一期一会

日々是好日な身辺雑記

アンコール遺跡巡り

2014年03月31日 | 旅行



20日(木)はアンコール遺跡群巡りをする為にチャーターした車が5時にホテルに迎えに来た。
前日空港からホテルまでの空港タクシーのドライバーVann Sethさんは30代前半の年頃。
1日チャーター30ドルの料金は協定価格のようで料金表があった。

アンコール遺跡の料金所へは車で10分位で着く。入場券は1日券で20ドル、3日間利用可能な3日券は40ドルである。
入場券は顔写真入りで、その場で撮ってくれる。今回はシュムリアップ4泊の後半2日はホテルを変え、
のんびり過ごそうと市街から離れた村のプール付きのホテルを予約してあるので1日券にする。

アンコールワットへは鬱蒼とした巨木の並木道を往く。暫くすると暗闇の中に忽然とアンコールワットが現れる。
3年振りに見るアンコールワットは改めてその石造建築物としての巨大さに圧倒される。

西表参道入り口の所で車を降り、日の出が7時頃ということなので1時間半後に
戻ることを告げアンコールワットへ。入り口の所でペンライトを売っていたが
歩けない暗さではなかった。



西参道の左にある池の端には日の出を見ようという人でいっぱいだった。
この池には逆さアンコールワットが映されるので日の出とそれを写す為に多勢の人が場所取りをしているのだ。
6時頃に一斉に蝉が鳴きだし、それから50分後位にアンコールワットの左側に陽が昇ってくる。






この日の出を見てから車に戻り、朝食を取った後でアンコールトムに向かう。
混み具合と暑さを考慮してアンコールトムを朝からまわり、そして昼頃から
アンコールワットを廻ったほうが良いとの彼のアドバイスによりその順路にする。





3年前に来た時はアンコールワットからアンコールトムまで30分ほど歩いて行った。
アンコールトムのバイヨン寺院には( クメールの微笑 )で知られる観世音菩薩の
四面塔が49基あるという。その笑いの表情は柔和にも不気味にも見える。





バイヨンの後はライ王のテラス、象のテラスと3時間程かけて見て廻り11時頃に車に戻る。
そして再びアンコールワットに戻る。確かに日中の陽射しが強くなる頃には屋根のある
アンコールワットを廻るのが良いのだろう。






アンコールワットの第一回廊は東西南北の壁面にはインド古代の叙事詩をモチーフにしたレリーフが描かれている。
正直なところ、このレリーフが美術的に見て素晴らしいものなのかどうかは解らなかった。
ただ回廊の長さなど構造物としての凄さは感じた。

昼食を挟みアンコールワットを2時間ほど見て廻ったところでカメラがバッテリー切れに。
パノラマ撮影をするとバッテリーが無くなるのが早いのか。


この後、熱帯雨林の巨木スボアンが寺院の回廊を押し潰すように生えているタ・プロームと、
アンコール遺跡群が360度のパノラマで見れる丘陵にあるプノンパケンを廻ったが
どちらも写真が撮れなかった。早朝5時からのアンコール遺跡巡りを終え16時には
ホテルに戻る。3年前のシュムリアップ滞在中は半日を観光に、あとはホテルで
東日本大震災のテレビ報道やインターネットを見ていた。

4日間の滞在中にバイクタクシーやトゥクトゥクでトレンサップ湖やキリングフィールド、
地雷博物館を見て廻ったが今回はその予定はなし。トレンサップ湖はその水上生活者の
貧困と、キリングフィールドはクメールルージュによる大量虐殺の悲惨さを2度見る気持ちはなかった。
今回もアンコールワットには裸足で( 1ダラー、1ダラー)と物乞いをする子供達がいた。
900年前にこれだけの文明を作った国が現在のような状況なのは何に起因しているのだろう。

暑さの中を歩き廻り少々疲れたので、シャワーを浴びた後でベッドで1時間ほど休む。
その後はオールドマーケットに出かける。国民性の違いかホイアンの市場のように声がかからない。
何種類かのカレーパウダーとドライマンゴー、お菓子をお土産に買い、



夕食は3年前にホテルの人に奨められて行った「クメールキッチン」へ。
クメール料理のアモックというコナッツミルクで野菜やチキンを煮たグリーンカレーのようなモノとマンゴーサラダを注文。
そして日曜日ではないが、歩き廻り喉が渇いていたのでハイネケンを2本。

早朝5時からアンコール遺跡を廻ったが、この範囲なら車でなくトゥクトゥクの方が良かったと思う。
車を利用するのであれば郊外にあるバンテアイ・スレイまで足を伸ばすべきだった。

ベトナム・ホイアンからカンボジア・シュムリアップへ。

2014年03月29日 | 旅行




ホイアン滞在3日目の19日(水)は16:20発の飛行機でアンコールワットのあるカンボジアのシュムリアップへ移動する為、
朝食後にチェックアウトまで旧市街に出かける。
前日に買った5枚綴りの観光入場チケットが一枚残っていたのでホイアン歴史文化博物館へ。
その前に朝の活気のある市場へお土産を探しに行く。



物の豊富な日本から見ると特に珍しい物もないが、そんな中で目を惹いたのがベトナム工芸品としての箸だ。
毎朝出勤前にNHK BSで見ている朝の連ドラ再放送の( ちりとてちん )に出てくる若狭塗り箸に似て、貝殻の模様が入っている。
このドラマが好きで見ていることから、足を止め手に取り値段を聞いているうちに結果的に買ってしまった。
10本パックの箸と、同じ色の木製の重厚な箸入れ、それと箸置きで300,000dドン。
これを買ったら次から次へと別な物を勧める。それで箸と箸置きがあったらグラスを置くコースターもということでそれも買う。

ベトナムコーヒーも勧められたが毎朝飲んでいるのがハワイ・コナのバニラマカデミアナッツというフレーバーコーヒーなので
( 通からは邪道と言われそう)自宅用ではなくお土産として小さなパックを2袋買う。コースター5枚とベトナムコーヒーで250,000ドン。
スーツケースの重量制限に引っかかるので、この時の為に持ってきたデイバッグに入れて重量検査を受けよう。



朝の市場は本当に活気がある。地元の人達が食料品や生活用品を購入する場として利用されている。
特に香草と果物の種類が多い。そういえば新市街にもスーパーやコンビニは見当たらなかった。



ホイアン歴史文化博物館はかって日本人町があった関係で、日本との民間交流は盛んなようで、
館内の石碑に俳優の杉良太郎の名前が刻まれていた。「日本ベトナム文化交流協会」という団体の理事長が杉良太郎とのこと。
小さな博物館だが日本人ゆかりの展示物も何点か展示してある。

12:00にチェックアウトし、ホテルで車を手配してもらいダナン国際空港に向かう。
海岸線に沿った道路を行くと、そこには日本では見たことがないような大型のリゾートホテルが何軒も建っており、
現在も幾つものホテルや、個人の住居か別荘用なのか広大な敷地のヴィラが建設中だった。



ダナンからアンコールワットのあるカンボジアのシュムリアップへはLCCのシルクエアーで1時間20分の飛行時間で110ドル。
シルクエアーはシンガポールの子会社でASEAN諸国やインド、中国などを運航している。
ホーチミンからフエへの便も1時間遅れだったが、このシュムリアップへの便も遅れの掲示。
出発まで4時間近く出発ロビーやカフェで時間を潰す。その間周りを見渡しても日本人は見当たらない。

ここではWifiをキャッチ出来たのでiPadが使え時間を持て余すことはない。
そして遅れること1時間17:20に出発。機内ではLCCとしては珍しくパンとオレンジジュースがでた。

シュムリアップ国際空港に到着しロビーに入っていくと、ビザカウンターに列が出来ていたが、
既に日本でビザを取り、入出国カードも機内でもらい書いておいたのでスムーズに入国審査を受けられる。

カンボジアは3年振りで、前回は東日本大震災のあった3月11日の1日前に羽田を発ち、バンコクであの震災発生を知り、
シュムリアップには翌日バンコクからバスで陸路10時間かけて着いたのだ。



2006年に新たに建てられたというシュムリアップ空港は大きくはないがた綺麗な空港だった。
到着し早速ATMでカンボジア通貨を引き出そうとしたら米ドルだった。
この後も4日間の滞在中にATMで引き出しをしたがカンボジア通貨リエルではなく米ドルだった。
殆どの店が米ドルが使え値段も米ドル表示で、アンコールワットの屋台のような店でも米ドルだった。
自国通貨より米ドルの方が流通性があるというのはどうなんだろう?カンボジアの国力を表しているのか。

米ドルを手に空港職員にタクシー乗り場を尋ねたら、ターミナル出口の所にあった。
ここは空港タクシーカウンターで行き先を告げ、料金7ドルをそこで支払いタクシーに乗り込むシステム。
これは安心で良いシステムでバリ島も同じだった。

乗り込んだタクシーの運転手は英語を話し、( 何日滞在するのか) とか( 明日はどうするのか )
と聞いてくる。(アンコール遺跡は自転車で廻るつもり)と言ったら( 暑くてそんなこと出来ない ) と。

そんな話をしているうちに、1日車をチャーターして30ドル、早朝のアンコールワット
日の出見物を加え35ドルで話がまとまる。翌朝5時にホテルに迎えに来てもらうことにする。

ホテルにチェックインし、ホテルの人の( 安くて美味しい ) とお奨めのレストランというか食堂のような店で夕食。
お手軽なところでチキンカレーを食べる。

翌日が4時半起きなので食事の後はホテルに戻り、シャワーを浴びて早めに寝る。



世界遺産ホイアン旧市街散策

2014年03月26日 | 旅行

 

ホイアン滞在2日目18日(火)の朝は5時に目が覚める。日本との時差が-2時間なので
ようやく体内時計も現地時間になったようである。
このホテルは部屋ではWifiがキャッチ出来ずロビーだけなので日経新聞を読む前に
旧市街にジョギングングへ。朝の市場は昨日の午後より一段と活気があった。

トゥボン川に沿って40分程のジョギングでホテルに戻りシャワーを浴び朝食。
バイキング形式の朝食は果物が豊富で、パンもトースト以外にもフランスパンを
ガーリックソテーしたものからベトナム名物料理で米麺のカオ・ラウ、
スパゲティ、炒飯と盛り沢山のメニューだ。マンゴーが食べ放題なのが嬉しい。



そんな満足の朝食の後は、東京の株式市場が開いている時間になったので株式をチェック。
12日(水)から4日連続で935円も下げた日経平均は150円高になっていた。
前日に償還された豪ドル建のトヨタの社債が円に変え口座に入金されていることを確認。
早速この償還金で某銀行株をその時の株価から2円安で設定したら10分位で約定。
トヨタの期間3年豪ドル建社債は年利5%で、82円で買い召喚時には92円になっていた。
為替差益が1豪ドル10円。日本国債3年モノが0.1%と比べ遥かに高利回りである。3年定期預金0.025%にいたっては論外である。

この銀行株は社債償還を見据えて、2ヶ月前から配当利回り4%以上で業績予想が会社予想より上振れという基準で選んだ。
当初配当利回りトップのSI会社を考えていたが配当狙いは本筋ではないので他の要素も考慮し決めた。
約定確認の後はiPadに張り付くことなく、昼頃までプールで、泳いだり本を読んで過ごす。



そしてホイアン散策へ。学生時代にベトナム縦断旅行の経験がある息子にホイアンの印象を
尋ねたら(川越のような町だよ)と。川越よりは旧市街が広く、建物の歴史も古いようだ。

昨日のうちに見るべき所を地図にマーキングしておいたので、総合チケット売り場に行き5枚綴りのチケットを購入する。
歴史的な建物へ入るにはこのチケットが必要で町中に数ヶ所の売り場がある。


先ずは3回目となる市場へ。歩き廻ってると(Japanese?)とよく声がかかる。
Yesと答えると( Ajinomoto )とニヤリ。この掛け声は市場で3回目。
成長する東南アジア関連株として味の素は有望かも?( 苦笑)

16世紀にはタイのアユタヤ、マニラと並んで日本人町も作られていたというここホイアン。
その日本人が1593年に作ったという木造の屋根付きの来遠橋から旧市街観光がスタート。
最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたといわれるが、江戸幕府の鎖国政策で
その日本人町も衰退し、その後に多くの華僑が移り住み現在の町並みが出来たとか。



その歴史を示す出身地ごとの同郷人集会所が福建会館、潮州会館、広肇会館として残っている。
中国南部から移って来た人達が多かったのだろう。そんな華僑の中で成功した人の歴史的建物が有料で公開されている。
廣勝家(クアンタンの家)、進記家( タンキーの家)、馬興家(フーンフンの家)等。



どの家も京町屋のように間口が狭く奥行きが長い。
内部の柱や梁も立派で今の日本の家屋では見ることが出来なくなったもの。
マレーシアのマラッカのチャイナタウンで見た家と同じ建築様式だった。



陽がおちてランタンが灯る町並みを見てからYellow Riverというレストランで
カオラウとホワイトローズというベトナム名物料理を夕食としてとる。
ホワイトローズは海老のすり身を薄い米の皮に包み、それを蒸し上げたもの。
見た感じが白いバラのようなのでホワイト・ローズというらしい。

夕食の後にまたランタンの灯った町並みを見ながらホテルに戻る。




フエからホイアンへ

2014年03月25日 | 旅行




17日(月)は6時半スタートの朝食を取り、7時にはチェックアウト。
日本時間の9時なので早速株式市場の動きをチェック。先週は連日の下げで日経平均は919円安。
保有個別銘柄も大きく下げた。ウクライナ騒動で市場がリスクオフに動き円高株安になっているのか?
ウクライナ問題はオバマ、プーチン共に国内向けにも面子のぶつかり合いでお互い簡単には引けないし、
ロシアとの利害が深いEUも制裁措置に限りがあるだろうからこの問題は長引くだろう。
そんな状況を受けこの日の株式市場も冴えない展開だ。
多くのアナリストが予想した3月末の日経平均16,000円には届かないだろう。

チェックを終えタクシーを呼んでもらうようフロントの女性に頼んだら、
バイクで送ってあげる、それも無料でとのこと。スーツケースがあるので・・・と言うと、
小さいので問題ないとバイクの運転手の足元に乗せる。
ここは15部屋位の小さなホテルだったが、働いている人達は皆親切だった。
インターネット上のTrip Adviserでの口コミが非常に良かったので予約したのだ。



7時53分発のホーチミン行きの電車は1時間遅れで到着、乗り込んだ車内は
ほぼ満席状態で立っている人もいた。私の座席にも人が座っていたが明けてもらう。
ハノイからのこの電車は途中検札もないので座席指定で買った人がいなければそのまま座っていけるのだろう。



隣席にはトウモロコシを食べているベトナムの中年女性。中年と言っても明らかに私よりは若い。
暫くするとキャンディの袋を出し勧めるので遠慮なく頂く。そして次はビスケットを。
最初は遠慮がちに2枚を手に取る。食べ終えたらまた勧める。そしてまたという具合に6枚も頂いてしまった。
関口知宏であれば拙くても現地語を使いコミュニケーションを取るのだろうが、何せ一言もベトナム語を知らないので出来ない。
後で調べたら「ありがとう」はCam on(カム オン)だった。

11時過ぎる頃にはチキンを煮たモノとライスを売りに廻ってくる。
この女性これも注文する。買わないのか?というようなジェスチャーだったが、
ダナンで下りるから・・と。そんなことをしているうちにダナンに到着、11:20。

ダナンはベトナム戦争の時には米空軍基地があり、よく新聞で(ダナン基地から北爆へ・・)
という記事を目にしていた。ホイアンへは循環バスで1時間位のはず。

駅前にはタクシーの呼び込みが多くバスで行くと断り、(歩き方)を出しバス停の場所を探していたら、
先ほどの呼び込みの男性が来て、相乗りで7ドルでどうか?の再提案に(のった!)と。
(歩き方)によると料金は普通10,000VNDだが外国人の場合20,000VNDから50,000VND要交渉との
何ともアバウトな情報。停めてあるバンの方に行くと同じく呼び込みを断っていたアメリカ人らしき若いカップルがいた。
女性の方が(幾らだった?)と聞くから、(7ドルだ)と答えたら(Same!)と喜んでいた。当然でしょうが。
走り始め運転手がホテル名を聞いてきたのでその名前を告げたら、後座席からまた(Same!)と。面白い。

そして、運転手の(Where are your?)とのカップルへのtypicalな質問に( America minesota)との答え。
それを聞いて私が(ミネソタのセントポールに本社がある米企業の日本オフィスで働いていた)とその会社名を告げたら
(Excellent company !) と。ちょっと鼻が高くなる。



ホイアンのホテルに着きチェックインしたらフエのホテルと同じく部屋のベッドには
花が散りばめてあり、バスタオルで作ったハートマークも。ベトナムの(お・も・て・な・し)は視覚的なのか。



しばらく休んだ後にTシャツと下着の洗濯をしてから、歩いて10分位の町に出る。
ホイアンはフエと比べ暑く、ここで初めて短パンTシャツになる。
ホイアンには翌々日のチェックアウトまでいるので、この日はホイアンの町の概要把握だけにし
歴史的建物にも入らず、町の広がりや主な見所の位置確認をする。

そんなブラリ町散策で目についたのがベトナム人の手先の器用さというか美術工芸品の素晴らしさだ。
下の写真の( SOVA )という店はホイアンの風景や生活の様子をひと針ずつ丁寧に作られているシルク絵の店だ。
その緻密に作られた作品は円にすると30万円~80万円するものだった。
店内には多くの作品が展示されているが、写真を撮ることは禁止だったので、
その素晴らしさをお見せすることが出来ない。



それと飾り物なのか?どうなのかも解らない下の写真のシロモノ。
顔の部分は木を削っているのだがヒゲは何から出来てるのか解らない。



遅めの昼食は来遠橋(日本橋)からチャンプー通りを行った店でホイアン名物の
カオラウ( Cao Lau )を食べる。この日本のウドンに似たカオラウは米麺に焼き豚と香草、
それに揚げワンタンようなものが入っていて濃いめの少量のタレ汁に絡めて食べる。
日本人街があった時に日本から伝わったとも言われているカオラウはホイアンではどのレストランにもある。
2泊3日のホイアン滞在中に4回カオラウを食べたがこの日に食べた店( ヴァンロック)が一番美味しかった。



中国式家屋のこの店は太い柱や梁が立派だった



古い町並みを今も残し世界遺産に登録されているこの町はなにか懐かしさを感じさせる町だ。

夕食はホテル内のレストランで済ませる。



世界遺産の古都フエ

2014年03月24日 | 旅行



3/16(日)は4時半に目が覚める。体内時計は日本時間(6:30)のままのようである。
早速IPad miniで日経新聞新聞の土曜日朝刊、夕刊とこの日の朝刊を2時間かけて読む。

6時半頃になり少し明るくなってきたので、ジョギングウェアに着替えてホテルを出る。
歩いて5分位すると旧市街と新市街の間のフォーン川があり川岸が公園になっている。
その両岸を35分位ジョギングをする。日本では寒い日が続いていたので久し振りのジョギングで気持ちが良かった。
熟睡したせいか疲れもとれ、クシャミも出なくなりホッとする。

朝食はホテルのレストランでのコンチネンタルブレックファーストで卵料理もオムレツが4種類あり、フルーツも食べ放題でなかなか良かった。



部屋でノンビリした後にフエ観光の目玉である世界遺産の阮朝王宮に向かう。
川向うの旧市街にある王宮までは歩いて30分位だが途中シクロの運転手から頻繁に声がかかるが、
歩いて行くとの意味で脚を指し断る。歩くのは苦にならないし自信もあるのだ。
このシクロという乗り物、自転車の前に人力車の座席を付けたようなユニークな形をしており、スピードは私のジョギング並み。
そういえばマラッカの人力車はトライショーと言いサイドカー仕様の派手な飾りが付いていた。

ベトナム中部の都市フエは前日のクアラルンプールで感じたような暑さはなく、町行く人も長袖が多い。



グエン朝は1802年~1945年の13代の皇帝が勲位した。その王宮は歴史的建築物として評価の高いものらしい。
北京の紫禁城にも似たこの王宮は中が広く、城壁も立派だった。入場券105,000ドン。
ここではノンビリ2時間程見て回る。日本人のツアー団体も3組ほどいた。
シニア世代の夫婦連れが多いようだ。



王宮の後はドンバ市場へ廻る。海外へ来ると必ず市場に行く。
その土地の人達の生活ぶりが感じられ面白い。ここドンボ市場も金の装飾品、生活用品、野菜や果物も種類が豊富で活気があった。

この2ヶ所を見ればフエ観光の目的は達したのでホテルに戻り夕方までホテルの部屋でYouTubeで音楽を聴いたり本を読んだりして過ごす。
You Tubeのお気に入りにはエリック・クラプトンやビリー・ジョエル等のコンサートが登録されており、
ビリー・ジョエルの東京ドームでのコンサートは1時間59分という収録で彼の代表的な曲が楽しめる。
You Tubeにアップされたものも時々削除されるが、また改めて検索するとアップされているという、モグラ叩き状態だ。
ふと、役所広司のダイワハウスのCMベトナム編を思いついて検索すると、10以上のダイワハウスのCMがアップされており初めて見るものもあった。
役所広司のトボけた味が出ているこのCMが好きで、思わずニヤリとしてしまうのだが、
その中でも古田新太とのベトナム編が面白い。(ベトナム編とは言え、あまり旅の話とは関係ないか)

部屋でそんな過ごし方をしていたら夕方になったので、フロントで明日のホイアン行きの相談をする。
車だと65ドルというのでこれは即刻パス。バスだと7ドルで5時間、電車だとダナンまで2時間半、そこでバスに乗換え1時間でホイアン。
電車の時刻表を見せてもらったら7時台と10時台にホーチミン行きがあったのでこれに決める。電車だと地元の人の人間観察も出来るしと。

朝食のスタート時間を確認し、7時53分発の電車を当日に切符を買って、と思っていたらフロントの女性が今日買った方が良いとのアドバイス。
駅までバイクでホテルの若い男性が無料で連れて行ってくれるとのこと。ここで初めてあのベトナム名物?のバイク体験。
駅までは10分位だが、この気の良さそうな若者がバイクに乗りながら(何処から来たの)とか話しかけてくるのだが、
多数のバイクがクラクションを鳴らすのでよく聞こえなく、振り向き加減で話すのでヒヤヒヤする。

駅の窓口には2列の行列が出来ていて、暫く並んで待つ。
ホテルの彼も一緒に付いてきて(ソフト何とか・・・)とか尋ねてくるが 、意味が解らず聞き返すと(自分が頼むから良い)と。
要はソフトシート+エアコン付きという車両とハードシートで座席指定なしの違いのようだった。
勿論彼はソフトシート、座席指定を頼んでくれた。彼が付いてきてくれたのが良かった。
鉄道は社会主義の国の管理下だから、当然のことながら窓口の女性は無愛想で恐そうなオバさんでベトナム語しか話さない。
そこでモタモタしていたら嫌がられるところだった。この自称、愛称ピーターさんに感謝だ。

夕食は近くのレストランで、日曜日はアルコールOKとの日本での習慣に則り、
ハイネケン1本と生春巻き、ポークグリルにレモングラス添え、なるモノを頼む。これが美味しかった。
ツクネのように豚肉のミンチを茎に刺して焼いたものに香草レモングラスが添えられ、そこにライスペーパーも付いてきたので、
食べ方を店の人に聞いたら、ライスペーパーで茎から抜いた豚肉ミンチとレモングラスを包みピーナツバターソースで食べるという、
何か中身の違う生春巻きのようなものだったがこれが意外に美味しかった。

夕食の後は直ぐにホテルに戻り早めに寝る。