このブログを見て頂いている方は気づいていると思うが、NTT Docomoが提供していたこのアプリが11月をもってサービス中止となる。このブログを始めたキッカケは、定年後すぐに1ヶ月のバリ島旅行をし、その後タイのチェンマイやチェンライを旅行し、2010年にはトルコ、ギリシャを1ヶ月バックパック旅行をした。東日本大震災の前日2011年3月10日には同じ時間帯にカンボジアに向けて飛び立っていた。
そんな旅行記に加え、若い時からの趣味である登山やジョギング・マラソン大会出場などの定年後の生活をライフログとして記録しておきたいとの思いから始めた。あくまで自分自身の記録としての位置付けから、かなり踏み込んだ事も書いているので、一部の人しかこのブログを知らないし、兄にも教えていない。従ってSNSとしての機能は要求せず、コメントも入れられない設定にしてあるし、スタッフへのアピールという機能も使っていない。
一期一会というタイトルは、老若男女を問わず人との出会いに関心があり、そこに恵まれていたとの思いから付けた。一番時間の長い職業生活においても、同僚、後輩などの仕事仲間以外にもそんな出会いがあった。一番の職業生活においてのピンチは48歳で外資コンピューター会社をリストラされた時で、我が家の家庭生活はその外資コンピューター会社の業績給などの高給によって成り立っており、カミさんも専業主婦として家庭を守り、子供2人も中高一貫の私立に通っていた。転社するのも外資ITでまたリストラでは、子供達の教育費が賄えなくなるので、同じ轍は踏みたくないと思っていた。そんな職業生活の岐路に立った時に助けられたのが、リストラを私に伝えた上司だった。
この上司に定年まで勤めていた電機メーカーとリース会社との合弁会社を紹介され入社した。この会社の社長、専務をこの上司が知っていたのと、この会社がコンピューターシステムの販売事業に力を入れていたので、私の経験が買われたのだろう。ただ上場電機メーカーの合弁会社という事もあり、48歳の入社には難しさもあっただろうが、事前根回しもしてくれたのだろう。専務との直接面接で採用が決まった。この上司とはよく2人で酒を飲んでいたし、この人自身もリストラになり、中小企業診断士のライセンスを取りサラリーマン生活を辞めた。
そんな旅行中のブログ中止の知らせと共に、一番の親友の訃報が届いた。今回の旅行中も国際ローミングをしていなかったが、4/11 17:52着信お知らせのメッセージと奥様の電話番号が書いてあった。何事かと思いその友人とはLine友だちでもあったので、早速ホテルのWifi環境下でLineをしたら、8日に亡くなった旨のメッセージが奥様から返ってきた。この友人との関係性については11月の(草津温泉旅行)と3月の(有朋自遠方来)と題したこのブログで書いた。35歳まで勤めた3M時代の仕事仲間で、私が辞めた後も付き合いが続き、彼は64歳まで勤め上げた。この知らせを受けて(有朋自遠方来)に書いたメンバーにメールしたら、そのメンバーの1人から返事があり、居住地である府中の森市民聖苑へ葬儀予定を確認したら、11日に火葬のみの受付で済まされたとあった。推察するに火葬が終わった後に、その旨の連絡を電話でくれ、それが着信通知となったのだろう。お子さんもいなかったし、親族も東京には居なかったので密葬とし、火葬後の私への電話連絡は友人の遺言だったのだろう。
その友人とは20代からなので、50年以上の付き合いになる。3歳年上だったが同期中途入社という事もあり、苗字の上一文字にヤンとチャンを付けて呼び合っていた。山口県下関出身で独身時代の夏には他の2人とその実家に遊びに行き、泊まらせて頂いた。大学時代はハワイアンバンドの活動をして、当時グァムへの客船航路があったらしく、そこでアルバイトで演奏をしてたと言い、よくスナックのカラオケでルイ・アームストロングの(What a wonderful World) を歌っていた。彼が結婚してからは世田谷の東松原に住み、私が歩いて10分くらいの梅ヶ丘に住んでいたので、日曜日などに夕食に誘って頂いた。私の結婚式には友人代表としてスピーチをしてもらい、新婚の家にも奥様と一緒に遊びに来て頂いた。勤める会社は別れたが、ゴルフや定期的な飲み会での付き合いが続いていた。
そんな彼と飲んでいた時に口内炎で調子が悪いのでと、短い時間で切り上げた事があり、その後暫くしてからステージ4の舌癌で手術入院するとの連絡があった。そして翌年私がステージ2の肝臓ガンになった。(同病相憐れむ)ではないが、その後もお互いの状況を話しながらの呑みやゴルフの付き合いは続いた。そんな彼のガン闘病生活は他臓器への転移などでの手術や、月2回の放射線抗がん治療と続いていた。そして昨年の新年会ではアルコールは飲まなくなり、11月の温泉旅行、先月の飲み会も参加の意思を示していたが、参加出来なかった。私の携帯番号を奥様に伝えていたのも、自身の最後を予想していたのだろう。この訃報をカミさんに伝えたら涙ぐんでいた。カミさんも同僚として彼を知っていたし、私達のその後の付き合いも私からの話しで知っていた。旅行中も2人で彼の思い出話をしていた。(有朋自遠方来)の宴席でも、律儀な彼が不参加という事で皆が病状について心配していた。その飲み会には2,3日前まで参加のメールがあり、具合が悪くなったら途中失礼するかもしれないとの言葉も添えられていた。福岡の彼には下関へ帰郷の折には連絡があり、2人で釣りに行ったと言う。口数は少なかったが実直で律儀な性格の敬愛する友だった。
歳回りからだろうか、この1,2年私の周りで深刻な身体の変調を知らせる知人•友人が増えているが、これも人生の摂理なので仕方がないだろう。そんな状況と今回のgooブログサービス中止の知らせもあり、このブログも今回の投稿を持って最終章として止める事にした。2021年4月にもコロナ禍で海外旅行も出来なくなり旅行記も書けなくなり、山小屋も閉鎖され登山記も書けなくなったので(終章)としてブログ投稿を止め、一年後の2022年5月にコロナ禍の収束に伴い再開した。
Amebaブログへの移行も案内されているが、止める意図が前述の理由なので、サイトを変えての継続は考えていない。これからも海外旅行は行くと思うし、登山もまだ続けるつもりなので書くネタはある。書きたくても、書かないようにしていたトランプの阿呆ぶりと愚挙は枚挙にいとまがない。そんなトランプを支持する国民が半数以上いるというのが信じられない。あのベースボールキャップを被った中西部のオッサン達はワシントンポストやNYタイムズも読まないし、ABCニュースも見ない大いなる田舎者なのだろう。
明日そんなアメリカから外資コンピュータ会社時代の同僚が来日し、彼を囲む会が代々木の日本製鐵の社員倶楽部である。2年前の来日では私が幹事をしたが、今回はその幹事役を日鉄ソリューションズ勤務の歳下の仕事仲間に頼んだら、快く引き受けてくれ、団塊世代の集まりから一世代若いメンバーにも声をかけて、12,3人の集まりとなった。来日する彼は商社勤務の父親の関係で幼児期をアメリカで過ごし、中高を大阪の学校を出たらしいが、詰め襟制服に違和感を感じていたと言う。大学はユタ州の大学を卒業し、日本に戻り日本企業に就職したが、そこから私と同じ新興外資コンピュータ会社に転じた。そんな同じ歳の彼も42,3歳の時にリストラになり、3人のお子さんを連れて渡米、アメリカで再就職をした。金融機関向けのトレーディングシステムの営業に携わり、ニューヨーク勤務で2001年の同時多発テロ9.11事件の時はマンハッタンに居たと言う。現在はニュージャージー州に住んで3人のお子さんはそれぞれ結婚し、5人のお孫さんに恵まれている。そんな彼から集まりの前にお茶をしようとのメールがあった。現在の分断するアメリカの現状を聴いてみよう。
そんなことで、このブログの最後の投稿になるが、見知らぬ私のブログを海外旅行や登山、株投資への関心から読んで頂いた事に感謝します。不確実性に満ちた時代になってきましたが、花鳥風月ではないですが、日々の小さな事に喜びを見い出し、健やかな生活を送って下さい。
昨日はバイオ創薬メーカーGNIの株主総会に出席してきた。基本的に各種媒体で情報が取れる会社については出席しないが、グロース市場上場でカバーするアナリストもいない会社については、情報収集と経営陣の資質判断の意味で出席している。資質判断って分かるのか?と思うだろうが分かるのだ。過去に出席した株主総会でエムスリーの谷村社長はマッキンゼー出身らしく、事業計画のプレゼンや質疑応答も一手に引受け、流石という感じだった。それに反して昨年出席した某社のオーナー会長は?という感じで、この会社は今年早々に損切りした。株主総会も一言物申したくて出席したのだ。




タイトルの「有朋自遠方来」は孔子の論語の一節(有朋自遠方来 不亦楽/朋遠方より来たる、また楽しからずや)である。昨日は若い時の仕事仲間が福岡から上京し、その彼を囲む40年振りの再会飲み会が新宿であった。


