり日経新聞の人事欄に載った。3Mは外資だがIT企業とは違い当時はリストラがなかったが、40代の頃に早期退職割増のリストラに3人が応じ、1人は税理士になり昨年引退した。これからはヤマハ音楽教室でフルートを教えるという、好きな事をするという点で理想的なリタイア生活である。夏には奥さんとウィーンへ引退記念旅行へ行くと言う。
 
もう1人は企業向けのプレゼン話し方のコンサルタントになり、HowTo本を数十冊出版しその本が書店で平積みになっていたのを見た時には驚いた。安藤優子のニュースショーにも出演していた。我が町の図書館で著者名で検索したら15冊蔵書になっていた。70歳の現在でもまだ活躍しているが、メンバーの中で一番の若手だ。
 
そして私を含めた3人は30代で退社し、それぞれの道を歩んだ。1人はKPMGの前身の一つであるPMM(ピート・マーウイック・ミッチェル)のヘッドハント部門に転職した。その彼からウォール街の寵児と持て囃されていたボストン本社の新興コンピューター会社を勧められ、会社は家庭生活の基盤で収入が重要と、ドライに考えていたので年収増に転社を決めた。
この年は2人目の子供として息子が生まれた年でもあった。彼は最終的に外資工業計測器会社の日本法人の社長までになった。
春日部高校の野球部員であり、ゴルフの腕前もシングルというスポーツマンの彼から2年前の新年会で、パーキンソン病を発症したとの話があった。
そんな闘病中の彼だが、秋の温泉旅行や、同期の福岡在住の彼を招いての会も彼の発案で、私が幹事役として彼の体調を考えての旅先、移動法やスケジュールを決めるという役割だ。先週末には飛鳥でのクルージング旅行から帰って来たと言う。
 
そして福岡から上京し40年振りに飲み会に参加した3歳下の彼は、3Mの特約代理店を興し、現在は息子さんに社長に譲り会長になっている。草津温泉旅行の前に彼の名前をGoogleで検索したら会社のホームページが出てきたので、電話連絡し全員が話した。2千万円で購入したボートの写真を見せてもらったが、やはりサラリーマンより中小企業でもオーナーの方が経済的に豊かという事だろう。
 
そんな若い時の仕事仲間・飲み仲間が集まっての飲み会は昔話に花が咲いたが、年月による変化は避けられなく、2人が11月、先月と心臓不整脈でのカテーテル手術を受けウーロン茶での参加で、パーキンソン病の彼もウーロン茶での参加となった。
そんな事で二次会は3人を除き、センタービルの(すし屋 銀蔵)で寿司は食べず、刺身やホタルイカなどで、閉店の声がかかる22:30まで呑んでいた。
 
最後の別れの握手をした時に(次は冥土で会おうや)と言ったら、(天国で会えるように精進します)と。若い時と変わらない洒脱な人柄だった。
 

「名もなき者」

2025年03月06日 | 日記
 
 
昨日はテニスもジムもなかったので我が町の映画館Tジョイで、ボブ•ディランの伝記映画「名もなき者」を観てきた。ミネソタからニューヨークへ出てきた1961年からニューポート•フォーク•フェスティバルまでの5年間を描いたこの映画は前評判通りだった。
全編を通して流れるフォークソングは、
(This land is your land、and this land is my land、From California to the New York island  ♪ ♪) と、ウディ・ガスリーの(我が祖国)をピート・シーガーが裁判所でバンジョーを手に歌うところから始まり、ジョーン・バエズの(朝日のあたる家)と中学生時代に聴いていた昔懐かしい曲ばかりだった。
 
この歌手名を書いても知っているのは団塊の世代くらいで、それもアメリカのポップスやフォークを子供の頃に聴いて育った人達くらいだろう。私の場合は兄がよくラジオでDJ高崎一郎の(ベスト・ヒット・パレード)を聴いていたことから、ビートルズより前のエルビス・プレスリー、ポール・アンカ、コニー・フランシスなどのアメリカンポップスを小学生の頃から聴いていた。
ピート・シーガーとの関連で(ライオンは寝ている)が流れてきた時は懐かしさの極みだった。
ただこの映画は懐メロの音楽映画ではない。
ピート・シーガーはシンガーソングライターであり、政治活動家でもあったので、当時のアメリカの社会情勢を写した1961年のキューバ危機、1963年のケネディ暗殺などが短いシーンで出てくる。
 
 (名もなき者予告編)
 


映画の冒頭、無名の青年だったボブ・ディランが、敬愛するフォークシンガーのウディ・ガスリーが入院する病院を訪れる。そこにピート・シーガーもいて2人に自作の曲を披露する。
ボブ・ディランの才能を見出したピート・シーガーはその後、後見人的な役割を果たすが、やがて2人は目指す音楽の方向性が違ってくる。
ピート・シーガーはPPMの(花はどこへ行った)の作者でもあり、公民権運動のプロテストソング(勝利を我等に/ We Shall Overcome)を広め、運動を象徴する歌にした。
ボブ・ディランは自分の歌は反戦ソングではないと言っている。
その違いから1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルのトリで、フォークギターをエレキギターに持ち替え、ドラムやキーボードを加えてのバンド編成にして、あの(Like A Rolling Stone )を歌い、会場の聴衆から罵声を浴びせられる。
 
原題の(A COMPLETE UNKNOWN)はこの曲の歌詞で出てくるし、(Like A Rolling
Stone)は、ローリングストーンズのカバーでよく聴いていた。ジョン•バエズの(朝日のあたる家)は、ビートルズと同じ頃のデビューだったアニマルズでよく聴いていた。
ボブ•ディランの伝記映画という事で、実在の歌手をどう演じ、歌うのかと思っていたが、ティモシー・シャラメが吹き替えなしで歌い、演じきった。5年前にこの映画の企画が上がり、コロナ期間を挟んだ事からその間にハーモニーカとギターと歌を練習したと言う。本物に似せるという事ではなく、ティモシー・シャラメのボブ・ディランを演じた。
 
(海南鶏飯食堂/チキンライスとラクサのセット)


映画は12面あるスクリーンの内3面を使い、通常、IMAX、Dolbyでそれぞれ上映時間を変え、1日2回ずつの上映でレイトショーは20:50〜23:20となっている。
昨日は小雪舞う寒い日だったが、家から歩いて8分くらいなので、一番早い上映の9:00〜11:30で観た。映画鑑賞の後は1000席あるフードコートでチキンライスとラクサのセット1290円を食べた。
 
映画と食事で満たされ気分良く帰宅し、録画しておいたNHK BSのドジャースのオープン戦を早送りしながら観て、山本、佐々木の好投に気分良さも増したが、その後のトランプの施政方針演説を見て、相変わらずのドヤ顔の自画自賛と繰り返すバイデン攻撃にただただ呆れるばかりで、共和党議員達のスタンディングオベーションとUSAコールを見て(お前達はナチス親衛隊と同じか!)とも思ってしまう。
 
今日のPBSニュースではこの施政方針演説のファクトチェックを行い、4つの嘘を指摘していた。その病的な嘘にここで書く気にもなれない。カナダのトルドー首相を州知事と呼んだり意地悪さだけは天下一品だ。