一期一会

日々是好日な身辺雑記

台湾一周の旅/ 烏山頭水庫

2018年07月01日 | 旅行


今日は台湾で最も尊敬されている日本人という土木技師八田與一(はったよいち)が設計・建設した鳥頭山ダムへ行った。
ホテルを6時にチェックアウトし、駅に向かう途中のセブンイレブンでサンドイッチとジュースを買う。
鳥頭山ダムへは台湾鉄道「善化」駅からバスで行くのだが、善化をどう発音するか分からないので、
筆談用に持ってきたメモパッドに(6:53発善化一枚)と書いて窓口で切符を買った。
6:53発の前に各停の電車があり、それなら自動券売機で買えたのだが、急行券は窓口購入となった。
とにかくホテルフロント以外は英語も日本語も通ぜず、簡単な5W1H会話にも苦労しているが、
想像力で何とか凌いでいる。

高雄行きの電車は途中3駅停まり7:40に善化駅に着くが、バスの出発時刻が7:50で次が10:00なので急ぎ足になる。
料金所の前で65歳以上の優待票の漢字表記を見ていたら、車輛入り口も兼ねたブースからオバさんが出てきて、
(80ドル)と連呼する。昨日の阿里山と違い台湾人以外でも割引適用のようだが、何故65歳以上の日本人と
分かったのだろう。
陽よけの帽子も被っていたのだが。因みに入場料は200ドルだが切符には優待票80ドルとなっていた。



鳥頭山ダム付近一帯は、八田與一の業績を称える記念公園になっており、銅像や復元された住居、記念館がある。
八田與一は1866年に石川県に生まれ、旧制四高から東京帝国大学工学部に進学し、土木工学を専攻した。
1910年に台湾総督府の技師として台湾に来て、30代の時に鳥頭山ダムを計画し、この灌漑事業により
鳥頭山ダムに貯えられた水が嘉南平野に配られ、その水路の長さは1万6000キロとなり、この平野の穀倉化に大きく貢献した。
作られた当時のこのダムはアジア最大、世界で三番目の大きさだった。
司馬遼太郎の「台湾紀行」でも、(八田與一のこと)として10ページにわたって書かれており、
台湾の小学校に教科書にも載っており、台湾映画(KANO)では大沢たかおが八田與一を演じていた。
八田與一は1942年に陸軍に徴用されてフィリピンに向かう時に、乗船が撃沈されて死んだ。56歳の生涯だった。
八田與一と16歳の時に結婚し、2男6女をもうけた外代樹夫人は、終戦の数日後に鳥頭山ダムの放水口に身を投げた。

(八田與一像)




(復元された住居)



(住居の庭に建つ外代樹夫人像)



(八田與一記念館)



(八田路)



八田記念公園で2時間ほど過ごし、10:40発のバスで善化駅に戻り昼には台南に着いた。
先人達の偉大さを感じた半日だった。